シンプラル法律事務所
〒530-0047 大阪市北区西天満2丁目6番8号 堂島ビルヂング823号室 【地図】
TEL(06)6363-1860 mail:
kawamura@simpral.com


毎日ドラッカー(要約)

1月  
0101 ◆「リーダーシップにおけるIntegrity(誠実、健全)」

マネジメントの誠実さ(sincerity)と真剣さ(seriousness)の証拠は性格の Integrity の(妥協のない)強調である。これは、とりわけ、マネジメントの「人」の決定に象徴される。性格は、それを通じて、リーダーシップが行使され、範を示し、見習われるものである。性格はそれについて人々を騙せるものではない。一緒に働く人々、特に部下は、数週間で、彼(彼女)が Integrity を持つかどうかを知る。彼らは相当程度、無能、無知、自信のなさ、行儀の悪さを許すことができる。しかし、Integrity の欠如を許さず、マネジメントが彼(Integrity を欠く人)を選んだことを許さない。

これは特に、会社のトップの人々について当てはまる。組織の精神はトップから創られる。組織が精神において偉大であれば、それはトップの人々の精神が偉大であるからである。腐敗していれば、トップが腐っているからである。ことわざにあるように「木はてっぺんから死ぬ」。トップマネジメントが彼(彼女)の性格を部下のモデルとしようとしなければ、上位の地位に指名されることはない。

ソース:The Daily Drucker 1 January.
0102 ◆「未来を突きとめる」

未来予想者は常に、彼らの予想のどれだけが実現したかについて、成功率を測る。彼らは、決して(彼ら
が)予想せずに実現した重要な出来事を数えない。予想する全てが起きるかもしれない。しかし、最も意味ある新たな現実を見ず、さらに悪いことには、それらに注意を払わなかったかもしれない。

エグゼクティブの最も重要な仕事は、既に起きた変化を突き止めることである。社会、経済、政治における重要な挑戦は、既に起こった変化を活用し、好機として利用することである。重要なのは「既に起きた未来」を突き止め、これらの変化を認識し分析する方法を開発することである。この方法の多くは私の1985年の本である「イノベーションと企業家」に書かれており、それはいかに体系的に社会、人口統計、意味、科学技術における変化を未来を創る機会と見るかを示す。

ソース:The Daily Drucker 2 January.
0103 ◆「マネジメントは不可欠である」

マネジメントは、おそらく西洋文明が続く限り、基本的で支配的な機関であり続ける。マネジメントは、産業システムがその生産リソース(人と資源)を委ねなくてはならない、近代産業システムの特性と近代事業会社の必要性に基礎を与えられるだけでない。マネジメントはまた、近代西洋社会の基本的信念を表す。それは経済的リソースの体系的組織を通じて人の暮らしをコントロールできるという信念を表す。それは、経済変化が人類の改善と社会正義への最も強力なエンジンとなり得るという信念、そして、ジョナサン・スウィフトが300年前に誇張して言ったように、それまで1葉しか育たなかった場所で2葉を育てる人は、思索的な哲学者や形而上的体系家よりも価値があるという信念を表す。

特にリソースを生産的にすべき社会の機関であり、組織的経済発展に責任があるマネジメントは、それゆえ、近代の基本的精神を反映する。それは、不可欠であり、一旦作られれば、抵抗なく素早く成長する理由である。

ソース:The Daily Drucker 3 January.
0104 ◆「組織的惰性」

全ての組織は、いかなるプログラムも活動も、修正とデザイン変更なしでは長期間有効に機能しないことを知る必要がある。結局全ての活動は陳腐化する。この事実を無視する組織の中でも、最悪は政府である。何かをすることを止めることができないことは、政府の中心的病であり、今日政府が病気である主たる理由である。過去を脱することにおいて、病院と大学は、政府より少しだけましにすぎない。

ビジネスマンは官僚と同じく、昨日について感傷的である。彼らは、投入する努力を倍にすることで、製品やプログラムの失敗に対応する。しかし、幸運なことに、自由にその偏愛にふけることはできない。彼らは、客観的な規律である市場の規律の下にある。彼らは客観的な外部尺度である収益性をもつ。そこで、彼らは、遅かれ早かれ、不成功と非生産性を止めざるを得ない。

全ての組織は変化できなくてはならない。我々は、市場のテストと収益性尺度が事業に与えるものを他の種類の組織に与えるコンセプトと尺度を必要とする。それらのテストと尺度は全く異なる。

ソース:The Daily Drucker 4 January.
0105 ◆「廃棄」

有効なエグゼクティブは多くの物事を有効に行わなくてはならないことを知る。そして、彼らは集中する。エグゼクティブの努力の集中のための第1のルールは、生産的でなくなった過去から脱却することである。一流のリソース、特に希少な人の力を即座に引き抜き、明日への機会に従事させる。リーダーが昨日から脱却できなければ、明日を創ることもできない。

体系的で意図的な廃棄がなければ、組織は出来事に乗っ取られる。最高のリソースを行うべきでなかったことやもはや行うべきでないことに浪費する。その結果、生じる機会を開拓するのに必要なリソース、特に有能な人々を欠く。ほとんどの事業は昨日から脱却しようとせず、その結果、明日のために使えるリソースを欠く。

ソース:The Daily Drucker 5 January.
0106 ◆「廃棄の実践」

「我々が既にこれをしておらず、我々が今知ることを知っていたとすれば、今それをするか?」という質問が問われるべきであり、真剣に問われるべきである。答えがノーであれば、反応は「今何をするか?」である。

次の3つの場合で、正しい行動は常に即座の廃棄である。
①製品、サービス、市場又はプロセスに「あと数年の寿命がある」場合、廃棄は正しい行動である。常に最大のケアと最大の努力を必要とするのは、これらの死につつある、製品・サービス・プロセスである。それらは、最も生産的で有能な人達を縛る。
②維持するための唯一の議論が「十分に償却された」であれば、製品・サービス・市場・プロセスは廃棄されるべきである。マネジメントにおいて「費用がかからない資産」はない。
③廃棄が正しい方針である3番目の場合で、最も重要なものは、古い衰退する製品・サービス・市場・プロセスを維持するため、新たな成長する製品・サービス・プロセスが妨げられ、無視される場合である。

ソース:The Daily Drucker 6 January.
0107 ◆「知識労働者:資産であってコストではない」

知識労働者は生産手段を持つ。それは、知識である。それは、完全に持ち運びできる大きな資本的資産である。知識労働者は、生産手段を持つため、移動できる。肉体労働者は、仕事が彼らを必要とする以上に、仕事を必要とする。彼らが組織を必要とする以上に、組織が彼らを必要とするということは、全ての知識労働者には妥当しないかもしれない。しかし、彼らのほとんどにとって、それは、等しい基準においてお互いを必要とする共生の関係である。

マネジメントの責務はその団体の資産を保持することにある。個々の知識労働者の知識が資産となり、そしてますます、組織の主たる資産となる時、これは何を意味するか?人事政策にとって何を意味するか?最高に生産的な知識労働者をひきつけ保有するには何が必要か?彼らの生産性を高め、その増大した生産性を組織のパフォーマンス能力に転換するには何が必要か?

ソース:The Daily Drucker 7 January.
0108 ◆「知識労働の自律」

知識労働者は自律的でなくてはならず、その仕事と結果の定義を知識労働者に求めることは必要である。同じ分野であっても、人によって知識は異なり、各知識労働者は独自の知識を持つ。この専門化された特有の知識により、各知識労働者は特定の分野について、組織の誰よりも知るべきである。実際、知識労働者はその分野について、他の誰よりも知らなくてはならない。彼らはその分野で知識があることに対して給与が支払われる。これが意味することは、各知識労働者が仕事を定義し、仕事が適切に再構築されると、各労働者は自分の仕事を行い、それに対して責任を負うことが期待されるということである。知識労働者は自らの作業計画を考え提出するよう求められるべきである。何に焦点を絞ろうとしているのか?責任をもつべきことについて、どのような結果が期待され得るのか?期限はいつか?知識労働は自律と責任の双方を必要とする。

ソース:The Daily Drucker 8 January.
0109 ◆「新たな会社のイメージ(Persona)」

ますます、次の社会(Next Society)の会社では、トップマネジメントが会社となる。トップマネジメントの責任は①組織全体の方向、計画、戦略、価値及び原則、②その構造とその多様なメンバー間の関係、③提携、パートナーシップ及び合弁、並びに④リサーチ、デザイン及びイノベーションをカバーする。

新たな会社のイメージ(Persona)の確立は、会社の価値における変化を求める。それは、トップマネジメントにとって最も大切な仕事かもしれない。第二次大戦後の半世紀において、事業会社は、自身が経済組織であり、富と仕事の創造者であることを証明した。次の社会において、大企業、特に多国籍企業にとっての最大の挑戦は、その社会的正当性(その価値、ミッション、ヴィジョン)である。それ以外の全ては外注できる。

ソース:The Daily Drucker 9 January.
0110 ◆「専制の代替としてのマネジメント」

私たちの(組織の)多元社会の組織が責任ある自律において機能しなければ、私たちは、個人主義も人に自己実現のチャンスがある社会も持たない。かわりに、誰も自律を許されない、完全な統制を課す。自分達のことをする楽しい自発性はもちろん、参加的民主主義よりもスターリン主義を持つ。専制は、強い、機能する自律的組織の唯一の代替物である。

専制は、競争する組織の多元性を、1人の絶対的なボスに代える。責任を恐怖に代える。組織を廃止し、それらすべてを政府機関の包括的な官僚主義の下に置く。気まぐれに、無駄に、低いレベルで、そして、莫大なコストをかけて、苦しみと屈服と欲求不満の下で、製品とサービスを生み出す。よって、私たちの組織に責任をもって、自律的に、高いレベルの達成で、実行(機能)させることは、組織の多元社会における自由と尊厳の唯一の防衛である。責任あるマネジメントの実行は、専制の代替であり、それに対する唯一の防護である。

ソース:The Daily Drucker 10 January.
0111 ◆「マネジメントと神学」

マネジメントは常に、仕事の繋がりよって結びついた人のコミュニティである機関において(のために)存在し、働き、実践する。マネジメントの対象が共通の目的のための仕事の繋がりにより結びついた人のコミュニティであることから、マネジメントは常に人の本性を扱い(実践的経験のある我々全てが学んだように)善と悪を扱う。私は、宗教を教えた時よりも、実践的なマネジメントコンサルタントとして、より神学を学んだ。

ソース:The Daily Drucker 11 January.
0112 ◆「実践が先に来る」

政府であれ、大学であれ、事業であれ、労働組合であれ、教会であれ、意思決定者は現在の意思決定に既に生じた未来を組み込む必要がある。このため、彼らは、今日の想定に組み込まれていないいかなる出来事が既に起きたかを知り、それによって新たな現実を創造する必要がある。

知識人と学者はアイデアが先にあり、それが新たな政治的、社会的、経済的、心理学的現実に導くと信じる傾向がある。これは起こるが、例外である。通常、理論は実践に先行しない。その役割は、既に証明された実践を構造化し成文化することである。その役割は孤立した「非定型」のものを、例外から「規則」と「システム」に転換することであり、その結果、学ぶことができ、教えることができ、とりわけ、広く適用できるものに転換することである。

ソース:The Daily Drucker 12 January.
0113 ◆「マネジメントとリベラルアーツ」

マネジメントは、伝統的に呼ばれていたリベラルアートである。それは知識の基礎、自己認識、知恵及びリーダーシップを扱うため「リベラル(一般教養)」であり、実践と適用を扱うため「アート(技能)」である。マネジャーは(心理学と哲学、経済学と歴史、自然科学と倫理学についての)知識と人の洞察と社会科学の全てを利用する。しかし、彼らは、この知識を、(病気の患者の治療、生徒への教授、橋の建設、「ユーザーフレンドリーな」ソフトウェアプログラムのデザインと販売についての)有効性と結果に集中させなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 13 January.
0114 ◆「経営的態度」

産業の生産的リソースで人的リソースほど低い効率で稼働するものはない。人の能力と行動の未使用の貯蔵の栓を抜くことができた少数の企業は生産性とアウトプットのめざましい増大を達成した。ほとんどの会社で、人的リソースのよりよい使用において、生産性増大の大きな機会があり、そのため、これまで関心が向けられてきた物や技術のマネジメントではなく、人のマネジメントが、オペレーティングマネジメントの第1の最重要の関心事であるべきである。

我々はまた(生産の)人的資源の有効性と生産性に何が役立つかを知る。それは第1に「スキルか支払」ではない。最も重要なのは、我々が「経営的態度」と呼ぶ態度である。これは、個人がその仕事、作業、製品を、経営者が見るように見る、つまり、グループや製品全体との関係で見る態度である。

ソース:The Daily Drucker 14 January.
0115 ◆「組織の精神」

2つの諺は「組織の精神」となる。1つはアンドリューカーネギーの墓石の碑文である。

ここに、自分より優秀な者を惹きつける方法を知る者が眠る。

他は、身体障害者が仕事を探すに当たってのスローガンである。「重要なのは能力であり障害ではない」好例はフランクリンルーズベルト大統領の第二次大戦における腹心のアドバイザーであったハリーホプキンスである。彼は、全ての1歩が苦痛となるほとんど死人であり、1日おきに数時間しか働けなかった。このことは、彼に、真に必要な事柄以外を全て切り捨てさせた。彼は、それにより有効性を失わなかった。反対に、チャーチルの言葉を借りれば「物事の中心となる者」となり、戦時のワシントンで誰よりも多くを成し遂げた。ルーズベルトは、死にかけのハリーホプキンスがその独自の貢献ができるよう、全てのルールを破った。

ソース:The Daily Drucker 15 January.
0116 ◆「マネジメントの役目は結果を出すことである。」

マネジメントは経営する組織を指導しなくてはならない。組織のミッションを考え、目標を設定し、組織が貢献しなくてはならない結果のためにリソースを組織しなくてはならない。マネジメントは、実際、J.B.Sayの「企業家」であり、最大の結果と貢献に向けたヴィジョンとリソースの指示に責任をもつ。

これらの基本的役目の遂行において、マネジメントはあらゆるところで同じ問題に直面する。それは、生産性のために仕事を組織しなくてはならない。労働者を生産性と達成に向けて導かなくてはならない。会社の社会的インパクトに責任をもつ。何より、経済的パフォーマンスであれ、生徒の学習であれ、患者のケアであれ、各組織の存在目的のために結果をだす責任を負う。

ソース:The Daily Drucker 16 January.
0117 ◆「マネジメント:中心的な社会的役割」

非営利組織はいかに自身をマネジメントするかを学ぶため、事業マネジメントに殺到する。病院、軍、教会の教区、公務員等、事業マネジメントのため学校に通いたいと思う。

これは、事業マネジメントが、非事業組織に移行できることを意味しない。反対に、これらの組織が事業マネジメントから最初に学ばなくてはならないことは、マネジメントは目的の設定に始まり、したがって、大学、病院等の非経済的組織は、事業とは異なるマネジメントを必要とすることである。しかし、これらの組織が、事業マネジメントを基本型として見ることは正しい。事業は、例外的な存在ではなく、第1の種(the first of the species)であり、我々が最も徹底的に研究してきたものである。非経済的組織は収益性が事業にとって機能するのと同様に機能する判断基準を必要とする。「収益性」は、言い換えれば、「例外」ではなく、そして「人間的」又は「社会的」ニーズと別個のものとして、組織の多元的社会において、全ての組織が管理され管理可能であるために必要とされる測定の基本型である。

ソース:The Daily Drucker 17 January.
0118  ◆「機能する組織社会」

全ての先進国の社会は、ほとんどの社会的課題が組織により行われる組織社会となった。組織はそれ自身のために存在しない。それらは手段であり、社会的課題を遂行するための社会の器官(organ)である。組織の目的は個人と社会への特定の貢献である。従って、そのパフォーマンスのテストは、生物的組織体と異なり、常にその外にある。これは、各団体にとっての「パフォーマンス」が何を意味するのかを知らなくてはならないことを意味する。

組織はその目的を明確に定義するほどより強くなる。そのパフォーマンスを評価できる判断基準と測定があれば、より有効となる。その権威を厳密にパフォーマンスによる正当性に置けば、より正当なものとなる。「その果によりて彼らを知しるべし」は、新たな多元的組織社会の基本的・構成的原理である。

ソース:The Daily Drucker 18 January.
0119 ◆「社会の目的」

人が社会的地位と役目を持たなければ、彼にとって社会はない。個人の生活とグループの生活の間に明確な機能しうる関係がなくてはならない。役目と地位を持たない個人にとって、社会は不合理で、気まぐれで、混乱したものである。「社会から疎外された」個人、見捨てられた人(社会的役目と地位の欠如は人を仲間の社会から放り出す)は社会を見ない。彼は、半ば感じられ、半ば意味をもたない、半ば光の中で、半ば闇の中で、しかし予想できない、悪魔の力だけを見る。それらは、彼の側では干渉も理解もできず、彼の人生や暮らしを決定する。彼は、知らない部屋で目隠しをされルールを知らないゲームをしているようなものである。

時間をとって失業あるいは引退した「社会から疎外された」人に連絡する。支援のメモを渡し、ランチに連れ出す。

ソース:The Daily Drucker 19 January.
0120 ◆「人と社会の性質」

人の特性の描写としての真実が何であろうと、その(人の)概念は常に社会の特性の真の描写を与え、(社会は)自身をそれによって認識する。それは、社会的に決定的で至上とみなす人の活動範囲を示すことで、社会の基本的な主義と信条を象徴する。「経済的動物」としての人の概念は、ブルジョア資本主義社会とマルクスの社会主義の真のシンボルであり、それは人の自由な経済行動の中にその目的実現の手段を見る。経済的満足のみが、社会的に重要で意味があるとされる。経済的地位、経済的特権そして経済的権利はそのために人が働くものである。

ソース:The Daily Drucker 20 January.
0121 ◆「収益の機能」

ヨーゼフ・シュンペーターはイノベーションは経済の中核でありとりわけ現代経済の中核だと主張した。シュンペーターの「経済発展の理論」は収益に経済的機能を果たさせる。変化とイノベーションの経済においては、マルクスの理論と対照的に、収益は労働者から搾取された「余剰価値」ではない。反対に、それは労働者の仕事と労働収入の唯一の源泉である。経済発展の理論ではイノベーター以外に真の「収益」を生み出すものはなく、イノベーターの収益は常に短命である。

シュンペーターの有名なフレーズでは、イノベーションはまた「創造的破壊」である。それは昨日の重要な設備と投資を陳腐化する。経済が進展するほど、従って、資本形成を必要とする。このように、伝統的な経済学者(あるいは会計士や証券取引所)が「収益」と考えるものは、純粋にコスト、事業に留まるためのコストであり、今日の収益性のある事業が明日の白象(=厄介物)となること以外に予測できない将来のコストである。

ソース:The Daily Drucker 21 January.
0122 ◆「社会的次元としての経済」

私は、経済が秩序として依拠する、そしてそれなしに経済が維持できない基本的な前提を受け入れない。私は、経済の領域が、支配的なものということはもちろん、独立した領域であるということも受け入れない。確かに、それは重要な領域である。そして、ベルトルト・ブレヒトが言ったように「最初に胃袋が来てから、道徳が来る」のであり、胃袋を満たすことが経済が主に関係することである。全ての政治的/社会的判断において、経済的コストが計算され考慮されるべきである。「恩恵」のみを語ることは、無責任であり、大失敗につながる。私は多くの選択肢を見てきたが、自由市場を信じる。

しかしなお、私にとって、経済は、(独立した領域ではなく)1つの領域にすぎない。経済的考慮は優越的な決定的要因というより抑制である。経済的欲求と経済的満足は重要であるが絶対的なものではない。なにより、経済的活動、経済的組織、経済的合理性は、それ自体が目的ではなく、非経済的(即ち、人間的あるいは社会的)目的のための手段である。そしてこれは、私が、経済学を自律的な「科学」であるとは見ていないことを意味する。端的に言えば、それは私が経済学者でないことを意味し、私は、そのことを、1934年にロンドンのマーチャントバンクの若い経済専門家として、ケンブリッジでケインズのセミナーに参加した時以来知っている。ケインズは商品の動きに興味を持ったが、私は人々の行動に興味があることに気が付いた。

ソース:The Daily Drucker 22 January.
0123 ◆「個人の徳と公共の福祉」

国や企業にとって良いことをなすには、①ハードワーク、②際立ったマネジメントスキル、③高いレベルの責任そして④広い視野が必要である。それは完全な助言である。それを完全に実行するには基本元素を純金に変える賢者の石を必要とする。しかし、マネジメントがリーディンググループであろうとするなら、このルールを行動の指針とし、意識的にそれに従って行動するよう努力し、(相当なレベルで)実際にそうしなくてはならない。
良い、道徳的な、永続する社会では、公的な善は常に個人の徳に依拠する。全てのリーディンググループは公的な善が自身の関心を決めると言えなくてはならない。この宣言はリーダーシップにとって唯一の正当な基礎であり、それを現実にすることがリーダーの第1の職務である。

ソース:The Daily Drucker 23 January.
0124 ◆「フィードバック:継続学習の鍵」

イエズス会の聖職者かカルヴァン主義の牧師が重要なことをする場合(例えば、重要な決定をする場合)はいつでも、期待する結果を書き留めることを求められる。9か月後に、彼は実際の結果からこれらの期待にフィードバックする。これは、彼が何をうまく行い、彼の強みは何かを示す。それはまた、彼が何を学ばなくてはならず、いかなる習慣を変えなくてはならないかを示す。最後に、それは、彼が何を授かっておらず、うまくできないかを示す。私自身、50年にわたり、この方法を実践してきた。それは、人の強みが何かを明らかにし、これは人が自身について知ることができる最も重要なことである。それは、どこで、どのような種類の向上が必要かを示す。最後に、それは人が何ができずに、試みるべきですらないことを示す。①人の強みを知り、②それらを向上させる方法を知り、③人ができないことを知ることは、継続学習の鍵である。

ソース:The Daily Drucker 24 January.
0125 ◆「自分を作り変える(Reinvent)」

今日の社会と組織において、人々はますますスキルではなく知識をもって働く。知識とスキルは、基本的特性において異なる。スキルは非常にゆっくりと変わるが、知識は自らを変える。それは自身を急速に陳腐化する。知識労働者は3年か4年おきに学校に戻らないと、すたれかかる。

これは人が早い時期に獲得した学び、知識、スキル、経験が我々の現在の生涯と職業人生にとって十分でないことを意味するだけではない。人々は長いスパンで変わる。彼らは異なるニーズ、異なる能力、異なる視点をもつ別人となり、従って、「自らを作り変える」必要がある別人となる。私は、意図的に「revitalize(活性化)」より強い言葉を使う。50年仕事をする場合(これはますます普通となる)あなたは自分を作り変えなくてはならない。あなたは、新たなエネルギーの供給だけではなく、自身から別のものを作らなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 25 January.
0126 ◆「社会生態学者」

私は自分を「社会生態学者」だと考え、自然生態学者が生物学的環境を研究するように、人が作った環境に関わる。「社会生態学」という言葉は私が作った新語である。しかし、その学問分野自体は古くに遡る。その最も偉大なものは、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」である。しかし、気質、コンセプト及びアプローチにおいて、ヴィクトリア女王時代中期の英国人のバジョットほど私に近い者はいなかった。私と同じように、大きな社会的変化の時代にあって、バジョットは最初に新たな組織(①機能するデモクラシーの中核としての行政事務と内閣制と②機能する経済の中心としての銀行)の出現を見た。

バジョットの100年後、私は初めてマネジメントが新興の組織社会の新たな社会的機関であることを突き止め、少し後に、新たな中心的リソースとしての知識と(「ポスト産業主義」であるだけでなく、ポスト社会主義であり、ますますポスト資本主義となる)社会の新たな支配階級としての知識労働者の出現を指摘した。バジョットにとってと同じく、私にとってもまた、連続性の必要とイノベーション/変化の必要との間の緊張は社会と文明にとって中心的なものであった。私は、バジョットが自身をリベラルな保守主義(しばしば、保守的な自由主義)だと言い、決して「保守的な保守主義」や「リベラルな自由主義」とは言わなかったことの意味を知る。

ソース:The Daily Drucker 26 January.
0127 ◆「マネジメントの規律」

私が50年前に「マネジメントの実践」を出版した時、その本は、人々がいかにマネジメントをするかを学ぶことを可能にしたが、その時までマネジメントは、少数の天才のみが行うことができ、誰も繰り返すことができなかった。

私がマネジメントと出会ったとき、その多くはエンジニアリングの分野からのものであった。そして多くは会計からのものであった。いくつかは心理学からのものであった。そしてより多くは労働関係からのものであった。それらの各分野は別個のものと考えられ、各々は、それ自体、有効ではなかった。のこぎりや金づちしか持たず、ペンチを聞いたことがなければ、大工仕事をすることができない。それらの道具全てをあなたが考案する道具箱に入れる時である。それが「マネジメントの実践」の多くの部分で私が行ったことである。私はマネジメントに規律を与えた。

ソース:The Daily Drucker 27 January.
0128 ◆「ミスマネジメントについての管理された実験」

ヘンリーフォードの物語、彼の上昇と衰退、そして彼の孫であるヘンリーフォード2世の下での彼の会社の復活は、何度も語られてきた。しかし、この劇的な物語が個人の成功と失敗の物語をはるかに超えるものであることは一般に認識されていない。それは、とりわけ、ミスマネジメントについての管理された実験と呼べるものである。

最初に、フォードは、事業にはマネジャーもマネジメントも必要ないという、その信念のために失敗した。彼は、必要なのは、所有者である企業家とその「補助者(helpers)」であると信じた。フォードと米国や海外における同世代のほとんどの事業者との唯一の違いは、他の全てにおいて彼が行ったように、ヘンリーフォードは妥協することなくその信念に固執したことである。(例えば、どれだけ優秀であろうと、「マネジャー」として行動し、判断し、フォードの命令なしに行動した「補助者」を、解雇したり働けなくすることによる)彼がその信念を適用した方法は、仮説の検証として評価でき、その完全な反証に終わった。実際、フォードの物語をユニークな(そして重要な)ものにしているのは、彼が長生きし、その信念を支える10億ドルを持っていたために、その仮説をテストできたことである。フォードの失敗は個性や気質によるものではなく、その第1の最も重要なものは、マネジャーとマネジメントを必要なものとして、また「ボス」からの「委任」よりも、課題と役目に基づくものとして受け入れることを拒絶したことである。

ソース:The Daily Drucker 28 January.
0129 ◆「パフォーマンス:マネジメントのテスト」

マネジメントの究極のテストはパフォーマンスである。マネジメントは、言い換えれば、科学や専門性(双方の要素を含むが)ではなく実践である。例えば、マネジャーに免許を与えることにより、あるいは、マネジメントを特別の学位を持つ者に限定することによってマネジメントを専門化する試みほど、我々の経済や社会に損害を与えるものはない。反対に、良いマネジメントのテストは好結果のパフォーマーに仕事をさせているかどうかである。そして、マネジメントを「科学的」あるいは「専門的職業(profession)」とする真剣な試みは、「不安を生じさせる事情」つまり、そのリスク、その上昇と下降、その無駄な競争、消費者の「不合理な選択」といった事業における予測不能性を除去する試みへと向かい、その過程において、経済の自由と成長力を除去する試みとなる。

ソース:The Daily Drucker 29 January.
0130 ◆「テロと基本的なトレンド」

2001年9月のテロリストの攻撃とそれへのアメリカの対応は、大いに世界政治を変えた。我々は、明らかに、特に中東における、無秩序の時代に直面する。事業であれ、大学であれ、病院であれ、組織のマネジメントはニュースのヘッドラインに関係なく持続する基本的で予想できるトレンドに基づかなくてはならない。これらのトレンドを機会として活用しなくてはならない。これらの基本的なトレンドは「次の社会(Next Society)」と新たな先例のない特性の表れである。

その特性は、特に
・若者人口の縮小と「新たな労働力」の出現
・富と仕事の産出者としての製造の着実な衰退
・会社とトップマネジメントの様式、構造、役割の変化

大きな予想できない出来事の時代において、戦略と政策を、これらの変化しない基本的なトレンドに基づかせることは、自動的に、成功を保証するものではない。しかし、それをしないことは、失敗を保証する。

ソース:The Daily Drucker 30 January.
0131 ◆「機能する社会」

機能する社会は、常に、社会秩序の有形の現実を組織できなくてはならない。それは、物質的な世界を支配し、それ(物質的な世界)を①個人にとって有意義で理解できるものとし、②正当な社会的/政治的力を確立しなくてはならない。

社会は、①個々のメンバーに社会的地位と役目を与えない限り、そして②決定的な社会的力が正当なものでない限り、機能し得ない。前者(①)は社会生活の基本構造(=社会の目的と意味)を確立する。後者(②)は構造の中の空間を形成し、社会を具体的なものとし、その機関を創る。個人が社会的地位と役目を与えられなければ、社会は存在し得ず、目的なく空間を飛ぶ社会の原子の集団があるに過ぎない(①)。力が正当なものでなければ、社会組織は存在し得ず、隷属か惰性によりまとめられた社会的真空があるにすぎない(②)。

ソース:The Daily Drucker 31 January.
2月  
0201 ◆「境界を越える」

100年ごとに鮮明な変化が起きる。我々は「境界」を越える。数十年内に、社会は自身(世界観、基本的価値、社会的/政治的構造、技術、鍵となる組織)を再整理する。50年後、新たな世界がある。変化の後に生まれた人々は、祖父母が生き、両親が生まれた世界を想像することもできない。

しかし、今日の基本的変化、30年前に明らかになった新たな現実は、始まりにすぎず、完全なインパクトはこれからである。 それらは(大小を問わず)事業の世界的再編、合併、企業の一部(子会社)売却、提携の基礎となる。(米国ではほとんど完了したが、日本とヨーロッパでは初期のステージである)世界的な労働力再編の基礎となる。教育(特に高度教育)における基本的イノベーションの必要の基礎となる。これらの現実は政治家、エコノミスト、学者、事業家そして組合のリーダーが、今日関心を向け、本を書き、語る問題とは異なる。

ソース:The Daily Drucker 1 February.
0202 ◆「現実に向かう」

今日の新たな現実は左派の想定にも右派の想定にも合わない。それらは「全ての人が知るもの」と整合しない。それらは、全ての人が、政治的信条に関係なく、現実であると信じるものとも異なる。「実際にあるもの」は、右派と左派が「そうあるべき」と信じるものとは、全く異なる。今日の最大で最も危険な激動は(政府、事業のトップマネジメント、あるいは組合の指導者を問わず)意思決定者の思い違いと現実との衝突から起きる。

しかし激動の時期は新たな現実を理解し、受け入れ、開発する人々にとって、最大の機会でもある。そのため、1つの不変の主題は、個々の企業の意思決定者が現実を直視し、「全ての人が知る」ものの誘惑、(明日の有害な妄信となる)昨日の確信の誘惑に屈しないことである。よって、激動の時期のマネジメントは、新たな現実に立ち向かうことを意味する。それは、数年前に意味があった主張や想定ではなく、「世界は実際にどうであるか」という質問から始めることを意味する。

ソース:The Daily Drucker 2 February.
0203 ◆「マネジメント革命」

1881年、米国人のFrederick Winslow Taylor(1856~1915)は、初めて知識を、作業の研究、作業の分析そして作業のエンジニアリングに適用した。これは、「生産性革命」に導いた。生産性革命は自らの成功の犠牲となった。今後、重要なのは、非肉体労働者の生産性である。そして、それは知識を知識に適用することを要請する。

しかし、今日また、知識は、①いかなる新たな知識が必要とされるか、②それは可能か、そして③知識を有効にするには何がなされるべきかを定義するため、体系的かつ意図的に適用される。それは、言い換えれば、「体系的イノベーション」に適用される。この知識のダイナミクスにおける第3の変化は「マネジメント革命」と呼ぶことができる。既存の知識が結果を出すためにいかに最適に適用され得るかを見つけるための知識の供給は、我々が「マネジメント」によって意味するものである。

ソース:The Daily Drucker 3 February.
0204 ◆「知識と技術」

知識の探求は、その教授(teaching)と同じく、伝統的に適用から引き離されてきた。両方とも科目により組織され、知識自体の論理に従う。大学の学部と学科、学位、専門は、高度教育の全体組織であり、科目にフォーカスされてきた。それらは「市場」や「最終用途」よりも「製品」に基づき、組織の専門家の言葉を使ってきた。今日、我々はますます、知識とその探求を、科目の領域よりも適用の領域に組織する。あらゆる場所で、学際的作業が成長した。

これは知識の意味における、自己目的からリソース、つまり結果のための手段へのシフトの現れである。現代社会の中心的エネルギーとしての知識は、適用において、そして仕事に投入される時に存在する。仕事は、しかしながら、学問分野によって限定され得ない。最終結果は必然的に業際的となる。

ソース:The Daily Drucker 4 February.
0205 ◆「若者人口の縮小」

先進国で、次の社会(next society)での支配的な要因(=高齢者の急速な増大と若者の急速な減少)はほとんどの人が留意し始めたにすぎないものである。若者の減少は、ローマ帝国末期以来の出来事であることだけが理由だとしても、高齢者の増大より大きな激変をもたらす。各先進国だけでなく、中国やブラジルでも、今日の出生率は、人口維持水準である、出産可能年齢の女性1人当たり2.2人をかなり下回る。政治的には、これは、全ての豊かな国において、移民が重要な(そして不和を生じる)問題となることを意味する。それは、全ての伝統的な政治的調整に影響する。

経済的に、若者人口の衰退は根本的な方法で市場を変える。家族形成の成長は先進世界における全ての国内市場の推進力であったが、若者の大規模な移民によってテコ入れされなければ、家族形成の率は着実に落ちる。

ソース:The Daily Drucker 5 February.
0206 ◆「国境を超える会社」

今日国際事業を行うほとんどの会社はなお、伝統的な多国籍のものとして組織される。しかし、国境を超える会社への転換は始まり、それは素早く動いている。製品やサービスは同じであるかもしれないが、構造は根本的に異なる。国境を超える会社においては、世界という1つの経済的ユニットがあるだけである。販売、サービス、広報、法律問題はローカルである。しかし、部品、機械、プランニング、リサーチ、ファイナンス、マーケティング、価格設定及びマネジメントは世界市場を考えて行われる。例えば、米国のある主導的なエンジニアリング会社は、世界中の43工場全てのための1つの重要な部品を、ベルギーのアントワープの外の1工場で製造している。世界全体のための製品開発を3箇所で行い、品質管理を4箇所で行っている。この会社にとって、国境は関係のないものとなった。

国境を超える会社は完全に国の政府の支配を超えるわけではない。それは適応しなければならない。しかし、これらの適応は、世界市場と技術のために決定される方針と実行に対して例外である。成功する国境を超える会社は自らを、切り離された、無国籍のものと見る。この自己認識は、国境を超えるトップマネジメントという、数十年前には考えられなかったものによって明らかにされる。

ソース:The Daily Drucker 6 February.
0207 ◆「教育された人」

Magister Lude(1949)として英語で出版された1943年の小説で、ヘルマンヘッセはヒューマニストが欲する世界とその失敗を予想した。その本は、すばらしい孤立の生活を送り、偉大な伝統、その学問と美に捧げる、知識人、芸術家、そしてヒューマニストの兄弟を描いた。しかし、主人公で最も秀でた兄弟の長は、結局、よごれた、低俗で、荒れた、不和で引き裂かれた、守銭奴の現実に戻ると決めた。世界と関係をもたなければ、彼の価値は黄銅鉱(fool's gold)(金に見誤られるもの)であった。

ポスト資本主義社会は、それ以前の社会よりも、教育された人々を必要とし、過去の偉大な遺産へのアクセスは本質的な要素でなくてはならない。しかし、一般教育は人をして現実を理解し、支配できるようにしなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 7 February.
0208 ◆「継続と変化のバランス」

組織がチェンジリーダーとして組織されるほど、それは内部的にも外部的にも、継続性を確立し、急速な変化と継続をバランスさせる必要がある。1つの方法は、変化において(継続的な関係の基礎である)パートナーシップを組むことである。変化と継続のバランスは情報についての継続的作業を要請する。乏しいあるいは信用できない情報ほど、継続性を崩壊し関係を損なうものはない。いかなる企業にとっても、変化において(それが最も小さなものであっても)「誰がこれを知らされる必要があるか」を尋ねることが、ルーティンとならなくてはならない。これは、より多くの企業が、実際には同じ場所で働くことなく一緒に働く人々、つまり新たな情報技術を使う人々をあてにするようになるほど、より重要になる。特に、そのミッション、価値、パフォーマンスと結果の定義といった、企業の基礎に関し継続性の必要がある。

最後に、変化と継続のバランスは給与、功労の認定、報酬に組み込まれなくてはならない。例えば継続的改善を行う人々を組織にとって価値あるものと考え、純粋なイノベーターと同じく功労を認められ報われる価値があるものと考えることで、組織は継続に報いなくてはならないことを学ばなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 8 February.
0209 ◆「組織はコミュニティを動揺させる」

現在の組織はコミュニティにおいて活動しなくてはならない。その結果はコミュニティにある。しかし、組織はコミュニティに沈みあるいはコミュニティに従属することはできない。その「文化」はコミュニティを越えなくてはならない。地元のコミュニティが雇用を依拠する会社が、工場を閉鎖し、あるいは何年もかけて技能を学んだ白髪まじりの模型制作者をコンピューターシミュレーションを知る25歳の「切れ者」に変える。その変化の全てはコミュニティをひっくり返し、「アンフェア」ととられ、動揺させる。

組織の文化を決めるのは、仕事が行われるコミュニティではなく、仕事の性質である。各組織の価値システムはその仕事により決定される。全ての病院、全ての学校、全ての事業はそれが行っていることは、コミュニティの他の全てが依拠する重要な貢献であると信じなくてはならない。その仕事を上手く行うために、同じ方法で組織されマネジメントされなくてはならない。組織の文化がコミュニティの価値と衝突すれば、組織の文化が勝つ。そうでなければ、組織はその社会的貢献をすることができない。

ソース:The Daily Drucker 9 February.
0210 ◆「現代の組織は動揺体(Destabilizer)でなくてはならない」

社会、コミュニティ及び家族はすべて保守的な制度である。それらは安定を保ち、変化を阻止し、あるいは少なくとも遅らせようとする。しかし、我々はまた、理論、価値及び人類の精神の全ての産物は古くなり、堅くなり、陳腐化し、苦悩となることを知る。

しかし、トーマスジェファーソンが薦めた全ての世代の「変革」は解決ではない。我々は、「変革」は達成と新たな夜明けではないことを知る。それは、老年期の衰退、アイデアと組織の破綻、自己再生の失敗の結果である。政府であれ、大学であれ、事業であれ、労働組合であれ、軍隊であれ、組織が継続性を維持する唯一の方法は、組織に体系的な組織化されたイノベーションを組み込むことである。組織、システム及び方針は、製品、プロセス及びサービスと同じく、自身(の役割)より長く残る。それらは、目的を達成する時、そして、目的達成に失敗する時に、そうなる。イノベーションと企業家精神は、経済においてと同じく社会において必要であり、事業においてと同じく公的組織にも必要である。現代の組織は動揺体でなくてはならない。それは、イノベーションのため組織化されなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 10 February.
0211 ◆「マネジメントにおける人的要素」

マネジメントの役割は、人々が共同のパフォーマンスができるようにし、彼らの強みを有効にし、弱みを無関係にすることである。これは組織に関する全てであり、マネジメントが重要で決定的な要因である理由である。

マネジメントは①コミュニケーションと②個人の責任に依拠して作られなくてはならない。全てのメンバーは彼らが達成しようとするものを考え、仲間がその目標を知り理解するようする必要がある。全員が、彼らが他人に責任を負うものを考え、その他人がそれを理解するようにしなくてはならない。全員は、次に、他人から必要とするものを考え、彼らが期待されているものを知るようにしなくてはならない。
マネジメントは、企業とそのメンバーのそれぞれが、ニーズと機会が変わるのに従い、成長し進化できるようにしなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 11 February.
0212 ◆「傍観者の役割」

傍観者は自らの物語を持たない。彼らは舞台の上にいるが、演技の一部ではない。彼らは観客でもない。劇とその役者の運命は観客に依拠するが、傍観者の反応は、自分自身以外に影響しない。劇場の消防員のように、舞台脇に待機し、傍観者は、役者も観客も気付かないものを見る。とりわけ、彼は役者や観客が見るのとは異なって見る。傍観者は、反射するが、それは鏡というよりプリズムであり、屈折させる。

自分で見て考えることは非常に立派である。しかし「屋根からのおかしな眺めを叫んで、人々に衝撃を与えることは、そうではない。」(この)忠告はよくされるが、私はほとんど気に留めなかった。

ソース:The Daily Drucker 12 February.
0213 ◆「自由の本質」

自由は楽しみではない。それは個人の幸せと同じではなく、安全や平和や前進でもない。それは責任ある選択である。自由は権利というより義務である。真の自由は何かからの自由ではなく、免許(license)である。何かをするかしないか、ある方法でするか別の方法でするか、ある信念を持つか反対の信念を持つかを選択する自由である。それは「楽しみ」ではなく、社会の行動と同様に個人的行動を決定し、双方の決定に責任を持つ、最も重い重荷である。

ソース:The Daily Drucker 13 February.
0214 ◆「政治的リーダーシップの要求」

今日カリスマが議論の的になる。それについて膨大な話があり、カリスマ的指導者について書かれた膨大な本がある。しかし、カリスマへの熱望は政治的な死の願望である。20世紀ほどカリスマ的資質のある指導者が見られた世紀はなく、スターリン、ムッソリーニ、ヒットラー及び毛沢東という、20世紀の4人の巨大なリーダーほど大きな損害を与えたリーダーはいない。重要なのはカリスマではなく、指導者が正しい方向に導くか誤るかである。20世紀の建設的な達成は全くカリスマでない人々の作業である。第二次大戦で連合国を勝利に導いた2人の軍人はアイゼンハワーとマーシャルであるが。2人とも、高度に訓練され、すばらしく有能であったが、致命的に愚鈍であった。

おそらく望みと楽観論の最大の理由は、新たなマジョリティである知識労働者にとって、古い政治は意味を持たないことである。意味をなすのは証明された能力である。

ソース:The Daily Drucker 14 February.
0215  ◆「社会による救済」

信条としてのマルクス主義の崩壊は社会による救済についての信念の終わりを示す。何が次に現れるかは、知り得ず、望み祈ることができるだけである。ストイックな服従を超えるものはでてこない?知識社会における人々のニーズと挑戦に向けた伝統的宗教の復活?米国での私が「牧歌的」と呼ぶキリスト教の教会(プロテスタント、カトリック、あるいは特定宗教に関係のない)の爆発的成長は前兆かもしれない。しかし、イスラム原理主義者の復活がそうかもしれない。今イスラム原理主義の世界に熱烈に奉じる世界のイスラム教徒の若者は、40年前であれば熱烈なマルクス主義者であった。あるいは新たな宗教が現れる?救い、自己再生、精神的成長、善及び徳、伝統的な言葉を使う「新人類」は、社会的目標や政治的処方よりも、再び、実存的なものと見られそうである。社会による救済についての信念の終焉は内面への転換を示す。それは、個人である人の新たな強調を可能にする。それは、個人の責任への回帰へと導くかもしれず、少なくとも我々はそれを望み得る。

ソース:The Daily Drucker 15 February.
0216 ◆「利益の調和の必要」

経済目的は企業が社会的義務から解放されるべきことを意味しない。逆に、自らの利益を追求する行動において、自動的に、その社会的義務を履行するよう組織されるべきである。企業に基礎を置く個人社会は、個々の企業のマネジメントの善意や社会的意識とは関係なく、企業が、社会的安定と社会目標の達成に貢献する場合にのみ、機能し得る。

同時に、調和の要求は社会がその必要とその目的と企業の経済力の行使を制限する権限を捨てるべきであることを意味しない。逆に、組織と個人が行動する枠組みの設定は統治者の重要な役目である。しかし、社会は、社会的安定や社会的信念の名において、その代表的組織の存続と安定に反する施策を制定する誘惑がないよう、組織されなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 16 February.
0217 ◆「社会のための社会的目的」

我々は、既に、経済発展は常にそして必然的に最高の目標であるという信念を捨てた。そして、我々は経済的達成を最高の価値があるものとすることをやめ、多くの目標の1つにすぎないとし、社会生活の基礎としての経済活動を放棄した。社会的に建設的な分野における経済の放棄はさらに先に行く。西洋社会は人は基本的に経済的動物であり、その動機は経済的動機であり、その達成は経済的成功と経済的報酬にあるという信念を捨てた。

我々は人の性質と社会の目標と履行についての新たな概念に基づく自由で機能する社会を創り出さなくてはならない。社会生活の基本的な倫理的概念を発展させなくてはならない。それは、哲学的あるいは形而上学の分野にある。

ソース:The Daily Drucker 17 February.
0218 ◆「政府の復活」

政府は特定の利益集団の猛攻撃に対し力を失い、統治する(=意思決定を行いそれを執行する)力を失った。環境保護、私的軍隊と国際テロの鎮圧、有効な軍備管理といった新たな課題は、より小さな政府よりより大きな政府を必要とする。それらは異なる形の政府を必要とする。

政府は、パフォーマンス能力を少し回復しなくてはならない。方向転換されなくてはならない。事業であれ、労働組合であれ、大学であれ、病院であれ、政府であれ、組織を転換するには、常に3つのステップを必要とする。

1.機能しないもの、機能しなかったもの、その有用性と貢献能力を失ったものの廃棄
2.機能するもの、結果を生み出すもの、組織のパフォーマンス能力を改善するものへの集中
3.半ば成功し、半ば失敗するものの分析

方向転換は機能しないものを廃棄し、機能するものをより多くすることを求める。

ソース:The Daily Drucker 18 February.
0219 ◆「民営化」

民営化は、社会の本来の民間組織である家族が負担できないため、政府に流れる課題のパフォーマンス、オペレーション、執行といった実際の「行動」のため、組織社会の他の非政府組織を利用する体系的な政策である。事業が民営化にとって特に適切なものであるのは、(それが)全ての社会的組織の中で、すぐれてイノベーションの機関であることである。全ての他の組織は、本来、変化を阻止し、少なくともそれを遅らせるよう創られた。それらは必要な場合に、最もいやいやながら、イノベーターになる。

事業は政府が主たる弱点をもつところで2つの優位性をもつ。事業は活動を捨てることができる。実際、市場で活動する場合、そうすることを強いられる。さらに、全ての組織の中で、事業は社会が消滅させることができる唯一のものである。事業の第2の強みは、全ての組織の中で、パフォーマンスのテストをもつことである。消費者は常に「その製品は明日の私のために何をするか?」と尋ねる。答えが「何もない」であれば、その製造者は惜しまれることなく消える。投資家も惜しまない。「民間企業」への最強の主張は利益の機能ではない。最強の主張は損失の機能である。それ故に、事業は、組織の中で、最も適合でき最も柔軟である。

ソース:The Daily Drucker 19 February.
0220 ◆「マネジメントと経済発展」

マネジメントは、経済的/社会的発展を創造する。経済的/社会的発展はマネジメントの結果である。過度な単純化としてではなく「低開発国」はないと言うことができる。「低マネジメント」国があるだけである。日本は、140年前、全ての重要な基準において低開発国であった。しかし、非常に素早く、非常に有能で卓越したマネジメントを作り出した。

これは、マネジメントが第一の動力であり、発展は結果であることを意味する。経済発展における全ての我々の経験は、これを証明する。資本しかない時は、発展を達成できなかった。マネジメントエネルギーを発生させることができた数少ないケースにおいて、我々は、急速な発展を生み出した。発展は、言い換えれば、経済的富ではなく人のエネルギーの問題である。そして、人のエネルギーの産出と方向づけはマネジメントの仕事である。

ソース:The Daily Drucker 20 February.
0221 ◆「中央計画の失敗」

新たなテクノロジーは、大いにマネジメントの範囲を広げる。多くの人々は、今日、平の構成員がマネジメントの仕事ができるようにならなくてはならないと考えた。そして、全てのレベルにおいて、マネジャーの責任と能力、(選択的)リスクを選択する能力、経済的知識とスキル、マネジャーを管理し、労働者を管理し、労働する能力、意思決定の能力への要求は大きく増大する。

新たなテクノロジーは最大限の分権化を要求する。新たなテクノロジーの時代における社会は、中央計画により経済を動かすために、自治的な企業の自由なマネジメントを無くそうとすれば、惨めに消え去る。責任と意思決定をトップに集めようとする企業も同様である。それは、小さな、中心に集まった神経系により巨体をコントロールしようとし、環境の急激な変化に適応できなかった、恐竜時代の爬虫類のように破滅する。

ソース:The Daily Drucker 21 February.
0222 ◆「政府助成金国家」

第一次大戦まで、歴史的に、国の歳入の非常に少ない部分(おそらく5~6パーセント)を超えて人々から得ることができた政府はなかった。歳入が限られる中、民主主義であれロシア皇帝のような絶対君主制であれ、政府は極度の制約の中で活動した。これらの制約は、政府が、社会的あるいは経済的機関として行動することを不可能にした。しかし、第一次大戦以来、より顕著には第二次大戦以来、予算編成プロセスは、事実上、全てに対してイエスと言うことを意味した。獲得できる歳入に経済的限界がないことを想定する、新たな分配において、政府は市民社会の主となり、それを形作ることができる。財布の力を通じて、政治家のイメージで社会を形作ることができる。最悪なことに、財政国家は政府助成金国家となった。

政府助成金国家はますます自由社会の土台をむしばむ。選ばれた代表は、有権者から巻き上げ、特別の利益集団を富ませてその票を買う。これは、市民権の概念の否定であり、そのようなものとして見られ始める。

ソース:The Daily Drucker 22 February.
0223 ◆「政府の新たな課題」

新たな課題はより小さい政府よりも多くを必要とする。それらは異なる形の政府を必要とする。最大の脅威は人の居住環境への損害である。環境への関心の次が、民間軍の回帰の阻止とテロ鎮圧のための国境を越えた行動と組織への増大するニーズである。

小さなグループが効率的に巨大な国にも身代金を払わせることができるため、テロは大きな脅威である。核爆弾は容易に主要都市のロッカーや郵便受けに入り、遠隔操作で爆発でき、同様に何千人もの人を殺し、大都市の上水道を汚染させ、住むことができないようにするのに十分な炭疽菌の胞子を含む細菌爆弾も可能である。テロの脅威をコントロールするために必要なものは国を越えた行動である。必要な機関の構想はなお我々の先にあり、その開発には時間を要する。政府がそのような機関への従属とそれら(機関)の意思決定を受け入れるには、大惨事が必要かもしれない。

ソース:The Daily Drucker 23 February.
0224 ◆「会社の正当性」

社会的力は、正当な力でなければ、持続できない。社会は個々のメンバーをまとめなければ機能しない。産業システムのメンバーが(今日欠いている)社会的地位と機能を与えられなければ、我々の社会は崩壊する。大衆は反乱を起こさない。彼らは、無気力に沈む。彼らは、社会的意味がなければ脅威と負担以外の何物でもない自由の責任から逃げる。我々には2つの選択肢だけがある。①機能する産業社会を作るか②無政府状態と圧制の中に自由が消えるのを見るかのいずれかである。

ソース:The Daily Drucker 24 February.
0225 ◆「会社のガバナンス」

短期間のうちに我々は会社のガバナンスの問題に再び直面する。我々は、①株主のような法的所有者と②組織に富を生み出す力を与える人的資本の所有者、つまり知識労働者の双方を満足させるよう、組織とマネジメントの目的を再定義しなくてはならない。ますます、組織が生き残る能力は、知識労働者を生産的にすることにおける「比較優位」に依拠するようになる。そして、最高の知識労働者を惹きつけ確保する能力は第1の最も基本的な前提条件である。

金より知識が統治する時、資本主義は何を意味するか?知識労働者が真の資産である時「自由市場」は何を意味するか?知識労働者は売買され得ない。彼らは、合併や買収と共にはやってこない。知識労働者の出現は経済システムの構造と性質に基本的な変化を起こすことは確かである。

ソース:The Daily Drucker 25 February.
0226 ◆「3つの企業の次元をバランスさせる」

次の社会(next society)の企業のトップマネジメントの重要な仕事は、企業の3つの次元(①経済的組織、②人の組織、③ますます重要どなる社会的組織)をバランスさせることになる。企業の3つのモデルのそれぞれは過去半世紀に発展し、その1つを強調し他の2つを従属させた。ドイツの「社会的市場経済」のモデルは社会的次元を強調する。日本のモデルは人の次元を強調する。アメリカのモデルは経済的次元を強調する。

3つのいずれもそれ自体としては適当ではない。ドイツのモデルは経済的成功と社会的安定を達成したが、高い失業と危険な労働市場の硬直性という犠牲を伴う。日本のモデルは長年すばらしく成功したが、最初の深刻な挑戦でつまずいた。それは1990年代の日本のリセッションからの回復への重大な障害であった。株主主権もまた、もがくことになる。それは繁栄の時にのみ良く機能する好天モデルである。企業は、事業として繁栄する時にのみ、人と社会の機能を達成できる。しかし、今日、知識労働者は鍵となる従業員となり、会社もまた、成功するには好ましい雇用者となる必要がある。

ソース:The Daily Drucker 26 February.
0227 ◆「事業目的とミッションの定義」

会社の事業が何かを知ることほど単純で明らかなものはないように見える。鉄鋼所は鉄を作り、鉄道は貨物と人を運ぶために列車を走らせる。保険会社は火災のリスクを引き受ける。銀行は金を貸す。実際は「我々の事業は何か?」はほとんど常に難しい質問であり、正解は通常明らかではない。

事業は会社の名前、地位あるいは定款によって定義されない。それは製品やサービスを購入する時に顧客が満足させる want(必要・欲求・欠乏)により定義される。顧客を満足させることは、全ての事業のミッションであり目的である。「我々の事業は何か?」という質問は、従って、事業を外から、顧客と市場の視点から見ることによってのみ、答えられ得る。何時であろうと、顧客が見て、考え、信じ、欲するものはマネジメントによって客観的事実として受け入れられ、販売員の報告、エンジニアのテスト、会計士の数字と同じく深刻に受け取られなくてはならない。そして、マネジメントは、その心を読もうとするのではなく顧客自身から答えを得るよう、意識的な努力をしなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 27 February.
0228 ◆「事業の目的とミッションを定義する:顧客」

「誰が顧客か?」は事業目的と事業のミッションの定義において最初の重要な質問である。それは簡単ではなく、まして明らかな質問ではない。それにいかに答えられるかは、大きな基準において、いかに事業が自身を定義するかを決定する。製品とサービスの最終使用者である顧客は常に(1つの)顧客である。

ほとんどの事業は、少なくとも2つの顧客を持つ。販売があれば双方とも買わなくてはならない。ブランドのある消費者製品の製造者は常に、2つの顧客を持つ。主婦と雑貨商である。雑貨商がそのブランドの在庫を持たなければ、主婦に買いに走らせるのは良いことではない。逆に、主婦が買わなければ、雑貨商に商品を展示させ棚のスペースを割り当てさせるのは良くない。他方を満足させなければ、これらの顧客の一方だけを満足させてもパフォーマンスはない。、

ソース:The Daily Drucker 28 February.
0229 ◆「顧客が買うものを理解する」

事業目的と事業のミッションを把握するために必要な最後の質問は「顧客にとって何が価値か?」である。それは最も重要な質問かもしれない。しかし、それは最も尋ねられないものである。理由の1つはマネジャーは答えを知っていると思っていることである。価値は、彼らの事業において彼らが品質として定義するものである。しかし、これはほとんど常に、誤った定義である。顧客は製品を買わない。定義上、顧客は want(必要・欲求・欠乏)の満足を買う。彼は価値を買う。

例えば、10代の少女にとって、靴の価値はハイファッションである。それは「流行」でなくてはならない。価格は二次的なもので、耐久性は価値ではない。数年後そのその少女が若い母親になった時、ハイファッションは抑えられる。彼女は全く流行らないものは買わない。しかし、彼女が求めるのは耐久性、価格、心地よさ、フィット等である。10代にとって一番のお買い得品は年齢が少し上のその姉にとって価値がない。会社の異なる顧客が価値と考えるものは非常に複雑であり、それは顧客自身によってのみ答えられ得る。マネジメントは答えを推測しようとすべきですらない。それらを組織的に探求するにあたって常に顧客に行くべきである。

ソース:The Daily Drucker 29 February.
3月  
  ◆「チェンジリーダー」

人は変化を管理することはできない。それに先立つことができるだけである。我々が生きているような激変の時代において、変化は普通のことである。確かに、それは困難で危険で、なによりも多大なハードワークを必要とする。しかし、変化の先頭に立つことを組織の仕事として見ない限り、組織は生き残らない。急な構造的変化の時代において、生き残るのは、チェンジリーダーだけである。チェンジリーダーは変化を機会と見る。チェンジリーダーは変化を捜し、いかに正しい変化を見つけるかを知り、いかにそれを、組織の内外の双方において、有効とするかを知る。未来を作ることは非常に危険であるが、それを試みないよりも危険ではない。それらの試みの相当な割合は成功しない。しかし、他のものは予想通り成功しない。

ソース:The Daily Drucker 1 March.
  ◆「イノベーションのテスト」

イノベーションのテストはそれが価値を創造するかどうかである。イノベーションは顧客にとっての新たな価値と新たな満足の創造を意味する。新奇さは楽しみを創り出すにすぎない。しかし、マネジメントは、同じことを行い、同じ製品を作ることに飽きるというだけの理由から、何度も、革新を決定する。イノベーションのテストは「品質」のテストと同様、「我々はそれが好きか?」ではない。それは「顧客はそれを欲し、そのために支払うか?」である。

組織は、科学的あるいは技術的重要性ではなく、市場と顧客に貢献するものによって、イノベーションを測る。彼らは、社会的なイノベーションは、技術的イノベーションと同じく重要であると考える。割賦販売はこの世紀の偉大な科学的進歩のほとんどのものよりも、経済と市場に大きなインパクトを与えた。

ソース:The Daily Drucker 2 March.
  ◆「企業の外の知識」

企業を変えた多くの変化はその産業の外で起こってきた。3つの傑出した例がある。ファスナーはもともと海港で穀物のような重い荷物の梱(こり)を閉めるために発明された。服に使うとは誰も考えなかった。衣類産業はそれがボタンに替わり得るとは考えなかった。発明者は、それが衣類産業で成功するとは夢にも思わなかった。

コマーシャルペーパー(ノンバンクの金融機関から起こった短期の手形)は銀行から起こったものではないが、彼らに大きな負のインパクトを与えた。米国法の下では、コマーシャルペーパーは証券と考えられ、商業銀行は扱うことができない。ゴールドマンサックス、メリルリンチ、GEキャピタル等の金融サービス会社はこれを発見したため、世界の最も重要で先導的な金融機関として、広く商業銀行にとってかわった。

電話産業を根本から変えた発明であるファイバーグラスケーブルは、米国や日本やドイツの偉大な電話研究所から起こったものではない。それは、ガラス会社である、コーニング社から起こった。

ソース:The Daily Drucker 3 March.
  ◆「イノベーションでは大きなアイデアを強調する」

革新的な組織は、イノベーションはアイデアからスタートすることを理解する。アイデアは赤ん坊のようなものである・・・小さく生まれ、未発達で、形もない。それらは、達成ではなく見込みである。革新的な組織では、役員は「まぬけなアイデアだ」とは言わない。代りに、彼らは「この未発達の、不完全な、馬鹿げたアイデアを、意味があり、実行でき、我々にとっての機会とするには何が必要か?」と尋ねる。

しかし、革新的な組織はまた、ほとんどのアイデアは意味のないもので終わることを知る。革新的組織の役員は、それ故、アイデアのある人々に、アイデアを製品、プロセス、事業あるいは技術にするために必要な作業を考えることを求める。彼らは「会社にあなたのアイデアに取り組ませることができる前に、我々はいかなる作業をすべきか、何を発見し、学ばなくてはならないか?」を尋ねる。これらの役員は、小さなアイデアを成功する現実に転換することは、大きなイノベーションを起こすのと同じく困難でリスクがあることを知る。彼らは製品や技術における「改善」や「修正」を狙わない。彼らは、新たな事業を始めることを狙う。

ソース:The Daily Drucker 4 March.
  ◆「未来のためにマネジメントする」

未来を知るための出発点は2つの、相補的であるが異なるアプローチの存在についての認識である:

①経済と社会における不連続の出現とその完全なインパクトとの間のタイムラグの発見と活用(=既に生じた未来の予想)。
②まだ生まれていない未来に対する、来るべきものに方向と形を与えようとする新たなアイデアの適用(=未来の形成)。

既に生じた未来は現在の事業の中にはない。外にあり、社会、知識、文化、産業あるいは経済構造における変化である。それは、さらに、大きなトレンドであり、パターンにおける変化というより、(パターンにおける)破壊・断絶である。既に生じた未来の探索とそのインパクトの予想は、観察者に新たな認知を伝える。必要なのは、自分自身がそれを見ることである。行われ得、行われるべきことが難しすぎるために発見できないということは、通常ない。機会は、遠くにもないし、不明瞭でもない。最初にパターンが認識されなくてはならない。

未来予測はあなたを面倒に巻き込むだけである。課題は、そこにあることをマネジメントし、起こり得、起こるべきことを創り出すために取り組むことである。

ソース:The Daily Drucker 5 March.
  ◆「イノベーションとリスクテーキング」

私は、多くの心理学者が話す企業家精神についての大学のシンポジウムに参加したことがある。彼らのペーパーは他の全てで異なったが、全員が「企業家的パーソナリティ」について話し、それは「リスクテーキングの性質」によって特徴づけられるものであった。25年間でプロセスベースのイノベーションを世界規模の事業に組み込んだ著名な成功したイノベーターで企業家がコメントを求められた。彼は言った。「私はあなた方のペーパーに困惑している。私は、私自身を初めとして、誰よりも多くの成功したイノベーターと企業家を知る。私は「企業家的パーソナリティ」に出会ったことがない。私が知る成功者は全員、1つのこと、そしてそれのみを、共通に持つ。彼らは「リスクテーカー」ではない。彼らは取らなくてはならないリスクを定義し、それをできるだけ最小化しようとする。そうでなければ、我々の誰も成功しなかった。」

これは私自身の経験とも一致する。私もまた、多くの成功した企業家を知る。その誰もが「リスクテーキングの性質」を持っていない。実在の最も成功したイノベーターは精彩を欠いた人物であり、「リスク」を求めて突進するよりも、キャッシュフロー計画に時間を費やす。彼らは「リスクに集中」ではなく「機会に集中」する。

ソース:The Daily Drucker 6 March.
  ◆「真の全体の創造」

マネジャーは部分の合計よりも大きな、真の全体を創造する仕事を持つ。1つの類似は交響楽団の指揮者の仕事であり、その努力、ビジョン及びリーダーシップを通じ、各楽器のパートは生きた音楽的パフォーマンス全体となる。しかし、指揮者は作曲家の楽譜を持つ。彼は解釈者にすぎない。マネジャーは作曲家と指揮者の双方である。

真の全体を創造する仕事はマネジャーに、その全ての行動において、①全体としての企業のパフォーマンス/結果と②(同時に進行するパフォーマンスの達成に必要な)多様な活動を同時に考えることを要求する。オーケストラの指揮者との比較が最も適合するのは、おそらくここである。指揮者は常にオーケストラ全体と、例えば、セカンドオーボエの双方を聞かなくてはいけない。同様に、マネジャーは常に企業の総合的なパフォーマンスと、例えば、必要な市場調査活動の双方を考えなくてはならない。全体のパフォーマンスを上げることで、彼女は市場リサーチの範囲と挑戦を創造する。市場リサーチのパフォーマンスを改善することにより、彼女はより良い総合的な事業結果を可能にする。

マネジャーは同時に2つの二面的な質問を尋ねなくてはならない。「①どのようなより良い事業パフォーマンスが必要とされ、それはどのような活動を必要とするか?」と「②それらの活動はいかなるより良いパフォーマンスを可能にし、事業結果のどのような改善を可能にするか?」である。

ソース:The Daily Drucker 7 March.
0308 ◆「激動:脅威か機会か?」

マネジャーはその仕事を見て尋ねなくてはならない。「危険、機会、そしてとりわけ変化に備えるために私は何をしなくてはならないか?」

第1にこれはあなたの組織が体を傾け素早く動くことができるようにする時である。これは、正当化できない製品と活動を体系的にやめ、真に重要な仕事が適切にサポートされるようにする時である。

第2に、特に、研究員、技術サービススタッフそして全てのマネジャーのような、高給で重要なグループにとってそうであるように、特に時間が人の唯一のリソースであるところで、最も高価なリソースである時間に取り組まなくてはならない。そして、人は生産性向上のための目標を設定しなくてはならない。

第3に、マネジャーは成長を管理し、多様な成長を見分けることを学ばなくてはならない。組み合わされたリソースの生産性が成長ととともに向上するなら、それは健全な成長である。

第4に、人の開発は未来において最も重要である。

ソース:The Daily Drucker 8 March.
0309 ◆「不断の変化のために組織する」

先進国にとって、そしておそらく世界全体にとって、確かなことが1つある・・我々は長年深い変化に直面する。組織は不断の変化のために組織されなくてはならない。もはや企業家的イノベーションがマネジメントの外にあり、あるいはマネジメントの周縁にあると考えることさえ不可能である。企業家的イノベーションはマネジメントの中心で中核とならなくてはならない。組織の機能は企業家的であり、知識を、道具、製品、プロセスに、仕事のデザインに、そして知識自身に取り組ませる。

イノベーションの意図的な強調は技術的変化が最もめざましくない場所で、最も必要とされ得る。製薬会社では、全員が、会社の存続が10年ごとに製品の4分の3を全く新しいものにかえる能力に依拠することを知る。しかし、保険会社のどれだけの人が、会社の成長、おそらく会社の存続すら、新たな保険の開発に依拠することを認識するであろうか?事業において技術的変化がめざましくなく、顕著でなければ、組織全体が硬直化する危険はより大きく、従って、イノベーションの強調がより重要になる。

ソース:The Daily Drucker 9 March.
0310 ◆「変化を探す」

企業家は変化を普通のことで健全なことと見る。通常、彼らは自ら変化を引き起こさない。しかし、そしてこれが、企業家と企業家精神を定義するが、企業家は常に変化を探し、それに反応し、それを機会として活用する。

全ての変化を見、全ての窓から外を見る。そして尋ねる。「これは機会であり得るか?」「この新しいものは純粋な変化かそれとも単なる流行か?」違いは単純である。変化は人々が行うものであり、流行は人々が話すものである。多くの話は流行である。あなたは、また、これらの推移、これらの変化が、機会か脅威かを自問しなくてはならない。変化を脅威と見ることから始めれば、あなたは決して革新しない。これがあなたが計画したものでないからといって、排除しない。期待しなかったものは、しばしば、イノベーションの最高の源泉である。

ソース:The Daily Drucker 10 March.
0311 ◆「変化を水先案内する」

改良されたものや新しいものは全て、最初に小さくテストされる必要がある。それは、水先案内される必要があるということである。これをする方法は会社の中にその新しいものを本当に欲する誰かを見つけることである。新しいものは全てトラブルに巻き込まれる。そして、それは擁護者を必要とする。「私はこれを成功させる」と言い、それに取り組む人を必要とする。これは組織の中の誰かである必要もない。

しばしば、新たな製品やサービスの水先案内の良い方法は、本当に新たなものを求め、喜んで、製造者と一緒に、真に成功する新しい製品や新しいサービスを作ることに取り組む顧客を見つけることである。パイロットテストが成功すれば・・それは、誰も予想しない問題を見つけるだけでなく、デザインであれ、市場であれ、サービスであれ、誰も予想しなかった機会を見つける・・変化のリスクは通常非常に小さい。

ソース:The Daily Drucker 11 March.
0312 ◆「事業目的」

事業とは何かを知りたければ、その目的から出発しなくてはならない。そして、目的は事業自体の外になくてはならない。実際、事業体は社会の器官(organ)であるから、それ(目的)は社会になくてはならない。事業目的の唯一の有効な定義がある・・顧客を創造することである。顧客は事業の基礎であり、それを存続させる。顧客のみが雇用を与える。社会が富を生み出すリソースを事業体に委ねるのは、顧客に供給するためである。

顧客を創造することが目的であるため、どの事業体も2つの、そして2つだけの基本的機能を持つ。①マーケティングと②イノベーションである。これらは企業家的機能である。マーケティングは、事業の特徴的で特有な機能である。

ソース:The Daily Drucker 12 March.
0313 ◆「戦略計画を行動に変える」

結果を生み出すことができる計画を示す識別は、鍵となる人々のその仕事に取り組むコミットメントである。かかるコミットメントがなければ、見込みと希望があるだけで、計画はない。計画はマネジャーに「あなたの最良の人々の誰に今日この仕事に取り組ませたか?」と尋ねることでテストされる必要がある。(ほとんどがそうであるように)「しかし、私は最良の人々を今さくことはできない。明日取り掛からせることができる前に、彼らは今していることを終わらせなくてはならない。」と答えるマネジャーは、彼が計画を持っていないことを認めるにすぎない。

仕事は、責任、期限、そして最後に、結果の測定(=仕事の結果からのフィードバック)を意味する。我々が何を測定し、いかに測定するかは、何が意味があると考えられるかを決め、それによって、我々が見るものだけでなく、我々(と他の人々)がするものを決める。

ソース:The Daily Drucker 13 March.
0314 ◆「普遍的な企業家的規律」

事業に限らず、全ての組織は、その日々のマネジメントに、並行的に行われる4つの企業家的活動を組み入れなくてはならない。

1つは、もはや最適なリソースの割当てではない、製品、サービス、プロセス、市場、流通経路等の体系的廃棄である(①)。そして、どの組織も、体系的な、継続的改善のため組織しなくてはならない(②)。そして、体系的で継続的な開発(活用)、特に成功の開発のため組織しなくてはならない(③)。そして、最後に、体系的イノベーションを組織しなくてはならず、それは組織で最も成功する今日の製品さえ陳腐化させ、その大部分にとってかわる、違う明日を創造することである(④)。私は、これらの規律は望ましいだけでなく、今日生き残るための条件であると、強調する。

ソース:The Daily Drucker 14 March.
0315 ◆「短期と長期をマネジメントする」

事業が短期の結果のために経営されるべきか「長期」のために経営されるべきかは、価値の質問である。金融アナリストは事業は同時に双方のために営まれ得ると信じる。成功する経営者はよりよく知る。確かに、全員は短期の結果を生み出さなくてはならない。しかし、短期の結果と長期の成長が衝突する場合、ある会社は長期の成長を選び、別の会社は短期の結果を選ぶ。これは、本来経済についての意見の相違ではない。これは、基本的に、事業の機能とマネジメントの責任に関する価値の対立である。

ソース:The Daily Drucker 15 March.
0316 ◆「目標と測定をバランスさせる」

事業をマネジメントすることは多様なニーズと目標をバランスさせることである。利益のみを強調することは、マネジャーを誤らせ、事業の存続を危うくさせ得る。今日の利益を得るために、彼らは未来を侵食しがちである。彼らは、最も容易に販売できる製品ラインを押し、明日の市場となるものをなおざりにする。彼らは、リサーチ、販売促進その他の延期できる投資を少なくする。とりわけ、彼らはそれに対して利益が測られる投資資本ベースを増加させ得る資本的支出を避け、その結果は設備の危険な陳腐化である。言い換えれば、彼らは最悪のマネジメント実践に向かう。

パフォーマンスと結果が事業の存続と繁栄に直接かつ重要に影響する全ての分野において目標が必要である。パフォーマンスと目的が設定される必要がある8つの分野がある。
①市場での地位、②イノベーション、③生産性、④物的・財務的リソース、⑤収益性、⑥マネジャーのパフォーマンスと進化、⑦労働者のパフォーマンスと態度、⑧公的責任。
強調されるべき鍵となる分野は、事業によって、そして各事業の成長のステージによって異なる。しかし、事業、経済状況、事業の大きさ、成長のステージにかかわらず、分野は同じである。

ソース:The Daily Drucker 16 March.
0317 ◆「利益の目的」

利益は3つの目的に役立つ。
第1は、それは事業努力の正味の有効性と健全さを測る。
第2は、交替、陳腐化、市場リスクと不確実性といった、事業にとどまるコストをカバーする「リスクプレミアム」である。この観点から見ると「利益」というものはない。「事業を行うコスト」と「事業にとどまるコスト」があるだけである。そして、事業の課題は適切な利益を稼ぐことで、これらの「事業にとどまるコスト」を適切に賄うことである。
最後に、利益は、留保利益からの自己資金により直接的に、あるいは、企業目的に最も適合した形での新たな外部資本の十分な誘引を通じて間接的に、イノベーションと拡大のための将来資本の供給を確保する。

ソース:The Daily Drucker 17 March.
0318 ◆「道徳と利益」

シュンペーターの「創造的破壊」での「革新者」は、なぜ我々が「利益」と呼ぶものがあるかを説明する今のところ唯一の理論である。古典的な経済学者は、彼らの理論が利益の原理的説明を提供しないことをよく知る。実際、閉じた経済システムの均衡経済学において、利益の場所はなく、その正当化はなく、その説明もない。しかしながら、利益が純粋なコストであり、特に利益が仕事を維持し新たな仕事を創造する唯一の方法であれば、資本主義は再び道徳的なシステムとなる。

利益インセンティブの道徳的基礎における弱さは、マルクスが、資本主義者を、邪悪で不道徳であると批判し、資本主義者は「科学的に」機能を果たさないと断言することを可能にした。しかしながら、変わらない、独立した、閉じた経済の原理からシフトすると、利益と呼ばれるものは、もはや不道徳ではない。それは道徳的な命令となる。実際、質問はもはや「いかに経済を維持するために資本家に渡されなくてはならない利益と呼ばれる意味のない余剰の賄賂を最小化するよう経済は構築され得るか?」ではない。シュンペーターの経済学での質問は常に「十分な利益があるか?」である。将来のコスト、事業にとどまるコスト、「創造的破壊」のコストを賄うのに適切な資本形成があるか?

ソース:The Daily Drucker 18 March.
0319 ◆「会社のパフォーマンスを定義する」

1958年から1963年までGEのCEOであったコーディナーは、巨大な公開企業のトップマネジメントは「受託者」であると主張した。コーディナーは、シニアエグゼクティブは、株主、顧客、従業員、供給者及び工場コミュニティの利益が最高にバランスするよう企業を経営する責任があると論じた。これは、私たちが今日「ステークホルダー」と呼ぶものである。コーディナーの答えは、なお、結果の明確な定義と「バランス」に関しての「最高」の意味の明確な定義を必要とする。我々はもはや大企業におけるパフォーマンスと結果をいかに定義するかについて理論づける必要はない。我々には成功例がある。

ドイツと日本は、高度に集中した機関所有形態である。いかに、ドイツと日本の産業の機関所有者はパフォーマンスと結果を定義するか?彼らの経営は全く異なるが、同じ方法でそれらを定義する。コーディナーと違い、彼らは何も「バランス」しない。彼らは最大化する。しかし、彼らは、株主価値やいずれかの企業の「ステークホルダー」の短期利益を最大化しようとしない。彼らは、会社の富を生み出す能力を最大化する。この目的は、短期と長期の結果を統合し、事業パフォーマンスのオペレーションの次元である、市場での地位、イノベーション、生産性並びに人々とその開発を財務的ニーズと財務的結果に結びつける。株主であれ、顧客であれ、従業員であれ、全ての関係者がその期待と目的の満足のために依拠するのも、また、この目的である。

ソース:The Daily Drucker 19 March.
0320 ◆「マネジャーの採点カード」

「財務結果」はマネジメントパフォーマンスよりも事業パフォーマンスを測る。そして、今日の事業パフォーマンスは、主に、過年度のマネジメントのパフォーマンスの結果である。マネジメントにおけるパフォーマンスは、未来のために今日の事業を準備する仕事の測定を意味する。事業の未来は、主として、4つの分野における現在のマネジメントのパフォーマンスにより形作られる。

①資本割当におけるパフォーマンス:投資に対する収益を期待収益との比較で測定する必要がある。
②人の意思決定におけるパフォーマンス:人が仕事に投入される時にそのパフォーマンスとして期待されたものも、その選任がいかに機能するかも、「無形」である。双方は比較的容易に判断され得る。
③イノベーションにおけるパフォーマンス:研究結果は評価され、研究がスタートした時の約束と期待に映され得る。
④戦略対パフォーマンス:戦略が起きると期待したものが起こったか?実際の進展に照らし、正しい目標が設定されたか?それらは達成されたか?

ソース:The Daily Drucker 20 March.
0321 ◆「情報革命を越えて」

情報革命の真に革命的なインパクは感じられ始めたばかりである。しかし、このインパクトに燃料を供給するのは「情報」ではない。それは、15年か20年前には、実際、誰も予見せず、話もしなかったイーコマースであり、それは、1つの重要な、そして最終的にはおそらく主要な世界規模の、物、サービス、そして驚くことに、経営的・専門的仕事の流通経路としてのインターネットの爆発的な出現である。これは、大いに、①経済、市場そして産業構造を、②製品、サービス、それらの流れを、③消費者セグメンテーション、消費者価値と消費者行動を、そして④仕事と労働市場を変える。

新たな予想外の産業が必ず現れ、それもすばやく現れる。誕生を待つサービスがある。

ソース:The Daily Drucker 21 March.
0322 ◆「インターネット技術と教育」

ヘルスケアにおいて、情報技術は既に信じられないようなインパクトを与えた。教育においても、そのインパクトはより大きくなる。しかしながら、通常の大学のコースをインターネットにのせようとするのは誤りである。マーシャル マクルーハンは正しかった。媒体は、伝達される方法だけでなく、伝達されるものもコントロールする。ウェブではそれを違って行わなくてはならない。

全てをデザインし直さなくてはならない。
第1に、生徒の注意を保たないといけない。良い教師はクラスの反応を感知するレーダーシステムを持つが、オンラインではそれをもたない。
第2に、学生に大学のコースでできるもの、「やりとり」をできるようにしなくてはならない。オンラインで、書籍の質とコースの連続性/流れを結びつけなくてはならない。なにより、それを文脈に置かなくてはならない。自宅でのオンラインコースで、コースは背景、文脈、レフェレンスを提供しなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 22 March.
0323 ◆「イーコマースの顕著な強み」

イーコマースと情報革命の関係は、鉄道と産業革命の関係と同じである。鉄道は距離を制服し、イーコマースはそれをなくした。インターネットは企業に、ある活動を他の活動に結びつけ、会社内で、並びに外部の供給者、外部の流通ルート及び顧客に対して、即時のデータを広く利用できるようにする能力を提供する。それは、会社の分解への動きを強める。

しかし、イーコマースの顕著な強みは、消費者に、誰がそれらを作ったかに関係なく、全ての製品を提供することである。アマゾンや CarsDirect等がその例である。イーコマースは、初めて、販売と製造を分離する。販売はもはや製造ではなく、流通と結びつく。イーコマースの便宜を1つのメーカーの製品やブランドのマーケティングや販売に限定する理由は全くない。

ソース:The Daily Drucker 23 March.
0324 ◆「イーコマース:挑戦」

我々はまだ、どのような商品やサービスがイーコマースに最も適していることになるかを知らない。しかし、我々は、事業者間であれ、事業者と消費者間であれ、イーコマースでの販売の成功は、スーパーマーケットや地方の仲介業者等の伝統的な流通チャネルによって、脅威として見られつつあることを知る。「それは我々の事業を食べようとしている」と伝統的卸売業者は叫ぶ。実際、過去の経験によれば、それは、多くの場合、伝統的な事業に加えるもので、実際彼らの事業と利益を増加させる。これは新たな流通チャネルによくある結果である。

しかし、我々は、何年もそれを知らないであろう。また数年間、いかなる商品やサービスがイーコマースを通じた流通に向いているかわからないだろう。そして、推測しようとすることは意味がない。イーコマースを進める決定にはリスクがある。しかし、最も重要なものでなくても、その製品やサービスの重要な流通チャネルとなる徴候がわずかでもあれば、イーコマースを進めないというリスクをとれる事業はない。

ソース:The Daily Drucker 24 March.
0325 ◆「リーガルフィクション(法的擬制)から経済の現実へ」

ますます、経済的プロセスは提携、合弁及びアウトソーシングに基づく構造に依拠する。所有と支配ではなく、戦略に基づき構築される構造は、グローバル経済における成長のためのモデルとなる。これらのパートナーシップ構造におけるエグゼクティブは企業戦略、製品計画及び製品原価計算を1つの経済全体として組織し、マネジメントすべきである。

消費財の一流の世界的製造者を例にとる。会社はかつて、より多く社内で製造する方がいいと考えた。今は「活動はどこに属するか」を尋ね、仕上げの活動を顧客がいる180もの国に置くことを決めた。しかし、製品のための基本的な化合物は世界の数カ所で自ら製造する。例えば、アイルランドの大工場は全ヨーロッパとアフリカに供給する。会社は、品質管理のため、基本的な化合物を社内で作るが、最終組立てを外注する。全体的な価値連鎖を見、多様な活動をどこに配置するかを決める。

ソース:The Daily Drucker 25 March.
0326 ◆「多国籍のマネジメント」

統計的に、多国籍企業は1913年と同程度、今日世界経済に占める。しかし、それらは、非常に異なるものとなった。1913年の多国籍企業は子会社が海外にある国内の会社であり、(子会社の)それぞれは独立し、政治的に定義された地域を担当し、高度に自治的であった。今日の多国籍企業は、製品/サービスラインに沿って世界的に組織される傾向がある。しかし1913年の多国籍企業のように、それらはまとまり、所有によってコントロールされる。対照的に、2025年の多国籍企業は、まとまるが、戦略によりコントロールされる。もちろん所有はある。しかし、提携、合弁、少数利害関係、ノウハウ合意と契約がますます同盟の基礎単位となる。

この種類の組織は新たな種類のトップマネジメントを必要とする。ほとんどの国で、そして、多くの複合的大企業においても、トップマネジメントは経常的なマネジメントの延長と見られている。しかしながら、明日のトップマネジメントは、明確で独立した機関となるであろう。それは会社を表す。

ソース:The Daily Drucker 26 March.
0327 ◆「支配かパートナーか」

企業は最大の統合を目指すべきであるという伝統的な原理は新たな会社では時代遅れとなりつつある。企業の「分解」のための2つの説明がある。

第1に、知識はますます専門化した。知識は、そのため、ますます高価となり、企業内の全ての主要な仕事のために十分な集団を維持することはますます困難である。そして、知識は、継続的に使われない限り、急速に劣化するため、断続的にのみ使われる活動を組織内に維持することは役に立たない。

第2に、新たな情報技術であるインターネットと e-mail は、実際に、コミュニケーションの物理的コストを除去した。これは、しばしば、組織する最も生産的で有益な方法は、分解と協働であることを意味した。これは、より多くの活動に広がっている。例えば、組織の情報技術、データ加工及びコンピュータシステムのマネジメントの外注は普通のこととなった。

ソース:The Daily Drucker 27 March.
0328 ◆「戦略のための情報」

戦略は、市場、顧客及び非顧客についての、自社と他の産業における技術についての、世界的なファイナンスについての、そして変化する世界経済についての情報に基づかなくてはならない。それは結果があるところだからである。組織の内部にはコストセンターがあるだけである。

主要な変化は常に組織外で始まる。小売業者はその店で買物をする人々について多くを知るかもしれない。しかし、どれだけ成功しても、小売業者は市場の小さな部分(=その顧客)しか持たない。圧倒的マジョリティは非顧客である。基本的な変化が始まり重要になるのは常に非顧客についてである。過去50年において産業を変えた重要な新技術の少なくとも半分は、その産業の外から生じた。

ソース:The Daily Drucker 28 March.
0329 ◆「なぜマネジメント科学は失敗するのか」

全てのマネジメント科学の下には1つの基本的な洞察がある。それは、事業会社は最も高度な秩序のシステムということである。自発的に知識とスキルを貢献し、合弁事業に貢献する人々を部分とするシステムである。そして、ミサイルのコントロールのような機械的なものであれ、木のような生物学的なものであれ、事業会社のような社会的なものであれ、1つのことが全ての純粋なシステムを特徴づける。それは、相互依存である。1つの特定の機能や部分が改良され、より効率的になったとしても、全体のシステムは必ずしも向上しない。実際、システムはそれにより傷つけられ、破壊されることもある。いくつかのケースでは、システムを強化する最善の方法が、部分を弱めること(=より不正確にし、より非効率にすること)であり得る。いずれのシステムでも重要なのは全体のパフォーマンスである。これは、単なる技術的効率性ではなく、成長の結果であり、ダイナミックなバランス、調整及び統合の結果である。 マネジメント科学における部分の効率化の強調は損傷に向かう。それは、全体の健全とパフォーマンスの犠牲の下、道具の精密さの最適化に向かう。

ソース:The Daily Drucker 29 March.
0330 ◆「複雑なシステムの特性」

現代数学において最も急速に成長する分野は複雑さの理論である。それは、厳格な数学的証明により、複雑なシステムは予測を許さないことを示す。それら(複雑なシステム)は、統計的に重要でない要因によりコントロールされる。これは「バタフライ効果」として知られてきた。その風変わりな、しかし数学的に厳格な(そして実験的に証明された)公理はアマゾンの熱帯雨林での蝶の羽ばたきが、数週間か数カ月後のシカゴの天気をコントロールでき、しばしばコントロールすることを示す。複雑なシステムにおいて、気候は予測可能であり、高度な安定性をもつが、「天気」は予測不可能であり、全く不安定である。複雑なシステムは、どんなものも「外的なもの」として排除できない。天気に関しては、短期の現象について、システムはない。無秩序があるだけである。

経済と経済政策は短期の現象を扱う。それらはリセッションと価格変化を扱う。現在の経済と経済政策は、長期は、短期の政策、例えば金利の変化、政府の歳出、税率等により作られるというシステムを想定する。現代数学が証明したように、複雑なシステムにとって、これは単純に正しくない。

ソース:The Daily Drucker 30 March.
0331 ◆「分析から知覚へ」

数学者と哲学者の世界において、知覚は「直観」であり、見せかけか、霊感による、つかまえどころのない、不可思議なものである。物理学的な世界観の資産である知覚は、「重要な」ものでなく、それなしでやっていける「人生の些末なもの」に追いやられた。しかしながら、生物学の世界では、知覚は中心にある。そして、もちろん、どの「生態学」も分析より知覚である。生態学では、「全体」が観察され理解されなくてはならず、「部分」は全体を考慮してのみ存在する。300年前、デカルトは、「我思う、故に我在り」と言った。我々は今「我は見る、故に我在り」と言わなくてはならない。

実際、この本が扱う新たな現実は外形(形態)であり、分析と同様知覚を要する。例えば、新たな多元論の動的な不安定、多国籍で国境を越える経済と国境を越える生態学、大いに必要とされる新たな原型の「教育のある人々」。

ソース:The Daily Drucker 31 March.
4月
0401 ◆「人の努力としてのマネジメント」

現代の企業は人的・社会的組織である。規律としてそして実践としてのマネジメントは人と社会の価値を扱う。確かに、組織は自身を超える目的のために存在する。事業会社の場合、目的は経済であり、病院の場合、患者のケアとその回復であり、大学の場合、教授と学びと研究である。これらの目的を達成するため、我々がマネジメントと呼ぶ独特の近代の発明は、共同のパフォーマンスのために人を組織し、社会組織を創造する。しかし、マネジメントが組織の人的資源を生産的にすることに成功する時に初めて、望ましい外部の目的と結果を達成することができる。

マネジメントは医学以上に科学ではない。双方とも実践である。 実践は巨大な科学の体系から糧を得る。医学が生態学、化学、物理学及びその他の自然科学から育つように、マネジメントは、経済学、心理学、数学、政治理論、歴史及び哲学から育つ。しかし、マネジメントはまた、医学のように、独自の仮説、独自の目的、独自の道具及び独自のパフォーマンスゴールと測定を持つ、独自の正当性における学問分野である。

ソース:The Daily Drucker 1 April.
0402 ◆「責任ある労働者」

しかし、全ての人が自身を「マネジャー」と見、基本的に経営的責任(自分自身の仕事とワークグループの責任、組織全体のパフォーマンスと結果への貢献の責任、ワークコミュニティの社会的仕事についての責任)の完全な重責を引き受ける組織を作り導く仕事がある。

責任は、したがって、外部と内部の双方である。外部的には、それは、誰かあるいは団体への責任を意味し、特定のパフォーマンスについての責任を意味する。内部的には、それはコミットメントを意味する。責任ある労働者は特定の結果に責任があるだけでなく、これらの結果を生み出すのに必要なことを行う権限を持ち、最終的に、個人的な達成としてこれらの結果にコミットする。

ソース:The Daily Drucker 2 April.
0403 ◆「パフォーマンスの精神」

道徳は、どのような意味であっても、熱心な勧め、説教あるいは良い意思であってはならない。それは実践でなくてはならない。

特に:
1.組織はパフォーマンスにフォーカスしなくてはならない。パフォーマンスの精神の第1の要請は、各人とグループにとっての、高いパフォーマンス基準である。
2.組織は問題ではなく機会にフォーカスしなくてはならない。
3.人々に影響する意思決定(=配置、賃金、昇進、降格及び解雇)は組織の価値と信念を表さなくてはならない。
4.最後に、人々についての意思決定において、マネジメントは、誠実さ(integrity)はマネジャーの絶対的な必要条件であり、持ち合わせていなくてはならない資質であり、あとで獲得することを期待できないものであることを示さなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 3 April.
0404  ◆「組織と個人」

組織における個人が人として成長するほど、組織は目的を果たすことができる。これは、マネジャー開発と今日の進歩したマネジャー教育への全ての我々の注意の下にある洞察である。組織が真剣さと誠実さ、目的と能力において成長するほど、個人は成長し人として進化する見通しがある。

ソース:The Daily Drucker 4 April.
0405 ◆「リーダーを選ぶ」

組織のリーダーを選ぶに当たって何を見るか?

第1に、私は候補者が何を行い、彼らの強みは何かを見る。人は、強みでのみ遂行でき、彼らはそれで何を行ったのか?
第2に、私は組織を見て、「現在の鍵となる挑戦は何か?」を尋ねる。
私は強みをニーズと合わせようとする。

そして私は誠実さ(integrity)を見る。リーダー、特に強いリーダーは、手本を示す。彼/彼女は、組織の人々、特に若い人々が、モデルにする人である。何年も前、私は非常に賢い年配の男性から学び、彼は巨大な世界的組織のトップであった。彼は70歳代後半で、正しい人々を世界中の正しい企業に送ることで有名であった。私は彼に「あなたは何を見るのか」と尋ね、彼は「私は常に、自分の息子をその人の下で働かせたいかを問う。彼が成功すれば、若者は彼を真似る。自分の息子にこのようになって欲しいか?」と言った。私は、これは究極の質問だと思う。

ソース:The Daily Drucker 5 April.
0406 ◆「リーダーの質」

基本的に自分自身にフォーカスするリーダーは誤導する。今世紀の3人の最もカリスマ的なリーダーは歴史におけるほとんどの他の3人組よりも人類に多くの苦しみを負わせた。ヒトラー、スターリンと毛沢東である。大事なのはリーダーのカリスマではない。リーダーシップは民衆扇動となり得る、人をひきつける人柄ではない。それは「親しくなり、人々に影響を及ぼす」もの(それはおだてである)ではない。
リーダーシップは人の視野をより高くに引き上げることであり、人のパフォーマンスをより高い基準に引き上げることであり、通常の枠を超えて人の人格を創るものである。組織の日々の実践において、行動と責任、高いパフォーマンス基準、並びに個人とその仕事への尊重の厳格な原則を確立するマネジメントの精神以上にかかるリーダーシップの基礎を用意するものはない。

ソース:The Daily Drucker 6 April.
0407 ◆「リーダーの質」

基本的に自分自身にフォーカスするリーダーは誤導する。今世紀の3人の最もカリスマ的なリーダーは歴史におけるほとんどの他の3人組よりも人類に多くの苦しみを負わせた。ヒトラー、スターリンと毛沢東である。大事なのはリーダーのカリスマではない。リーダーシップは民衆扇動となり得る、人をひきつける人柄ではない。それは「親しくなり、人々に影響を及ぼす」もの(それはおだてである)ではない。
リーダーシップは人の視野をより高くに引き上げることであり、人のパフォーマンスをより高い基準に引き上げることであり、通常の枠を超えて人の人格を創るものである。組織の日々の実践において、行動と責任、高いパフォーマンス基準、並びに個人とその仕事への尊重の厳格な原則を確立するマネジメントの精神以上にかかるリーダーシップの基礎を用意するものはない。

ソース:The Daily Drucker 6 April.
0408 ◆「リーダーシップは責任である」

私が出会った全ての有効なリーダー(一緒に働いたリーダーと観察しただけのリーダーの双方)は4つの単純なことを知っていた。①リーダーは部下を持つ者である。②人気はリーダーシップではない。リーダーシップは結果である。③リーダーは目立ち、見本を示す。④リーダーシップは地位、特権、肩書あるいは金ではない。それは責任である。

私が高校の最終学年の時、すばらしい歴史の先生(彼自身は大怪我をした復員軍人であった)は私たちに、第一次大戦についての歴史の本からいくつか選び、それらについてエッセイを書くよう言った。我々が、これらのエッセイをクラスで議論した時、1人の生徒が「これらの本は全て大戦は完全に軍が無能だった戦争だと言っている。それは何故か?」と言った。先生は、即座に答えた。「十分な数の将軍が殺されなかったからだ。彼らは後方にいて、他の人を戦わせ死なせた。」有効なリーダーは職務を委ねるが、委ねないことが1つあり、それが基準となる。彼らはそれをする。

ソース:The Daily Drucker 8 April.
0409 ◆「誠実さの欠如」

誠実さ(Integrity)は定義することは困難かもしれないが、誠実さの欠如は管理者的地位(managerial position)を不適格とするものとして重要である。人の強みより弱みに目を向ける者は管理者的地位に選任されるべきではない。常に人々ができないことを知り、彼らができることを見ない人は、組織の精神を傷つける。エグゼクティブは現実主義者であるあるべきであるが、皮肉屋ほど現実主義的でない者はいない。

①「何が正しいか?」より「誰が正しいか?」に関心がある人は選任されるべきではない。「誰が正しいか?」を尋ねれば、部下は、政治的に画策しないとしても、安全を求める。何より、部下は、間違ったことを見つけた時に、それを正すのではなく「隠そう」とする。②マネジメントは誠実さ(integrity)よりも知性(intelligence)が重要だと考える人を指名すべきではない。③強い部下を恐れることを示す人を昇進させるべきではない。④自分の仕事について高い基準を設定しない人をマネジメントの仕事につかせるべきではない。

ソース:The Daily Drucker 9 April.
0410 ◆「危機とリーダーシップ」

20世紀の最も成功したリーダーはウィンストンチャーチルであった。しかし、1928年から1940年のダンケルクにかけての12年間、彼は傍流で、ほとんど信用されなかった。なぜならチャーチルは必要なかったから。仕事は日常業務であり、いずれにしても日常業務と見られた。激変が起きた時、ありがたいことに、彼がいた。幸か不幸かどの組織でも予想できるのは危機である。それは常にやって来る。それが、リーダーに頼る時である。

組織のリーダーの最も重要な仕事は危機を予想することである。それから目をそむけるのではなく、先手を打つことである。危機が襲うのを待つことは責任放棄である。組織を、嵐を予想し、嵐を切り抜け、実際嵐に先立てるようにしなくてはならない。激変を防ぐことはできないが、戦闘準備を整え、高い士気を持ち、いかに行動すべきかを知り、自らを信じ、お互いを信じる組織を作ることはできる。軍の訓練において、第1のルールは、兵士に将校への信頼を染み込ませることである。なぜなら、信頼がなければ、彼らは戦わない。

ソース:The Daily Drucker 10 April.
0411 ◆「リーダーの4つの能力」

ほとんどの組織は天候に関係なく導くことができる者を必要とする。重要なのは彼や彼女が基本的能力に基づき働くことである。

第1の基本的能力として、私は聞くことのについての意欲、能力、自己訓練を挙げる。聞くことはスキルではない。それは訓練である。誰もがそれをできる。あなたがすべきことは口を閉じることだけである。

第2の本質的な能力は伝え、自分を理解してもらう意欲である。これは無限の忍耐を必要とする。

次に重要な能力は言いわけをしないことである。「これは動くべきだけ動かない。持ち帰って、作り直せ」と言う。

最後の基本的な能力は仕事に比べ自分がいかに重要でないかを理解する意欲である。リーダーは仕事に自分を従属させる。

有効なリーダーが自分の個性と特性を維持できるとき、完全に献身的であったとしても、仕事は彼らの後になる。彼らはまた、仕事の外に、人としての存在を持つ。さもないと、彼らは、大儀を進めるためと信じて、個人的な地位の増大に向けて物事を行う。彼らは、自己中心のひとりよがりとなる。そして、とりわけ、彼らは嫉妬深くなる。ウィンストンチャーチルの偉大な強さの1つは、彼が、最後に、若い政治家を押し進めたことである。

ソース:The Daily Drucker 11 April.
0412 ◆「偽者対真のリーダー」

しかし、これは後知恵である。ウィンストンチャーチルは「経済人の終焉」(ドラッカーの本)で取り上げられ大きな尊敬をもって扱われる。実際、私がその時に書いたものを今読むと、私はひそかにチャーチルが指導者として現れることを望んだのではと思う。私は、また、 多くの博識の同時代人(例えば、ワシントンでのフランクリンルーズベルトの多くの側近)が解放を期待した、偽のリーダーを信じなかった。しかし、1939年、チャーチルは、そうなったかもしれない人(=70歳に近い力のない老人であり、気持ちを高ぶらせる弁舌にかかわらず(あるいは、おそらくそれ故に)聴衆を退屈させるカサンドラ(=トロイア王で、予言能力があったが信じる者がなかった。)であり、野にあっていかに堂々としようが、公職に不適格となり、2度失敗した人)であった。フランスの陥落とダンケルクの退却により、「ミュンヘンの男」が一掃され職を追われた1940年でさえ、今日信じがたいことに、チャーチルは決して必然的な後継者ではなかった。

1940年のチャーチルの出現は、本が最初に出版されて1年以上後であり、「経済人の終焉」が祈り願った基本的なモラルと政治的価値の再言明であった。しかし、1939年に人ができたことは祈り願うことだけであった。現実はリーダーシップの不在であり、断言(affirmation)の不在であり、人と価値と正義の不在であった。

ソース:The Daily Drucker 12 April.
0413 ◆「リーダーであるチャーチル」

(ドラッカーの書籍である)経済人の終焉が明確に伝える30年代の最後の現実はリーダーシップの完全欠如である。政治の舞台には多彩な人々がいた。過去にないほど、多くの政治家が熱狂的に働いていたように見える。これらの政治家のいくらかはきちんとした人物であり、非常に有能な人もいた。しかし、双子の暗黒の君である、ヒトラーとスターリンを除き、彼らは情緒的で小粒な人であり、彼らがいないと凡人ですら目立った。「しかし、ウィンストンチャーチルがいた」と今日の読者は主張するだろう。確かに、全体主義の邪悪な力に対するヨーロッパの戦いにおけるリーダーとしてのチャーチルの出現は決定的な出来事であった。チャーチルの言葉を借りれば「運命の要」であった。

今日の読者は実際、チャーチルの重要性を過小評価しがちである。ダンケルクの撤退とフランスの陥落の後に、チャーチルが全ての場所の自由な人々のリーダーとなるまで、ヒトラーは明らかな無謬性をもって進んだ。チャーチルの後、幸いにもヒトラーは「外れ」、タイミングの感覚や敵の少しの動きも予測する超人的な能力を失った。30年代の洞察力のある計算者は40年代の野蛮で制御不能な突進者となった。65年経った今日、チャーチルがいなければ、米国がナチのヨーロッパ支配を受け入れたかも知れないことを理解することは難しい。チャーチルが与えたものは、まさに、ヨーロッパが必要としたもの・・道徳的権威、価値の確信、そして理性ある行動の正義への信頼・・であった。

ソース:The Daily Drucker 13 April.
0414 ◆「アルフレッドスローンのマネジメントスタイル」

米国企業のCEOで、GMでトップとしての長い在職期間中の Alfred P. Sloan, Jr.ほど尊敬され敬われてきた者はほとんどいない。多くのGMのマネジャー達は、彼の、親切、助力、アドバイスについての静かであるが断固とした行動、あるいは彼らが困難に巻き込まれた時の温かい同情のため、彼に深い個人的感謝を感じた。しかしながら、同時に、スローンは、GMのマネジメントグループ全体から距離を保った。

「客観的で公平であることはCEOの義務である。」とスローンは言い、彼のマネジメントスタイルを説明した。「絶対的に辛抱強く、その人を好きかどうかは言うまでもなく、その人がいかに仕事をするかに関心を払ってはならない。唯一の基準はパフォーマンスと性格でなくてはならない。そして、それは、友好関係や社会的関係と両立しない。会社の中で「友好関係」を持ち、同僚と「社会的関係」を持ち、あるいは、彼らと仕事以外を議論するCEOは、公平ではあり得ず、少なくとも、それは同様に有害であり、彼はそのよう(公平)には見られない。孤独、隔たり、そして堅苦しさは彼の気質に反するかもしれず、それらは私のものとも反してきたが、彼(CEO)の義務である。」

ソース:The Daily Drucker 14 April.
0415 ◆「人についての決定」

人についての決定は究極の、そしておそらく唯一の、組織のコントロールである。人は組織のパフォーマンス能力を決める。どの組織もそれが持つ人々以上にはできない。人的資源からの産出は実際に組織のパフォーマンスを決める。そして、それは、人についての基本的決定(=誰を雇用し誰を解雇し、人をどこに配置し、誰を昇進させるか)により決められる。これらの人事の決定の質は、単なる広報やレトリックではなく、組織が真剣に運営されるかどうか、そのミッション、価値及び目的が真実で人々にとって意味があるかどうかを決定する。

自分が人についての良い審判者だと信じることからスタートするエグゼクティブは最悪の決定に終わる。人の審判者であることは、人に与えられる力ではない。かかる判断において約1000人の実績を持つ者は、彼らは人の審判者ではないという、非常に単純な前提からスタートする。彼らは、診断的プロセスへのコミットメントから始める。医療教育者は最大の問題はよい目を持つ光り輝く若い医師だという。彼は、それだけに頼らず、診断を行う我慢強いプロセスを行うことを学ばなくてはならない。そうでないと、彼は人を殺す。エグゼクティブもまた、人についての洞察や知識ではなく、平凡で退屈で念入りな段階的なプロセスに依拠することを学ばなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 15 April.
0416 ◆「人を惹きつけ保有する」

人の分野では純粋なマーケティング目標が求められる。「我々が必要とし求める種類の人々を魅了し保有するために我々の仕事はどうであるべきか?労働市場で利用できる供給は何か?それを惹きつけるために我々は何をすべきか?」マネジャー供給、開発及びパフォーマンスについて目標をたて、さらに非管理的要員における主要なグループについても目標をたてることは極めて望ましい。従業員のスキルと同じくその態度について目標が必要である。

産業の衰退の最初の兆候は適性があり有能で野心的な人々への魅力の喪失である。例えば、米国の鉄道は第二次大戦後に衰退が始まったわけではない。その時に明らかになり逆行できなくなっただけである。第一次大戦の頃に実際に衰退が始まった。第一次大戦前には、優秀な米国の工学学校の卒業生は鉄道のキャリアを求めた。第一次大戦終了から、理由が何であれ、鉄道はもはや若い工学卒業生や教育を受けた若者を惹きつけなかった。その結果、20年後鉄道が非常な困難に陥った時、新たな問題を処理できる適任者が、マネジメントに誰もいなかった。

ソース:The Daily Drucker 16 April.
0417 ◆「人を選ぶ:例」

第二次大戦中に米軍の参謀長で、偉大なリーダーであったマーシャルは人々を正しい時に正しい場所に投入する最もすばらしい記録を持つ。彼は600人もの人を、失敗することなく、将官、師団の指揮官等に任命した。そして、これらの人々の誰もがかつて軍を指揮したことがなかった。討議では、マーシャルの補助者は「何某大佐は、人々の最高の訓練者ですが、上司とうまくやったことがありません。彼が国会で証言すれば、大失敗をやらかします。それほど無礼です。」と言う。マーシャルは尋ねる「仕事は何か?軍の訓練か?彼が訓練者として一流なら彼をつかせろ。あとは私の仕事だ。」その結果、彼は、非常に少ない誤りで、最小の時間で、1300万人の、世界最大の軍を作った。教訓は、強みに集中することである。

ソース:The Daily Drucker 17 April.
0418 ◆「人々を選ぶための決定手順」

マーシャルは人の決定をするにあたって5つの単純な決定手順に従った。

第1に、マーシャルは注意深く割当を考えた。仕事の種類は長く続き得るが、仕事の割当は常に変わる。

第2に、マーシャルは、様々な適性の人々を見た。履歴書に記載されるような形式的な資格は出発点にすぎない。その欠如は候補者を失格とする。しかしながら、最も重要なことは、人と割当が適合することである。最高の適合を見つけるには、少なくとも3~5人の候補者を考えなくてはならない。

第3に、マーシャルは、各人が何をよくできたかを見るために、3~5人の候補者全員のパフォーマンス記録を見た。彼は、候補者の強みを探した。人ができないことは重要ではない。その代わりに、彼らができることに集中し、特定の割当にとってそれらが正しい強みかどうかを決めなくてはならない。パフォーマンスは強みに基づいてのみ築かれ得る。

第4に、マーシャルは候補者について、彼らと働いたことがある人と議論した。最良の情報はしばしば候補者の以前の上司や同僚との非公式な議論から得られる。

第5に、決定がされると、マーシャルは、被指名者に割当を理解させた。おそらく、このための最善の方法は、新人に成功するために何をしなければいけないかを注意深く考えさせ、90日間仕事に投入し、それを書かせることである。

ソース:The Daily Drucker 18 April.
0419 ◆「配置の失敗」

人の決定において完璧な記録のようなものはない。成功するエグゼクティブは5つの基本的ルールに従う。

第1に、エグゼクティブは配置失敗の責任を受け入れなくてはならない。不実行者への非難は言い逃れである。エグゼクティブはその人の選任を誤った。

第2に、エグゼクティブは実行しない者を取り除く責任がある。無能で不十分な実行者が仕事に残れば、全ての人を困らせ組織全体の士気をくじく。

第3に、人が投入された仕事を実行しないことは、その人が会社が辞めさせるべき悪い労働者であることを意味しない。それは彼や彼女が間違った仕事についたことを意味するにすぎない。

第4に、エグゼクティブは全てのポジションについて人についての正しい判断をするよう努めなくてはならない。組織は、その個々の労働者の能力の範囲でのみ実行することができる。そのため、人についての判断は正しくなくてはならない。

第5に、新人は期待が明らかで助けが利用できる確立されたポジションにつかせるのが最善である。新たな重要な割当は主にその態度と習性が良く知られ、既に信頼を得ている人に託されるべきである。

ソース:The Daily Drucker 19 April.
0420 ◆「継承の判断」

トップの継承の判断は、全てのその決定はギャンブルであるため、最も難しい。トップの地位におけるパフォーマンスの唯一のテストはトップのポジションでのパフォーマンスであり、そのための準備は非常に少ない。すべきでないことはかなり単純である。去っていくCEOのコピーを望まない。去っていくCEOが「ジョー(あるいはマリー)は30年前の私のようだ」と言えば、それはコピーであり、コピーは常に弱い。18年間ボスの側に仕え、彼や彼女の全ての望みを予想してきたが、1人で決断をしたことがない、忠実なアシスタントについて、疑い深くなる。概して、決断する意欲があり決断できる人は非常に長くはアシスタントの役職にない。神聖なプリンスも外す。10のうち9は、それはパフォーマンスが重要で評価され、間違え得る立場に置かれることを避けてきた人々である。それらは、パフォーマンスではなく、メディアイベント(報道をあてこんで仕組まれたイベント)である。

継承決定を扱う積極的な方法は何か? 課題を見る。この組織で、次の数年にかけて、最大の挑戦となるものは何か?そして、人々とそのパフォーマンスを見る。実証されたパフォーマンスと必要を合わせる。

ソース:The Daily Drucker 20 April.
0421  ◆「人の意思決定におけるスローン」

私がGMのトップ委員会の会議に出席した期間、会社は、資本投資、海外進出、自動車事業、付属品事業及び非自動車事業のバランス、組合との関係、財務構造等戦後の政策についての基本的意思決定をした。私は、すぐに、政策についての意思決定に費やされる時間に比べ、不釣り合いな時間が人についての意思決定に費やされることに気が付いた。ある時、委員会は、ラインについてまで、仕事とポジションの割当ての議論に何時間も費やした。部屋をでると、私は振り返って言った「スローンさん。あなたはどうしてこのような小さな仕事に4時間も費やせるのですか?」。彼は言った。「会社は、重要な意思決定を正しく行うことに対し、私に結構な給与を払っている。デイトンの機械工長の選任が間違っていれば、私たちの意思決定ははかないものである。彼はそれら(私たちの意思決定)をパフォーマンスに変える。そして、多くの時間をとることについては、馬鹿げたことだ。」「人の配置と彼を正しく配置するすることに4時間かけなければ、我々はその誤りの後始末に400時間かけることになる。そして、その時間を私はもたない。」彼は締めくくった。「人についての意思決定は唯一の真に重要ものである。あなたも誰もが、会社はより良い人々を持つことが出来ると考える。会社ができることは、人を正しく配置することであり、そうすれば、会社はパフォーマンスを得る。」

ソース:The Daily Drucker 21 April.
0422  ◆「人についての良い審判者」

スローンは続けた「あなたは私が人についての良い審判者であるべきだと考えているが、実のところ、そのような人はいない。人についての判断を正しく、つまりゆっくりとする人と、人についての判断を誤り、職を失って後悔する人がいるだけだ。我々は、人についての良い審判者であるからではなく、念入りであることから、誤りをより少なくする。」

人についての判断は通常ゼネラルモーターズの経営委員会で激論を引き起こした。しかし、ある時、委員会全体はある候補者について合意するように見えた。彼は、この危機にすばらしく対処し、問題を美しく解決し、冷静に火を消した。その時、突然スローンが割って入った。「あなた達のスミス氏は非常に印象的な経歴を持っている」彼は言った。「しかし、彼が全てのこれらの危機にいかに取り組んでそのようにあざやかに切り抜けたのか説明して欲しい」それ以上、スミス氏については聞かれなかった。しかし、ある時、スローンは言った「あなた達はジョージができないことを全て知っている。彼がしてきたことはどうだ?彼は何ができる?」そして、スローンが説明を受けた時、彼は言う。「わかった。彼ははなばなしくないし、機敏でもないし、さえないように見える。しかし、彼は常に成し遂げてこなかったのか?」そして、ジョージは困難な時期に大きな部門で最も成功した総支配人となった。

ソース:The Daily Drucker 22 April.
0423  ◆「重要な昇進」

会社が必要な貢献を得るには、それらを行う人々に報いなければならない。人についての決定、特にその昇進は、組織が実際に信じ、求め、代表するものを確認する。それらは、言葉より大きく語り、いかなる数字より明確なストーリーを語る。

決定的な昇進は、人の最初のもの(それは、彼女とそのキャリアにとって最も重要かもしれないが)ではない。マネジメントが小さな事前に選ばれたグループから選ばなくてはならない、トップへの最後のものでもない。決定的な昇進は明日のトップがそこから選ばれるグループへのものである。それは組織のピラミッドが突然狭くなる時の決定である。この時まで、大きな組織では、空位の地位は、40~50人から選ばれる。その上では、選択は3~4人から1人に狭まる。この時まで、人は通常、1つの分野か職務で働く。その上では、彼女はその事業で働く。

ソース:The Daily Drucker 23 April.
0424  ◆「社会的責任」

少なくともその資本コストに匹敵する利益を出さない事業は無責任であり、それは社会のリソースを浪費する。経済的利益のパフォーマンスは、それなしでは、事業がいかなる他の責任も果たせず、良い雇用者、良い市民、良い隣人となり得ない、基礎である。しかし、教育的パフォーマンスが学校の唯一の責任であり、健康管理が病院の唯一の責任である以上に、経済的パフォーマンスは事業の唯一の責任ではない。

全ての組織はその従業員、環境、顧客及びそれが触れる人やものへの影響について責任を負わなくてはならない。それは社会的責任である。しかし、我々はまた、社会はますます、営利も非営利も同じく、主要な組織に、主要な社会的困難に取り組むことを期待することを知る。そして、良い意図は社会的に責任があるとは限らないため、我々は、警戒すべきである。組織にとって、その主要な仕事とミッションを履行する能力を妨げる責任を追求することはもちろん、それを引き受けること、あるいは能力がないのに行動することは無責任である。

ソース:The Daily Drucker 24 April.
0425 ◆「社会的責任についてのスローン」

「公的」責任は、アルフレッドスローンにとって、未熟より悪い。それは無責任であり、権限の奪取である。スローンと私が出席した会議で、主要な米国企業のCEOが「我々は高等教育に責任がある」言った。「事業をしている我々は高等教育に対して権限があるか?」「持つべきか?」とスローンは尋ねた。「もちろん違う」が答えであった。「なら責任について話さないでおこう」とスローンは荒々しく言った。「あなたは大企業の上級役員で、第1のルールを知っている。権限と責任は一致し、お互いに釣り合わなくてはならない。権限を求めず、それを持つべきでなければ、責任について話すな。そして、責任を求めず、それを持つべきでなければ、権限について話すな。」

スローンはこれをマネジメント原則に基づかせる。しかし、もちろん、それは政治理論と政治史の最初のレッスンである。責任のない権限は不当であるが、権限のない責任も同じである。双方とも専制に導く。スローンは、その職業的なマネジャーについて大きな権限を求め、高度な責任を負う用意があった。しかし、その理由で、彼は、その専門的権能の分野に権限を限定し、それら以外の分野における責任の主張や受入れを拒否した。

ソース:The Daily Drucker 25 April.
0426 ◆「企業の欲と腐敗」

好況の時によく見せるのは簡単である。しかしまた、好況(私は4回か5回経験した)は、ペテン師をトップにする。1930年1月、若いジャーナリストとしての私の最初の仕事は、ヨーロッパ最大の最も誇り高かった保険会社のトップマネジメントの公判の担当であったが、彼は会社を計画的に私消し、それは全ての好況に続いて行われた。唯一の新しいことは、最後の好況が、帳簿のねつ造(四半期の数字の全面的な強調、株価、エグゼクティブは会社に大きな金融上の利害関係を持つべきという、善意であるが馬鹿げた信念、ストックオプション(私はこれを常にミスマネジメントへの開かれた誘いと考えた)等の強調)の誘惑を高めたことである。それ以外は変わりなかった。

ソース:The Daily Drucker 26 April.
0427 ◆「事業倫理とは何か?」

西洋の倫理の伝統が常に依拠する基本原則は、王子と乞食、金持ちと貧民、強者と弱者に等しく妥当する、個人の行動についての唯一の倫理法典があるというものである。ユダヤ教の伝統における倫理規範は、創造者が神、自然、あるいは社会と呼ばれようと、全ての男と女は等しい被造物であるという断言である。唯一の倫理規範、一式の道徳のルール、1つの法典、同じルールが全ての人に等しく適用される個人の行動のルールがある。そしてこの基本原則を事業倫理は否定する。言い換えれば、事業倫理は、西洋の哲学者や神学者によって一般に使われてきた用語としての倫理規範ではない。事業倫理は何らかの理由で通常の倫理のルールが事業に適用されないことを想定する。それでは、事業倫理とは何か?

ソース:The Daily Drucker 27 April.
0428 ◆「社会的責任の倫理」

事業倫理とは何か?「それは詭弁である」と西洋哲学の歴史家は答えるであろう。詭弁は、統治者は、その責任故に、個人として彼らに適用される倫理規範の通常の要請とその王国に対する社会的責任のバランスをとらなくてはならないと主張する。しかし、これは一般人にとって何が倫理的かを決めるルールは、社会的責任ある人には、等しくは適用されないことを意味する。彼らにとっての倫理規範は、その代わりに、個人の良心の要請と地位の要請に関係する費用便益計算であり、統治者は、彼らの行動が他の人々に便益を与えると議論され得る場合には、倫理規範の要請から免除されることを意味する。

事業倫理の偉大なホラーストーリーは、詭弁家にとって、利他的な事業の殉難でないとしても、事業善行の例として現れる。1950年代後半の「電気装置謀議」において、数名の高い地位のGEの役員が刑務所に送られた。タービン等の重電設備のオーダーは、GE、Westinghouse、Allis Chalmers の3社の電気装置メーカーで分けられていたため、彼らは、独禁法違反の刑事的謀議の有罪となった。カルテルの目的は最弱で最も従属的な会社であるAllis Chalmers の保護であった。政府の行為がカルテルを壊すと、Allis Chalmers はタービン事業から撤退し、数千人を解雇しなくてはならなかった。

ソース:The Daily Drucker 28 April.
0429  ◆「事業倫理」

職業人の第1の責任は2500年前に、ギリシャの医師のヒポクラテスの誓いに明確に記された:「なによりも、知りながら害をなさない。」医師であれ、弁護士であれ、マネジャーであれ、顧客のために実際に善いことをすることを約束できる職業人はいない。彼女ができることは、試みることだけである。しかし、彼女は、知りながら害をなさないことは約束できる。そして顧客もまた、職業人が知りながら顧客に害をなさないことを信頼できなくてはならない。さもないと、彼は彼女を全く信用できない。そして「知りながら害をなさない」は職業人の倫理の基本的なルールであり、公的責任の倫理の基本的なルールである。

ソース:The Daily Drucker 29 April.
0430  ◆「心理的不安」

不安(経済的ではなく心理的な不安)は、産業状態全体に浸透する。それは、恐れを創り出し、それが未知で予想できないものへの恐れであることから、スケープゴートや犯人探しに導く。その仕事をコントロールする力の合理性と予測可能性への労働者の信頼を回復する場合のみ、我々は(産業的)企業の方針の有効性を期待できる。我々がそれほど早い達成を望むことができる分野は他にはない。全ての基本的な力(社会の客観的要請、企業の客観的要請、そして個人の客観的な必要と要請)は、(産業的)企業を機能する組織とする方向で働く。

ソース:The Daily Drucker 30 April.
5月  
0501 ◆「知識労働者のマネジメント」

新興の経済と技術においてリーダーシップを維持する鍵は、知識専門家の社会的地位と彼らの価値の社会的受入れにありそうである。しかしながら、今日、資本が鍵となるリソースで資本家がボスであるという伝統的な考え方を維持しながら、ボーナスとストックオプションを与えることで知識労働者を買収して満足させ従業員に留まらせるという、どっちつかずの態度をとろうとしている。しかし、それは、機能するとしても、インターネット企業のように新興の産業が資本市場ブームを享受する限りでのみ機能する。

知識労働者のマネジメントは「マーケティングの仕事」である。そして、マーケティングでは「我々は何を求めるか?」という質問から始めない。「相手は何を求めるか?」「その価値は何か?」「その目的は何か?」「それは何を結果と考えるか?」から始める。知識労働者を動機付けるものはボランティアを動機付けるものである。ボランティアは、給料を得ないため、給料を得る従業員よりも、仕事からより満足を得なくてはならない。彼らは、何より、挑戦を必要とする。

ソース:The Daily Drucker 1 May.
0502 ◆「ネットワーク社会」

100年以上、先進国は確実に従業員組織社会に移行してきた。今日、米国を先頭に、先進国は、組織とそのために働く個人の関係、そして異なる組織間の関係に関し、急速に「ネットワーク社会」に移行している。

米国の労働者のほとんどの成人は、組織のために働く。しかし、ますます、彼らはその組織の従業員でなくなる。彼らは、契約者、パートタイマー、臨時雇いである。そして、組織間の関係は組織とそのために働く人々の関係と同じくらい急速に変わっている。最も目に見える例は、会社、病院、あるいは政府組織が、ある活動全体をその種の仕事に専門化した独立の会社に委譲する「アウトソーシング」である。より重要なのは、アライアンス(協力)へのトレンドである。個々の専門家と幹部は、自分自身の配置に責任があることを、学ばなくてはならなくなる。それは、とりわけ、彼らがその強みを知り、販売される「製品」とみなくてはならないことを意味する。

ソース:The Daily Drucker 2 May.
0503 ◆「グローバル競争」

戦略は新たな原則を受け入れなくてはならない。事業だけでなく、いかなる組織も、世界のどこにあろうとう各産業のリーダが設定した基準に対して自らを評価しなくてはならない。情報伝達の容易さとスピードにより、ほとんどの組織はその活動と市場においてはローカルであり続けたとしても、知識社会における全ての組織はグローバルに競争的でなくてはならない。なぜなら、インターネットにより、あらゆる場所の顧客は世界のどこで何がいくらで利用できるかを知るからである。イーコマースは、通商と富の配分のための新たなグローバルなチャネルを作る。

一例がある。ある起業家がメキシコに非常に成功したエンジニアリングデザイン会社を作った。彼は、その最もタフな仕事の1つは、社員と同僚に、もはや競争がメキシコだけでないことを分からせることだと言う。競争相手の物理的拠点がなくても、インターネットにより、顧客はグローバルなオファーを知り、メキシコで同じ品質のデザインを求める。この経営者は、社員に、会社が直面する競争はグローバルであり、会社のパフォーマンスはメキシコの競争相手ではなく、グローバルな競争相手に対して比較されなくてはならないことを分からせないといけない。

ソース:The Daily Drucker 3 May.
0504 ◆「Next Society の特徴」

次の社会(Next Society)は知識社会である。その3つの主要な特徴は
①知識はお金より、容易に伝達するための、ボーダーレス、
②容易に得られる正規の教育を通じ、全ての人が享受できる、上方への可動性、
③成功と同じく失敗の可能性。誰もが仕事に必要な知識という「生産手段」を獲得できるが、全ての人が勝てるわけではない。

これらの3つの特徴は、知識社会を、組織と個人にとって、高度に競争的なものにする。

情報技術は、次の社会(Next Society)の多くの新たな特徴の1つにすぎないが、既に非常に重要な影響を与えている。それは知識をほとんど瞬時に広め、全ての人々にアクセスできるようにする。情報移動の容易さとスピードにより、知識社会における全ての組織(事業だけでなく、学校、大学、病院、そしてより多くの政府機関もまた)は、そのほとんどが活動と市場においてローカルであり続けるが、グローバルに競争的でなくてはならない。それは、インターネットが全ての場所の顧客に、世界のどこで、いくらで、何が利用できるかを知らせるからである。

ソース:The Daily Drucker 4 May.
0505  ◆「新しい多元論」

社会の新しい多元的組織は政府や統治に関心がない。以前の多元的組織と違い、それは「全体」ではなく、その結果は、完全に外部にある。事業の成果は満足した顧客である。病院の成果は治った患者である。学校の「成果」は10年後学んだことを仕事に活かす学生である。

いくつかの点で、新しい多元論は、古い多元論より、はるかに柔軟で、不和を生じない。新たな組織は、中世の教会であれ、封建時代のバロンであれ、自由都市であれ、古い多元的組織が行ったように、政治的力を侵食しない。新しい多元論は、しかしながら、古い多元論と異なり、同じ関心を共有したり、同じ世界を見たりしない。新しい組織のそれぞれは、自らの目的を、中心で、究極の価値で、真に重要であると考える。全ての組織は、独自の言葉を話し、独自の知識をもち、独自のキャリアの階段をもち、そしてなにより、独自の価値を持つ。誰も、自分を、コミュニティ全体に責任をもつものとはみない。それは、誰か他人の仕事である。しかし、誰の?

ソース:The Daily Drucker 5 May.
0506  ◆「知識はスキルを排除しない」

今日、「知識労働者」という言葉は、医師、弁護士、教師、会計士、化学技術者等、学理的な知識と学びを備えた人々を表すのに広く使われる。しかし、最も著しい成長は、コンピュータ技術者、ソフトウェアデザイナー、臨床研究室の分析者、製造技術者、パラリーガル等の「知識技術者」におけるものとなる。これらの人々は、知識労働者であると同時に、肉体労働者である。実際、彼らは通常その頭脳をつかう以上に手を使って仕事をする。

このように、知識はスキルを排除しない。逆に、知識は、急速にスキルの基礎となる。我々は、非常に進んだスキルを素早く獲得できるよう、ますます知識を使う。知識はスキルの基礎として用いられて初めて、生産的となる。例えば、致命的な脳出血となる前に脳動脈瘤の手術を準備をする外科医は、切る前の診断に何時間も費やし、それは高度に整理された専門知識を必要とする。しかしながら、手術それ自体は、スピード、正確さ、均一性が強調される、反復的な手作業からなる肉体労働である。そして、これらの作業は、他の肉体労働と同じく、研究され、体系化され、学ばれ、実践される。

ソース:The Daily Drucker 6 May.
0507  ◆「知識社会と組織社会」

ポスト資本主義社会は、知識社会であるとともに組織社会であり、それぞれは、互いに依存するが、そのコンセプト、視点、価値において非常に異なる。専門知識はそれ自体何も生み出さない。それは、仕事に統合されて初めて生産的となり得る。これが知識社会が組織社会でもある理由である。事業も非事業も等しく、全ての組織の目的と機能は、専門知識の一般の仕事への統合である。知識労働者が有効である必要があるという基本的継続を提供できるのは組織だけである。知識労働者の専門知識をパフォーマンスに転換できるのは組織だけである。

知識人は、組織を道具と見る。それ(組織)は、その技術や専門知識の実施を可能にする。マネジャーは、知識を組織のパフォーマンスに向けた手段とみる。いずれも正しい。それらは反対であるが、否定としてではなく、対極として相互に関係する。2つが相互にバランスする時、創造と秩序、達成と使命が存在し得る。

ソース:The Daily Drucker 7 May.
0508  ◆「知識社会における成功の代償」

知識社会の上昇可動性は、ラットレース(=勝ち残り競争)の心理的プレッシャーと感情的トラウマという、高額な代償を支払う。敗者がいる場合にのみ、勝者が存在し得る。これは以前の社会とは違う。

日本の子ども達は、試験に合格するために夕方詰め込み主義の塾で過ごすため、睡眠不足に陥っている。そうでないと、彼らが選ぶ評価の高い大学に入り、いい仕事につくことにならない。米国、英国、フランス等の他の国でも、学校は激しく競争的となっている。これが、30~40年以内の短期間に起ったことは、いかに失敗の恐怖が知識社会に浸透したかを意味する。この競争的苦闘により、ますます多くの高度に成功する、事業マネジャー、大学教員、博物館の管理者、医師等の知識労働者は、40歳台で安定期に入る。仕事が彼らの全てであれば、困ったことになる。知識労働者は、そのため、真剣な外部的関心を持つ必要がある。

ソース:The Daily Drucker 8 May.
0509  ◆「知識社会の中心」

歴史を通じ、5年か7年の徒弟制度の後に仕事を学んだ熟練工は、18歳か19歳までに、生涯で使う必要がある全てを学んだ。今日、新たな仕事は、相当量の正規の教育と論理的/分析的知識を獲得し応用する能力を必要とする。仕事への異なるアプローチと異なる思考様式を必要とする。とりわけ、継続的な学びの習慣を必要とする。

全ての人にとって、いかなる知識の組み合わせが必要か?学びと教えにおける「質」は何か?それらは、必然的に、知識社会の中心的な関心となり中心的な政治課題となる。実際、私達が資本主義の時代と呼んだ2,3世紀に資産と収入の獲得が占めた場所を、知識社会の政策において正式な知識の獲得と分配が占めるであろうと予想することは、空想的に過ぎるものではない。

ソース:The Daily Drucker 9 May.
0510 ◆「政府の病」

政府と1918年から1960年にかけて成人となった世代との間以上に政治的蜜月になったことはない。この期間に誰かが行う必要があると感じたものは全て政府に委ねられ、その仕事は確実に行われるものと、全ての人が信じたように思われた。

しかし、今日、私達の態度は変化している。我々は急速に政府への疑問と不信に向かっている。我々はなお、習慣のみから、社会的な仕事を政府に委ねる。我々はなお、不成功なプログラムを何度も手直しし、進行中の手直しが治癒しないであろうことは、プログラムについて何も悪くないと断言する。しかし、私たちは、不奏功のプログラムを3度直す時には、もはやこれらの約束を信じない。我々はもはや政府からの結果を期待しない。例えば、誰が米国(又は国連)の対外援助プログラムの変更が急速な世界規模の開発を生み出すと信じるだろうか。長い間人々との政府の間の情熱的なロマンスであったものは、今日、どうやって断ち切ればいいかがわからず、長引くことで悪化した、くたびれた、中年の関係となった。

ソース:The Daily Drucker 10 May.
0511 ◆「外国為替リスクを管理する」

古く十分にテストされた知見によれば、会社の事業が主に通貨や商品の取引でなければ、会社は必ず負けるし、いずれかに投機すれば深刻に負ける。外国為替リスクは、最も保守的なマネジメントを投機家にする。

経営者は、外貨での売買の損失、国内外の市場での販売と市場地位の喪失といった、様々な種類の外国為替リスクから企業を守ることを学ばなくてはならない。これらのリスクは除去することはできないが、最小にし、少なくとも抑えることはできる。とりわけ、それらは、ヘッジとオプションの利用により、他の保険プレミアムとさほど変わらない、既知の、予測可能な、制御された事業コストに転換できる。会社の金融の「国際化」はまた、純粋の国内企業が為替レートに基づく海外競争に対してある程度自分を守る、最高の、おそらく唯一の、方法である。

ソース:The Daily Drucker 11 May.
0512 ◆「製造パラドックス」

2020年に向けた最も信用できる予想は、先進国において、製造での雇用は労働人口の10~12パーセントに縮小するが、生産高は少なくとも2倍になるというものである。製造を変え、生産性を跳ね上げたのは、「リーン生産方式」といった新たな概念である。80年前の大量生産の到来に匹敵する進歩である製造の新たな理論は、情報とオートメーションより重要である。

富と仕事の創造者としての製造の減少は、必然的に、新たな保護主義をもたらし、かつて農業で起こったことを、繰り返す。農家の有権者が少なくなれば、「農家の票」はより重要になった。人数が減るに従い、農家は全ての豊かな国で不釣り合いな影響力をもつ単一の特別利益集団となった。

ソース:The Daily Drucker 12 May.
0513 ◆「保護主義」

富と仕事の創造者としての製造の衰退は、必然的に新たな保護主義をもたらす。激動の時期への最初の反応は外の冷たい風から自分の庭を守る壁を作ろうとすることである。しかし、そのような壁は、世界基準に達しない組織(とりわけ事業)を守らず、それらをより脆弱にする。

好例が、1929年からの50年間、国内経済を外界から独立させる計画的政策をとったメキシコである。外国との競争を排除するために保護主義の高い壁を構築しただけでなく、20世紀の世界においてメキシコ独自のものであるが、国内企業に事実上輸出を禁じた。近代の純粋なメキシコ経済を作ろうとしたこの試みは、みじめに失敗した。メキシコは、実際には、食物と製造製品の双方において、より一層外国からの輸入に依存した。もはや必要な輸入品への支払が出来なくなったことから、ついには、外国に開かざるを得なかった。そして、メキシコの産業の多くは生き残ることができなかった。

ソース:The Daily Drucker 13 May.
0514 ◆「知識労働の細分化」

知識労働は専門化され、それゆえに、ほとんどの組織で細分化する。これらの専門を有効にマネジメントすることは、知識ベースの組織にとって、大きな挑戦である。例えば、病院は、高度に専門化した知識労働者を管理し、配置し、満足させるために、PEOs(専門的雇用者組織)と人材派遣会社にアウトソーシングする。これは、マネジメントの仕事の一部をアウトソースすることになる。現代の病院は知識作業の細分化により生み出された複雑なマネジメントと、その結果としてのPEOや人材派遣会社へのアウトソーシングの例を提供する。

275から300のベッドがあるそれなりの大きさの地域病院でさえ、およそ3000人が働き、その約半分はなんらかの種類の知識労働者である。2つのグループ・・看護師と事業部門の専門家・・はかなり大きく、それぞれ数百人いる。しかし、理学療法士と臨床ラボの人々、精神科のケースワーカー、腫瘍学の技術者、手術患者の準備を整える2ダースの人々、睡眠科の人々、超音波診断技術者、心臓科の技術者、その他の約30の「医療補助専門家」がいる。全てのこれらの専門家の管理が、現代の病院を最も複雑な組織とする。

ソース:The Daily Drucker 14 May.
0515 ◆「PEOとBPOの利用」

会社は人事マネジメントにおいて重要な変化を経験しており、専門的雇用者組織(Professional Employer Organizations)PEOsはこれらの変化への1つの対応であった。この産業を成長させる主たる要因は人事機能を規制する法規制の複雑さの増加と、その結果として起きるこれらの新たな現実を処理するため労働力を管理し維持するプロの専門的知見の必要である。PEOsは主に中小規模の会社に特化する。PEOsを使うことで、マネジャーは解放され、雇用関係規制や事務処理ではなく、その中核能力に集中できる。20年前にはほとんど存在していなかったこの産業は、年30パーセントの割合で成長している。

PEOsとは対照的に、Business Process Outsourcing firms、BPOsは、大企業、概して2万人以上の従業員がいる会社の人事機能に責任を負う。BPO産業の革新者でありリーダーである Exult は、1998年に創業し、今日、グローバルフォーチュン500社の多くのために、賃金台帳、リクルートと配置、訓練管理、従業員データの管理、配置転換と解雇等、人事機能の全域を管理する。マッキンゼーの調査によると、これらの方法で人事マネジメントをアウトソースするマネジメントコンサルタント業は、30パーセントのコストを削減すると同時に、従業員満足を高めることができる。

ソース:The Daily Drucker 15 May.
0516 ◆「非伝統的従業員を管理(manage)する」

フルタイムの労働者、PEOsと派遣社員に加え、新たな会社では、非伝統的従業員からなる、密接に結びつけられるが別に管理される組織があり得る。ますます、労働者は早期に退職するが、仕事を止めない。代りに、彼らの「セカンドキャリア」はしばしば従来と違う(非伝統的な)形をとる。彼らは、フリーランス、パートタイム又は臨時雇い、または、請負業者のために、あるいは自身が請負業者として働く。このように「働き続ける早期退職」は特に知識労働者にとって普通である。

これらの多様なグループを引きつけ保有することは、新しい会社での人のマネジメントの中心的な仕事となる。これらの人々は事業と永続的な関係をもたない。彼らは管理される必要がないかも知れないが、生産的なものとされなくてはならない。彼らは、その専門知識が最大の貢献をする場所に配置されなくてはならない。マネジャーは、これらの非伝統的労働者の専門性開発、モチベーション、満足、生産性について、アウトソーシング契約組織の相手と、親密に取り組む必要がある。

ソース:The Daily Drucker 16 May.
0517 ◆「連合としての会社」

連合としての会社の2つの著名な例がある。80年前、GMは初めて、今日の大企業が依拠する、組織概念と組織構造を初めて生み出した。その80年のうちの75年を2つの基本原則に依拠した。我々は、製造するものをできる限り所有し、行うものを全て支配する。今日、それ(GM)は、スェーデンのサーブ、日本のスズキといすゞ等、競争会社の少数出資者となる試みを行い、フィアットの支配的少数派パートナーとなろうとしている。同時に、その製造するものの70~80パーセントを手放した。

2番目の例はまさにもう一つの道を行く。それは、過去20年間最も成功している自動車会社であるトヨタである。トヨタは自らをその中核的機能(core competency)である製造を中心に再構築する。多様な部品・付属品供給者を止め、全ての地域に1か2だけにする。同時に、その製造能力をこれらの供給者を管理するのに使う。それらは、独立した会社であり続けるが、マネジメントから見れば、基本的にトヨタの一部である。

ソース:The Daily Drucker 17 May.
0518 ◆「シンジケート(企業連合)としての会社」

GMとトヨタのアプローチはどんなに違っても、なお伝統的な会社から出発する。しかし、全く会社モデルを除くアイデアがある。

1例はヨーロッパ連合の非競争的な製造者により試みられている「シンジケート」である。構成する会社は、中規模の、家族所有の、所有者経営である。それぞれは、狭い、高度に設計された製品ラインでのリーダーである。それぞれは、大きく輸出に依存する。各会社は独立であり、別個に製品を設計し続ける。その主要市場に向け自分の工場で製造し、販売し続ける。しかし、他の市場、とりわけ新興の開拓されていない国に向け、シンジケートは、メンバーのためにシンジケートが所有する工場か、現地の契約製造業者により、製造を手配する。シンジケートは、全てのメンバーの製品のデリバリーを扱い、全ての市場で製品サービスをする。各メンバーはシンジケートの持分を保有し、シンジケートは、各メンバーの資本の一部を保有する。これがなじみのものに聞こえるとすれば、それはこのモデルが19世紀の農家の協同組合だからである。

ソース:The Daily Drucker 18 May.
0519 ◆「リソースとしての人」

日本人は、人々は同僚であり最も重要なリソースとして見られなくてはならないという私の考えを最初にかつ最も心に留めた。労働者へのかかる敬意を通してのみ、真の生産性が達成される。

人々はリソースであり単なるコストではない。最も理解のあるマネジャーは望む目標に向けて人をマネジメントすることで何が実現され得るかを理解することから始める。マネジメントは地位や特権を行使することではない。それは「取引きすること」をはるかに超える。マネジメントは、事業においてそして、さらに、多くの他の面において、人々とその生活に影響する。

ソース:The Daily Drucker 19 May.
0520 ◆「肉体労働を生産的にする」

テイラーの原則は人を惑わせるほど単純に聞こえる。肉体労働者を生産的にする第一歩は、仕事を見て、その要素となる動作を分析する。次に、各動作、その身体活動と時間を記録する。不要な動作は除去され得る。完成品を得るために必要なものとして残る各動作を、最も単純な方法、最も容易な方法、作業者への肉体的・精神的負荷が最も小さい方法、最も時間を必要としない方法で組み立てる。そして、これらの動作を論理的順序で「仕事」に統合する。最後に、動作に必要な道具を設計し直す。

テイラーのアプローチは肉体労働が社会と経済の成長部門である国においては、なお構成原則である。先進国では、挑戦はもはや、肉体的作業を生産的にすることではない。中心となる挑戦は、知識労働者を生産的にすることである。しかし、高度に先進的な理論的知識を必要とする労働を含む莫大な量の知識労働があり、それらは肉体的作業を含む。これらの作業(肉体的作業)の生産性はまた、(今)テイラーの方法論を意味する生産工学を必要とする。

ソース:The Daily Drucker 20 May.
0521 ◆「サービスワークの生産性」

サービスワークの生産性向上の必要は、先進国で社会的な優先事項である。それが達成されないと、先進世界は、社会的緊張の増大、分極化や増大する急進性に直面する。ますます新たな階級闘争に直面し得る。サービスワークの生産性が急速に改善されない限り、大きな階級・・物を作って動かす人々の大きさはピークにある・・の社会的・経済的地位は着実に下降する。実際の収入は、いかなる時も、生産性より高くなり得ない。サービスワーカーは、その人数を使い、その経済貢献が正当化する以上の賃金を得るかもしれない。しかし、それは、全員の収入を下げ、失業を増やし、社会全体を貧しくするだけである。あるいは、豊富な知識労働者の着実な賃金上昇との関係で、非熟練労働者の収入が下がり、その2つのグループ間の溝は大きくなり、階級への分極化が増大する。いずれの場合も、サービスワーカーは遊離し、ますます苦痛を味わい、離れた階級となる。

私達は、サービスワークの生産性を上げる方法を知る。これは生産作業であり、過去100年間に生産性増大について学んだことは、最小限の調整で、その仕事に適用できる。課題は知られ実行可能であるが、緊急を要する。それは、実際、知識社会におけるマネジメントの第1の社会的責任である。

ソース:The Daily Drucker 21 May.
0522 ◆「サービスワーカーの生産性を上げる」

サービスワーカーの生産性の改善は、組織構造の基本的変更を必要とする。多くのケースでサービスワークはサービスが提供される組織から外注される。これは、特に、メンテナンスのようなサポートワークや、多くの事務仕事に妥当する。「アウトソーシング」は、さらに、建築設計などの仕事や、専門図書室に適用される。実際、アメリカの法律事務所は既に、自前の法律図書室が行っていたもののほとんどを、外部のコンピュータ化された「データベース」に外注している。

生産性増大の最大の要請は、組織内でシニアマネジメントへの昇進に結びつかない活動にある。シニアマネジメントの誰もが、この種の仕事に関心をもたず、十分に知らず、気にとめず、重要であると考えることもない。かかる仕事は組織の評価システムと適合しない。病院では、例えば、評価システムは医師と看護師のそれである。彼らは患者のケアに関係する。誰も、メンテナンスワーク、サポートワーク、事務仕事に多くの関心を持たない。我々は、それゆえに、短期間の間に、これらの仕事が、(競争し、この種の仕事をより生産的にすることにおける有効性に対して支払を受ける)独立した組織に外注されることを期待すべきである。

ソース:The Daily Drucker 22 May.
0523  ◆「知識労働者の生産性」

知識労働者の生産性への取組みは始まったばかりである。しかし、我々は既に多くの答えを知っている。我々はまた、答えをまだ知らない挑戦も知っている。

6つの主要な要因が知識労働者の生産性を決定する。
1.知識労働者の生産性は「何が仕事か」という質問を問うことを求める。
2.それは我々が各知識労働者の生産性の責任を彼ら自身に負わせることを求める。知識労働者は自分自身を管理しなくてはならない。彼らは自主性を持たなくてならない。
3.継続的イノベーションは仕事の一部であり、課題であり、知識労働者の責任である。
4.知識労働は知識労働者の側に継続的な学びを求めるが、同様に、知識労働者の側に継続的な教えも求める。
5.知識労働者の生産性はアウトプットの量の問題ではなく、少なくともそれは主要なものではない。質が、少なくとも同様に、重要である。
6.最後に、知識労働者の生産性は知識労働者がコストではなく資産として見られ扱われることを要請する。それは知識労働者が、他の機会に優先して、その組織で働くことを望むことを必要とする。

ソース:The Daily Drucker 23 May.
0524 ◆「知識労働の仕事を定義する」

肉体労働では仕事は常に与えられる。使用人がいる家では、主人は彼らに何をするかを伝える。機械や組立ラインが工場労働者の作業を決定する。しかし、知識労働では、何をするかが最初の決定的に重要な質問となる。知識労働者は機械によって作業を決定されない。彼らは、広く、自分の仕事をコントロールし、コントロールしなくてはならない。彼らは、そして彼らだけが、最も高価な生産手段(=その学識)と最も重要な道具(=知識)を所有しコントロールする。彼らは、もちろん、看護師のⅣであれエンジニアのコンピューターであれ、他の道具を使う。しかし、彼らの知識が、これらの道具がいかに、何のために使われるかを決める。彼らは、仕事を完成するために、どのステップが最も重要で、どの方法が用いられる必要があるかを知り、どの仕事が不要で取り除かれるべきかを伝えるのは彼らの知識である。

従って、知識労働者の生産性への取組みは、知識労働者自身への質問から始まる。あなたの仕事は何か?それは何であるべきか?何を貢献することが期待されるべきか?あなたの仕事をするに際し、何がそれを妨げ、取り除かれるべきか?「いかにして」は「何を」が答えられて初めて問題となる。

ソース:The Daily Drucker 24 May.
0525 ◆「知識労働における結果を定義する」

仕事の定義は与えられた仕事の成果が何であるべきかを定義することを可能にする。正しい成果は何かという質問に対して、しばしば、複数の答えがある。販売員が、その成果を、顧客あたりの最大売上と定義することは正しいが、顧客を繋ぎとめることと定義することも正しい。

したがって、知識労働者を生産的にするための次の決定的なステップは、特定の知識労働者の仕事の成果を定義することである。これは、異論の多い決定であり、そうあるべきである。それはまた、リスクをとる決定である。とりわけ、それは、個々の労働者の仕事と組織のミッションが収斂し調和されるべきポイントである。百貨店が取引あたりの最大売上を目指すか顧客あたりの最大売上を目指すかを決めるのは、マネジメントの責務である。患者と医師のどちらを病院の主たる顧客とするかを決めるのもマネジメントの責務である。そして、この決断は、知識組織のマネジャーと経営者にとって恒久的な挑戦の1つとなる。

ソース:The Daily Drucker 25 May.
0526 ◆「知識労働の質を定義する」

いくつかの知識労働、特に、高度な知識を要求する仕事において、私達は、既に質を測定する。例えば、外科医は、困難かつ危険な手術での成功率(例えば、開胸手術患者の生存率)によって、日常的に測定される。しかし、我々は、該して、多くの知識労働の質に関して、これまで、主に評価ではなく判断をしてきた。しかしながら、主な問題は、質の評価の難しさではない。仕事が何で、何であるべきかの定義における難しさである。

最適な例は米国の学校である。米国の中心市街地の公立学校は大失敗の分野となった。しかし、隣には、同じ場所で同種の子ども達のための私立学校があり、そこでは子ども達は行儀もよく、よく学ぶ。これらの大きな質の違いを説明する考察が繰り返される。しかし、主な理由は、その2種類の学校がその仕事を異なって定義することにある。典型的な公立学校はその仕事を「恵まれない人々を助ける」ことと定義し、典型的な私立学校(特に、カソリック教会の地域の学校)は、その仕事を、「学びたい子どもを学べるようにする」と定義する。そのため、一方は学校的に失敗し、他方は学校的に成功する。

ソース:The Daily Drucker 26 May.
0527 ◆「マネジメント:実践」

GMの役員は原則を発見し、それらの原則は、自然法則のように、絶対的なものだと信じた。私は、対照的に、この種の原則は、常に、人がつくったものであり、良くて学習を助ける(実践的な)ものだとする。これがマネジメントに対する私のアプローチがこの主題についての著述家や理論家と異なってきた理由であり、おそらく、学究的な世界の視点では、私は尊敬すべきものでなかった理由である。私は、基本的価値、特に人の価値が存在すると信じる。しかし、私は「1つの正しい答え」があるとは信じない。少なくとも、他の全てが失敗しない限り試みないことが適切な、高い見込みで間違った答えはある。しかし、マネジメントや他の社会的規律における方針のテストは、答えが正しいか間違っているかではなく、機能するかどうかである。マネジメントは神学の分派ではなく、実際は、臨床的な分野である。医学の実践におけるように、テストはその治療が「科学的」かどうかではなく、患者が回復するかどうかである。

ソース:The Daily Drucker 27 May.
0528 ◆「知識労働における継続的学び」

知識労働者はその仕事に継続的な学びを組み入れなくてはならない。そして、知識組織は学ぶ組織であるとともに教える組織である必要がある。知識は今日、全ての分野において、速く変化するので、知識労働者は、継続的な学びを自分の仕事に組み入れない限り、かなり早く時代遅れになる。これは、エンジニア、化学者、生物学者や会計士等の高度な知識にのみ妥当するものではない。それは、ますます、心臓病の看護師、賃金台帳を扱う者やコンピュータの修理人にも妥当する。しかしまた、知識組織はその同僚が何を行い行おうとしてるかを理解する知識の専門家に依拠する。そして、彼らは異なる専門をもつ。知識労働者は、従って、特に自身の専門の知識のベースが変化するときには、同僚の教育に責任を持つ必要がある。

これは、知識労働者が2つの質問に答えることが求められることを意味する。
1.報酬を得ている知識に遅れないため何を学ぶ必要があるか
2.自分の知識分野において、同僚は何を知り理解しなくてはならず、それは、何について、組織と彼らの仕事に貢献でき、貢献すべきか。

ソース:The Daily Drucker 28 May.
0529 ◆「既存の知識の生産高を上げる」

学びと教えにおいて、我々は道具に注目しなくてはならない。用法において、我々は、最終結果、課題、仕事に注目しなくてはならない。「ただつなげる」は偉大な英国の小説家、E.M.フォスターの説諭である。それは、常に、芸術家の特徴であったが、同様に、偉大な科学者の特徴でもある。彼らのレベルで、つなげる能力は生来のものであり、われわれが「天才」と呼ぶ不思議の一部である。しかし、かなりの程度、つなげる能力、かくして既存の知識の生産高をあげる能力は学ぶことができる。結局、それは教えることができるものであるべきである。それは、問題定義のための方法論を必要とし、それはおそらく、「問題解決」の方法論の必要より緊急である。それは、既存の問題が必要とする種類の知識と情報の体系的分析を必要とし、既存の問題が取り組まれ得るステージを組織化する方法論(=我々が今日「システムリサーチ」と呼ぶものの根底にある方法論)を必要とする。それは「無知の組織化」と呼ばれるものを必要とし、知識が存在する以上により多くの無知が常に存在する。

知識への専門化は、我々に、それぞれの分野での大きなパフォーマンスの潜在力を与えた。しかし、知識があまりに専門化されるため、我々はまた、この潜在力をパフォーマンスに転換するための、方法論、訓練、プロセスを必要とする。さもないと、利用できる知識のほとんどは、生産的なものとはならず、単なる情報にとどまる。知識を生産的にするため、我々はつなげることを学ばなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 29 May.
0530 ◆「知識労働者のランク」

知識労働者は、働く組織があるため、働くことができる。その点で、彼らは依存する。しかし、同時に、彼らは知識という「生産手段」を保有する。知識労働者は自分を、弁護士、教師、牧師、医者、昨今の公務員と違わない、別の「専門家」と見る。彼女は同じ教育を受ける。彼女は、収入と機会へのアクセスを組織に依存し、組織の投資なくして仕事がないことを理解するかもしれない。しかし、彼女はまた、組織も等しく彼女に依存することを、正しく理解する。

どの知識も他より上位に位置しない。組織における各知識のポジションは、固有の優劣ではなく、一般の仕事への貢献により決定される。

ソース:The Daily Drucker 30 May.
0531 ◆「ポスト経済理論」

明日の経済学は「いかに私たちは事業を経営する方法を結果に結びつけるか?」「結果は何か?」という質問に答えなくてはならない。「利益」という伝統的な答えはあてにならない。利益哲学(bottom-line philosophy)の下では、我々は、短期を長期に結びつけることができないが、2つのバランスはマネジメントの決定的なテストである。

生産性とイノベーションの標識が我々の指針でなくてはならない。生産性の低下の下、あるいはイノベーションなしに利益を達成する場合、それは利益ではない。我々は資本を壊している。他方で、全ての鍵となるリソースの生産性や革新的位置(innovative standing)を改善し続けている場合、我々は収益的となりつつある。今日だけではなく、明日もである。人の仕事に適用される知識を富の源泉と見るにあたって、私達はまた、経済組織の機能も見る。私達は、初めて、経済を人の規律(修練)とし、人の価値と結びつけるアプローチ、ビジネスパーソンに彼女が正しい方向に進んでいるか、その結果が現実か幻想かを測る基準を提供する理論を持つ。私たちは、冨の産出について我々が知り理解することに基礎を置く、ポスト経済理論の入口にいる。

ソース:The Daily Drucker 31 May.
6月   
0601 ◆「自分自身を管理する」

知識労働者はその雇用する組織より長生きしそうである。彼らの平均労働期間は50年になりそうだが、成功する事業の平均寿命は30年に過ぎない。したがって、ますます、知識労働者は、雇用者より長生きし、複数の仕事に備えないといけない。そして、これはほとんどの知識労働者が自分自身を管理しなくてはならないことを意味する。彼らは自分自身を最大の貢献ができる場所に置かないといけない。自分自身を発展させることを学ばなくてはならない。自分がすることを、いかに、いつ変えるのか、それをいかにして、いつするのかを学ばなくてはならない。

自分自身を管理する鍵は知ることである。私は誰?私の強みは何?結果を達成するためにいかに働く?私の価値は何?私はどこに所属する?私はどこに所属しない?最後に、自分自身をうまく管理するための重要なステップは、フィードバック分析である。全てのカギとなる行動やカギとなる決定の期待する結果を記録し、9か月か1年後に実際の結果と比較する。

ソース:The Daily Drucker 1 June.
0602 ◆「成功する情報ベースの組織」

中間層なしに、巨大で成功した情報ベースの組織の好例はインド総督府である。英国はインド大陸を、18世紀中期から第二次大戦まで、200年にわたり統治した。広大で人口密度の高い亜大陸を統治するインドの文官は1000人以下であった。ほとんどの英国人は最も近い同国人に会うには1~2日かかる、孤立した入植地に住み、最初の100年間は、電報も鉄道もなかった。

組織構造は完全にフラットであった。各地区の官吏は州の長官である「COO」に直接報告した。9の州があったので、各長官には、少なくとも100人の直接報告者がいた。毎月、地区の官吏は1日をかけ、州の首都にいる長官に詳細な報告を書いた。彼は、その主要な課題のそれぞれを議論した。それぞれについて、起こると期待されたことと、実際に起こったことを詳細に記し、差異が生じた場合にはその理由を記した。彼は、カギとなる課題について、翌月に起こることが予想されることとそれへの対応を記し、方針について質問し、長期的な機会、脅威及び必要なものについてコメントした。長官は、それに対し、詳細なコメントを返した。

ソース:The Daily Drucker 2 June.
0603 ◆「情報ベースの組織における「スコア(楽譜)」」

情報ベースの組織の条件について何が言えるか?数百の演奏家とそのCEOである指揮者は、全員が同じスコアを持つため、一緒に演奏できる。同様に、病院の全ての専門家は、病気のケアと治療という、共通のミッションをもつ。診断は彼らの「スコア」であり、それはX線室、栄養士、理学療法士、その他の医療チームに特定の行動を命じる。情報ベースの組織は、言い換えれば、特定の行動に変換される、明確で、単純で、共通の目標を必要とする。

情報ベースの組織の「プレーヤー」は専門家であり、いかにその仕事をするかを指示され得ない。ホルン奏者にいかにするのかを示すことはもちろん、フレンチホルンの1つの音符すら思うようにできる指揮者はほとんどいない。しかし、指揮者は、ホルン奏者のスキルと知識を、演奏者の共同のパフォーマンスに集約させることができる。そして、この集約は、情報ベースのビジネスのリーダーが達成できなくてはならないものである。情報ベースの事業は、すべてのメンバーが自己規律を発揮できるよう、企業と各部分と各専門家についてのマネジメントのパフォーマンスの期待を明確に伝えるゴールを中心として、そして、結果とこられのパフォーマンス期待とを比較する組織化されたフィードバックを中心として、構築されなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 3 June.
0604 ◆「情報責任を負う」

情報ベースの組織の条件は全ての人が情報責任を負うことである。オーケストラのファゴット奏者は音符を演奏する都度情報責任を負う。医師と医療補助者は精巧な報告システムと情報センターである患者の階のナースステーションと働く。インドの地区の官吏はレポートを提出する都度この責任に基づいて行動した。

かかるシステムへの鍵は全ての人が「この組織の誰がいかなる情報について私に依拠するか?そして、私は誰に依拠するか?」を尋ねることである。各人のリストは常に上司と部下を含む。しかし、最も重要な名前は、関係が対等である同僚である。

内科医と外科医と麻酔医の関係は1例である。しかし、生化学者、薬理士、臨床テストを担当する医師及び製薬会社でのマーケティング専門家の関係も異ならない。それはまた、各人に、十分な情報責任を負うことを要求する。

ソース:The Daily Drucker 4 June.
0605 ◆「情報専門家への報い」

情報ベースのビジネス組織での専門家にとっての機会は、インドの文官はもちろん、オーケストラや病院のそれよりたくさんあるべきである。しかし、これらの組織におけるように、それらは、主に、専門内での昇進機会であり、限定的な昇進である。ミドルマネジメントのポジションがはるかに少ないという単純な理由で、「マネジメント」への昇進はは例外である。

しかし、プロの専門家にとって、そして、そのマネジメントの同僚にとって、唯一の意味ある機会はマネジメントへの昇進である。そして、実際上全ての事業で広く行われている報酬構造は、管理職のポジションと肩書に大きく偏向しているため、この傾向を強化する。この問題の簡単な答えはない。ほとんどのシニアパートナーが専門家であり、パートナーになれないアソシエイトは早い段階で外にでる大規模法律・コンサルティング事務所が参考になるかもしれない。しかし、最終的にどのような体制になるにしても、事業の価値と報酬体系が根本的に変更した場合にのみ、それは機能する。

ソース:The Daily Drucker 5 June.
0606 ◆「ヒエラルキー対責任」

会社がその組織を現代の情報技術を中心に作る時「誰がどの情報を、いつ、どこで、必要とするか。」を質問しなくてはいけない。役割が行動より報告であるマネジメントの地位と層は廃棄し得る。

しかし、情報ベースの組織は、1番下の主任からトップマネジメントまでの全てにおいて、自己規律と上方への責任を必要とする。伝統的組織は、指揮権限に基づくが、情報ベースの組織は、責任に基づく。流れは下から上へ、そして再び下へと循環する。情報ベースのシステムは、したがって、各人と各ユニットが、その目的と優先事項、その関係、そしてコミュニケーションについての責任を受け入れて初めて機能する。これはまた、素早い決断と素早い反応を可能にする。これらの優位性は、理解、価値の共有、そして何より、相互の尊重がある場合にのみ得られる。全てのプレーヤーがスコア(楽譜)を知る必要があれば、共通の言葉と共通の統一の核がなくてはならない。組織が情報ベースであれば、財政的コントロールが唯一の言葉である多角化は崩壊に向かい、バベルの塔(非現実的な計画)の混乱となる。

ソース:The Daily Drucker 6 June.
0607 ◆「突然の無能」

なぜ、10年あるいは15年間有能であった人達が突然無能となるのか?私が見た事実上全てのケースでの理由は、人は新たな地位でも、古い地位で成功し、昇進につながったことを続けることである。彼らは、無能になったからではなく、誤ったことをすることにより、無能となった。

新たな地位が求めるものは、優れた知識や才能ではない。それは、新たな地位が求めるもの(=新たな挑戦、新たな仕事、新たな課題にとって重要なもの)への集中を求める。

ソース:The Daily Drucker 7 June.
0608 ◆「自己再生」

私が13歳の時、鼓舞する(inspiring)宗教の教師がいて、ある日、生徒1人1人に「あなたは何で覚えられたいか」と尋ねた。もちろん、誰も答えられなかった。彼は笑って「君たちが答えられるとは思っていない。しかし、50歳までになお答えられないとしたら、人生を浪費したことになる」と言った。

私は常に「あなたは何で記憶されたいか」と尋ねている。それは、自分自身を別人(=なることができる人)として見るようにさせるため、自分自身を新たにする質問である。幸運であれば、道徳的権威のある誰かが十分早い時期にこの質問をし、あなたは人生を送るにあたりそれを尋ね続けるだろう。


ソース:The Daily Drucker 8 June.
0609 ◆「個人の成長」

個人の成長に最も責任があるのは、自分であり、上司ではない。自分の成長にとっての最優先事項は卓越に向けて努力することである。技量は、仕事の質に差をもたらすためだけでなく、仕事をする人に差をもたらすため、重要である。あなたが自身の再生に取組む場合にのみ、そして興奮と挑戦と、古い仕事の質を繰り返し高める変質を創造する場合にのみ、仕事が刺激を与えることを期待する。自己再生への最も有効な道は、予期しない成功を探し、それを発展させることである。

成功への決定的な要因は、説明責任(説明できるようにしておくこと)である。他の全てはそこから湧き出る。大切なのは、地位があることではなく、責任があることである。説明できるようになるには「私は仕事まで成長した」と認識できるよう、真剣に仕事を受け止めなくてはならない。説明責任にフォーカスすることで、人は自分自身をより大きく見る。

ソース:The Daily Drucker 9 June.
0610 ◆「価値の衝突において何をすべきか」

人の強みとその人が行う方法の間にはほとんど衝突はない。この2つは相補的である。しかし、人の価値とその人の強みの間にはしばしば衝突がある。人が上手く、それも極めて上手く、首尾よくすることは、しばしば、その人の価値体系に適合しない。それは、その人が貢献し、その人生(あるいは、その重要な部分)を捧げるべきものと思えないかもしれない。

私もまた、何年も前に、私が上手く首尾よくするものと私の価値との間で判断しなくてはならなかった。私は、1930年代の半ば、ロンドンの若い投資銀行員として、極めて上手く働き、それは明らかに私の強みに適合した。しかし、私は、自分自身を、アセットマネジャーとして貢献するものとは思わなかった。人々こそが私の価値であった。そして、私は、墓地で最も金持ちの男になることに意味を見出さなかった。私は、お金もなく、深刻な不景気のなかで他の仕事もなく、見通しもなかった。しかし、私は辞め、それは正しいことであった。価値は、言い換えれば、究極のテストである。

ソース:The Daily Drucker 10 June.
0611 ◆「正しい組織に身を置く」

自身を発展させるには、正しい種類の組織で正しい仕事をしなくてはならない。基本的な質問は「人として私はどこにいるべきか?」である。これは、最善を尽くすため、いかなる仕事環境を必要とするか(大きな組織か小さな組織か?他人と一緒に働くか1人で働くか?不確実な状況か、そうでないか?締め切りのプレッシャーの下でか?)の理解を必要とする。

「私はどこにいるべきか?」の質問に対する考え抜かれた答えが今働いている場所でなければ、次の質問は何故?である。組織の価値を受け入れられないからか?組織が腐敗しているか?価値が自分のものと相容れない状況にいるのであれば、あなたは、冷笑的で自分を軽蔑するようになるため、確実に傷つけられる。あるいは、あなたは、政治屋で、あるいは自分のキャリアにのみ関心があることから腐敗した上司のために働いているかもしれない。あるいは、最も注意を要するが、あなたが賞賛する上司が、有能な部下をサポートし、育て、昇進させるという、上司の重要な役割を怠るかもしれない。誤った場所にいるなら、基本的に腐敗しているなら、あるいはあなたのパフォーマンスが認められないのなら、正しい決定は辞めることである。

ソース:The Daily Drucker 11 June.
0612 ◆「マネジメント教育」

私が求め、教えるにあたり私が長年実践してきたものは、次のとおり。
・すでに成果をだしている人のためのみのマネジメント教育。私は、数年のマネジメント経験のない人のためのマネジメントコースは時間の無駄だと信じる。
・民間、官庁そして、非営利目的のセクターからの人々を一緒にしてのマネジメント教育。
・学校でも、実際の組織での実際の課題についての、生徒による、計画された、体系的作業(=医師の病院実習に相当するもの)。
・政府、社会、歴史そして政治プロセスの一層の重視。
・実際の挑戦を知る、実際のマネジメント経験と十分なコンサルティング実績のある教師。
・利用できる数字の限界といかに数字を利用するかの理解における、より大きな量的(数字的)なスキルと同時に、 真の挑戦である数量化できない分野(特に事業外での数量化できない分野)の強調。

ソース:The Daily Drucker 12 June.
0613 ◆「知識労働者を惹きつける」

知識労働者を惹きつけ、保持することは、人のマネジメントの2つの中心的な課題となった。我々は、何が機能しないかを知っている:賄賂である。過去10年か15年、米国の多くの事業は知識労働者をひきつけ、保持するために、ボーナスかストックオプションを使用した。収益減のためボーナスがなくなり、株価下落のためオプションが無価値となれば、それは常に失敗する。そして、従業員とその配偶者は、にがにがしく、騙されたと感じる。もちろん、収入と手当についての不満は強力に意欲をくじくため、知識労働者はその賃金において満足する必要がある。しかし、インセンティブは違う。

知識労働者は、去ることができることを知っている。彼らは、流動性と自信をもつ。これは、彼らが、非営利組織のために働くボランティアと同様に、ボランティアとして扱われ、管理されなくてはならないことを意味する。これらの人々がまず知りたいのは、会社がしようとすることと、向かう場所である。次に、彼らは、個人の達成と責任に関心があり、それは彼らが正しい仕事につけられなくてはならないことを意味する。知識労働者は、継続的な学びと訓練を期待する。彼らは、特に、彼ら自身だけでなく、その知識分野への尊重を求める。知識労働者は、自分の分野において判断をすることを期待する。

ソース:The Daily Drucker 13 June.
0614 ◆「年金ファンド株主」

新たな会社は短期のパフォーマンスを年金ファンド株主の長期利益とバランスさせなくてはならない。短期のパフォーマンスの最大化は年金ファンド株主の利益を危険にさらす。

株主主権を可能にする事業利益の絶対的優先の要求はまた、会社の社会的機能の重要性を強調してきた。1960年か70年以来のその出現が株主主権を生み出した新たな株主は伝統的な意味での「資本家」ではない。彼らは、退職・年金ファンドを通じて事業と利害関係をもつ従業員である。2000年までに、米国の年金ファンドとミューチュアルファンドは、米国の大企業の株式資本の過半を保有するに至った。これは、株主に、短期の利益を求める力を与えた。しかし、確実な退職収入の必要性は、ますます、人々の関心を投資の将来価値に集中させる。会社は、従って、短期の事業結果と、退職給付の供給者として長期のパフォーマンスの双方に注意を払わなくてはならない。この2つは、調和しないわけではないが、違うものであり、バランスされなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 14 June.
0615 ◆「年金ファンド規制」

先進国における45歳より上のほとんどの人々にとって、年金ファンドにおける利益は彼らの最大の資産の1つである。19世紀を通じて、一般の人の最大の金融的ニーズは、早く死亡した場合に家族を守る生命保険であった。平均余命は19世紀のほとんど倍になり、今日の一般の人々の最大のニーズは、長く生き過ぎる脅威に対する保護である。19世紀の「生命保険」は「死亡保険」であった。年金ファンドは「老齢」保険である。それは、ほとんどの人が労働期間を超えて何年も生きる社会での必須の制度である。

年金ファンド規制と不正略奪からの保護は、今後の政策立案者と立法者にとって難題である。おそらく、いくつかの卑劣なスキャンダルの後にのみそれは対応される。

ソース:The Daily Drucker 15 June.
0616 ◆「年金ファンド資本主義」

資本市場の判断は、事実上「企業家」から「受託者」に、将来に投資をする人々から「慎重人原則」に従わなくてはならない人々にシフトしており、それは、過去のパフォーマンスへの投資を意味する。ここに、新たな、新興の、小さな、成長事業を餓死させる危険が横たわる。それは、新技術に基づくものであれ、社会的・経済的ニーズを事業機会に転換するものであれ、新たな事業へのニーズが特に切迫した時に起きる。

新たなベンチャーへの投資と反対に、古い既存の事業に投資する場合、全く異なるスキルとルールが必要となる。既存のものに投資する人は、リスクを最小にしようとする。彼は、確立したトレンドと市場、実証された技術とマネジメントパフォーマンスに投資する。企業家的投資家は、10の投資のうち7は、多かれ少なかれ損失を伴い、うまくいかずに清算されるという想定で活動しないといけない。若い新事業への10の投資のうちどれが失敗し、どれが成功するかを事前に判断する方法はない。企業家的スキルは「投資選択」には存在しない。それは、結果がでないために、何を捨て、そして、いくつかの初期の挫折にかかわらず「正しく見える」ため、何を全力で後押ししサポートするかを知ることにある。

ソース:The Daily Drucker 16 June.
0617 ◆「年金ファンド社会主義のテスト」

私たちはこの国において、資本形成は、年金コストの上昇から生じる実際の「貯蓄取り崩し(dissaving)」との相殺で増加し得る過程(そしてそれは、その消費が勤労者の「仮の貯蓄(pseudo-savings)」から融通されなくてはならない年配の退職者の増加から生じる)について、ほどんど考えてこなかった。

確かなものとして唯一言えることは、資本形成への障害とペナルティは、年金ファンド社会主義(そして多くの高齢者が退職によりサポートされなくてはならない社会)が許容できない贅沢である。消費より資本形成が、必然的に、これからの国内経済政策の中心的な問題となり、米国の年金ファンド社会主義の経済的存続力のテストとなる。

ソース:The Daily Drucker 17 June.
0618 ◆「事業監査」

米国最大の年金ファンドでさえ、1つの会社の資本のほんの一部しか保有せず、それを支配できない。ファンドは、事業でなく、詳細な商業的・事業情報にアクセスできない。彼らは、事業にフォーカスしないし、そうあり得ない。彼らはアセットマネジャーである。しかし、彼らは集合的に保有する会社の徹底的な事業分析を必要とする。そして、マネジメントのアカウンタビリティーが組み込まれた組織構造を必要とする。

私たちは、結局、独立の専門会計事務所の財務監査実務と類似する、正式の事業監査実務をつくり出すと思う。事業監査は毎年行われる必要はない(ほんとどの場合で3年毎で充分かもしれない)が、それは予め決められた基準に基づき、事業パフォーマンスの体系的な評価を行う必要があり、マーケティング、イノベーション、生産性、人材開発、地域活動など、収益性につながる全てを通じて、ミッションと戦略を持ってスタートする。

ソース:The Daily Drucker 18 June.
0619 ◆「インフレーション対失業」

大恐慌以来、失業は、現代の社会・経済に特有のそして最も危険な病として見られてきた。年金ファンド社会主義の下で、インフレーションがその役割を引き継ぐと考えられる。インフレは、年金に頼る退職者にとって最大の脅威であり、同様に、その退職給付の将来の購入力にますます利害関係をもつ50歳を越えた労働者にとっても脅威である。これらの2つのグループは、合わせて、成人人口のほとんど過半を占める。これらの2つのグループは、年金ファンド社会主義の結果、かつて以上にインフレの防止に利益をもつ。この種類の有権者は、(共通の)関心を共有し、定義上、米国の政治システムにおいて主要な「利益グループ」であり、有力な政治力である。失業は、年金ファンドの「顧客」(退職者と高齢の労働者)にとって、脅威であるとしても、大した脅威ではない。

ソース:The Daily Drucker 19 June.
0620 ◆「規制が必要な時」

有害な事業的影響の除去を事業機会とすることは、常に試みられるべきである。しかし、それは、多くのケースで行われ得ない。多くの場合、影響の除去はコストの増大を意味する。大衆が苦しんできた「外的影響」は事業コストとなる。したがって、産業における全事業者が同じルールを受け入れなければ、それは競争的不利となる。そして、ほとんどの場合、これは規制(つまり、何らかの形の公的な活動)によってのみ行われ得る。

コストの増加なしに影響を除去できない場合、最小のコストでそれを解決し、社会と事業に最大の利益をもたらす規制を考え実現することはマネジメントの義務となる。そして、正しい規制が制定されるようにすることはマネジメントの仕事となる。マネジメント(事業マネジメントだけでない)はこの責任を避けてきた。

ソース:The Daily Drucker 20 June.
0621 ◆「仕事」

仕事は、重荷であるとともに必要であり、呪いであるととも祝福である。失業は、経済的貧困のためではなく、主に、自尊心を傷つけるために、ひどい精神不安をもたらす。仕事は、人格の拡張である。それは達成である。人が自分を定義し、その価値と人間性を測る、方法の1つである。

ソース:The Daily Drucker 21 June.
0922 ◆「仕事のゴールとビジョン」

「音楽家としての人生で、私は完璧に向けて努力した。それは、確実に、私を避けた。私は、必ず、もう1度試みなくてはならなかった。」

私はこれらの言葉を決して忘れなかった。それは、忘れられない感銘を与えた。ヴェルディは、私の年齢(18歳)の時、既に訓練を積んだ音楽家であった。私は、その時までに、綿織物の輸出で成功しそうにないこと以外、自分が何になるのかわからなかった。私は、18歳がそうであり得るように、未熟で、青二才で、純真だった。15年後、30歳代前半になるまで、私は自分が何が得意で、どこに属するかが分からなかった。しかし、私は、生涯の仕事が何であれ、ヴェルディの言葉を私の指針にすると決めた。私は、年を経ても、決してあきらめす、続けると決意した。それまで(私がよく知るように)それは確実に私を避けるであろうが、完璧に向けて努力する。

ソース:The Daily Drucker 22 June.
0623 ◆「自治的コミュニティ」

マネジメントと「産業的手順の分析」についての私の仕事の中で、自治的工場コミュニティと責任を負う労働者の考えは、最も重要で独創的なものである。自治的工場コミュニティは、個々の従業員、作業チームそして、従業員グループによる、個々の仕事の構成、主要な仕事のパフォーマンス、並びに、シフト予定、休暇予定、残業割当、労働安全、そして、とりわけ、従業員手当等のコミュニティの事柄のマネジメントについての管理責任の引受けである。

しかし、マネジメントは、これらのアイデアを、その特権の「侵害」であるとして拒否しがちであった。そして労働組合は徹底的に敵対的であり、敵として戦うべき、目に見える「ボス」が必要であると思っていた。しかし、第二次大戦においてこれらの分野で達成されたものは、大いに宣伝されたスエーデンの自動車会社での組立てラインを入れ替える試みのように、今日ブレークスルーとして吹聴されているものをはるかに超えた。これは、実際、ほとんど特に「寛容」でない会社であるIBMで、作業フロアの作業チームが日常的に負う責任は言うまでもなく、米国産業で標準となった組立ラインを超えるものでもない。

ソース:The Daily Drucker 23 June.
0624 ◆「都市の教化」

都市の教化はますます全ての国(特に、米国、英国及び日本のような先進国)において最重要となる。政府も事業も、世界の全ての主要都市が必要とする新たなコミュニティを提供しない。それは、非政府、非事業、非営利組織の役割である。社会部門のみが、我々が今日必要とする、市民(特に、先進社会にますます多くなる高度な教育を受けた知識労働者)のためのコミュニティを作ることが出来る。この1つの理由は、非営利組織のみが、我々が必要とする実に多様なコミュニティ(教会から、専門家協会まで、ホームレスを世話する組織から、ヘルスクラブまで)を提供することができることである。

非営利組織はまた、有効なコミュニティの二次的なニーズである、有効な市民であることへのニーズを満たすことができる唯一のものである。20世紀は、特に先進国で、政府と事業の爆発的な成長を見た。21世紀が特に必要とするものは、新たに機能的に主要な社会環境となった都市における、非営利的社会セクターの同様に爆発的な成長である。

ソース:The Daily Drucker 24 June.
0625 ◆「人の尊厳と地位」

レッセフェール(無干渉主義)経済と市場社会の子としての現代の企業は、その最大の弱点が社会における個人の地位と機能に対するニーズを見ることができないことにある信条に依拠する。成功しない多数との関わりを拒むことにおいて、市場社会は、救済のため選ばれない圧倒的多数に関係することを拒むカルヴァン主義の真の子どもであった。英国の思想家であるハーバートスペンサーに従い、この信念は、今日、神学上の言葉よりも、ダーウィンの「適者生存」の言葉で表される。しかし、これは、市場社会の哲学は、成功しない者は「君主から拒否された」とみなされ、憐みは君主の判断に疑問を抱くのと同じく罪深いとみなされる場合にのみ道理にかなうという事実を変えるものではない。我々は、経済的に成功しないことが(a)常にその人自身の落度であり、(b)個人として、そして市民として無価値であることの信頼できる印であると確信できる場合にのみ、経済的に成功しない人達の社会的地位と機能を否定できる。

ソース:The Daily Drucker 25 June.
0626 ◆「仕事を楽しむ」

なし遂げる人は自分がしていることを愛する。彼らはすること全てが好きであると言うつもりはない。それは全く違うものである。全ての人は、多くのルーティン(実に膨大なルーティンがある)をしなくてはならない。全ての偉大なピアニストは、毎日3時間、音階を弾かなくてはならない。そして、誰もそれが好きだとは言わない。それをしなくてはならない。それは、面白くはないが、40年後でもなお指の上達を感じるため、それを楽しむ。何年も前に聞いたことだが、ピアニストのすばらしい言葉がある。「私は指に私の魂が宿るまで行う」。たしかに、それは単調なルーティンであるが、それを楽しむ。

同じことは、私が事業で見た仕事を楽しむ人々にも当てはまる。彼らのルーティンは、なされなくてはならないが、仕事を楽しむから、それを楽しむ。そして、それは、凡庸とパフォーミングの違いではなく、いわゆる「学ぶ組織」(そこでは組織全体が成長し、プロセスが変わる)と、うまくやるかも知れないが、5時を過ぎれば誰もそれを気に留めない組織との違いである。

ソース:The Daily Drucker 26 June.
0627 ◆「マネジメントの正当性」

事業会社を始め、組織社会の組織を、社会と経済、コミュニティ、そして個人のために機能させることは、マネジメントの仕事である。これは、まず、マネジャーがその規律を知ることを求める。彼らが、マネジメントを知ることを求める。マネジャーの第1の仕事は、機関がそのためにデザインされた使命を実行するようマネジメントすることである。事業マネジャーの第1の仕事は、したがって、経済的パフォーマンスである。しかし、同時に、仕事を生産的にし、労働者に達成させ、社会と個人に生活の質を提供する課題に直面する。

リーダーシップグループはまた、正当性を持たなくてはならない。それはコミュニティによって「正しい」ものとして受け入れられなくてはならない。彼らはその権威を、同時に組織の目的と性格を表す、道徳的コミットメントにおく必要がある。唯一のかかる道徳原則がある。「人の強みを生産的にすること」が、組織の目的であり、それゆえ、マネジメントの権威の根拠である。組織は、それを通じて、人が、個人として、そしてコミュニティのメンバーとして、貢献と達成を見いだす手段である。

ソース:The Daily Drucker 27 June.
0628 ◆「経済発展と社会目的」

資本家の経済的未来の可能性に関する限り、現在資本主義の偉大な老人であるヘンリーフォードは疑いなく正しく、資本主義の墓掘り専門家は間違っている。しかし、フォードは、彼の批評家と同じく、経済的拡大と増大がそれ自体目的ではないことを忘れた。それらは、社会目的の手段としてのみ意味がある。それらは、この目的の達成を約束する限りにおいて望ましい。しかし、この約束が錯覚であるなら、その手段の価値は非常に疑わしくなる。

社会秩序としての、そして信条としての資本主義は、自由で平等な社会における個人の自由と平等に導くものとしての、経済発展への信頼の表明である。全ての従前の信条は、私的利益の動機を社会的に破壊的な、あるいは少なくとも中立的なものとみなした。彼らの社会秩序は、意図的に、個人の経済活動を、社会的に建設的と考えられる領域と活動への悪影響を最小化するため、狭い範囲に制限した。

ソース:The Daily Drucker 28 June.
0629 ◆「社会的部門」

「知識社会の社会的挑戦を誰が担うのか」という質問への実際の答えは、「政府」でもなければ「雇用する組織」でもない。別の新たな社会的部門である。政府は社会問題の解決に不適格であることを実証した。非営利組織は政府が失敗のために費やすよりはるか少なく結果のために費やす。

内国歳入庁(IRS)は、非営利組織への寄付を促進するために連邦租税システムを使う代わりに、非営利組織への寄付を削減することを次々と行う。これらの動きは「租税の抜け穴を埋める」ものとされる。これらの行動の真の動機は官僚主義の非営利組織への敵意であり、これはかつての共産主義国における官僚主義の市場と民間企業への敵意とさほど違わない。非営利組織の成功は官僚主義の力を傷つけ、その考え方を否定する。さらに悪いことに、官僚主義は、非営利組織が政府が失敗する場面で成功することを認めることができない。必要なのは、非営利組織を、社会問題に対処する国の第一線として確立する政策である。

ソース:The Daily Drucker 29 June.
0630 ◆「非営利組織の効果的なマネジメント」

1990年代、フロリダでの最初の刑期を宣告された人々は、ほとんどが非常に貧しい黒人かヒスパニックの若者であったが、仮釈放により救世軍の保護に入り、その数は年間約25,000人であった。統計によれば、これらの若者が刑務所に入れば、その大部分が常習の犯罪者になる。しかし、救世軍は、広くボランティアにより運営される厳格な作業プログラムを通じ、その80%を更生させることができた。そして、そのプログラムは、犯罪者を刑務所に入れておくのにかかる費用のほんの少しの費用しかかからない。

このプログラムと他の多くの有効な非営利組織の努力の基礎をなすのはマネジメントへの委託である。40年前、マネジメントは非営利組織に関係する人々にとって汚れた言葉であった。それは、事業を意味し、非営利組織は汚れた商業主義から自由で、収益のような卑しい見返りより上にあることに誇りを持った。今日、彼らのほとんどは、非営利組織は、まさに収益という規律を欠くため、事業以上に、マネジメントを必要とすることを学んだ。非営利組織は、もちろん、「良いことをする」ことに専念する。しかし、彼らはまた、良い意図は、組織とリーダーシップ、説明責任、パフォーマンス及び結果の代わりにはならないことを理解する。それらは、マネジメントを必要とし、組織の使命(ミッション)から始める。

ソース:The Daily Drucker 30 June.
7月
0701 ◆「事業の理論」

事業の理論には3つの部分がある。

第1に、組織の環境(社会とその構造、市場、顧客、技術)についての想定である。環境についての想定は何に対して組織が支払を受けるかを定義する。

第2に、組織に特有のミッションについての想定である。ミッションについての想定は、組織が何を意味ある結果と考えるかを定義し、それらは、全体として経済と社会における差別化をいかに構想するかを示す。

第3に、組織のミッション達成に必要な中核的能力(core competencies)についての想定である。中核的能力は、リーダーシップを維持するため、組織がどこで優れなければならないかを定義する。

我々が知る偉大な事業の創設者の全て(メディチ家や英国銀行の創設者から我々の時代のIBMのトーマスワトソンまで)には、明確なアイデアがあり、行動と判断を形成する明確な事業理論があった。
直観よりも、明確で、単純で、洞察力のある事業の理論は、真に成功する企業家(=彼(彼女)の死後も持ちこたえ、長く成長できる組織を作る人)の特性をなす。

ソース:The Daily Drucker 1 July.
0702 ◆「事業の想定の現実性テスト」

①環境、②ミッション、③中核的能力についての想定は、現実に適合しなくてはならない。英国マンチェスターからの無一文の4人の若者(Simon Marks とその3人の義理の兄弟)は1920年代の初めに平凡な雑貨店は社会変化のエージェントとなるべきだと考えた。第一次大戦は国の階級構造を揺るがした。それはまた、(Marks and Spencer の最初の成功した製品カテゴリーであった)ランジェリー、ブラウス、ストッキングといった、品質の良い、スタイリッシュで安い商品の購入者の集団を生み出した。Marks and Spencer は、組織的に、新たな前例のない中核的能力の開発を行った。それまでは、商人の中核的能力はうまく購入する能力であった。Marks and Spencer は顧客を知るのは製造者ではなく商人であると考えた。そこで、製造者ではなく商人が、製品をデザインし、開発し、そのデザイン、仕様、コストにあった製品を作る生産者を見つけるべきであった。商人のこの新たな定義が進展し、自分達を「製造者」であって「下請け」ではないと見ていた伝統的な供給者に受け入れられるまで5年から8年かかった。

ソース:The Daily Drucker 2 July.
0703 ◆「事業想定のシナジー」

①環境、②ミッション、③中核的能力についての想定はお互いに調和しなければならない。

Marks and Spencer は、第一次大戦が、ランジェリー、ブラウス、ストッキングといった、品質の良い、スタイリッシュで割安な商品の新たな購入者の集団という新たな環境に導いたことを認識した。

20世紀中ごろまでに、安物のバザールを雑貨店の主要チェーンにした4人の義理の兄弟は、その相当な富に満足できたであろうが、事業のミッションを再考することを決めた。
Marks and Spencer の事業は小売ではないと、彼らは決めた。それは社会的変革であった。Marks and Spencer は、意図的に、そのミッションを、成功する雑貨チェーンから、明確な「専門」マーケターに変えた。

最後に、既存の古いラインの製造者は、見え透いた理由で、事業の仕方を指示しようとするあつかましい成り上がり者に彼らのロットを投入しようとしなかったため、外に出て正しい製造者を探し、しばしばその立ち上げを助けなくてはならず、新たな環境とミッションに求められる中核的能力を開発した。

ソース:The Daily Drucker 3 July.
0704 ◆「想定を話合いテストする」

事業の理論は組織の隅々まで知られ理解されなくてはいけない。これは、組織の初期では容易であるが、成功すると、組織はその理論を当たり前のことと考え、意識しなくなる。組織はまとまりがなくなり、近道をするようになる。正しいことではなく、方便を求めるようになる。考えることや疑問をもつことを止める。答えは憶えていても、問いを忘れる。事業の理論は「文化」になるが、文化は規律の代わりにはならず、事業の理論は規律である。

事業の理論は継続的にテストされなくてはならない。それは、石の銘板に彫られるものではない。それは仮説である。それは(社会、市場、顧客、技術といった)絶え間ない変化の中にある事柄についての仮説である。だから、事業の理論には、自らを変える能力が組み込まれなければならない。いくつかの理論は強力で長い間続くが、結局、全ての理論は時代遅れとなり無効となる。それは、GMにもAT&TにもIBMにも起こり、急速に解明されている日本のケイレツにも起こっている。

ソース:The Daily Drucker 4 July.
0705 ◆「陳腐化した論理」

事業の理論をうまく変えたCEOはいる。Merckを世界で最も成功する製薬会社にしたCEOは、特許で守られた、高いマージンの画期的な医薬品の研究開発に集中し、その後、一般の処方箋なしで買える医薬品の大きな卸売業者を獲得することで、会社の理論を変えた。当時 Merck は上手くいっており、彼は「危機」なしにそれを行った。

我々は時代遅れとなった事業の理論を回復させるのに、奇跡の従業員に頼ることはできない。これらの奇跡の従業員と思われる人達と話すとき、彼らはカリスマ的資質や洞察力で行動したことを否定する。彼らは診断と分析から始める。彼らは、目的の達成と急成長は事業の理論の真剣な見直しを必要とすることを認める。彼らは予想しなかった失敗を、部下の無能の結果や事故として片付けず、「組織的失敗」の兆候として扱う。彼らは、予想外の成功を自分の手柄とせず、それを彼らの想定への挑戦として扱う。彼らは、理論の陳腐化は退行的で生命を危うくする病であると認め、外科医の、時の試練を経た原則で、有効な意思決定の最古の原則を受け入れる。「退行的な疾患は先延ばしによって治癒しない。決め手となる行動を必要とする。 」

ソース:The Daily Drucker 5 July.
0706 ◆「卓越に集中する」

事業の特有の知識の有効な定義は(人を欺くほど)単純に聞こえる。知識分析を上手くするには、実践と規則正しさを必要とする。最初の分析は、我々の事業は、コミュニケーション、搬送、あるいはエネルギーであるといった、当惑させるほどの一般化となるかも知れない。これらの一般的な用語は、販売員大会のスローガンとなるかもしれないが、営業上の意味に転換すること、つまりそれらで何かをすることは不可能である。しかし、繰り返すことで、我々の事業の知識を定義しようとする試みは容易になり、する価値があるものとなる。「我々の特有の知識は何か」といった少数の質問は、マネジメントに、自身を、客観的、探求的、生産的に見ることを強いる。会社は、多くの知識分野で卓越することはできない。複数の分野で卓越できるかもしれない。成功する事業は、1つの知識分野で卓越するのに加え、十分多くの知識分野で少なくとも有能である必要がある。しかし、市場が経済的報酬を支払おうとする真の知識を持つには、少数の事柄をすばらしくうまくすることに集中することが必要である。

ソース:The Daily Drucker 6 July.
0707 ◆「顧客価値を創造する」

活動ベースのコスト計算は、顧客価値の創造に必要な様々な手順を1つの分析に統合する基礎を提供する。活動コストを出発点として、事業は、顧客に価値を加える活動とそうでない活動を分け、後者を除去することができる。価値分析で明らかになる価値創造活動の連鎖は、価値創造の基礎をなすプロセスの分析のための出発点である。プロセス分析は、製品・サービスの特性の向上、コスト削減を伴うプロセスの再構築、そして品質の維持・向上を目指す。

自動車会社におけるプロセス分析は、あらかじめ決められたコスト目標の下、各機能を実行するため、部品と副次的機能のデザインとその見直しを含む。例えば、自動車の基本的機能は輸送の提供であるが、二次的機能は、快適さ、燃費及び安全性を含む。基本的機能と副次的機能のそれぞれは、顧客のための価値を創造する部品やサービスを必要とし、それらは、コストに貢献するとともに、自動車の性能に貢献する。プロセスチームは価値連鎖活動を行う人員で構成され、しばしば、サプライヤーと顧客を含む。チームの仕事は、製品やサービスが果たす機能を特定し、コスト目標を達成しながら価値と品質目標をを達成する各機能に統合される部品やサービスを分析する。

ソース:The Daily Drucker 7 July.
0708 ◆「コアコンピテンスを明らかにする」

リーダーシップは、他ができないか、不完全にでもすることが困難なことができることに基づく。これは、市場や顧客価値を生産者やサプライヤーの特別な能力に結びつけるコアコンピテンスに依存する。例えば、小さな漆箱に風景を描く300年の芸術的伝統に基づく、電子部品を小型化する日本企業の能力や、80年にわたり買収を成功させてきたGMのほとんど独特の能力がその例である。

しかし、既にもつコアコンピテンスとリーダーシップの地位を獲得し維持するために必要なそれ(コアコンピテンス)を、いかにして突きとめるのか。いかにして、そのコアコンピテンスが向上しあるいは弱まっているかを判断するのか。それはなお、正しいコアコンピテンスか、あるいはいかなる変更を必要とするか。最初の手順は、自らと競争相手のパフォーマンスを注意深く追跡し、予想外の成功、あるいはうまく行うべき分野での予想外の不出来な仕事を探す。成功は、市場が評価し、対価を支払うものを示す。それらは、事業がリーダーシップの優位を持つ点を示す。不成功は、市場が変化し、あるいは会社の能力が弱まっていることの、最初の兆候と見るべきである。

ソース:The Daily Drucker 8 July.
0709 ◆「組織はイノベートしなければならない」

コアコンピテンスは全ての組織にとって異なり、それらは、いわば、組織の個性の一部である。しかし、全ての組織(事業に限らない)は1つのコアコンピテンスとしてイノベーションを必要とする。そして、全ての組織は、その革新的パフォーマンスを記録し評価する方法を必要とする。既にそれを行っている組織、その中でも、いくつかの一流の製薬会社において、出発点は会社自身のパフォーマンスではない。それは、一定期間における全分野でのイノベーションの念入りな記録である。それらのうちどれが真に成功したか。そのいくつが我々のものか。我々のパフォーマンスは我々の目的、市場の方向、我々の市場での地位、研究費に釣り合ったものか。我々の成功的なイノベーションは、最大の成長と機会の分野にあるか。真に重要なイノベーション機会のどれだけを我々は逃したか。それは何故か。それらを見なかったためか、見ながら捨てたのか、しくじったのか。いかにうまく、イノベーションを商品に転換しているか。その多くは、測定というより、評価である。それは、質問への回答というより、正しい質問を生み出す。

ソース:The Daily Drucker 9 July.
0710 ◆「成功を開発する」

第1の(そして通常最善であるが)成功する変化の機会は、自らの成功を開発し、その(成功の)上に構築する。問題は無視できず、深刻な問題は対応されなくてはならない。しかし、チェンジリーダーになるには企業は機会に集中しなくてはならない。彼らは問題を餓死させ、機会に栄養を与えなくてはいけない。

これは小さいが基本的な手続的変化を必要とする。月次報告に「最初の頁」を加え、問題を記す頁の前におく。それは、売上であれ、収益であれ、利益であれ、あるいは量であれ、期待以上の結果がでたところに焦点を置く。従来問題の頁に費やされたのと同じ時間が新たな最初の頁に費やされるべきである。チェンジリーダーであることに成功する企業は機会に人を配置する。これをする方法は1頁に機会を列挙し、もう1つの頁に組織の実行できる有能な人員を列挙する。そして、最も有能で実行できる人々を最高の機会に割り当てる。おそらく、最適な例は日本企業のソニーである。大小含め、組織的に次々と成功を開発することで、多くの主要な事業において世界のリーダーとなった。

ソース:The Daily Drucker 10 July.
0711 ◆「組織的改善」

チェンジリーダーのための次の施策は組織的改善である。会社が内部的及び外部的に行うこと(製品・サービスの生産プロセス、マーケティング、サービス、技術、訓練、人材開発、情報利用)は何であれ、組織的かつ継続的に改善される必要がある。どの分野であれ、継続的改善はオペレーションを変える。

しかしながら、継続的改善は重要な決定を必要とする。既存の分野で何が「パフォーマンス」を構成するか?パフォーマンスが改善されるべきであるなら、「パフォーマンス」が何を意味するかを明確に定義する必要がある。
例えば、主要な商業銀行がその支店でのパフォーマンスを改善する方法は新たな先進的な金融「商品」を提供することだと決定した。しかし、支店で新たな商品を導入すると、銀行は急速に顧客を失った。その時にはじめて、顧客にとっての銀行支店のパフォーマンスは日常業務のために並ばなくていいことだと分かった。銀行の解決は、支店の出納係に、スキルも時間も必要としない、単純な、反復的な、日常業務に集中させることであった。新たな金融商品は、それぞれのテーブルが専門とする商品を宣伝する大きな掲示とともに、別のテーブルに移動した別のグループに割り当てられた。そうすると、事業は、従来のサービスでも新たなサービスでも、急上昇した。

ソース:The Daily Drucker 11 July.
0712 ◆「体系的なイノベーション」

体系的なイノベーションはイノベーション機会の7つの源泉の監視を意味する。最初の4つの源泉は、事業か公共サービス組織か、あるいは産業かサービスセクターかに関係なく、組織活動内にある。

①予想外・・予想外の成功、予想外の失敗、予想外の外部の出来事
②不調和・・現実と想定されるあるいは「あるべき」事実との不調和
③プロセスニードに基づくイノベーション
④気付かれずに全ての人をとらえる産業構造又は市場構造の変化

イノベーション機会の源泉の第2のセットは企業や産業の外での変化に関係する
⑤人口統計(人口変化)
⑥認知、雰囲気及び意味における変化
⑦(科学的と非科学的の双方の)新たな知識

イノベーション機会のこれらの7つの源泉の境界は不明確で、それらの間にかなりの重なりがある。それらは、同じ建物の異なる側にある、7つの窓にたとえられ得る。それぞれの窓は、いずれかの側の窓からも見られ得るいくつかの特徴を示す。しかし、それぞれの中心からの眺めは、はっきりしていて、異なっている。

ソース:The Daily Drucker 12 July.
0713 ◆「予想外の成功」

それがイノベーションの豊かな源泉であるのは、予想外がまさに、我々を揺さぶり、我々の既存概念や想定や確信から、引き離すからである。これほど、リスクが少なく、追跡しやすいイノベーションの機会は他にはない。しかし、予想外の成功はほとんど無視され、さらに悪い場合には、マネジメントは積極的にそれを拒絶する。マネジメントが予想外の成功を受け入れることが難しい1つの理由は、我々は全員、相当期間継続したものが「正常」であり、「永遠に」続くと信じる傾向があることである。

これはある主要な米国の鉄鋼会社が、1970年頃、「小型製鋼所」を拒否した理由を説明する。
マネジメントは、その製鋼所が急速に陳腐化し、近代化するには数十億ドルの投資が必要であることを知っていた。新しい「小型製鋼所」はその解決であった。ほとんど偶然に、その「小型製鋼所」が取得され、急速に成長し、キャッシュと利益を生み出し始めた。鉄鋼会社の一部の若い従業員は、投資資金は、さらなる「小型製鋼所」の獲得や新設のために使われるべきだと提言した。トップマネジメントは、憤然として、その提言を拒否した。「統合された製鋼プロセスは唯一の正しいものだ」「それ以外は、一時的流行で、不健全で、続かないごまかしだ」とトップマネジメントは言った。言うまでもなく、30年後、米国の鉄鋼産業で、健康で、成長し、合理的に成功していたのは「小型製鋼所」だけであった。

ソース:The Daily Drucker 13 July.
0714 ◆「予想外の失敗」

予想外の失敗は、外に出て、見まわし、聞くことを求める。競争相手の予想外の成功や失敗も同様に重要である。失敗は、常に、イノベーション機会の兆候と考えられ、そのようなものとして真剣にとられるべきである。「分析」するだけでなく、外に出て調査する。多くの失敗は、もちろん、単なる間違いであり、欲、愚かさ、軽率な流行への便乗、あるいは設計か実行での無能の結果である。しかし、慎重に計画され、慎重に設計され、念入りに実行されたにもかかわらず失敗した場合、それはしばしば、潜在的変化と(それに伴う)機会を示す。

予想外の失敗は、しばしば、顧客の価値と認知の潜在的変化を知らせる。製品、サービス、その設計、市場戦略が基づく想定は、すぐに時代遅れとなり得る。おそらく、顧客はその価値主張を変えた(彼らは、同じものを買いながら、実際には全く異なる価値を購入しているかもしれない)。例えば、エドセル(Edsel) の失敗後、フォードは「所得区分」はもはや自動車産業に妥当せず、顧客にとって重要なのは「ライフスタイル区分」であると判断した。

ソース:The Daily Drucker 14 July.
0715 ◆「不調和」

しばしば「現状」とマネジメントが「そうあるべき」と考えるものの間に不一致があり、それは産業、市場及びプロセス内での不調和を意味する。不調和は、産業、市場又はプロセス内のもしくはそれに近い人々に、明確に見えるかもしれない。内部者はそれに気づいても「常にそうだった」と考え、変えようとしないかもしれない。チェンジリーダーは、これらの不調和を組織の優位に活用する。

例えば、自動車の購入者と販売者には不釣り合いの情報がある。自動車の購入について、我々のほとんどがいやないくつかの事柄がある。これらは、価格交渉、誤解させる広告、販売員がセールスマネジャーと私達の間を行き来する販売店での無駄な時間等を含む。いくつかのオンライン組織は、全てのタイプの車両についての、保証、融資及び保険を含む、完全かつ正確な情報とともに、中古車と新車のための、ワンストップショッピングを作り上げた。それらは、消費者の土俵を同じにした。

ソース:The Daily Drucker 15 July.
0716 ◆「プロセスニード」

最初の2つのイノベーションの可能性(①予想外と②不調和)は機会に導かれるものである。しかし、3番目のものは、「必要は発明の母」という古い諺につながれている。ここでは、必要は、イノベーションの源泉である。私はそれを「プロセスニード」と呼ぶ。組織の全員はつねにプロセスニードがあることを知るが、通常、誰もそれについて何もしない。しかしながら、イノベーションが起きると、即座にそれは「明らかなもの」として受け入れられ「標準」となる。

プロセスイノベーションは、なされるべき仕事とともに始まり、5つの基本的基準を必要とする。①独立したプロセス、②弱い又は欠けているリンク、③目的の明確な定義、④解決のため明確に定義された仕様、そして⑤より良い方法があるべきだという広くいきわたった認識の5つである。

例えば、米国の芝生ケア製品製造者のリーダーである、O.M.Scott and Company は、ユーザーが均等に適切な量の芝生ケア薬品を散布できるスプレーダーという単純な装置によってリーダーシップの地位を得た。その道具がなければ、既存のプロセスに内部的な不調和が存在し、この不調和は薬品を均等に散布できない消費者を不満にした。今日多くのスプレーダーがある。

ソース:The Daily Drucker 16 July.
0717 ◆「産業/市場構造」

産業/市場構造は強固に見えるため、産業内の人々はそれらをあらかじめ存在するものであり、自然の秩序の一部であり、永遠にあるものと思いがちである。市場や産業構造の変化はイノベーションの主要な機会である。産業構造において、変化は、産業の全てのメンバーの企業家精神を必要とする。それぞれに、改めて「我々の事業は何か」を問うことを求める。そして、各メンバーは、異なる、(何より)新たな答えを見つけなくてはならない。長年成功し、挑戦を受けてこなかった、巨大で、支配的な製造者と供給者は、傲慢でありがちである。最初、彼らは、新参者を取るに足らない、実に素人だと片付ける。しかし新参者がより大きなシェアをとっても、抵抗のために動くことが困難であるとわかる。

例えば、米国郵便局は、UPSとフェデックスがその事業の大きなシェアを奪っても、反撃しなかった。郵便局をそれほど脆弱にしたのは、時間が重要な書類と小包の緊急配達の需要の急成長であった。

ソース:The Daily Drucker 17 July.
0718 ◆「人口統計」

外的変化のなかで、人口統計(人口、その大きさ、年齢構造、構成、雇用、教育状況、収入)は最も明確である。それらは、あいまいではない。最も予想できる結果である。何が、誰によって、どれだけ購入されるかに重大な影響を与える。

人口統計のシフトは本来予想できないかもしれないが、インパクト前に長いリードタイムがあり、時の先駆けとなり、その時は予想できる。特に重要なのは、年齢分布であり、(人口における最大かつ最速に成長する年齢集団を構成するある時点の年齢グループにある)人口比重の中心における最も予測可能な価値変化を伴う。1960年代の米国では、これは、最も速く成長するグループであるティーンエージャーへのシフトであった。このシフトにより「典型的」行動と考えられていたものに変化が起こった。ティーンエージャーは、もちろん、ティーンエージャーのように行動し続ける。しかし、これは、社会行動の構成価値の変化としてみられるより、ティーンエージャーの行動方法であるとして広く問題とされなかった。統計は、出発点にすぎない。外に出て、見聞きしようとする人々にとって、変化する人口統計は高度に生産的で信頼できるイノベーション機会である。

ソース:The Daily Drucker 18 July.
0719 ◆「認知の変化」

数学的には「グラスは半分いっぱい」と「グラスは半分空っぽ」に違いはない。しかし、2つの説明の意味は全く違い、結果も異なる。一般的な認知が、グラスを「半分いっぱい」と見ることから「半分空っぽ」と見ることに変われば、大きなイノベーション機会がある。

予想外の成功や予想外の失敗は、しばしば、消費者にとっての認知と意味の変化の兆候である。認知の変化が起きる時、事実は変わらない。その意味が変わる。
例えば、米国の健康心配性は、健康統計への反応よりも、若さの礼賛といった、米国の価値の変化をあらわす。40年前、国民の健康における小さな改善でも大きな前進と見られた。今日、劇的な改善にもほとんど注意は払われない。この認知の変化は、新たなヘルスケアマガジン、薬の代替品、フィットネスセンター、その他の「健康」グッズとサービスの巨大市場を生み出した。

ソース:The Daily Drucker 19 July
0720 ◆「新たな知識」

新たな知識は成功するイノベーションの最も信用できあるいは最も予想できる源泉というわけではない。科学ベースのイノベーションの可視性、魅力、重要性において、それは最も信用できず、最も予測できないものである。知識ベースのイノベーションは、イノベーションの中で最長のリードタイムをもつ。第1に、新たな知識の出現からそれが技術に適用できるようになるまでに長い期間がかかる。そして、新たな技術が市場での製品、プロセス、サービスとなるまで長い期間がかかる。

イノベーションの導入は刺激を生み出し多くの競争相手を魅了し、それはイノベーターは最初に正しくなくてはならないことを意味する。彼らに2度目のチャンスが回ってくる見込みはない。成功するイノベーターでさえ、ほとんど直ちに、彼らが求める以上の会社を持ち、来るべき難局を切り抜けなければならない。例えば、アップルコンピューターはパーソナルコンピューターを発明したが、IBMは、創造的模倣により、アップルから市場リーダーシップをもぎ取ることができた。アップルは、直面する競争を予測できず対応できなかったため、そのリーダーシップポジションを維持できず、ニッチプレイヤーとなった。イノベーションと企業家精神の理論と実践において、賢明なアイデアのイノベーションは付録に属する。しかし、それは評価され、報われるべきである。それは、イニシアティブ、野心、発明の才という、社会が必要とする質を表す。

ソース:The Daily Drucker 20 July.
0721 ◆「公的サービス機関でのイノベーション」

政府機関、労働組合、教会、大学と学校、病院、共同体と慈善組織、専門家の同業者組合等は、事業と同様、企業家的であり革新的である必要がある。実際には、より以上に、そうある必要があるかもしれない。

今日の社会、技術そして経済における急速な変化は、彼らにとって、大きな脅威であると同時に大きな機会でもある。しかし、公共サービス機関は最も「官僚的な」会社よりも革新的であることが難しい。「現在あること」がより障害であるように思われる。全てのサービス機関は大きくなりたがる。収益テストは存在せず、大きさが、サービス機関にとっての成功の1つの基準であり、成長自体が目的となる。そして、もちろん、常に行われる必要がある多くの事柄がある。しかし、「常に行われてきた」ものを止め、新しいことをすることは、サービス機関にとって呪われたものであり、少なくとも、耐えがたい痛みである。公的サービス機関でのほとんどのイノベーションは部外者か破局によって強いられる。例えば、19世紀半ばの米国の大学は、国の伝統的カレッジと大学が死に、もはや生徒を引きつけることができなくなった時に、生まれた。

ソース:The Daily Drucker 21 July.
0722 ◆「サービス機関は定義されたミッションを必要とする」

第1に、公的サービス機関はそのミッションの明確な定義を必要とする。それは何をしようとするのか?何故存在するのか?それは、プログラムやプロジェクトより、目的に集中する必要がある。プログラムとプロジェクトは目的への手段である。それらは常に一時的で、短期のものと考えられるべきである。

第2に、公的サービス機関は、目的の現実的な記述を必要とする。「私達の仕事は空腹をなくすること」よりも「私達の仕事は飢餓の軽減である」と言うべきである。それは、真に達成可能なもの、つまり、現実的な目標へのコミットメントである必要があり、最終的に「私達の仕事は完了する」と言うことができなくてはならない。ほとんどの目的は、最大の言葉ではなく、最適な言葉で、表されることができ、そうあるべきである。そして「私達は試みていたことを達成した」と言うことができる。

第3に、目的達成の失敗は、目的が間違っており、少なくとも間違って定義されたことの徴表として考えられるべきである。複数の試みによって、目的が達成されなければ、それは間違ったものだと仮定すべきである。目的達成の失敗は、目的の有効性への疑問への明らかな理由であり、それは、ほとんどの公的サービス機関が信じるものの逆である。

ソース:The Daily Drucker 22 July.
0723 ◆「最適な市場地位」

マーケティング目標の基礎をなす主要な判断は市場での地位である。1つの一般的なアプローチは、「我々はリーダーになりたい」である。他は、「売上が上昇する限り、マーケットシェアは気にしない」である。両方とももっともらしく聞こえるが、誤りである。市場シェアを失うのであれば、会社の売上が上昇しても良くはない、つまり、市場が会社の売上より急速に拡大する場合である。市場の小さなシェアしかもたない会社は、結局、市場でぎりぎりの存在となり、極めて脆弱になる。独占禁止法がなかったとしても、それを超えることが賢明でない最大の市場的地位もある。市場独占は、リーダーを眠らせ、独占者は、公の抵抗ではなく、自己満足の上でもたつく。市場独占は、イノベーションに対する巨大な内部抵抗をつくり出し、変化への適応を危険なまでに困難にする。市場ではまた、独占的供給者への依存に対するゆるぎない抵抗がある。誰も独占的供給者の言いなりになりたくない。

目指すべき市場での地位は最大ではなく、最適である。これは、顧客、製品やサービス、市場セグメント及び販売チャネルの注意深い分析を必要とする。それは、市場戦略を必要とし、高リスクの判断を必要とする。

ソース:The Daily Drucker 23 July.
0724 ◆「高い利ざやの崇拝」

ほとんどのビジネスパーソンは利益は利ざやと同じではないことを知っている。利益は利ざやに資本回転を掛けたもの。最大の収益性と利益の流れは最適の市場地位を生み出し、それにより最適な資本回転を生み出す利ざやによって得られる。

何故高い利ザヤの崇拝が、(破壊でないとしても)事業に損害を与えやすいのか。それは、競争相手に傘をさしかけるだけでなく、競争を事実上リスクフリーとし、実質的に競争相手による市場獲得を保証する。
ゼロックスは複写機を発明し、事業の歴史の中で、ゼロックスの複写機ほど成功した製品は少ない。しかし、ゼロックスは利ざやを追い始めた。機器に多くの仕掛けをほどこし、それらは、主に、利ザヤを増すために開発された。これらの新たな附属品は、機器を高額にし、おそらくより重要であるが、機器のサービスをより困難にした。そして、ほとんどのユーザーは、これらの追加的機能を必要としなかった。そして、日本企業のキャノンは、ゼロックスマシンの原型の複製とさほど変わらないものを開発した。キャノンのモデルは単純で安価で、手入れしやすく、1年以内に米国市場を獲得した。

ソース:The Daily Drucker 24 July.
0725 ◆「マーケティングにおける4つの教え」

21世紀の熾烈な競争のための主要なマーケティングの教えの中で、最も重要なものは「顧客を買うことは機能しない」ということである。ヒュンダイ Excel の崩壊は見事なマーケティングの失敗であった。車に悪いところはなかった。しかし、会社はそれを大幅に安く売った。その結果、プロモーション、サービス、ディーラー、車自身の改良に再投資する利益がなかった。

いかに市場を定義するかは、2番目の教えである。マーケティングの成功と重大なマーケティングの大失敗の双方の教え:ファクスマシーンによる米国市場の征服。日本人は「この機械のための市場は何か」とは問わず、「それが行うことの市場は何か」を問うた。そして、フェデックスのような宅配サービスの成長を見た時、即座に、ファクスマシーンの市場が既に確立していることがわかった。

次の教えは、マーケティングは我々の顧客ではなく、市場における全ての顧客について出発することである。

最後の教えは、人口統計の変化をマーケティング機会として利用した、新たな「田舎の」教会の成功のそれである。

ソース:The Daily Drucker 25 July.
0726 ◆「販売からマーケティングへ」

マーケティングやマーケティングアプローチの強調にかかわらず、多くの事業にとって、マーケティングは現実というよりレトリック(雄弁・巧みな弁舌)である。「消費者主義」はこれを証明する。消費者主義が事業に求めるものが、それが実際に売るものである。それは、事業が、顧客のニーズ、現実、価値からスタートすることを求める。それは、事業が、その目的を、顧客ニーズの満足であるとして定義することを求める。それは、事業が、その報酬を顧客への貢献に基づかせることを求める。何年ものマーケティングのレトリックの後に、消費者主義が強力で人気のある運動となり得たことは、マーケティングが実践されていなかったことを意味する。消費者主義は「マーケティングの恥」である。実際、販売とマーケティングは、類義語や補完的というより、正反対である。

人は、販売のニーズが常にあると想定できる。しかし、マーケティングの狙いは、販売を不要にすることである。マーケティングの狙いは、顧客を十分に知り理解するため、製品やサービスが顧客に適合し、自らを宣伝することである。理想的には、マーケティングは買おうとする顧客を生み出す。私達は、この理想からほど遠いかもしれない。しかし、消費者主義は、事業マネジメントの正しいモットーは、ますます、「販売からマーケティングへ」であるべきことの明確な示唆である。

ソース:The Daily Drucker 26 July.
0727 ◆「コスト主導の値決め」

ほとんどの米国とヨーロッパの会社は、価格を、コストを積み上げ、それに利ざやを上乗せして決める。そして、製品やサービスを導入するとすぐ、価格を下げ始めなくてはならず、莫大な費用をかけて製品を変更しなくてはならず、損失をださなくてはならず、そしてしばしば、誤って値決めされたがために、完全に良い製品やサービスを打ち切らなくてはならない。彼らの主張は、「我々ははコストを回収し利益を出さなくてはならない。」である。しかし、値決めの唯一の健全な方法は、市場が喜んで支払うであろうものからスタートし、その価格仕様に合わせてデザインすることである。価格からスタートし、コストを削ることは最初により多くの作業を必要とする。しかし、結局は、スタートを誤り、何年も損失を出してコストを合わせるよりも、はるかに少ない作業となる。

価格に導かれた原価計算は米国の発明で100年もの歴史がある。それによって、GEが、発電所における世界的リーダーシップを得たのは20世紀の初めに遡る。GEが、タービンと変圧器を、顧客の電力会社が支払える価格に合わせて設計し始めた時である。それらは、顧客が支払え、喜んで支払う価格から設計され、顧客はそれらを購入でき、購入した。

ソース:The Daily Drucker 27 July.
0728 ◆「安定した事業におけるコスト管理」

我々は、5ポンド減らす方が、最初にそれを加えないより、はるかに大変であると学んだ。1オンスの予防が1ポンドの矯正の価値があることは、コスト管理の場面で最も妥当する。必要なのは、コストが収入と同じ速度で上昇しないよう、そして、逆に、リセッションとなり収入が下がれば、少なくとも、収入と同じ速度で下がるよう、鷹のように監視することである。

このルールに従う1例は、1965年から1995年にかけて、インフレ調整の上、ほとんど8倍の成長を遂げた、世界最大の製薬会社の1つである。 その30年の間に、コスト増加を収入増加の一定割合(10%の収入増加毎に最大6%のコスト増加)に抑えた。5~6年試すことで、下落期間には、収入が下落するのと同じ割合で確実にコストを下げる方法も学んだ。この作業に数年かかったが、今ではこの会社の第2の天性となっている。

ソース:The Daily Drucker 28 July.
0729 ◆「成長事業におけるコスト管理」

事業を成長させるには、最初に資金を投入しなくてはいけない。この資金は明日の収益を生み出すものに投資され、これらの初期投資は、しばしば長期間、コストでのみあってリターンはない。コスト管理の維持のためいかにこれらを管理するか。第1に、これらの活動を切り離して予算を組む。私はこれを「機会予算」と呼ぶ。2番目のルールは、これらの投資から将来、いかなる期間内に、どのような結果を期待するかを考える。

私が知る最高の例は、いかにしてシティバンクが激しい1970年代と1980年代に世界の唯一の成功した国境を越えた銀行になったのかである。シティは最初、新たな支店にどれだけの初期投資が正当化され得るかを考えた。新たな地域での最低限の結果がどのようなものであり得、どうあるべきかを考えた。シティバンクは「成功しマーケットリーダーになれば、この新たな国で、どれだけの事業を期待できるか?そして、初期投資が潜在的結果の一定割合を超えてはならないとすれば、いくらの初期投資が正当化されるか?」を問うた。そして、シティは、自らの経験から、新たな支店が収支とんとんになるまで、つまり、それが収益をあげ始めるまでに、どれくらいの期間かかるべきかを知った。

ソース:The Daily Drucker 29 July.
0730 ◆「コストセンターの削減」

いかにうまくコスト上昇を阻止しても、なおコストを削減しなくてはならない。事業は人のようであり、人は、どれだけ注意深くエクササイズをし、食事を管理し、飲み過ぎを避けていても、しばしば病気になるからである。そこで、常にコスト削減が必要である。

コスト削減を始めるにあたり、マネジメントは通常「いかに我々はこのオペレーションをより効率的にできるか?」を問う。しかし、これは誤った質問である。質問は「この仕事をやめれば、天井は崩壊するか?」である。その答えが、「おそらく違う」であれば、そのオペレーションを除去する。我々が行ういかに多くの物事がなくてすむかは常に驚くべきことである。しかし、実際にコスト削減に成功する事業はコストを削減しなくてはならない時まで待たない。彼らは、コスト削減を通常の業務に組み込む。日常業務に、組織的な廃棄を組み込む。そうでないと、活動とオペレーションの除去は、困難な政治的抵抗に会う。

ソース:The Daily Drucker 30 July.
0731 ◆「コスト管理を永続的にする」

重要なのは方法ではない。(重要なのは)活動のコスト効率はそれが構築される方法に依拠するという理解である。それは、コスト管理が、コスト削減ではなく、コスト予防であるという前提を受け入れることに大きく依拠する。そして、コストは流れてなくなるものではなく、コスト予防は終わりのない作業である。組織がいかにうまく構築されても、そのコスト効率は繰り返し見直される必要がある。いかに注意深くコストを管理しても、その活動とプロセスは数年ごとに試される必要がある。

このプロセスはまた、従業員全体がコスト管理に取組み受入れることを確保する。それを機会として見るべきで、脅威と見るべきではない。コスト管理がコスト削減と見られるなら、従業員はそれを仕事への脅威であると見て、そのサポートを拒否する。しかし、コスト管理がコスト予防として見られ、実践されるなら、従業員はそれを機会として見、あるいは、少なくとも、よりよい保証された仕事のため、コスト管理をサポートする。

ソース:The Daily Drucker 31 July.
8月  
0801 ◆「多様性」

古い決まり文句は、今もなお正しいアドバイスである。事業は多様でないほど、管理しやすい。単純は明瞭さを強める。人々は、自分の仕事を理解でき、結果との関係や、全体のパフォーマンスとの関係を見ることができる。努力は集中される。期待は定義され得、結果は容易に評価され測定され得る。事業がより複雑でなければ、間違った方向にいくことも少なくなる。事業が複雑になれば、何が悪いかを理解し、正しい矯正的行動をとることはより難しくなる。複雑さは、コミュニケーションの問題を作る。事業が複雑になれば、マネジメントの階層が増え、様式と手続が増え、会議が増え、判断が遅くなる。

多様性が調和し統一され得る方法は2つだけである。
事業と技術、製品と製品ライン、そして活動が単一の共通の市場にある場合、事業は高度に多様化しながら、基本的統一性を持ち得る。
事業、市場、製品と製品ライン、そして活動が共通の技術においてまとまれば、事業は高度に多様化しながら、基本的統一性を持ち得る。

ソース:The Daily Drucker 1 August.
0802 ◆「間違った大きさであること」

間違った大きさであることは、慢性的で、衰弱させ、消耗させ、そして極めて一般的な病である。間違った大きさであることは、多くの場合、治癒できる。しかし、治癒は簡単でなければ、愉快でもない。兆候は明らかで、常に同じである。間違った大きさの事業では、つり合いを失って肥大化した、1つ又は(多くても)非常に少ない、分野、活動、機能又は努力がある。この分野は非常に大きくなくてはならず、大きな努力を必要とし、事業に大きなコストを負わせ、経済的パフォーマンスと成果を不能にする。古いアメリカンモーターズがその例を提供する。アメリカンモーターズは、積極的に新しい強いディーラーをリクルートしてその売上を高める継続的計画を示した。事業を生存可能な大きさにするであろう販売高を得るため、事業を生存不能とする費用が増加されなくてはならなかった。そして、これはまさに、事業が負担できないものであった。

問題に対応する最も報われる戦略は事業の性格を変える試みである。間違った大きさの事業は生存と繁栄のために正しいニッチを持たない事業である。アメリカンモーターズとフォルクスワーゲンの比較は、区別の欠如の結果としての間違った大きさと明確なニッチを占めることによる正しい大きさの違いを示す。

ソース:The Daily Drucker 2 August.
0803 ◆「成長」

マネジメントは会社が必要とする最低の成長を考える必要がある。生き残るためではなくても、それなくしては会社が強さ、活気及び実行する力を失う最低の成長は何か?会社は生存可能な市場的地位を必要とする。そうでないと、限界的な存在となる。それはすぐに、実際、間違った大きさとなる。そして、国内であれ世界であれ、市場が拡大すれば、会社は、その生存力を維持するため、市場とともに成長しなくてはならない。そのため、しばしば、会社は非常に高い最低成長率を必要とする。

事業は間違った成長と正しい成長を、筋肉と脂肪と癌を区別する必要がある。ルールは単純である。短期間の間に、会社のリソースの全体的生産性を増大させる成長は健全な成長である。それは、栄養を与えられ、サポートされるべきである。しかし、量のみ増え、かなり短期間の間に、より高い全体的な生産性を導かないものは肥満である。より高い全体的な生産性を導かない量の増加は、再び汗を流して絞られるべきである。最後に、生産性の低減を導く量の増加は、速やかに、根治手術によって除去されなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 3 August.
0804 ◆「新たなベンチャーをマネジメントする」

革新的努力、特に、新たな事業、製品又はサービスの開拓を目指すものは、通常、直接「イノベーション担当の役員」に報告すべきである。それらは、既存のオペレーションに責任をもつラインマネジャーに報告すべきではない。不幸なことに、これはよくある誤りである。

新たなプロジェクトは幼児であり、当面はそうあり続け、幼児は育児室に属する。「大人」、つまり、既存の事業や製品に責任を持つ役員は、幼児のプロジェクトのための時間も理解もない。このアプローチの最も著名な実践者は、石鹸、洗剤、食用油そして食品の製造者であるProcter & Gamble、衛生とヘルスケア供給者であるJohnson & Johnson、そして産業製品と消費者製品の主要な製造者である3Mの3つの米国企業である。これらの3つの会社は実践の詳細において異なるが、本質的に同じ方針をもつ。それらは、新たなベンチャーを、最初から別個の事業として立ち上げ、担当のプロジェクトマネジャーを置く。

ソース:The Daily Drucker 4 August.
0805 ◆「計算された陳腐化」

革新する組織は昨日を守るために時間もリソースも費やさない。昨日の組織的な廃棄のみがリソース、特に最も少ないリソースである有能な人々を自由にし、新しいものの仕事に向けさせる。

あなたの製品、プロセス又はサービスを陳腐化させる者であることは、競争相手がそれをすることを避ける唯一の方法である。これをずっと理解し受け入れた米国の主要企業の1つがデュポンである。1938年にナイロンが現れた時、デュポンは直ちに化学者にナイロンと競争する新たな合成繊維の開発に取り組ませた。それははまた、ナイロンの価格を下げ、デュポンの特許を回避しようとする潜在的競争者にとって魅力的でなくした。これが、デュポンがなお、世界を先導する合成繊維メーカーであり、デュポンのナイロンがなお市場にあり収益性がある理由である。

ソース:The Daily Drucker 5 August.
0806 ◆「視野の狭いイノベーション」

新たなベンチャーが成功する時、多くの場合、当初意図されたのとは違う市場で、予定されていなかった製品やサービスで、考えもしなかった顧客により購入され、最初に設計された以外の目的で製品が使われる。新たなベンチャーがこれを予想しない場合、この予想外で未知の市場を利用するよう組織する。市場に焦点をおかず、市場に駆り立てられるものでなければ、競争相手のための機会の創造になるだけである。

新たなベンチャーは、したがって、製品やサービスがデザインされた時に誰も考えなかった市場で顧客を見つけるかもしれず、その時に誰も考えなかった用途で用いられ、 新たなベンチャーが予定しなかった分野の、知られてすらいなかった顧客により、購入されるかもしれないという想定でスタートする必要がある。新たなベンチャーが極めて早い段階から、マーケットフォーカスでなければ、競争相手のために市場を作るだけになりがちである。

ソース:The Daily Drucker 6 August.
0807 ◆「社会的イノベーション:研究実験室」

研究実験室(リサーチラボ)は1905年に遡る。それは、最も初期の「研究マネジャー」の1人である、ドイツ系米国人物理学者の Charles Proteus Steinmetzによって考案され、GEのためニューヨークのスケネクタディに建設された。Steinmetz は最初から、①意図的な技術的イノベーションのために科学と科学的作業を組織化することと②イノベーションを通じての継続的自己更新を新たな社会現象である大企業に組み込むことという2つの明確な目的を持った

Steinmetz の研究室は、根本的に、研究における科学と技術の関係を再定義した。彼のプロジェクトの目標設定において、Steinmetz は望ましい技術的結果を達成するために必要な新たな理論科学を特定し、必要な新知識を獲得するため、適切で「純粋な」研究を組織した。Steinmetz は元々は理論物理学者であった。しかし、彼の「貢献」の全ては、例えば、数馬力のモーターといった、新たな製品ラインをデザインし開発するプロジェクトの一部として計画した特定の研究の結果であった。広範に保有される伝統的知恵である技術は「応用科学」である。Steinmetzラボでは、「純粋な研究」の最も純粋なものを含む科学は、技術主導のものであり、技術的目標の手段である。

ソース:The Daily Drucker 7 August.
0808 ◆「社会的イノベーション:壁のないラボ」

Steinmetz のイノベーションはまた「壁のないラボ」を導き、それは、大きな科学的・技術的プログラムへの米国の特定の大きな貢献である。これらの最初は、フランクリンルーズベルト大統領の以前の法律事務所パートナーだったBasil O'Connorにより考えられマネジメントされた、小児麻痺のため政府機関(小児麻痺救済基金運動)であり、1930年代の初めに、ポリオに取り組んだ。このプロジェクトは、25年を超えて続き、全国12の場所で、6つの学問分野から多くの科学者(それぞれは中央の戦略内で全体的な指示の下、自身のプロジェクトに従事する)を計画された段階的な活動にまとめた。

これは、第二次世界大戦プロジェクト(レーダーラボ、リンカーン研究室、そして最も大規模なのは、原子力のためのマンハッタンプロジェクト)の原型を作った。米国が、スプートニクの後に、月に人を送ると決めた時、NASAは、同様に、「壁のないリサーチラボ」を組織した。Steinmetzの技術主導の科学はなお、高度に論議の的となる。それはなお、例えば1984年から85年にかけてエイズが重要な医療上の問題となった時のように、新たな科学的問題が現れるときはいつでも、我々が直ちに求める組織である。

ソース:The Daily Drucker 8 August.
0809 ◆「研究ラボは時代遅れ?」

多くの主要企業のリサーチラボの衰退は何が原因か?会社が所有するリサーチラボは19世紀の最も成功した発明の1つであった。今日、多くのリサーチディレクターやハイテク産業の人々は、それらのラボは時代遅れとなっていると考える。何故か?技術は産業を行き来し、信じられないほど速く伝わり、今はそのほとんどがユニークなものとならない。そして、ますます、既存の産業に必要とされる知識は、その産業の人々にはなじみのない、全く異なる技術からのものとなる。その結果、過去の巨大なリサーチラボは時代遅れとなる。

巨大電話会社のリサーチラボである、有名な米国のベル研究所は、何十年も、電話産業における主要なイノベーションの源泉であった。しかし、その産業の誰も、ファイバーグラスケーブルに従事せず、聞いたこともなかった。それは硝子会社であるコーニング社により開発された。しかしそれは世界的にコミュニケーションに変革を起こした。

ソース:The Daily Drucker 9 August.
0810 ◆「幼児の新たなベンチャー」

とりわけ、新たなベンチャーを運営する人々は外で過ごし、市場で、顧客とともに、そして自らの販売員とともに、見て聞くことが必要である。新たなベンチャーは組織的なプラクティスにおいて、「製品」や「サービス」は製造者ではなく、顧客によって定義されることを思い起こす必要がある。製品やサービスが顧客に貢献する効用や価値について、継続的に挑戦する必要がある。

新たなベンチャーにとって最大の危険は、製品やサービスが何であり、何であるべきか、いかに購入されるべきか、そしていかに使用されるべきかについて、顧客より「より良く知る」ことである。とりわけ、新たなベンチャーは、予期しない成功を、専門性への侮辱としてではなく、機会と見る必要がある。そして、事業は顧客を矯正することで支払を受けるのではなく、顧客を満足させることで支払を受けるという、マーケティングの基本原則を受け入れる必要がある。市場フォーカスの欠如は、典型的に、初期の新たなベンチャーである「新生児」の病気である。それは、初期段階における新たなベンチャーの最も深刻な苦悩であり、生き延びる者の成長を永続的に妨げ得る。

ソース:The Daily Drucker 10 August.
0811 ◆「急速に成長する新たなベンチャー」

適正な財務フォーカスと正しい財務政策の欠如はその成長の次のステージにおける新たなベンチャーの最大の脅威である。それは、とりわけ、急成長する新たなベンチャーにとって脅威である。

新たなベンチャーがその製品やサービスを市場に送り出すのに成功し、急成長する場合を想定する。「急速に増加する利益」が報告され、明るい見通しが出る。特にそれがハイテクかそうでなくても現在流行の分野であれば、株式市場は新たなベンチャーを「発見する」。新たなベンチャーの売上は5年以内に10億ドルに達するであろうという予想があふれる。

18か月後新たなベンチャーは崩壊する。突然赤字となり、275人の従業員のうち180人をレイオフし、社長を解任し、巨大企業に安値で売られる。原因は常に同じである。①キャッシュの不足、②拡大のために必要な資本が調達できないこと、そして③経費、在庫及び受取勘定が入り乱れてのコントロールの喪失である。これらの3つの財務的苦悩はしばしば同時に起きる。しかし、それらの1つでも、それ自体、新たなベンチャーの(生命でないとしても)健康を危険にさらす。この財務上の危機が噴出すれば、それは大きな困難と損失を伴ってのみ治癒され得る。

ソース:The Daily Drucker 11 August.
0812 ◆「新たなベンチャーにおけるキャッシュのマネジメント」

新たなベンチャーをスタートする企業家がお金に無頓着であることはほとんどない。逆に、彼らは貪欲でありがちである。彼らは、そのため、利益にフォーカスする。しかし、これは新たなベンチャーにとって悪いフォーカスであり、むしろ、それは最初ではなく最後にくるべきである。キャッシュフロー、資金及びコントロールがより前にくるべきである。それらがなければ、利益の数字は作り話である。12から18カ月はいいであろうが、おそらくその後、それは消えてなくなる。成長には栄養が必要である。財務的には、これは、新たなベンチャーの成長は、それを取り出すのではなく、財務的リソースの追加を必要とすることを意味する。新たなベンチャーが健康であり、より急速に成長すれば、より多くの財務的供給を必要とする。

新たなベンチャーはキャッシュフロー分析、キャッシュフロー予測、キャッシュマネジメントを必要とする。(ハイテク会社の重要な例外があるが)ここ数年の米国の新たなベンチャーがかつて以上にそうしてきたのは、米国の新たな企業家が財務マネジメントを必要とすることを学んだからである。キャッシュマネジメントは、信頼できるキャッシュフロー予測があれば、かなりやさしい。そこでの「信頼できる」とは希望ではなく、「最悪の場合」の想定を意味する。予測が過度に保守的であれば、起こり得る最悪の事態は、一時的な余剰資金である。

ソース:The Daily Drucker 12 August.
0813 ◆「新たなベンチャーのマネジメントチーム」

新たなベンチャーの客観的な経済指標が事業が、3年あるいは5年以内に倍になるかもしれないことを示す時、創業者は、新たなベンチャーがすぐに必要とするマネジメントチームを作らなくてはいけない。なにより、創業者は、会社の他の鍵となる人々と一緒に、事業の鍵となる活動を考え抜かなくてはいけない。この事業の生き残りや成功が依拠する特定の分野は何か?いずれかのメンバーがそれに属すると考える全ての活動はリストに挙げられるべきである。

次のステップは、グループの各メンバーについて、創業者から順に「私が上手くできる活動は何か?」「この事業の鍵となる仲間のそれぞれが実際にうまくできる活動は何か?」と尋ねることである。次に「鍵となる活動のどれについて、各人の強みに合致することから、我々のそれぞれが第一義的に責任を負うべきか?」「誰がどの鍵となる活動にふさわしいか?」を尋ねる。そして、チーム作りは始まり得る。全ての鍵となる活動はパフォーマンス能力を証明した誰かによってカバーされる必要がある。

ソース:The Daily Drucker 13 August.
0814 ◆「実現されていない事業ポテンシャル」

幸運やチャンスや大変動は、人の努力と同様に、事業に影響する。しかし、幸運は事業を作らない。繁栄と成長は、体系的にそのポテンシャルを見つけて開発する事業にのみ訪れる。どれだけうまく、事業が自らを現在の挑戦と機会に向けて組織化しても、それはなお、最適なパフォーマンスよりもはるかに低い。そのポテンシャルは、常に、実際に実現されたものより大きい。

脅威と弱みは事業のポテンシャルを探す場所を示唆する。それらを、問題から機会に転換することは、特別のリターンをもたらす。機会は、会社の経験とその過去の成功と失敗が反映されなくてはならない。しばしば、この変換に必要なものは、経営者層の態度の変化である。

3つの質問は事業の隠れたポテンシャルを明らかにする。
①事業を脆弱にする制約と限界は何か?
②事業の不均衡は何か?
③我々は何を恐れ、事業への脅威として何を見、いかにそれを機会として利用できるか?

ソース:The Daily Drucker 14 August.
0815 ◆「脆弱性に機会を見つける」

事業のポテンシャルを見つけ実現することは心理的に難しい。それは、古い確立された習慣を壊すことを意味するため、常に内部に反対される。それはしばしば、熟練の人々が誇りにしているものを捨てることを意味する。脅威と戦い、不均衡を管理し、とりわけ、その内在する弱点にかかわらずプロセスを有効にするには、大きな努力を要求する。

会社の脆弱性、制約、そして弱点の中に、機会のポテンシャルを探すことは、その地位、プライド及び力への直接的な攻撃として、最も熟練した人々を憤慨させやすい。これが、機会がしばしば産業のリーダーでなく、部外者又はそれに近い人々により実現される理由である。この分野が客観的にも心理的にも難しいということは、それに熱心に取り組み、マネジメントは大いに強調しなくてはいけないことを意味する。

ソース:The Daily Drucker 15 August.
0816 ◆「革新的なアイデアを活かす」

最もの退屈な会社でも、通常、活用され得るよりも、より多くの良いアイデアがある。問題は健全な新たな製品やサービスの極めて高い死亡率(失敗率)である。過去の幼児の死亡率のように、新たな製品やサービスの死亡率(失敗率)は全く不要である。それは、すみやかに多額の費用をかけることなく下げることができる。その多くは、単に企業家的戦略を無視した結果である。正しい企業家的戦略には非常に高い成功のチャンスがある。

市場リーダーシップを狙う4つの企業家的戦略がある。①「まっ先に最良の装備で」②「いないところを攻撃する」③専門の「生態学的ニッチ」を見つけて押さえる、④製品、市場又は産業の経済的特性を変える。これらの4つの戦略は相互に排他的ではない。企業家はしばしば2つ、時には3つの要素を、1つの戦略において結びつける。なお、これらの4つのそれぞれは必要条件をもつ。それぞれは、ある種のイノベーションと調和し、他とは調和しない。それぞれは、企業家の側に特定の行動を要求する。最後に、それぞれは限界をもちリスクを負う。

ソース:The Daily Drucker 16 August.
0817 ◆「まっ先に最良の装備で」

「まっ先に最良の装備で」は、内戦での地上部隊の一貫した勝利を表すために連合軍の将軍によって用いられた表現である。事業では、それは、イノベーターが、即時の支配でないとしても、リーダーシップを達成するための戦略である。これは、潜在的に最高の見返りがある企業家的戦略であるが、最も危険なものでもある。誤りは許されずセカンドチャンスもない。 結果は、市場と産業のリーダーシップか何もないかのいずれかである。企業家は、最初に正しくなければならず、さもないと失敗する。この戦略で成功する革新者に対し、多くの失敗がある。しかし「まっ先に最良の装備で」の戦略が成功すれば、革新者は莫大な見返りを得る。それは、3M、Procter & Gamble、インテル、マイクロソフト等の巨人の成功と市場リーダーシップの基礎にある戦略である。

しかし、この戦略には特別のリスクがある。最初の成功を達成するため、次の企業家的戦略である「いないところを攻撃する」を実行する者に出し抜かれる。例えば、金融的な支援者や事業経験のない、あの有名なガレージでアップルコンピューターを始めた2人の若いエンジニアは、最初から産業を創り支配することを狙った。しかし、彼らはすぐに、IBMに出し抜かれた。

ソース:The Daily Drucker 17 August.
0818 ◆「いないところを攻撃する」

ここでは、イノベーターは新たな製品やサービスを創造せず、誰か他の者が創造したものを改善する。これは模倣である。しかし、イノベーターは新たな製品やサービスを作り直し、顧客の欲求とニーズをより満足させるよう改善するので、創造的模倣である。イノベーターが顧客が望むものの創造に成功すると、リーダーシップを達成し、市場をコントロールできる。

完璧な例はいかにIBMが1970年代にPC製造者の主役になったかである。アップルはPCを発明した。アップルが現れた時、瞬時に大評判となった。IBMはアップルを出し抜くことに取り掛かった。「アップルの欠点は何か?」と尋ねた。18カ月以内にIBMは、PCの顧客が必要とし欲したことを全て行いながら、アップルに欠けていたもの(=ソフトウェア)を持つPCを市場に出した。その後1年内にIBMのPCは世界的にマーケットリーダーとなり、10年以上、そのポジションを保持した。そして、アップルは限界的な存在となった。アップルはほとんど沈み、20数年後の1990年代の終わり、尊敬すべきニッチプレーヤーに転換した。

ソース:The Daily Drucker 18 August.
0819 ◆「企業家的柔道」

日本の柔道の達人は、相手の自慢と喜びである強みを探す。彼は、相手は戦いで戦略をその強みに置くと想定し、高い見込みでそうなる。そして、柔道の達人は特定の強みへの継続的な信頼が相手を脆弱で無防備にすることを理解する。そして、彼は、相手の強みを、その致命的弱点に転換し、相手を倒す。

事業は、柔道家のように、行動する。企業家的柔道は市場リーダーがその強みと思うものを、それを打ち負かす弱みに転換する。例えば、日本人は、米国市場で、次々とリーダーになった。まずコピーで、そして工作機械で、消費電子機器で、自動車で、そしてファクスマシーンで。戦略は常に同じであった。彼らは米国人がその強みと思っていたものを弱みに転換し、米国企業を打ち負かした。米国人は高い収益性をその最大の強みと見た。そして、高級市場にフォーカスし、大衆市場を、供給不足やサービス不足とした。日本人は、最低限の機能の低価格製品で参入した。米国人は、彼らと戦おうとすらしなかった。しかし、日本人が大衆市場を獲得した時、彼らは高級品市場に参入するためのキャッシュフローを獲得した。そして、彼らはすぐに、大衆市場と高級市場の双方を支配した。

ソース:The Daily Drucker 19 August.
0820 ◆「経済的特性を変える」

他の企業家的戦略の下では、イノベーターは革新的製品やサービスを提供しなくてはならないが、ここでは、戦略自体がイノベーションである。革新的戦略は既存の製品やサービスを、その効用、価値及び経済的性質を変えることで新たなものに転換する。新たな経済価値と新たな顧客がいるが、新たな製品やサービスはない。しばしば、製品やサービスの経済的特性を変える最も成功する方法は、その値決めを変えることである。結局、製造者は、より多くはないとしても、少なくとも同額を得る。しかし、値決めの方法は、製造者の現実ではなく、顧客の現実を反映する。

ここに1例がある。インターネットは情報ネットワークとしてデザインされた。そして、ほとんどのプロバイダーは、メールアドレスのホスティングのように、それへのアクセスに課金した。しかし、ヤフーと他の会社は、インターネットアクセスを(無料で)与える。顧客がオンラインに接続する時に見なくてはならない広告の広告主から料金を得る。ヤフーは「顧客は誰か」を問い、その答えは「潜在顧客へのアクセスを望むサプライヤー」であった。これは、産業の性格を変えた。それは、インターネットに新たな特徴を与えた。

ソース:The Daily Drucker 20 August.
0821 ◆「生態学的ニッチ:料金所戦略」

4つ目の主要な企業家的戦略である、生態学的ニッチの独占は、イノベーターに小さなニッチ市場で、実質上の独占を確立させる。最初のニッチ戦略は料金所戦略である。料金所戦略の下では、イノベーターはより大きなプロセスでの不可欠の部分である製品やサービスを創造する。製品を使用するコストは結局は関係なくなる。ニッチを最初に占める者は誰でも効果的に他の参入を阻止することができるくらい、市場は限定的でなくてはならない。

ここに例がある。1950年代の終わりに大きな製薬会社のセールスマンが始めた会社の Alcon である。彼は、眼の老齢白内障の手術に大きな不調和(incongruity)があることを初めから知っていた。手術では、医師が筋肉繊維を切らなくてはならず、それは眼を破壊する軽微な出血リスクを伴うという、危険な手続きがあった。イノベーターはこの筋肉について調べ、すぐに、出血や切断なしに、酵素がそれを解決することを見つけた。しかし、この酵素の分解を阻止し、貯蔵寿命をもたらす方法がなかった。イノベーターは1890年以来、酵素に安定と貯蔵寿命をもたらす多くの物質が開発されたことを見つけた。彼はこれらの物質の1つの酵素への適用について特許申請し、18カ月以内に、その世界市場を得た。

ソース:The Daily Drucker 21 August.
0822 ◆「生態学的ニッチ:専門スキル戦略」

2番目の生態学的ニッチは、専門スキル戦略である。ここでは、イノベーターが占めるニッチは料金所戦略におけると同じくユニークであるが、それはより大きい傾向がある。例えば、誰もが米国の主要な自動車製造業者を言うことができる。しかし、どれだけの人が、これらの車のブレーキパッド、電子回路やヘッドランプを作る会社を知っているか?これらの広く知られていない会社は生態学的ニッチにおいて専門スキルポジションを占める。新たな産業や市場における非常に早期での高度なスキルの開発はこのポジションを獲得する。一旦市場が成長し始めると、イノベーターは潜在的競争者に対して重要なヘッドスタート(先んじたスタート)を得、標準の供給者となる。

最高の例は、米国の一流の20世紀の発明者である Charles Ketteringである。Kettering は、その全ての発明で大きな収益性のあるニッチ事業の創造を目指した。そして、彼の最初の、そしておそらく世界で最も収益性のある発明は、専門スキルニッチ市場の創造を狙ったものであった。それは、セルフスターターであった。それまで、自動車は手動でクランクを回すことでスタートしなくてはならず、それは大変で危険であった。しかし、自動車産業で最も急速な成長の期間であった約15年間、全ての自動車製造者は、Kettering のセルフスターターを買わなくてはならなかった。それは、自動車のコストに非常に小さい金額、おそらく1~2パーセントであった。しかし、Kettering の利益マージンは500%以上であった。

ソース:The Daily Drucker 22 August.
0823 ◆「生態学的ニッチ:専門市場」

最後のニッチ戦略は、収益性があるために十分大きいが潜在的な競争相手が進出する価値がない程度に十分小さい専門市場ニッチの創設である。例えば、1919年から第二次大戦とその後10年まで、20年以上の間最も収益性のある金融商品は、専門市場ニッチである、アメリカンエクスプレスのトラベラーチェックであった。トラベラーチェックは多くの現金を持ち運ぶよりはるかに安全で、どこでも使用できた(例えば、ヨーロッパの全てのホテルで受け入れられた)。銀行は、チェックを販売し、各取引につき少額の手数料を得た。これは、アメリカンエクスプレスにチェックを売り出す必要をなくすだけでなく、銀行に競争的サービスに乗り出すことを思いとどまらせた。そして、チェック所有者は、それを現金化するまでに、数か月、あるいは数年もチェックを保有し、その間アメリカンエクスプレスは、チェック保有者が支払った無利息での資金利用である「フロート」を持つことから、アメリカンエクスプレスは豊富な資金を得た。金融産業の人であれば、トラベラーズチェックがいかに有益なものであるかを知った。しかし、市場が小さいため、大銀行にとって、強引にそれに割り込む妙味がなかった。

ソース:The Daily Drucker 23 August.
0824 ◆「ニッチ戦略への脅威」

すべてのニッチ戦略に共通なのは、それらが永遠に続くものでないということである。ニッチにとっての1つの脅威は、特に技術変化により、出し抜かれることである。それは Alcon に起こった。世界的にほぼ独占状態になって15年後、チェコスロバキアの誰かが新たな白内障手術であるインプラントレンズを考案し、そこでは目の筋肉は分解されずに維持される。そしてAlcon の解決策は過去のものとなった。

もう1つの脅威は、ニッチがマス市場となる場合である。それはトラベラーズチェックに起こった。第二次大戦前、米国人のヨーロッパ旅行は珍しい例外であった。今、大西洋横断のジェットは、2日で、第二次大戦前に、ヨーロッパと米国の間を、全ての蒸気船が1年に運んだよりも多くの乗客を運ぶ。そして、新たなマス旅行者はクレジットカードを使う。第一次大戦の間に米国で、第二次大戦後にヨーロッパと日本で、自動車産業がマス市場となった時、コストカットへの強烈なプレッシャーは、専門スキルに依拠するニッチサプライヤーであることがニッチの利益を生み出すことをやめたことを意味した。これらのプレイヤーに、自動車会社がコスト削減のため、大きなプレッシャーをかける。彼らは、屈するしかない。

ソース:The Daily Drucker 24 August.
0825 ◆「イノベーション戦略についての3つのケーススタディー」

Able、Baker、Charlie の3つの製薬会社は世界的に最も成功している製薬事業である。Able とBaker は非常に大きく、Charlieは中規模だが、急速に成長している。これらの会社は、その収益のほとんど同じ割合を研究に使っている。似ているのはそこまでである。各々の研究へのアプローチは非常に異なっている。

「エーブル社:研究戦略」

Able 社は、大きな研究資金を注意深く選択された分野に一度に投入する。それは、大学での純粋な研究が純粋なブレークスルーを示唆する時に、この分野を取り上げる。それから、製品ができるまでの長期間、その分野で最高の人々を雇い、従事させる。しかしながら、これらの分野外では、研究費用は使わず、全く要因となろうとしない。会社は、初期段階で、大きなリスクを負って、大きな分野で大きなポジションとるが、その見返りもまた大きい。

ソース:The Daily Drucker 25 August.
0826 ◆「ベーカー社:研究戦略」

ベーカー社の戦略は全く異なっている。その研究ラボは、おそらく、製薬産業で最も有名で、実に多くの分野で取り組む。しかしながら、基礎的な科学理論的作業が完了するまで参入しない。そのラボから生み出される10製品当たり、会社が市場に出すのは多くて2か3である。研究ラインから有効な薬が生まれることが合理的に明らかになると、会社は慎重に製品と分野全体を精査する。

第1に、新たな製品は医学的に優れ、新たな「スタンダード」となるか?
第2に、1つの専門分野(それが大きなものであっても)に限定されず、ヘルスケア分野と医療実務の隅々にまで、大きなインパクトをもちそうか?
そして最後に、競合製品に追い抜かれず、長年「スタンダード」として残りそうか?

これらの3つの質問のいずれかに対する答えが「No」であれば、それを自社製品に転化するより、開発をライセンスするか売却する。これは2つの方法で、高度に収益的であった。それは、自社の名前で製造販売する薬による利益とほとんど同じだけのライセンス収入を生み出した。そして、それは、会社の製品が医療のプロから「リーダー」と考えらることを確かなものにした。

ソース:The Daily Drucker 26 August.
0827 ◆「チャーリー社:研究戦略」

チャーリー社は研究をしない。同社が行うのは発展である。エーブル社やベーカー社が魅力的だと考える製品には取り組まない。既存の製品が良い仕事をせず、単純な変化が医師のあるいは外科医のパフォーマンスを大きく改善できる、医療と外科実務での分野を探す。分野が小さく、真にすぐれた製品があれば、他社が参入し競合するインセンティブがない分野を探す。

その最初の製品は、白内障手術を事実上無出血とし、眼科医の仕事を極めて容易にする、単純な(実際に40年間知られていた)酵素であった。行われる必要があったことは、酵素の貯蔵期間を延長する方法を見つけることであった。次の製品は、幼児のへその緒にかぶせる単純な軟骨で、感染を予防し回復を促進するものであった。それは、世界中の産婦人科でスタンダードとなった。会社はその後、感染予防のため新生児を洗うのに用いられた有毒な溶液に変わる製品を出し、それはまた、発見ではなく調合であった。それぞれの分野で、世界市場は限定的・・おそらく2000万ドルまで・・であり、1つの供給者が、真にすぐれた製品を提供するなら、最小の競争で実際上価格への圧力なしに、ほとんど独占的ポジションを占めることができる。

ソース:The Daily Drucker 27 August.
0828 ■■◆「成功は常に新たな現実を作り出す」

成功は常にそれを達成した行動を陳腐化する。それは常に新たな現実を作り出す。常にそれ自身の異なる問題を作り出す。成功している会社のマネジメントにとって「我々の事業は何か」を問うことは容易ではない。会社の全員は、答えは明らかで、議論する価値もないと考える。成功について文句を言うことも、波風を立てることも人気がない。しかし、会社が成功している時に「我々の事業は何か」を尋ねないマネジメントは、ひとりよがりで、怠惰で、傲慢である。ほどなく、成功は失敗に変わる。

1920年代に最も成功した2つの米国の産業は、無煙炭の採掘と鉄道であった。双方とも、神が彼らに永遠に揺るぎない独占を与えたと信じた。事業の定義は明らかであり、行動はもちろん、考える必要もないと信じた。マネジメントが成功を当然のことだと思わなければ、いずれもリーダーシップのポジションから転落する(無煙炭産業は完全に忘れ去られた)ことはなかっただろう。特に、マネジメントが会社の目的を達成する時、常に「我々の事業は何か」を真剣に尋ねるべきである。それは自制と責任を必要とする。他の選択肢は衰退である。

ソース:The Daily Drucker 28 August.
0829 ◆「機会に集中する組織」

組織は引力を持ち、重さは絶えず問題に集中するよう作用し、人はいつもそれと格闘しなくてはいけない。私が呼ぶ「成功の開発」が得意な組織は多くない。

今日の世界最大の消費エレクトロニクス・エンターテイメント会社であるソニーを見る。ソニーが行ってきたことは、基本的に、テープレコーダーを発展させ、その成功を築いてきたことである。しかし、それを組織に組入れ、全ての人にそれを求めるなら、問題集中ではなく機会集中の受容性の創造となる。そして、とりわけ、喜びを作り出す。実行する組織はすることを楽しむ。

私はいつも、どのような組織を顧客として受け入れるべきかをいかに知るかを尋ねられる。ドアを通れば、2分で、彼らがそれを楽しんでいるかがわかる。彼らが楽しんでいなければ、私は彼らのために働きたくない。しかし、彼らがそれが好きで、明日がよりよくなると感じているなら、それは全く異なる環境を作り出す。

ソース:The Daily Drucker 29 August.
0830 ◆「驚きの中に機会を見る」

全ての驚きは、真剣にとられるべきものである。全体的報告システムは、どちらかと言えば、機会と驚きを無視するが、それを変えることは難しくない。50年前、私の助言者であった友人は大企業で用いられるシステムを発明し、非常に成功した。全てのマネジャーは、第一線の管理者に至るまで、毎月「予想外」という主題について報告を書く。正しかったことや間違ったことではなく「予想外」である。そして会議をし「これは我々に何かを語るか」という質問とともに、これらを見る。
ほとんどは何も語らないが、通常3つか4つは意味がある。これにより、ある製薬会社は、ほとんど重要でないコモディティの製造者から世界的リーダーの1つへと成長した。それは、医師が開発の際に想定されていないものに薬物療法を行い、驚くべき結果が出た時のような、臨床的驚きから生じた。成功、特に予想外の成功にフォーカスし、それを発展させなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 30 August.
0831 ◆「ダイナミックな均衡を保つ」

日本での私の出版社であるダイヤモンド社は、最近「すでに起こった未来」(生態学的洞察、1993)というタイトルで、この50年に書かれた、私のエッセイ集を出版した。この本のため、私は、最終章となる、自伝を書いた。その中で、私は60年以上前の最初の仕事を書いたが、それは変化と継続性のバランスに関係するものであった。10年後に、私をマネジメントの研究に導いたのは、この関心であった。マネジメントは、変化と継続性のダイナミックな均衡を維持しなくてはならない社会の特有の機関であり、それがなければ、社会も、組織も、個人もだめになる。

ソース:The Daily Drucker 31 August.
9月
0901 ◆「あなたの時間を知る」

「あなた自身を知れ」という古い叡智は、死を免れない人にとって、ほとんど不可能なほど難しい。 しかし「あなたの時間を知れ」という指令には従うことができ、それは貢献と有効への道でもある。

エグゼクティブの仕事のほとんどの議論は、仕事を計画せよというアドバイスから始まる。これは、もっともらしく聞こえるが、その唯一の悪いところは、ほとんど機能しないことである。計画は常に紙の上に留まり、よい意図のままである。それらはほとんど達成に変わらない。私の観察によれば、有効なエグゼクティブは、その仕事から始めない。彼らはその時間から始める。彼らは計画から始めない。彼らはその時間がどこに消えるかを見つけることから始める。そして、その時間を管理し、その時間への非生産的要求を削減する。最後に、彼らは、「自由な」時間を可能な最大の連続的な単位に統合する。

3段階のプロセス(①時間を記録する、②時間を管理する、③時間を統合する)はエグゼクティブの有効性の基礎である。

ソース:The Daily Drucker 1 September.
0902 ◆「時間を記録し時間の浪費を削減する」

エグゼクティブの有効性性への最初のステップは実際の時間利用を記録することである。この時間記録を自分自身でつけるエグゼクティブもいるし、秘書につけさせる場合もある。重要なのは、それが実行され「実際の」時間について記録されることである。多くの有効なエグゼクティブは継続的にこの記録をつけ、毎月定期的にそれを見る。それらをみて、スケジュールを再考し作り直す。
まず、行われる必要のないこと、何の結果ももたらさない純粋な時間の無駄を明らかにし、削減するよう努める。時間の無駄を見つけるには、時間記録の全ての活動について「それがなされなければどうなるか?」を問う。その答えが「何も起こらない」であれば、結論はそれをやめるである。

ソース:The Daily Drucker 2 September.
0903 ◆「時間を統合する」

タイムマネジメントの最後のステップは、(記録と分析によれば)利用できエグゼクティブの管理下にある時間を統合することである。有効であるために、エグゼクティブはかなり大きな塊の時間を持つ必要がある。特に、人々との作業に費やされる時間についてそうであり、それはエグゼクティブの仕事の中で中心的なものである。計画、指示そして部下のパフォーマンスを15分で議論できると考えるマネジャーは思い違いをしている。

時間を統合する方法は多くある。ある人は週の何日かを家で作業する。他のエグゼクティブは経常的な仕事(会議、検討、問題セッション等)を週の2日に割当て、他の日の朝を重要な問題の一貫した継続的作業にあてる。しかし、裁量的時間を統合する方法はそのアプローチより重要ではない。有効なエグゼクティブは、どれだけの裁量的時間を現実に自分のものと呼べるかを見積もることから始める。そして、後で、他のことが取っておいた時間を侵食する場合、記録を再び精査し、より多くの時間要請をより非生産的活動からはずす。

ソース:The Daily Drucker 3 September.
0904 ◆「有効なエグゼクティブの実践」

私が見てきた有効なエグゼクティブは、気質と能力、することとする方法、個性、知識、関心といった、人を特徴づけるほとんど全てにおいて大きく異なる。しかし、私が知る有効なエグゼクティブは必要な仕事のみをし、不要なものを排除する。

有効であるには5つの実践が必要である。

①有効なエグゼクティブは彼らの時間がどこに消えるかを知る。彼らの自由にできるなけなしの時間を体系的に管理する。(●時間管理)
②有効なエグゼクティブは外への貢献に焦点を置く。(●外部への貢献に集中)
③有効なエグゼクティブは、自分と他人の強みに依拠する。彼らは弱みに依拠しない。(●強みに依拠)
④有効なエグゼクティブはそれがすぐれた結果を生み出す場所で卓越したパフォーマンスに集中する。彼らは重要なことにとどまる。(●卓越したパフォーマンスに集中)
⑤有効なエグゼクティブは有効な判断を行う。彼らはそれがシステム(正しい順序での正しいステップ)であることを知る。彼らは、拙速に判断することは間違って判断することであることを知る。(●有効な判断)

人が、知性、勤勉さ、創造力又は知識においてすばらしくても、これらの実践を遵守しない時、エグゼクティブとしての有効性を欠く。

ソース:The Daily Drucker 4 September.
0905 ◆「貢献に集中する」

ほとんどのエグゼクティブは下方に集中する。彼らは、結果より努力で頭が占められる。組織と上司が彼らに「負っている」責任を気にする。そして、彼らは、とりわけ、自分が「持つべき」権威を意識する。その結果、彼らは無能なものとなる。
有効なエグゼクティブは貢献に集中する。彼は仕事から目を上げ、外にある目的を見る。彼は「自分が働く組織のパフォーマンスと結果に影響する何を貢献できるか」を問う。彼の重点は責任にある。

仕事(中身、レベル、基準、影響)において、他者(上司、部下、同僚)との関係において、そして、会議や報告といったエグゼクティブの道具の使用において、貢献への集中は有効性への鍵である。貢献への集中は、エグゼクティブの関心を自分の専門、その狭いスキル、その部門からはずし、全体のパフォーマンスに向ける。彼の関心を結果が存在する唯一の場所である外に向ける。

ソース:The Daily Drucker 5 September.
0906 ◆「パフォーマンス評価」

有効なエグゼクティブは独自のパフォーマンス評価フォームを作り上げる。それは、過去と現在の地位でその人に期待される主要な貢献の記述と、これらのゴールに対する彼のパフォーマンスの記録で始まる。そして、4つの質問をする。

1.彼(彼女)は何を上手くやったか?
2.従って、彼は何を上手くやれそうか?
3.彼の強みから十分な利益を得るには彼は何を学びあるいは獲得しなくてはならないか?
4.私に息子か娘がいれば、この人の下で働かせたいか?
(a)イエスならなぜか?(b)ノーならなぜか?

この評価は強みに集中する。弱みは、強みの十分な活用への制約、並びに、達成、有効性及び業績への制約として見られる。

最後の質問の(b)は強みに関係しない唯一ものである。特に元気で若く野心のある部下は力のある上司に倣って自分自身を形作る。よって、組織において、力があるが本質的に堕落したエグゼクティブ以上に堕落し破壊的なものはない。従って、ここに、弱みが、パフォーマンス、能力及び強みへの制約ではなく、それ自体が欠格となる1つの領域がある。

ソース:The Daily Drucker 6 September.
0907 ◆「いかに人を開発するか」

どの組織も人を開発する。それは、彼らの成長を助けることもあれば、妨げることもある。人の開発について我々はほんの少ししか知らない。
我々は、すべきでないことを知っており、それはすべきことをあげるより簡単である。

①人々の弱みに基づかないこと。人は態度と行動を発展させ、スキルと知識を学ぶことを期待できる。しかし、人の性格は、我々が望む方法ではなく、あるがまま使わなくてはならない。

②人の開発について狭い、近視眼的な見方をしない。人は特定の仕事のための特定のスキルを身につけなくてはならない。しかし、開発はそれ以上のものである。それはキャリアのためであり人生のためでもある。特定の仕事はこの長期の目的に調和しないといけない。

③皇太子を作らないこと。常に、見込みではなく、パフォーマンスを見る。潜在性ではなくパフォーマンスにフォーカスすることで、エグゼクティブは高度な要求をすることができる。人は常に、基準を緩めることができるが、それを上げることはできない。

④エグゼクティブは人々の強みを配置することを学ばなくてはならない。

人の開発において、教訓は強みにフォーカスすることである。そして真に厳しい要求をし、時間と労をかけて(それはハードワークである)パフォーマンスを調べる。人々と席に着き「これはあなたと私が1年前にコミットしたことである。いかにして行ったか?なにをうまくやったか?」と言う。

ソース:The Daily Drucker 7 September.
0908 ◆「有効なエグゼクティブとしての知識労働者」

個人の強みを生産的にするエグゼクティブは①組織のパフォーマンスと②個人の達成を両立する。

有効性に向けたエグゼクティブの自己開発は、①組織のパフォーマンスへの社会のニーズと、②達成とやりがいに対する個人のニーズの双方を満足させる唯一の可能な答えである。個人の強みを生産的にするエグゼクティブは組織のパフォーマンスと個人の達成を両立させる。彼らはその知識分野を組織の機会とする。そして、貢献にフォーカスすることで、自分自身の価値を組織の結果とする。

知識労働者は経済的報酬も要求する。それらの不存在は抑制となる。しかしそれらの存在は十分ではない。彼らは機会を必要とする。彼らは達成を必要とする。彼らはやりがいを必要とする。彼らは価値を必要とする。自らを有効なエグゼクティブにすることによってのみ、知識労働者はこれらの満足を得る。エグゼクティブの有効性のみが、社会をして①個人から必要な貢献を得るという組織のニーズと②組織を彼らの目的達成のための道具として奉仕させるという個人のニーズという2つのニーズを調和させることができる。

ソース:The Daily Drucker 8 September.
0909 ◆「自分のキャリアに責任をもつ」

グレーのフランネルスーツに身を包んだ若者が長年の会社タイプを表したとすれば、今日のイメージは何か?個人の責任を負い特定の会社に依拠しない。大切なのは、自らのキャリアを管理することである。あなたは次に何をしているかを知らず、民間のオフィスで働くか、巨大な大講堂で働くか、そして自宅をでるのかすら知らない。あなたは、成長するにつれ、そして家族があなたの価値と選択の要因となるにつれ、正しい仕事を見つけることができるよう、自分自身を知ることに責任を持たなくてはならない。

ほとんどの米国人は、自分自身の仕事を選ぶ用意ができていない。「何が得意か知っているか?自分の限界を知っているか?」と問うと、彼らはうつろな眼差しであなたを見る。彼らは自分の履歴書を用意する時、梯子を昇るようにポジションを列挙する。かつて我々が割当の引き受けについて行い考えた時のように、仕事やキャリアパスを考えることをやめる時である。
我々は、客観的基準を探し、私がコンピテンスと呼ぶものに取り組まなくてはならない。

自分自身のキャリアに責任をもつ。あなたの強みと限界を列挙する。どのような割当てをあなたは次に引き受ける用意があるか?現在の組織の内外を問わず、これらの割当を引き受ける用意をする。

ソース:The Daily Drucker 9 September.
0910 ◆「パフォーマンスを定義する」

組織の健康の第1の条件はパフォーマンスについての高い要求である。マネジメントが目標によるべきであり、それが任務の客観的要請に集中することを求める主たる理由の1つは、マネジャーに自分自身のために高いパフォーマンス基準を設定させる必要である。
これは、パフォーマンスが適正に理解されることを求める。パフォーマンスは全弾を牡牛の目に命中させることではない。パフォーマンスは、むしろ、長期間、様々な割当てにおいて、結果を生み出す堅実な能力である。パフォーマンス記録は誤りを含まなくてはならない。それは失敗を含まなくてはならない。それは、人の強みとともに、その限界を明らかにしなくてはならない。

信用できないのは誤りをせず、へまをせず、試みることを失敗しない人である。彼は、いんちきか、安全で、証明済みの、取るに足らないものとともにあるかである。人は、より優れていれば、より多く誤る。なぜなら、より多くの新しいことを試みるからである。

ソース:The Daily Drucker 10 September.
0911 ◆「効果を出す結果」

「私は何を貢献すべきか」を決めるために1つの質問が尋ねられなくてはならない。「どこで、そしていかにして、私は、効果のある結果出すことができるか」。この質問への答えは多くの事柄をバランスしなければならない。結果は達成が困難なものであるべきである。しかしそれらは手が届くものであるべきである。達成できない(あるいは最もありえない環境でのみ達成できる)結果を目指すことは、「野心的」ではなくばかげたことである。同時に、結果は有意義なものであり、効果があるべきである。そして、それらは目に見え、できれば、測定できるものである。

「私は何を貢献すべきか」についての判断は3つの要素をバランスする。
①「状況は何を求めるか」という質問。
②「私は、自分の強み、実行方法、価値をもって、いかなるニーズに対して、いかにして、最大の貢献ができるか」という質問。
③「効果を出すにはいかなる結果が達成されなくてはならないか」という質問。

これは、何をすべきか、どこから始めるべきか、いかに始めるか、いかなる目的と期限を設定すべきか、という行動決定をを導く。

ソース:The Daily Drucker 11 September.
0912 ◆「自分をマネジメントする:強みを明らかにする」

フィードバック分析により、自分の強みを明らかにすることを学ぶことができる。それは、あなたの①主要な決断と行動の全てを②それらが成し遂げると期待する結果と一緒に書き留める、単純なプロセスである。9か月から12か月後に、実際の結果を期待と比べて確認する。2,3年行うと、あなたは、これらの決断と行動を追跡することで(そこでは、実際の結果が期待に届かなかったり(期待を)上回ったりする)自分の強みを知る。フィードバック分析を通じて自分の強みを明らかにすれば、あなたはこの知識を、パフォーマンスと結果の改善に使うことができる。

あなたは5つの方法でこれをできる。
①強みに集中する。
②強みの改善に取り組む。新たな知識を学び、古い知識を最新のものにする必要があるかもしれない。
③無能にする習慣を認識する。最悪の最も一般的なものは、傲慢である。しばしば、貧弱なパフォーマンスは自分の狭い専門性の外の知識を求めようとしないことから生じる。
④悪い習慣と悪い態度を治す。しばしば、先送りのような悪い習慣や悪い態度は、協力とチームワークを不可能にする。
⑤あなたがすべきでないことを理解する。

ソース:The Daily Drucker 12 September.
0913 ◆「自分自身をマネジメントする:いかに実行するか?」

人々が異なる強みと弱みを持つように、人々は異なる方法で働き実行する。例えば、読むことで学ぶ人もいれば、聞くことで学ぶ人もいる。そして、読む人のほとんどは聞く人としてはうまくいかず、逆も真である。学習方法は人の仕事の方法を決める多くの要因の1つである。他にも答えられるべき質問がある。人と協力する時に最高に働くか、1人で働く時に結果を出すか?人と共に最高に働けるなら、それは通常、部下としてか、同僚としてか、上司としてか?あなたは、予想できる整えられた仕事環境が必要か?プレッシャーの下で成長するか?

あなたはまた、自分の個人的な価値を考えなくてはならない。それらはあなたの強みに類似し、少なくとも両立できるか?価値と強みの間に衝突があれば、価値を選ぶ。あなたの価値に反するパフォーマンスは崩壊し、それは結局、あなたの強みを奪い破壊する。これらは、答えられなくてはならない質問の一部である。大切なのは、あなた独自の仕事の方式を理解することである、

ソース:The Daily Drucker 13 September.
0914 ◆「自分自身をマネジメントする:何を貢献するか?」

自分の強みと仕事のスタイルを見つけると、正しい機会を探し始めることができる。これは、①あなたの強みを利用でき、②あなたの仕事のスタイルに合致し、③あなたの個人的な価値システムに適合する仕事である。これはまた、④あなたが正しい貢献をすることを助ける仕事である。しかし、まず、あなたの貢献が何であるべきかを決めなくてはいけない。

正しい貢献を理解することは、あなたが知識から行動に移ることを助ける。自分が何を貢献すべきだと考えるか?言い換えれば、あなたの組織の中でいかにして効果(違い)を出すことができるか?これらの質問に答えることは、数少ない正しい機会を求めて、機会を分析することを助ける。かかる機会が現れる時、それらがあなたとその仕事のスタイルに合うのであれば、受け入れるのがベストである。それは、あなたが(特定の)状況が必要とするもの、あなたの最大の貢献可能性、そして達成されなくてはならない結果を考え抜くことを求める。
成功するキャリアは幸運や計画の産物ではない。自らの強み、仕事のスタイルと価値に合致する機会をつかむことができる人々によりつくられる。

ソース:The Daily Drucker 14 September.
0915 ◆「自分自身をマネジメントする:仕事のつながり」

自分の強み、仕事のスタイルおよび価値を知ることが重要であるように、周りの人々の強み、仕事のスタイルおよび価値を知ることもまた、重要である。人は特有であり、あなたと他人との間に大きな違いが存在し得るが、それは重要ではない。重要なのは、全員が役割を果たすかどうかである。継続的なグループパフォーマンスは各人が個人として役割を果たすことができる場合にのみ、達成され得る。そのためには、人々の強み、仕事のスタイルそして価値に基づかなくてはならない。

自分の強み、仕事のスタイルおよび価値、自分の貢献が何であるべきかを確認すれば、誰がそれを知るべきかを考えなくてはならない。あなたに依拠し、(あるいは)あなたが依拠する全ての人は、あなたがいかに働くかについての情報を知る必要がある。コミュニケーションは双方向のプロセスであり、あなたの同僚に、自分達の強み、仕事のスタイルと価値を考え、定義するよう、気持ちよく頼むべきである。

ソース:The Daily Drucker 15 September.
0916 ◆「上司をマネジメントする」

ほとんどすべての人は、少なくとも1人の上司をもつ。そして、知識労働者は、より多くの上司をもち、その承認と評価に依拠し、そのサポートを必要とする、より多くの人を持つ。

上司をマネジメントする鍵がある。
①「上司リスト」に、あなたが説明責任を負う全員、あなたと仕事を評価する全員、あなたとチームの仕事を有効にするために依拠する全員を記載する。
②少なくとも年に1度、上司リストの人々のところに行き、「あなたの仕事を助けるために、私と私のチームが何をすべきか」を尋ねる。そして「あなたの活動を妨げ、困難にすることを我々はしているか」と尋ねる。

上司が、その仕事のスタイルにより、ユニークな個人として、実行できるようにすることは、あなたの仕事である。あなたの上司は、あなたが、(上司の)強みに作用し、限界と弱みから守ることを、快適に感じなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 16 September.
0917 ◆「自分自身をマネジメントする:第2の人生」

知識労働者は肉体的に、高齢になっても働き続けることができ、伝統的な定年をたやすく超えることができる。しかし、彼らには新たな危険があり、精神的にだめになるかもしれない。40才台の知識労働者の一般的な悩みである「燃え尽き」と呼ばれるもののほとんどは、ストレスの結果ではない。その一般的な原因は仕事に退屈することである。

成功した大企業で、トップマネジメントが私に「エンジニアが仕事をやめかけている。理由を見つけて欲しい。」と頼んだ。そして、私は、約12人の、有能で成功し高給を得ているエンジニアと話した。彼らは全員「私の仕事は会社の成功にとって重要で、それが好きだ。私はそれを10年間やってきて非常にうまくでき、それを誇りに思っている。しかし、私は今ではそれを眠りながらでもできる。それはもはや私に挑戦を求めない。私はただ退屈なんだ。もはや毎朝オフィスに来ることは楽しみではない」と言った。
しかし、人々を循環させるという分かりきった答えは、間違っている。これらの人々は、一流の専門家である。彼らが必要とするものは、本当の興味を回復することである。そして、それを得れば(彼らの1人は、例えば、高校生への数学と科学の指導を始めた)彼らの仕事は再び満足するものとなる。

現在の仕事の外に目的を設定する。これらの目的をいま求め始める。

ソース:The Daily Drucker 17 September.
0918 ◆「自分自身をマネジメントする:社会における変革」

自分自身のマネジメントは人事における変革である。それは個人、特に知識労働者に、先例のないものを求める。それは知識労働者に、最高経営責任者として考え行動することを求める。知識労働者の考えと行動に、これまで当然のことと思われてきた思考方法と行動方法からの180度の変化を求める。

(仕事か上司から)言われたことをする肉体労働者から自分自身を管理する知識労働者へのシフトは、社会構造への挑戦である。既存の社会においては、2つのことを当然のこととする。①組織は労働者より長く続き、②ほとんどの人々は組織にとどまる。自分自身のマネジメントは全く逆の現実に基づく。米国では移動性は受け入れられるが、従業員が組織より長生きし、第2の別の人生への準備が必要であることは、誰も準備ができていない変革である。既存の組織も、例えば、既存の退職システムも準備ができていない。

第2のキャリアを考え始める。非営利組織でのボランティアを含め、関心ある仕事の分野を列挙する。

ソース:The Daily Drucker 18 September.
0919 ◆「非競争的生活」

競争の苦闘の中で、多くの成功する知識労働者(事業のマネジャー、大学の教師、美術館のディレクター、医師)は40歳代で安定水準に達する。彼らは、その達するであろう全てに達したことを知る。仕事が全てであれば、厄介なことになる。知識労働者は、そのため、できればまだ若い間に、非競争的な生活と自身のコミュニティと本業外の真剣な関心を開発する必要がある。この本業外の関心は職場を超えて、個人的な貢献と達成の機会を与える。

誰も、生活や仕事において、深刻な後退を経験せずに長生きすることは期待できない。42歳で会社での昇進の候補から外された有能なエンジニアがいる。そのエンジニアは、仕事では非常に成功しなかったことを知る。しかし、本業外の活動(例えば、地域の教会での財務担当)で、彼は成功を得る。家族はバラバラになるかもしれないが、その本業外の活動において、なおコミュニティが存在する。

仕事で直面する競争のプレッシャーを受けない関心を開発する。本業外の関心の分野でコミュニティを見つける。

ソース:The Daily Drucker 19 September.
0920 ◆「人員配置の判断」

人についての判断は大きなギャンブルであるが、人が何ができるかに基づくなら、それは少なくとも理にかなったギャンブルとなる。有効なエグゼクティブは強みを生産的にする。彼らは、人が、何ができるかに基づき、地位につけ、昇進させ、弱みを最小にするのではなく強みを最大にする。強い人々は常に大きな弱みを持つ。山があるところには谷がある。「良い人」のようなものはなく、「何について良いのか」が問題である。多方面でそこそこできるパフォーマンスではなく、1つの主要な分野での卓越さを探す。人の卓越は1つの分野で、(多くても、きわめて少数の分野で)達成され得るだけである。常に、人がうまくできるべきものからスタートし、実際にそれをうまくすることを求める。

弱みがそれ自体重要で関係する1つの分野がある。人格と誠実さは、それ自体、何事も成し遂げない。しかし、その欠如は他のすべてを毀損する。ここに、弱みが絶対的な欠格となる分野がある。

ソース:The Daily Drucker 20 September.
0921 ◆「「Widow-Maker(命取りの)」ポジション 」

「widow-maker」は19世紀のニューイングランドの造船家が、うまく造られたのに、立て続けに致命的な事故を起こす新しい船を表した言葉である。彼らは、船の問題を直そうとするかわりに、次の事故が起きないよう、即座に船を壊した。組織において widow-maker は、続けて有能な人をつぶす仕事である。それは、いかに有能であろうと、ほとんど確実に3人目をつぶす。すべきことは、widow-maker のポジションを廃止し仕事を再構築することである。widow-maker は、組織が急速な成長や急速な変化を経験するときに、典型的に生じる。私は、多くの組織でこの現象を見てきた。例えば、ここ10年内に、学部生を教える大学から、研究大学に変わった大学がそうであった。それは、古い制度の時に総長となった2人のすばらしい人をダメにし、途中、多くの学部長もダメにし、これらのポジションは、大学が徹底的に再構築された後にはじめて、問題なく満たされるようになった。

「widow-maker」の仕事は通常、偶然の結果である。通常1人の人には見られない気質的な性格を結合した人が、その仕事を作り、うまくふるまった。言い換えれば、理にかなった仕事のように見えたものは、純粋な機能の結果というよりパーソナリティの事故である。しかし、人はパーソナリティを入れ替えることはできない。

ソース:The Daily Drucker 21 September.
0922 ◆「規定年齢を過ぎたエグゼクティブ」

雇用主は、管理職と専門職にある60歳以上の人のため方針を整えるべきである。基本的ルール、そして明確に規定され厳格に実施されるべきは、 60代前半を超える人々は主要な管理的責任を解かれるべきということである。判断が数年後に問題を引き起こす時に、その人が会社の救済を助ける場にいないのであれば、判断に加わらないということは、エグゼクティブだけではなく、全ての人にとって賢明なルールである。高齢のエグゼクティブは「上司」であるより、自分で行う仕事に移るべきである。「マネジャー」として働くのではなく、アドバイス、指導 、基準の設定、争いの解決といった1つの主要な貢献に特化して集中する。日本人は「顧問」を持ち、彼らは、しばしば80歳代まで、有効に働く。

ソース:The Daily Drucker 22 September.
0923 ◆「Controls, Control and Management」

我々は、技術の大きな進歩、特に巨大データを素早く処理し分析する能力に基づき、急速に事業や他の社会的組織における controls をデザインする大きな能力を獲得する。これは「control」にとって何を意味するか?特に、マネジメントによりよい control を与えるためのこれらの大きく進歩した controls の条件は何か?
マネジャーの仕事において、controls は目的のための手段であり、目的は control である。我々が社会的組織において人を扱う場合、 controls は control につながる個人的なモチベーションとならなくてはならない。
controls により生み出される情報が行動の動機となるには、翻訳(ある種の情報の他への翻訳であり、我々はそれを認知と呼ぶ)が必要となる。社会的組織において、第2の複雑さ、第2の「不確定原則」がある。社会的状況において出来事への適切な反応を前もって示すことはほとんど不可能である。

「利益が落ちている」という control-reading は、その幅はもちろんのこと「値上げ」という反応を示唆しない。「売上が低下している」という control-reading は「価格の切下げ」といった反応を示唆しない。出来事自体に意味はない。意味があるとしても、何を意味するかは確かではない。

組織をマネジメントするために使うパフォーマンス測定基準を見直す。組織の結果にとって意味のない基準を廃止する。

ソース:The Daily Drucker 23 September.
0924 ◆「Controls は客観的でも中立的でもない」

我々が企業で扱う社会状況において、測定行為は客観的でなければ中立的でもない。それは主観的で、必然的に偏ったものとなる。それは、出来事と観察者の双方を変える。出来事は、測定のために選ばれることで価値を得る。これらの現象が「管理される」ものとして選ばれることは、それが重要と考えられるという合図である。事業のような社会的機関での Controls は目的設定と価値設定である。それらは「客観的」ではなく、必然的に、道徳的なものである。Controls はビジョンを創造する。それらは、出来事に、意味だけではなく、価値も授ける。基本的な質問は「我々はいかに管理するか?」ではなく「我々の管理システムで何を測定するか?」である。

「あなたが測定するものはあなたが得るものである」ことを銘記する。パフォーマンスの全ての測定が組織の目的や価値の達成に関係することを確かめる。さもないと、組織への指導を誤る危険を冒すことになる。

ソース:The Daily Drucker 24 September.
0925 ◆「Controls は結果にフォーカスすべきである。」

全ての社会的組織は社会、経済および個人に貢献するために存在する。そして、結果は外部(=経済、社会、そして顧客)にのみ存在する。利益を生み出すのは顧客だけである。事業内の全てはコストのみを生み出し「コストセンター」でしかない。しかし、結果は、企業家的である。我々は、外部について、信頼できるものはもちろんのこと、適切な情報を持たない。

結果の領域である外部は内部よりもはるかにアクセスできない。大組織のエグゼクティブの中心的な問題は外部からの孤立である。そのため、今日の組織が必要とするのは、外部に対する感覚器官である。現代の controls が貢献のためにあるとすれば、それはとりわけ、ここにある。

環境についての重要な情報を収集する組織的な方法を開発する。その情報は、顧客満足、非顧客の購入習慣、技術開発、競争相手および政府の関連施策の知識を含むべきである。

ソース:The Daily Drucker 25 September.
0926 ◆「測定できない出来事の controls」

他の機関と同じく、事業は測定できない重要な結果をもつ。経験あるエグゼクティブは、有能な人々を惹きつけることも確保することもできないため、絶滅に向かう会社や産業を知る。経験あるエグゼクティブが知ることであるが、これは、会社や産業について、昨年の利益申告より重要な事実である。しかし、その説明は、「量化」はもちろんのこと、明確に定義され得ない。それは「実体のない」ものではなく「実体のある」ものであるが、ただ測定できない。そして、測定できる結果は10年間現れない。

測定可能なものと測定不能なものの間のバランスは、マネジメントの中心的かつ継続的な問題であり、真の判断分野である。測定不能の説明に関する仮説を説明しない測定は、誤った指示を与える。しかしながら、真に測定可能な分野を量化できるほど、全面的にそれらを強調する誘惑にかられる。したがって、よりよくコントロールされているように見えるものが、よりコントロールされていない危険が高まる。

あなたの組織の目標達成に重要な測定不能と測定可能な変数を挙げる。①測定できる変数の量的な評価と②重要な質的変数のための質的な評価を開発する。

ソース:The Daily Drucker 26 September.
0927 ◆「組織の究極的なコントロール」

社会的機関における controls に対する、根本的で、治癒できない、基本的制約がある。社会的機関は、自分自身の目的、野心、アイデア、ニーズを持つ人々からなる。機関がいかに権威主義的であっても、メンバーの野心とニーズを満たさなくてはならず、制度的な賞罰、インセンティブと抑止を通じてそれを行う。この表明は、給与の上昇のように、量化できるかもしれないが、システムそれ自体はその特性において量的なものではなく、量化され得ない。

機関の現実のコントロールがある。人々は賞罰に応じて行動する。このため、彼らに対してすべきは組織の価値とその(みせかけのものではない)真の目的と役割の真の表明である。人々の判断にある組織の究極の control と整合しない controls のシステムは、良くて無効であり、悪ければ、果てしない対立を引き起こし、機関を制御できなくする。組織のために controls をデザインするにあたって、事業の実際の control である人々の判断を理解し分析しなくてはならない。最も強力なコンピューターを備えた「インスツルメント ボード」でさえ、組織の見えない質的コントロールである賞罰並びに価値とタブーのシステムに対して、二次的なものである。

組織において、昇進判断の手続きを含む、報酬と罰のシステムを明記する。 組織におけるパフォーマンス基準を評価する。パフォーマンス基準に基づくよいパフォーマンスが報酬、昇進及び罰につながるようにする。

ソース:The Daily Drucker 27 September.
0928 ◆「短期と長期の将来とを調和させる」

マネジャーには2つの仕事がある。
第1は、部分の合計よりも大きい真の全体、投入されるリソースの合計を超えるものを生み出す生産的実在の創造である。
第2は、全ての判断と行動において、現在の必要と長期の将来の必要を調和させることである。マネジャーはいずれかを犠牲にすれば、企業を危うくする。

マネジャーが次の100日を気にしなければ、次の100年はない。マネジャーが行うことは、基本的な長期の目的と方針においてと同じく、短期においても健全であるべきである。2つの時の次元を調和できなくても、少なくともそれらをバランスさせるべきである。即時の利益を守るための企業の長期の将来の犠牲を、あるいは、明日のための今日の犠牲を計算しなければならない。どちらの犠牲も、できるだけ限定しなくてはならない。そして、彼は、それが加える損害をできるだけ速やかに修復しなくてはならない。彼は、2つの時の次元で行動し、企業全体とその中での自身の構成要素のパフォーマンスに責任を持つ。

組織の富の生産能力の最大化に導くパフォーマンス測定システムを開発する。①量的及び②質的測定に加えて、③短期の測定と④長期の測定の双方を含む。

ソース:The Daily Drucker 28 September.
0929 ◆「専門による誤った指示」

古い物語は何をしているのかを尋ねられた3人の石工について語る。1人目は「生計を立てている」と答えた。2人目は「国で最高の石工の仕事をしている」と言いながら作業を続けた。3人目は、先を見通すように目を輝かせて顔を上げ「私は教会を建てている」と言った。3人目の男は、もちろん、真のマネジャーである。
1人目の男は、彼が仕事から得たいものを知り、それを行う。彼は「その日の支払のためにその日の仕事をする」が、マネジャーではなく、決してマネジャーにはならない。問題は2人目の男である。技量は重要である。メンバーに、彼らが得られる最高の技量を求めない組織は、堕落する。しかし、真の熟練工、真の専門家は、実際は、ただ石を磨きあるいは脚注を集めているのに、何かを成し遂げていると信じる危険がある。事業体において技量は促進されなくてはならない。しかし、それは常に、全体のニーズと関連付けられなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 29 September.
0930 ◆「報酬体系」

人々は報酬を支払われなくてはならないが、すべての報酬システムは誤った指示を与えがちである。報酬は常に、企業と社会における地位を表す。それは、必然的に、パフォーマンス(の判断)とともに(人の)価値の判断を伴う。それは感情的に我々の公正、正義及び平等の観念と結びつく。お金は、量的である。しかし、報酬システムにおけるお金は、最も無形のものであるが、同時に最も敏感な、価値と質を示す。したがって、報酬のための「科学的公式」の試みは、完全には成功しない。

最善の可能な報酬プランは、必然的に、個人とグループにとって、報酬の多様な機能と意味の中での妥協である。最善のプランでも、組織化するとともに混乱させ、指示するとともに誤って指示し、正しい行動を促すとともに誤った行動を促す。好ましいのは、複雑なものではなく、シンプルな報酬システムである。報酬システムは、全ての人に1つの公式を課すものよりも、判断を許し、個人の仕事にふさわしい支払を可能にするべきである。できることは、報酬システムが間違った行為に報い、誤った結果を強め、公益に向けたパフォーマンスから引き離すことのないようにすることである。

ソース:The Daily Drucker 30 September.
10月  
1001 ◆「完璧を追求する」

古代ギリシャの最も偉大な彫刻家であるフィディアスは、紀元前440年頃に、2400年後の今日でもアテネのパルテノンの天井に残る彫刻を作った。フィディアスが請求書を提出したとき、アテネの市の会計担当は「彫刻は寺院の天井にあり、アテネの最も高い丘にある。誰も正面しか見ることができない。あなたは周りの彫刻、つまり、裏側の彫刻についても請求するが、それは誰も見ることができない」と支払を拒否した。フィディアスは言い返した。「あなたは間違っている。神は見ることができる」

私は、自分の本のどれが最高だと思うかと聞かれるときはいつも、笑って「次のだ」と言う。私は、冗談で言っているのではない。ヴェルディが、80歳にして、いつも到達できなかった完璧さを求めてオペラを書いていると話すときに、彼が意味したのと同じ意味で言ってる。私は今、ヴェルディが「ファルスタッフ」を書いた時よりも高齢だが、2つの本に取り組んでおり、それが、これまでのどの作品よりも良いものとなり、重要なものとなり、傑出に少し近づくことを望む。

いかに困難でも、あなたの仕事で完璧を追求する。

ソース:The Daily Drucker 1 October.
1002 ◆「判断の目的」

判断プロセスは判断が達成すべきものについて明確な仕様を求める。判断が達すべき目的な何か?科学において、これは「境界条件(boundary conditions)」として知られる。判断が有効であるには、その目的に対して適切である必要がある。より簡潔かつ明確に境界条件が示されれば、判断は有効なものとなり、その目的を達成する見込みが高くなる。逆に、境界条件の定義が不十分であれば、いかにすばらしく見えようが、ほぼ確実に、判断は無効となる。

「この問題を解決するのに必要な最低条件は何か?」が境界条件が通常立求められるフォームである。Alfred P. Sloan は、おそらく、彼が1922年に GMを指揮した時に、「部門のトップの自治権を奪うことで、我々のニーズは満たされ得るか?」と自問した。彼の答えは、否定であった。彼の問題の境界条件は、経常的ポジションのトップに権限と責任を求めた。これは中心と全体でのコントロールと同様に必要とされた。境界条件は個性の場よりも、構造の問題への解決を求めた。そして、これは、彼の解決を持続的なものとした。

意思決定によってあなたが満たそうとする目的と必要を明確にする。

ソース:The Daily Drucker 2 October.
1003 ◆「意思決定」

人は、常に最後に妥協しないといけないから、受け入れられるものではなく「正しいもの」からスタートしなくてはいけない。しかし、何が正しいかを知らなければ、人は正しい妥協と誤った妥協を区別できず、結局は誤った妥協で終わることになる。私は、1944年にGMのマネジメント構造とマネジメント方針の研究という、最初の大きなコンサルティングの課題に取り組んだ時に、これを教わった。 会長でありCEOであった Alfred P. Sloan, Jr が研究の最初に私をオフィスに呼んで言った。「私は、何を研究すべきか、何を書くべきか、結論が何であるかを言わない。あなたへの唯一の指示は、あなたが見て正しいと考えることを書くことである。我々の反応を気にするな。そして、あなたの提案が受け入れられるために必要な妥協に関わるな。この会社には、あなたの助けなしにいかに妥協するかを知らないエグゼクティブはいない。しかし、最初に何が正しいかを伝えなければ、正しい妥協はできない。」 

ソース:The Daily Drucker 3 October.
1004 ◆「正しい妥協」

人は、常に、結局は妥協しなくてはならないのであるから、(誰が正しいかはももちろん)何が受け入れられるかよりも「何が正しいか」からスタートすべきである。人は仕様と境界条件を満たすために何が正しいかを知らなければ、正しい妥協と間違った妥協を区別することができず、間違った妥協に終わる。

2種類の妥協がある。1つは「半分(のパン)でもないよりまし」という古い諺に表される。もう1つは、ソロモンの裁きの物語に表れており、それは「半分の赤ん坊はいないよりまし」という認識に基づく。第1の例では、境界条件はなお満たされている。パンの目的は食べ物の提供であり、半分のパンは食べ物である。しかしながら、半分の赤ん坊は、境界条件を満たさない。半分の赤ん坊は、生きて育つ子供の半分ではなく、2片の遺体である。

ソース:The Daily Drucker 4 October.
1005 ◆「実行を決定に組み込む」

決定は行動へのコミットメントである。正しいことが起こるまで、決定はない。そして、ほとんどの場合、「行動しなくてはいけない人」は「決定した人」ではない。決定は、その実行が誰かの割当と責任となり、期限が定められない限り行われない。それまでは、単なる希望にすぎない。

決定の行動への転換は、いくつかの質問への回答を必要とする。

・誰がこの決定を知らなくてはならないか?
・どのような行動がとられなくてはならないか?
・誰がそれをするか?
・しなくてはいけない人ができるには、その行動はどうであるべきか?

行動は実行しなくてはならない人々の能力に適したものでなくてはならない。決定を有効にするために、ふるまいや習慣や態度を変えなくてはならない場合、これは、特に重要である。

ソース:The Daily Drucker 5 October.
1006 ◆「意見の相違を作る」

エグゼクティブが行わなくてはならない種類の決定は喝采によってはよく行われない。相反する見方の衝突、異なる視点間の対話、異なる判断の間での選択に基づく場合にのみよく行われる。意思決定における第1のルールは意見の相違がない限り判断しないということである。

Alfred P. Sloan, Jr はGMの最高委員会のある会議で「われわれ全員はここでの判断に完全に賛成のようだ」と言い、全員がうなずいた。Sloan は続けた。「そこで、意見の相違を作り出し、判断がどうあるべきかについて更なる理解を得るため、この議題についての議論を次の会議に持ち越すことを提案する。」

意見の相違が必要となされる理由は3つある。
第1に、意思決定者を、組織の囚人となることから守る。全員が特別な擁護者であり、しばしば誠実に、彼が賛成する決定を得ようとする。
第2に、意見の相違のみが、決定への選択肢を提供する。選択肢のない決定は、どれだけ注意深く考え抜かれたとしても、すてばちのギャンブラーの賭けである。
第3に、何より、意見の相違は、創造力を刺激するために必要である。

ソース:The Daily Drucker 6 October.
1007 ◆「決定プロセスの要素」

良い意思決定者は、意思決定には独自のプロセスと明確に定義された要素とステップがあることを知る。全ての決定にはリスクがある。それは現在のリソースの不確実でわからない未来への投入である。しかし、プロセスが誠実に遵守され、必要なステップがとられれば、リスクは最小となり決定はかなりの見込みで成功する。

良い意思決定者は
・決定がいつ必要かを知る

・意思決定のの最も重要な部分は、決定が正しい問題についてなされるようにすることであると知る
・いかに問題を定義するかを知る

・何が正しい決定かを考えるまで、何が受け入れ可能かについて考えない
・おそらく、結局は妥協しなくてはならないことを知る

・実行と有効性が組み入れるまで、決定は行われていないことを知る

ソース:The Daily Drucker 7 October.
1008 ◆「決定は必要か?」

不要な決定は時間とリソースの無駄であるだけでなく、すべての決定を無効にする危険がある。したがって、必要な決定と不要な決定を区別できることが重要である。外科医は、1000年にわたって日常的にリスクを冒す決定をしなくてはならかったため、有効な決定の最適な例を提供する。リスクのない手術はなく、不要な手術は避けなければならない。決定において外科医が用いるルールは次のものである。

ルール1:患者へのリスクや危険や大きな痛みなく、自然に治癒し又は安定するであろう場合、定期的に観察と検査をする。しかし、手術はしない。そのような状況で手術をすることは、不要な決定である。

ルール2:退行性又は生命を危うくする状況で、できることがある場合、素早く、抜本的にそれをする。それは、リスクにかかわらず、必要な決定である。

ルール3:その中間(=①退行性でなく、また生命を危うくするものではないが、②自然に回復するものではなくかなり深刻である場合)が問題であり、おそらく最大の範疇である。これは、外科医が機会とリスクを天秤にかけなくてはならない場合である。そして、この決定が、一流の外科医と凡才を分ける。

良い外科医が不要な手術をする以上に不要な決定をしない。

ソース:The Daily Drucker 8 October.
1009 ◆「問題を分類する」

最も一般的な誤りは、一般的な状況をユニークな出来事のように扱うことである。

エグゼクティブは4種類の問題に直面する:
1.組織の中でそして産業において一般的な出来事
2.組織にとってユニークであるが産業において一般的な出来事
3.真にユニークな出来事
4.ユニークに見えるが、新たな一般的な問題であるもの

真にユニークな出来事以外のすべては、一般的な解決を必要とする。一般的な問題は標準的なルールと実践により解決され得る。正しい原則が開発されれば、同じ一般的な出来事の発現はすべて、標準的な原則の適用により処理され得る。エグゼクティブがしなくてはならないのは、特定の問題の具体的な状況への原則の適合である。しかしながら、ユニークな出来事は、ユニークな解決を必要とし、個別に扱われなくてはならない。真にユニークな出来事はめったになく、組織が直面する事実上全ての問題は、すでに誰かが解決している。標準的なルールや原則を適用することで、ほとんどの種類の問題を解決することができる。

ソース:The Daily Drucker 9 October.
1010 ◆「問題定義:例」

問題を定義することは、有効な決定をするに当たり最も重要な要素と言っていいが、エグゼクティブはそれにほとんど注意を払わない。正しい問題に対する誤った答えは、概して、訂正され救われる。しかし、誤った問題に対する正しい答えは、正すことが非常に難しい。

ある米国最大の製造会社のマネジメントは安全記録を誇った。 同社はその産業で従業員1000人当たりの事故数が最低であり、世界でのどの製造場所でも最も事故数が少なかった。しかし、労働組合は、ひどい事故率を非難し続け、労働安全衛生局も同様であった。会社は、広報の問題だと考え、そのほぼ完璧な記録の宣伝に多額の金を費やした。しかし組合の攻撃は続いた。事故を合計し従業員1000人当たりの事故を計算すれば、高い事故率のところはなかった。しかし、会社が事故を部門ごとに分けると、全ユニットの約3%の非常に少数の場所で、平均以上の事故率であることがわかった。そして、より少ない場所で、非常に高い事故率であった。組合はそれらの場所から苦情を聞き、それらの場所の事故が報道され、労働安全衛生局の報告となった。

ソース:The Daily Drucker 10 October.
1011 ◆「問題定義:原則 」

有効な意思決定者はいかにして正しい問題を決める?

有効な意思決定者はたずねる:
・これは何についてのものか?
・何が関係するか?
・この状況の鍵は何か?

これらの質問は新しくはないが、問題を定義するにあたって決定的に重要である。正しい問題が取り組まれるよう、問題は全ての角度から考えられなくてはならない。問題が正しく定義されるようにする1つの方法は、観察できる事実に対してそれをチェックすることである。問題定義がすべての観察できる事実を説明し包含しなければ、定義は不完全であり、おそらく間違っている。しかし、問題が正しく定義されれば、決断自体は通常容易である。

ソース:The Daily Drucker 11 October.
1012 ◆「他の人に決定を受入れさせる」

決定は、組織がそれを「買わ」(受入れ)なければ、無効である。それは、良い意図でありつづける。そして、決定を有効にするには、意思決定プロセスの最初から、買われる(受入れられる)ことが組み込まれなくてはならない。これは、日本のマネジメントから学んだことである。意思決定プロセスが始まるとすぐ、最終判断がなされるかなり前に、日本のマネジメントは決定を売り込む。

例えば、欧米の会社との合弁や米国の有力なディストリビューターに出資を行う場合、決定により影響を受けるであろうすべての人は、その決定がいかに彼の仕事、職務、部門に影響するかを書き留めるよう求められる。彼は意見を持ったり、あり得る動きを推奨したり反対することは明確に禁じられる。しかし彼はそれを考えることが期待される。トップマネジメントは、これらの人々の立場を知る。そして、トップマネジメントはトップダウンで意思決定をする。日本の組織には「参加方式のマネジメント」は多くない。しかし、決定により影響を受けるであろう全員は、好むと好まざるとにかかわらず、それが何についてのものかを知り、その準備をさせられる。それを売り込む必要はない。既に売られている。

ソース:The Daily Drucker 12 October.
1013 ◆「決定を結果に対してテストする」

決定による期待を実際の出来事に対して継続的にテストするため、フィードバックが決定に組み込まれなくてはならない。決定は人々によって行われるが、人々は誤りを免れず、その言葉も長くもたない。最善の決定ですら、誤っている可能性が高い。最も有効なものも、結局は陳腐化する。

アイゼンハワーが大統領に選ばれた時、前任のトルーマンは言った。「哀れなアイクよ、彼が将軍であった時、彼は命じ、それは実行された。今、彼は大きなオフィスに座ろうとしており、彼は命じるだろうが、何も起こらないだろう」「何も起こらない」理由は、将軍が大統領より権威があるからではない。軍の組織は、古くから、ほとんどの命令は無駄であり命令の実行をチェックするためにフィードバックを組織化することを学んだ。彼らは、古くから、自分が行って見ることが唯一の信頼できるフィードバックであることを学んだ。大統領が通常動員できる全てである報告はたいした助けにならない。

ソース:The Daily Drucker 13 October.
1014 ◆「意思決定における継続的学び」

意思決定において、継続的な学びをエグゼクティブの仕事に組み込む以上に重要な分野はない。この方法は決定の結果からそれがなされた時の期待へのフィードバックである。エグゼクティブが重要な意思決定をするときはいつも、どのような結果がいつ期待できるかを書き留める。そして、エグゼクティブは、9か月か1年後に、実際の結果から期待されたものへのフィードバックを始め、決定が有効な限り、それを続ける。例えば、買収において、エグゼクティブは買収が統合されるのにかかる2~5年の間、実際の結果を期待されたものと比較する。

これをすることで我々がどれだけ、そしていかに素早く学ぶかは驚くべきことである。医師は処方した治療の結果、すなわち医師の決定の結果として、患者の状態にいかなる推移を期待するかを書き留めることを、2400年前のギリシャにおけるヒポクラテスの時代から教えられてきた。そして、全ての経験ある医師が言うように、それは並の能力の医師を、数年以内に、有能な臨床医とする。

ソース:The Daily Drucker 14 October.
1015 ◆「決定責任を定める」

ビジネス決定の性質を決定する4つの基本的性質がある。
第1に、判断の将来性の程度である。どれだけ長く将来にわたり、それは会社にコミットするか?
第2に、決定が他の機能、他の分野、あるいは事業全体に与えるインパクト。
第3に、決定に入れられる質的なファクターの数。行動の基本原則、倫理的価値、社会的及び政治的信念等。
第4に、定期的に繰り返される決定か、(ユニークでないとしても)めったにない決定か。

決定は常に、できるだけ低いレベルで、行動の場面に近く、なされるべきである。しかし、決定は常に、影響を受ける全ての活動と目的が十分に考慮されるレベルでなされるべきである。最初のルールは、いかに低く決断がなされるべきかを教える。後のルールは、いかなるマネジャーが決定に参加し、それを知らされなくてはならないかと同じくそれはどれだけ低いところでなされ得るかを教える。これらの2つにより、活動がどこに置かれるべきかが決まる。

意思決定をできるだけ行動に近いところですべきである。しかし、決定が組織に長い間コミットするほど、他の機能へのインパクトが広いほど、多くの質的要素が関係するほど、その決定がめったにないほど、決定は組織のより高いところでなされなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 15 October.
1016 ◆「社会における正当な力」

正当な力は個人の社会的地位と機能が依拠する人の本性と達成感についての社会の基本的信念に由来する。正当な力はその正当性を社会の基本的エートス(精神)に置く統治者として定義され得る。全ての社会において、そのような本源に関係のない多くの力があり、その(=本源の)達成のためにデザインされたり奉仕されることのない機関が存在する。言い換えれば、常に、自由な社会で多くの「不自由な」機関があり、平等な社会で多くの不平等があり、聖人の中に多くの罪人がいる。しかし、我々が統治者と呼ぶ決定的な社会的力は、自由、平等、高徳さの要求に基づき、これらの理想的な目的の達成に向けてデザインされた機関を通じて行使される限り、社会は自由で平等で高徳な社会として機能し得る。その制度的な構造は正当な力の1つである。

ソース:The Daily Drucker 16 October.
1017 ◆「社会の良心」

「経済人の終焉」(ドラッカーの本)は、教会は結局、ヨーロッパ社会とヨーロッパの政治のための基盤を提供しないという結論に達した。それは、現代人がそれらを無視するという理由によるものではないが、失敗する。宗教は、「個人の」絶望と存在の苦悩への答えを提供し得る。しかし「大衆の」絶望への答えを提供しない。この結論は今日でも妥当する。人は、この世界を捨てる用意ができていない。人は、救済を期待するなら、現世の救済を求める。そして教会、特にキリスト教の教会は、「社会的福音」を、伝道できるしすべきである。しかし、政治を神の恵みにかえ、社会科学を贖罪に替えることはできないし、すべきでない。(あらゆる)社会の批判者である宗教は、神とともにある魂の国である真の神の国を捨てることなしに、いかなる社会も社会プログラムさえも、受け入れることはできない。そこに、社会の良心としての教会の強みと政治的/社会的力としての教会の弱みがある。

ソース:The Daily Drucker 17 October.
1018 ◆「正当化される資本主義」

資本主義は私的利益を社会的行動の最高の支配者の座につかせる結果として自由で平等な社会を期待する。資本主義は、もちろん、「利益動機」を発明したわけではない。利益は常に個人の主たる動機づけの1つであり、人が住む社会秩序に関係なく、常にそうであり続ける。しかし、資本主義者の信条は、それによって理想の自由で平等な社会が自動的に実現する手段として、利益動機を積極的に評価した最初で唯一の社会的信条である。全ての従前の信条は利益動機を、社会的に破壊的な、あるいは少なくとも中立的なものとみなした。

資本主義は、それゆえ、経済領域に独立と自治を与えなくてはならず、経済活動は非経済的な考慮に服従するものであってはならず、より高い位置になくてはならないことを意味する。経済発展は社会的繁栄を約束するため、全ての社会的エネルギーは経済目的の推進に集中されなくてはならない。これが資本主義であり、この社会目的なしには、それは意味も正当性も持たない。

ソース:The Daily Drucker 18 October.
1019 ◆「資本主義を超えて」

私は自由市場に賛成である。それがうまく機能しないとしても、それ以外のものは機能しない。しかし、それは、経済を最も大切なものと偶像視するため、私はシステムとしての資本主義に重大な留保をつける。資本主義は一面的なものである。例えば、私は、しばしば、マネジャーに、憤りと士気の低下が会社に打撃を与えるのを望まないのであれば、上級エグゼクティブと一般のホワイトカラー従業員の間の給与比率は、20対1を超えるべきでないとアドバイスした。

今日、私は、マネジャーが大きな利益を出しながら、労働者を解雇することは、社会的にも道徳的にも許されないと信じる。社会として、我々は、ミドルマネジャーと労働者の間にこれが作り出す軽蔑のため、多くを支払う。要するに、人であり、人として扱われることが意味するものの次元は、資本主義の経済システムに組み入れられていない。そのような近視眼的なシステムが生活の他の面も支配することはいかなる社会にとってもよくない。

ソース:The Daily Drucker 19 October.
1020 ◆「利益動機の有効性」

唯一の関連し意味ある質問は、利益動機は、権力への衝動が向けられる、利用可能な方向づけの中で社会的に最も有効なものかである。利用可能で知られているチャネルである利益動機は、最高でなくても、非常に高い社会的有効性を持つ。権力への欲望が表され得る他の知られている形態は、野心ある人に仲間への直接的な力と支配を与えることで、満足を与える。利益動機のみが、物への支配を通じて達成感を与える。

ソース:The Daily Drucker 20 October.
1021 ◆「巨大国家(Megastate)」

帝国と全体主義国家の世紀には国民国家は唯一の政治的実体でであったが、過去100年間で、大いに変容した。それは、メガステート(巨大国家)に変異した。国民国家からメガステートへのシフトは19世紀の最後の10年に始まった。メガステートへの最初の小さなステップは、ドイツの首相であったビスマルクの1880年代の福祉国家の発明であった。第二次世界大戦直後のもう1つの主要な社会的プログラムである、英国の国民健康保険制度は、(全体主義国家外で)政府に保険者や提供者の役割を超えさせた最初のものであった。国民健康保険制度の下での病院と病院での治療は政府に引き受けられた。病院で働く人々は政府の被用者となり、政府は実際に病院を経営する。

政府が全ての社会問題や社会的課題のための適当なエージェントであることは、1960年までに、全ての先進西洋諸国で受け入られた政策となり、1990年代まで続いた。

ソース:The Daily Drucker 21 October.
1022 ◆「政府の目的」

政府は貧弱なマネジャーである。それは、必然的に、手続きに関係し、大きくて厄介である。政府はまた、公的資金を扱い、全てのお金について説明しなくてはならないことを自覚する。それは、「官僚的」にならざるを得ない。政府が「法の政府」か「人の政府」かは議論の余地がある。しかし、全ての政府は、定義上「様式の政府」である。これは、必然的に、高コストを意味する。

政府の目的は、基本的な意思決定をすることであり、それらを有効にすることである。政府の目的は、社会の政治的エネルギーに集中することである。それは、問題を脚色することである。それは、基本的な選択肢を提示することである。政府の目的は、言い換えれば、統治することである。これは、我々が他の機関で学んだように「実行」と両立しない。統治と「実行」を統合する試みは、意思決定能力を無効にする。事業は、より小さな規模で、政府が今日直面する問題である「統治」と「実行」の相互排除に、直面しなくてはならない。事業のマネジメントは、この2つが分けられなくてはならず、意思決定者であるトップの機関は「実行」から分離されなくてはならないことを学んだ。さもないと、彼は意思決定もしなければ「実行」もしない。事業では、これは「decentralization(分権化)」の名で呼ばれる。

ソース:The Daily Drucker 22 October.
1023 ◆「政府の分権化」

政府に適用される「分権化」は中央政府ではなく地方が課題の「実行」を担う「封建主義」の別の形ではない。それは、むしろ、パフォーマンス、オペレーション、執行の「実行」に、組織社会の非政府機関を用いる、組織的な方針である。

政府は①「これらの機関はいかに機能し、何ができるか?」と尋ねることからスタートすべきである。そして②「政治的・社会的目的が、これらの機関にとってパフォーマンスの機会となる形で、いかに考案され得るか?」と尋ねる。そして③「これらの機関の能力は、政治的目的達成のためのいかなる機会を政府に提供できるか?」と尋ねる。民営化は政府を弱めない。その主たる目的は病気で無力となった政府の強さとパフォーマンス能力を復活させることである。我々は政府が通ってきた道によっては、より遠くに行くことはできない。その方法で得られるのは、さらなる官僚化であって、さらなるパフォーマンスではない。

ソース:The Daily Drucker 23 October.
1024 ◆「強い政府」

我々はカールマルクスが約束した「国家の死滅」には直面しない。逆に、精力的で、強い、非常に活動的な政府を必要とする。しかし、我々は、①大きく無力な政府と、②自らを「決定」と「指示」に限定し「実行」を他に委ねるために、強い政府との選択に直面する。我々は、経済が放任される「レッセフェールへの回帰」には直面しない。全ての重要な分野で、この組織の多元社会(=機関がそれらが最もよく行うことができることに用いられる組織的多様性)において新たな選択をもつ。

政府は、その政治的な目的を、自治的機関にとって魅力的なものにするために、いかに構築するかを理解する。そして、我々は、作曲家のフレンチホルン、ヴァイオリンやフルートのパフォーマンス特性を最高に引き出す「演奏できる」音楽を作曲する能力を賞賛するように、特定の課題を、多元社会の自律的で、自治的な、民間組織の特性に最も適するように構築する立法者を賞賛して良い。

ソース:The Daily Drucker 24 October.
1025 ◆「国際分野での政府」

我々は、世界社会と世界経済のために機能する超国家的機関のために必要とされる主権の制限ができるよう、国際的領域において、強い有効な政府を必要とする。

環境保護は今日、国際環境保護法を必要とする。我々は、汚染物を「隔離」し、例えば、海洋汚染、大気の気温上昇、オゾン層破壊等のように、人の居住環境を深刻に汚染し損傷する状況の下で作られる物の国際交易での船積みを禁じる。これは「主権国家への干渉である」と非難され、実際そうである。それは、おそらく、豊かな先進国が貧しい途上国に、下水処理工場のような高コストの環境保護を補償することを求める。実際、環境保護は海外援助の最も生産的な目的であり、開発援助よりはるかに成功する。

ソース:The Daily Drucker 25 October.
1026 ◆「強力な労働組合の必要性」

先進国における労働運動の真の強さは道徳(=現世の社会の政治的良心であるとするその主張)であった。

マネジメントは、(誰が「所有」し、それが、事業、政府機関又は病院であっても)相当な力と権威(=事業の必要性に基づき、能力に基礎を置く力と権威)を持たなくてはならない。そして力は、米国憲法の起草者が知っていたように、対抗する力により制限される必要がある。それぞれが強いマネジメントを必要とする組織の社会である現代社会は、労働組合のような機関を必要とする。ここ数年の出来事は、十分にこれを証明した。しかし、再び、動的で、有効で、正当な機関となるには、労働組合は、徹底的に変わらなくてはならない。さもないと、組合は的はずれなものとなる。

労働組合が事業、政府及び病院の力をチェックできる建設的方法を考える。
1027 ◆「知識労働者の政治的統合」

新たな多数派である「知識労働者」はいずれの利益集団の定義にも適合しない。知識労働者は、農家でも、労働者でも、事業者でもない。彼らは組織の従業員である。しかしながら、彼らは「プロレタリア」ではなく階級として「搾取される」と感じない。集団的に、彼らは、その年金ファンドを通じて「資本家」である。彼らの多くはボスであり「部下」を持つ。しかし、彼らもまたボスを持つ。彼らは中間層でもない。彼らは、一部は他よりも儲けるが、斬新な言い方をするなら、「単一の階級(uniclass)」である。事業、病院、あるいは大学で働こうが、彼らの社会的地位に絶対的に違いはない。知識労働者が、事業の会計の仕事から病院の会計の仕事に移っても、社会的あるいは経済的地位に変化はない。彼らは仕事を変える。

この地位は特定の経済的あるいは社会的文化を意味しない。これまで、彼らに合う政治的概念も政治的統合もない。

ソース:The Daily Drucker 27 October.
1028 ◆「政治的機関としての会社」

事業での商品やサービスであれ、病院でのヘルスケアであれ、大学での学問や高度教育であれ、機関の主たる仕事のパフォーマンスについては、ルールは最適化である。そこでは、マネジャーは決定を、何が受け入れられるかではなく、何が正しいかに基づかなくてはならない。しかし、主たる仕事の(狭い)定義の外やそれを超えての関係者を扱う場合、マネジャーは(そうしないと拒否権を行使する関係者グループを懐柔し、鎮め、静かにさせるのに必要な最低限において)政治的に考えなくてはならない。マネジャーは政治家ではあり得ない。彼らは「小さな結果で良しとする」決断に自らを限定することはできない。しかし、彼らは、機関のパフォーマンスの中心的分野における最適化のみに関わることもできない。彼らは、継続的な意思決定過程において、双方のアプローチをバランスさせなくてはならない。企業は経済的な機関である。しかし、それはまた、政治的機関でもある。

マネジャーは、有効に拒否権を持ち決定を妨げる関係者は何であり、彼らの最低限の期待とニーズが何であるべきかを考えなくてはいけない。

企業の関係者を挙げる。次に、いかに①顧客のニーズを最適化し、②他の関係者の各々の最低限の期待を満たそうとするかを挙げる。

ソース:The Daily Drucker 28 October.
1029 ◆「良い意図を結果に転換する」

非営利機関は単にサービスを提供するだけではない。それはエンドユーザーがユーザーではなく行為者であることを求める。それは人を変えるのにサービスを使う。単なる供給者ではなく、受け手の一部になろうと試みる。

非営利組織は、マーケティングは必要ないと考えてきた。しかし、偉大な19世紀の詐欺師の有名な言葉がある。「ブルックリン橋を人にあげるよりも売る方が簡単。」ただで何かを提供すれば誰もあなたを信用しない。あなたは最も有益なサービスでさえマーケティングする必要がある。非営利部門でのマーケティングは販売とは全く異なる。それはあなたのサービスを受け手の視点から見ることである。あなたは何を売るのか、誰に売るのか、そしていつ売るのかを知らなくてはならない。

救世軍のミッションは市民を拒絶から救い出すことである。このサービスは受け手の視点からはどのように見えるか?救世軍はそのサービスをいかにマーケティングすべきか?

ソース:The Daily Drucker 29 October.
1030 ◆「非営利機関における資金開発」

非営利機関は資金開発戦略を必要とする。資金の源泉は、非営利部門と事業や政府との、おそらく、最大の違いである。事業はその顧客への販売により資金を得、政府は課税する。非営利機関は寄付者から資金を得なくてはならない。それは、運動への参加を望むが、受益者ではない人々から、資金(少なくともその大部分)を集める。

資金集めの囚人となる非営利機関は深刻な困難にあり、アイデンティティの危機にある。資金集めの戦略の目的は、まさに、非営利機関がミッションを資金集めに従属させることなく、ミッションを実行できるようにすることにある。これは、非営利の人々がその言葉を「資金集め」から「資金開発」に変えた理由である。資金開発は、その価値故に、組織をサポートする支持者の創造である。それは、与えることを通じて参加する会員の開拓である。

ソース:The Daily Drucker 30 October.
1031 ◆「有効な非営利組織の取締役会」

有効であるためには、非営利組織は強力な役員会を必要とする。役員会は、機関のミッションを考えることを助けるだけでなく、ミッションの監視者であり、組織がその基本的ミッションに従って行動することを確かにする。役員会は非営利組織が有能かつ正しいマネジメントをもつことを確かなものにする責任がある。役員会の役割は組織のパフォーマンスを評価することである。役員会はまた、非営利組織の第1の資金集めの機関である。

非営利の役員室のドアには「役員会の役員の地位は力ではない。それは責任である」という、大きな文字の銘があるべきである。役員会のメンバーの地位は、組織に対するものだけではなく、役員会自体、スタッフそして機関のミッションに対する責任を意味する。一般的な問題は、悪く分裂した役員会である。論点が生じる都度、役員会のメンバーは基本的方針の亀裂に決着をつける。ミッションが重要であり、重要であるべきであるため、これは非営利機関においてより起こりやすい。役員会の役割は、そのため、より重要となるとともにより論争的となる。その点において、議長とCEOのチームワークは絶対的に重要となる。

ソース:The Daily Drucker 31 October.
11月  
1101 ◆「組織的な機敏さ」

大きな組織は融通がきかない。大きな組織は、機敏さによるよりも、集団により、有効である。集団は、組織を、1人や小さいグループにおけるよりも、より多くの種類の知識とスキルを仕事に集めることを可能にする。しかし、集団は制約でもある。組織は、何をするにしても、1度に少数の課題のみに取り組むことができる。これは、よりよい組織や「有効なコミュニケーション」が治癒できるものではない。組織の法は集中である。

現代の組織は変われないといけない。実際、それは変化を起こすことができなくてはならず、それがイノベーションである。希少で高価な知識のリソースを生産性が低く結果がでない分野から達成と貢献の機会に移せなくてはならない。これは、リソースの浪費を止める能力を必要とする。

ソース:The Daily Drucker 1 November.
1102 ◆「事業情報システム」

事業情報システムは、事業環境についての情報をまとめる体系的プロセスである。それは、外部の情報を集め、体系化し、情報を「決定」へと統合する。環境についての体系化された情報は(実際の及び潜在的な)世界の競争相手についての情報を含む。しかしながら、全ての外部情報が手に入るわけではない。情報が手に入る場合でも、多くの事業はそれに気づかない。産業を変容させる新技術の半分は産業の外からやってくるもので、これらの新技術についての情報は入手できる。分子生物学と遺伝子工学は巨大製薬産業によって開発されたものではないが、それらはヘルスケア産業全体を変容させている。これらの発展についての情報は入手でき、製薬産業の会社はこれらの発展に通じていなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 2 November.
1103 ◆「情報の収集と使用」

会社の戦略を試すため、情報はまとめられなくてはならない。それは、事業の理論についての会社の想定をテストしなくてはならない。これは、①その環境(社会とその構造、市場、顧客、技術)についての会社の想定のテストを含む。環境についての情報は、重大な脅威と機会が生じそうな場面では、ますます切迫したものとなる。そして、②会社の特定のミッションについての想定がある。第3に、③そのミッションの達成のために必要とされる組織のコアコンピテンスについての想定がある。ソフトウェアは、病院、大学、損害保険会社のような特定のグループに合った情報を提供するようデザインされ得る。

会社は、顧客や非顧客についての情報のような、必要とする情報のいくらかを作ることができる。しかし、大企業でさえ、必要な情報を獲得してまとめるのに、外部の専門家の助けを必要とする。ソースは多様でありすぎる。企業が環境について知る必要があるもののほとんどは、外部のソース(あらゆる種類のデータバンクとデータサービス、多くの言語での定期刊行物、同業者団体、政府の刊行物、世界銀行レポート、科学論文、専門的な研究等)からのみ入手できる。

ソース:The Daily Drucker 3 November.
1104 ◆「情報のテスト」

情報システムの究極のテストは驚きがないことである。出来事が大事になる前に、エグゼクティブはそれらに合わせ、分析し、理解し、適切な行動をとる。1例は、1990年代の後期に、アジア大陸の崩壊に驚かなかった少数の米国の金融機関である。彼らは、アジアの経済と通貨について「情報」が意味するものを考えた。彼らは、徐々に、これらの国における子会社や関連会社の中からの全ての情報(それらは「データ」にすぎないと認識し始めた)を無視した。その代わりに、彼らは、短期借入と国の支払残高のレイシオや外国短期負債に利用できる資金に関する情報をまとめ始めた。これらのレイシオが好ましくないものとなり、アジア大陸でのパニックを回避できないものとするはるか前に、これらのエグゼクティブはそれが起きると認識した。彼らは、これらの国から撤退するか、長期において残るかを決定しなくてはならないことを認識した。言い換えれば、彼らはいかなる経済データが新興国について意味があるかを理解し、それらをまとめ、分析し、解釈した。彼らは、データを情報に変え、行動が必要となるはるか前にいかなる行動をとるべきかを決断した。

あなたの環境においてカギとなる変数を特定する。驚きを最小限にするために、これらの変数のそれぞれについての情報を持つことを確かにする。

ソース:The Daily Drucker 4 November.
1105 ◆「将来の予算」

ほとんどの事業において、唯一の予算があり、それは事業サイクルに合わせられる。良い時は、支出は一律に増加し、悪い時は、支出は一律に削減される。これは、しかしながら、将来失敗する。チェンジリーダーの第1の予算は、現在の事業を維持するための営業的支出と資本的支出を示す業務予算である。この予算は常に「事業継続のために必要な支出の最低額は?」という質問によりアプローチされるべきである。そして、悪い時には、それは下方調整されるべきである。

そして、チェンジリーダーは将来のため、第2の別の予算を持つ。将来予算は「これらの新たな活動が最適な結果を生み出すのに必要な最大の資金は?」という質問によりアプローチされるべきである。壊滅的な時期で支出の維持が企業の生存を脅かす場合でない限り、その金額はいい時も悪い時も維持されるべきである。

機会を開発する資金を含む「成長予算」を用意する。その予算が良い時も悪い時も安定的な資金を提供することを確かにする。

ソース:The Daily Drucker 5 November.
1106 ◆「勝利する戦略」

「良い意図は山を動かさないがブルドーザーは(山を)動かす」という古い言葉がある。非営利組織のマネジメントにおいて、ミッションと計画は、それが全てであれば、良い意図である。戦略はブルドーザーである。戦略は、あなたがやりたいことを達成に転換する。あなたを結果のために働くよう導く。あなたに、結果を得るために、あなたが持つ必要があるリソースと人を伝える。

私はかつて「戦略」という言葉に反対した。それが軍の言葉でありすぎると思った。しかし、私は少しずつ転向者となった。それは、多くの事業と非営利組織において、計画が知的訓練であるからである。それをきれいに装丁され棚に置かれる。全員が高潔さを感じ、我々は計画を作る。しかし、それが実際の仕事になるまで、あなたは何もしていない。他方で、戦略は、行動にフォーカスされたものである。戦略はあなたがそのために行動すべきものである。

ソース:The Daily Drucker 6 November.
1107 ◆「失敗した戦略」

戦略や行動が機能しないように思われる時、ルールは「最初にうまくいかなければもう1度試みる。それから、他のことをする。」である。新たな戦略はしばしば機能しない。そして座って学んだことを問う。おそらく、サービスが正しくない。それを改善し、変更し、もう1度努力する。勧めることは躊躇するが、3度目の努力をしてもいい。その後、結果があるところに行く。多くの時間と多くのリソースが、そして多くのなされるべき仕事がある。

例外がある。あなたは25年間自然にまかせて働いたことによる偉大な達成を見ることができる。しかし、これは非常に珍しい。自然にまかせる人々のほとんどは、白骨しか残さない。成功、失敗そして結果に関係なく、大儀に捧げる真の信者もいて、我々はそのような人々を必要とする。彼らは我々の良心である。しかし、なし遂げる人は非常に少ない。おそらく彼らの見返りは天国にあるが、それもまた確かではない。聖アウグスティヌスは1600年前に、不毛の地に教会を建てていた修道士に「空っぽの教会を超える天国での喜びはない」と書いた。

結果がでなければ、再び試みる。そして注意深く見て、他の何かに移行する。

ソース:The Daily Drucker 7 November.
1108 ◆「戦略的計画」

伝統的な計画は「何が最も起こりそうか?」を尋ねる。不確実への計画は、かわりに「未来を創るであろう何がすでに起こったか?」を尋ねる。

戦略的計画はごまかしの箱やテクニックの包みではない。それは、分析的思考であり、リソースの行動への投入である。それは、①体系的かつその未来の最大の知識をもって現在の企業家的決定を行い、②その決定を実行するために必要とされる努力を体系的に組織し、③組織化され体系化されたフィードバックを通じて、決定の結果を期待に対して評価する、継続的プロセスである。戦略的意思決定者が直面する質問は、組織が明日何をすべきかではない。それは「不確かな明日に備えるため(我々は)今日何をしなくてはならないか」である。質問は、将来何が起こるかではない。それは「①いかなる未来を現在の思考と行動に組み入れなくてはならず、②いかなるタイムスパンを考慮しなくてはならず、③この情報を今合理的な意思決定をするためにいかに使うか?」である。

ソース:The Daily Drucker 8 November.
1109 ◆「長期計画」

未来は、今、決定を必要とする。それは、今、リスクを課す。今、行動を必要とする。今、リソース(特に人的リソース)の割当てを求める。今、仕事を必要とする。

長期計画のアイデア(と現実の多く)は、多くの誤解に基づく。長期は、たいてい、短期間の判断により行われる。長期が組み込まれない限り、そして、短期の計画と判断に基づかない限り、最も精巧な長期計画も無駄になる。そして、逆に、今ここでの決定である短期の計画が行動の統一的な計画に統合されなければ、それはご都合主義である。「短期」と「長期」は所定の期間によって決まらない。判断は、実行に数か月しかかからないから短期となるわけではない。重要なのは、それが効果を及ぼす期間である。

長期計画はマネジャーをして無批判に今日のトレンドを将来に広げさせないよう、今日の製品、サービス、市場、技術を明日のものであると想定しないよう、そして何より、リソースとエネルギーを昨日を守るために専念させないようにすべきである。「計画される」全ては即座に仕事とコミットメントとなる。

ソース:The Daily Drucker 9 November.
1110 ◆「いかに捨てるか」

「何を捨てる?」と「いかに捨てる?」は体系的に行われなくてはならない。そうでないと、それらは「人気のある」政策ではないため、常に「先延ばし」される。

ほとんどの途上国でアウトソーシングサービスを提供するある会社では、毎月の第1月曜が、トップマネジメントから各分野の主任レベルまで全てのマネジメントレベルにおいて、廃棄会議にあてられる。これらの各セッションは、事業の1つの部分を検討する・・・ある月曜にサービスの1つを、1か月後に、会社が事業をする1つの地域を、3か月目の月曜の朝に、サービスが組織化される方法、等々。会社は、この方法で、1年内に自らを完全に検討し、例えば、それは人事政策を含む。1年のうちに、会社のサービスの「何」について、3から4の重要な決定が行われ、「いかに」を変える決定はおそらくその倍行われる。毎年、新たに行うことの3~5のアイデアがこれらのセッションから生まれる。何かを廃棄するかどうか、何かが行われる方法を廃棄するかどうか、何か新たなことをするかどうかといった、何かを変えるためのこれらのセッションは、毎月、マネジメントの全メンバーに報告される。そして、1年に2度、全てのマネジメントレベルは、彼らのセッションの結果実際に何が生じ、いかなる行動がとられ、どのような結果となったのかを報告する。

ソース:The Daily Drucker 10 November.
1111 ◆「事業売却」

事業売却は「売却」の問題より「マーケティング」の問題である。問題は「何をいくらで売却したいか」ではなく「誰にとって、いかなる条件で、この事業は価値があるか」である。ポイントは、売り手にとって適合しないものが完全に適合する潜在的な買い手、売却される事業がその最悪の問題を解決する最高の機会を提供する買い手を見つけることである。これはまた、最も高く支払う買い手である。

ある印刷会社は、所有する大衆雑誌は、せいぜい不完全にしか適合せず、売却されるべきと決断した。雑誌は、当初は、印刷契約を前提に購入された。彼らは「成長している雑誌出版会社にとっての価値は何か」を問い、その答えは「最大のニーズはキャッシュである。成長する出版会社は、数年間、流通の確立に大きな投資を必要とする」というものであった。「いかに潜在的買い手のこのニーズを提供し、我々を優位にすることができるか」が次の質問であった。答えは「工場への印刷代の支払について、慣例の30日ではなく90日の猶予を与えることによる」であった。印刷会社は、すぐに、彼らの条件を満たす出版会社を見つけた。

ソース:The Daily Drucker 11 November.
1112 ◆「マネジャーの仕事」

マネジャーの仕事には5つの基本的オペレーションがある。

①目標を設定する。目標が何であるべきかを決める。目標の各分野におけるゴールが何であるべきかを決める。これらの目標が達成されるためには何がなされるべきかを決める。その達成のためにパフォーマンスが必要とされる人々にそれを伝えることで目標を有効にする。

②組織化する。必要な活動、決定及び関係を分析する。仕事(work)を分類する。それを管理できる活動に分け、さらにその活動を管理できる仕事(job)に分ける。これらのユニットと仕事(job)を組織構造にまとめる。これらのユニットの管理と仕事(job)の実行のための人々を選ぶ。

③動機づけをし、コミュニケートする。多様な仕事に責任をもつ人々からなるチームを作る。

④評価。判断基準を制定し、そのいくつかの要素は、組織とその中の全ての人々のパフォーマンスにとって重要である。

⑤自身を含む、人々を開発する。

ソース:The Daily Drucker 12 November.
1113 ◆「目標とセルフコントロールによるマネジメント」

目標によるマネジメントの最大の利点はマネジャーが自身のパフォーマンスをコントロールすることを可能にすることである。セルフコントロールはより強い動機づけ(=なんとかやっていくのではなく最高への願望)を意味する。それは、より高いパフォーマンス目標とより広いビジョンを意味する。目標によるマネジメントは、会社に方向の統一とマネジメントチームの努力のために必要でないとしても、セルフコントロールによるマネジメントのために必要である。

「コントロール」は自身とその仕事を指示する能力を意味する。それはまた、他人による人の支配を意味し得る。目標は第1の意味で「コントロール」の基礎であるが、決して第2の意味での「コントロール」の基礎とならない(それは、彼らの目標を破壊する)。実際、目標によるマネジメントの主要な貢献の1つは、セルフコントロールによるマネジメントが支配によるマネジメントにとってかわることである。いかなる行動と方法について、会社が、非倫理的、非専門家的、あるいは不健全であるとして禁止するかは明確に理解されるべきである。しかし、これらの制限内において、全てのマネジャーは自分達が行うべきことを自由に決定できなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 13 November.
1114 ◆「目標をいかに使うか」

目標が良い意図にすぎなければ、それは無価値である。それは仕事に変わらないといけない。そして、仕事は常に特定のものであり、明確で、評価できる結果、期限及び特定の責任の割当てを持ち、持つべきである。しかし、厳しい締め付けとなる目標は害を与える。目標は、常に期待に基づくが、期待は、せいぜい、情報に基づく推測である。世界は止まってはいない。

目標を使う正しい方法は航空会社がスケジュールとフライトプランを使うのと同じである。スケジュールは午前9時ロス発で午後5時にボストン着のフライトを規定する。しかし、その日にボストンでブリザードとなれば、飛行機は、代りにピッツバーグに着陸し、嵐の間じっとする。フライトプランは、3万フィートで飛行し、デンバーとシカゴ上空を飛ぶことを規定する。しかし、パイロットが乱気流や強い逆風に会えば、彼は管制にもう5000フィート高度を上げ、ミネアポリス/モントリオールルートをとる許可を求める。しかし、スケジュールとフライトプランがなければフライトは運航されない。いかなる変更も、即座に、新たなスケジュールとフライトプランを作るためにフィードバックされる。

目標は運命ではなく、方向づけである。それは命令ではなく、責任である。それは未来を決めるものではなく、事業のリソースとエネルギーを未来を作るために動員する方法である。

ソース:The Daily Drucker 14 November.
1115 ◆「マネジメントレター」

目標設定は非常に重要であり、私が知る最も有効なマネジャーの幾人かは部下に年に2回「マネジャーの手紙」を書かせる。

上司に対するこの手紙で、各マネジャーは
①彼が考える、上司の仕事と自分の仕事の目標を定義する。
②彼に適用されると信じるパフォーマンス基準を書く。
③これらのゴールを達成するためにしなくてはならないことを挙げる。
④彼のユニット内で、主たる障害と考えることを挙げる。
⑤上司と会社の行為で彼を助けることと彼を妨げることを列挙する。
⑥彼のゴールに到達するために、翌年彼が行おうとすることの概略を書く。

上司がこの申告を受け入れると「マネジャーの手紙」はマネジャーが仕事をする憲章となる。

相互理解は「下への伝達(コミュニケーション)」によっては達成され得ないし、会話によって創られるものでもない。それは「上への伝達(コミュニケーション)」からのみ生じる。それは、上司の聞こうとする意欲と下位のマネジャー(の考え)が聞かれるよう特にデザインされたツールを必要とする。

ソース:The Daily Drucker 15 November.
1116 ◆「正しい組織」

1世紀前のマネジメントの先駆者は正しかった:組織構造は必要である。現代の会社は組織を必要とする。しかし、先駆者は、1つの正しい組織があると想定をした点において間違いであった。マネジメントは、正しい組織を探す代わりに、課題に適合する組織を探し、開発し、テストすることを学ぶ必要がある。

いくつかの組織の「原則」がある。
①組織は透明でなくてはならない。人々は、働く組織造を知り理解する必要がある。(●組織の透明性)
②組織の誰かが所定の分野で最終決定をする権限を持たなくてはならない。(●意思決定権限の明確性)
③権限が責任と釣り合うこともまた、健全な原則である。(●権限と責任との均衡)
④組織の誰もが1人だけ「マスター」をもつべきであることも健全な原則である。(●各人が1人だけマスターを持つ)

これらの原則は建築家の仕事における原則と違わない。それらは、いかなる種類の建物を建てるべきかを言わず、何が制限かを言う。そして、それは組織構造の多様な原則がすることである。

ソース:The Daily Drucker 16 November.
1117 ◆「数量化の限界」

私が数量化主義者でない最も主要な理由は、社会での重要な出来事は数量化できないからである。例えば、1900年か1903年のヘンリーフォードの、利益を最大化する方法は独占者になること(=生産を低くおさえ価格を高くすること)という一般的な経済的知見の不知は、儲ける方法は、価格を低く設定し、生産を高めることであるという想定を導いた。この「大量生産」の発明は、完全に産業経済を変えた。しかしながら、フォードの成功が彼を米国で、そしておそらく世界で最も金持ちの経営者とした何年も後の1918年や1920年でも、その影響を数量化することは不可能であった。彼は、産業生産、自動車産業、そして経済一般に大変革を起こし、とりわけ、我々の産業の理解を完全に変えた。

世界を変えるユニークな出来事は「辺境での」出来事である。それが統計的に重要になる時には、それはもはや「未来」ではなく「現在」でもない。それはすでに「過去」である。

ソース:The Daily Drucker 17 November.
1118 ◆「階層と平等」

感情的な平等主義者がそうであるように、形式的な平等の代わりに序列に基づく故の産業社会への攻撃は、産業と社会の双方の性質の誤解である。人の努力を社会目的に調和させる他の全ての機関と同様に、会社は階層的なラインにより組織されなくてはならない。しかし、ボスから用務員まで、全員がその会社の成功に等しく必要であると見られなくてはならない。同時に、大企業は昇進への平等の機会を提供しなくてはならない。これは、正義への伝統的な要請であり、キリスト教の人の尊厳の概念の結果である。

機会の平等の要請は、報酬の絶対的な平等を求めるものではない。逆に、機会の平等は、自動的に、報酬の不平等を当然のこととする。正義の概念は、報酬が不平等なパフォーマンスと不平等な責任に従って与えられることを含む。

ソース:The Daily Drucker 18 November.
1119 ◆「組織の特性」

組織は特別な目的の機関である。それらは、1つの課題に集中するから有効である。米国肺協会に行き「米国成人の90%が爪の食い込みに悩んでいる。我々は、この苦しみを無くすため、貴協会の、リサーチ、健康教育及び予防における専門的知見を必要とする。」と言えば、「我々は尻と肩の間にあるものにだけ関心がある」と答えられるだろう。これは、米国肺協会、米国心臓協会、その他の健康分野の組織が結果をだす理由である。

社会、コミュニティ、家族は、問題が生じればどのような問題でも対応しなくてはならない。1つの組織でそれをすることは「分散」であり、組織において分散は、分裂を意味する。それは、事業であれ、労働組合であれ、学校であれ、病院であれ、コミュニティサービスであれ、あるいは教会であれ、組織のパフォーマンス能力を破壊する。組織は、それぞれが狭い知識分野を持つ専門家により構成されるため、そのミッションは極めて明瞭でなくてはならない。組織は、共通目的を持つべきであり、そうでなければ、メンバーは混乱する。彼らは、一般的な仕事ではなくその専門に携わり、その専門において「結果」を定義し、自らの価値を組織に負わせる。明確で、焦点の絞られた共通のミッションのみが、組織を1つにし、結果を出すことを可能にする。

ソース:The Daily Drucker 19 November.
1120 ◆「連邦制の原則」

企業が必要とするものは中心と部分の双方に真の経営の機能と権限を与える原則である。この原則が連邦主義であり、そこでは、企業全体が自治的ななユニットから成る。連邦主義の企業とその全てのユニットは、同じ事業にあり、同じ経済的要因が全体とその全てのユニットの未来を決め、それらの全てについて同じ基本的決定がなされなくてはならず、同じ種類のエグゼクティブが必要とされる。そして、全体は(いかなる事業を行うかの判断、人事組織、並びに将来のリーダーの選択、訓練及びテストといった)基本的機能について統一的なマネジメントを必要とする。

同時に、各ユニットはそれ自体が事業である。それは、はっきりした市場のため自身の製品を作る。各ユニットは、それゆえ、全体のマネジメントの一般的な決定による制限内において広範な自治をもつ。各ユニットは自身のマネジメントを持たなくてはならない。ローカルなマネジメントは主に運営的なマネジメントであり、基本方針よりも、主に、現在と近い将来に関係する。しかし、制限された範囲において、それはまた真のトップマネジメントの機能を果たす。

ソース:The Daily Drucker 20 November.
1121 ◆「連邦制の分権化:強さ」

「連邦制の分権化」では、会社は多くの自治的事業に組織化される。各ユニットは自身のパフォーマンスと結果と会社全体への貢献に責任を持つ。各ユニットは自身の「自治的事業」を経営する自身のマネジメントをもつ。

連邦的に組織された構造では、各マネジャーは事業パフォーマンスと事業結果に十分近く、それらにフォーカスできる。連邦制の原則は、巨大で複雑な組織を小さく単純に分割し、マネジャーが、自身の仕事・努力・スキルの囚人となる代わりに、自分が何をしているかを理解し、自らを全体のパフォーマンスに向けることを可能にする。目的と自制(セルフコントロール)によるマネジメントは有効であり、1人のマネジャーの下での人々とユニットの数はもはやコントロールの範囲に制限されない。それは、より広い管理責任の範囲にのみ制限される。連邦制の原則の最大の強みは、しかしながら、マネジャー開発に関するものであり、それ故に、他の原則より使われる。

ソース:The Daily Drucker 21 November.
1122 ◆「連邦制の分権化:必要条件」

連邦制の分権化には、厳しい必要条件がある。連邦制の分権化は、会社が多くの純粋な「事業」に組織され得る場合にのみ適用できる。これは、基本的な制限である。ユニットは、最低限として会社の利益に貢献しなくてはならず、それは市場の客観的な判断により決定される純粋な利益でなくてはならない。

連邦制の分権化は、トップマネジメントの仕事が明確に定義され考え抜かれる場合にのみ機能する。連邦制は、適切に適用されれば、オペレーションについて心配する必要がなく、指揮、戦略、目的及び将来のための重要な決定に集中できるため、トップマネジメントはまさに自身の仕事ができる。

①連邦制の原則は、自治的な事業であるオペレーティングユニットに大きな責任を求める。それらに最大の自治が与えられ、最大の責任を負うことが求められる。
②連邦制の分権化は中央によるコントロールと共通の測定基準を要請する。
③自治的事業とトップマネジメントの双方のマネジャーは各事業に何が期待され、「パフォーマンス」が何を意味し、いかなる発展が重要かを知らなくてはならない。
④自治を与えるには、信頼を持たなくてはならない。これは意見を不要とするコントロールを要請する。
⑤会社の連邦制のユニットは自治的であるが、独立ではない。その自治は、会社全体のよりよいパフォーマンスに向けた手段である。

ソース:The Daily Drucker 22 November.
1123 ◆「権限の留保」

分権化された会社のトップマネジメントは、いかなる決定を自身に留保するかを注意深く考えなくてはならない。会社全体、誠実さ、将来について行わなくてはならない決定がある。これらの決定は、全体を見て、全体に責任をもつ人々によってのみなされ得る。

事業がばらばらに分裂せずに全体としてとどまるには、次の3つの分野がトップマネジメントに留保されなくてはならない。
①いかなる技術、市場及び製品に参入し、いかなる事業を始め、いかなる事業を捨てるか、そして会社の基本的価値、信念及び原則は何かを決定する。
②鍵となる資金の割当てのコントロール。資金の供給とその投資は連邦的な組織の自治的ユニットに委譲できないトップマネジメントの責任である。
③他の鍵となるリソースは人である。連邦的に組織された会社における人々と、特にマネジャーと鍵となる専門家は、会社全体のリソースである。人々についての会社の方針と分権化された自治的事業における鍵となる人事は、(自治的事業のマネジャーはそれに積極的に参加する必要があるが)トップマネジメントの決定である。

ソース:The Daily Drucker 23 November.
1124 ◆「仮想分権化」

ユニットが事業として組み立てられ得る時はいつでも、連邦的な分権化に匹敵するデザイン原則はない。我々は、しかしながら、多くの巨大企業は純粋な事業に分割され得ないことを学んだ。しかし、それらは明らかに、大きさと複雑さの、機能の、そしてチーム構造の限界を超えて成長した。これらは、組織問題への答えとして「仮想分権化」に転換する会社である。仮想分権化は、事業ではないが、最大の可能な自治、自身のマネジメント、そして少なくとも「仮想の」損益責任を伴い、あたかも事業のように構築される、構造的ユニットを形成する。
それらは、お互いに、(外部市場によってではなく)内部的に決定された「移転価格」を使って、売買する。彼らの「利益」は、コストの内部的な割当て(しばしばコストの20%といった「標準手数料」が加算される)によって、生まれる。

可能であれば「小さな」プロフィットセンターを使うことで内部競争を作る。収入を各ユニットに帰属させ、収入とそのコストを組み合わせる。

ソース:The Daily Drucker 24 November.
1125 ◆「組織のブロックを作る」

どの活動を一緒にし、どの活動を別にするかを決めるには、貢献の種類により活動を分類する綿密な分析が必要である。貢献によって区別すれば4つの主要な活動グループがある。

第1は、結果を生み出す活動である。それは会社全体の結果とパフォーマンスに直接/間接に関係し得る、測定可能な結果を生み出す活動である。

第2は、サポート活動である。必要で不可欠でありながら、それ自身は、結果を生み出さないが、事業における他の部門がその「アウトプット」を使うことによって、結果がでる。

第3に事業の結果に直接/間接に関係のない活動であり、真に補助的な活動である。衛生的・管理的活動である。

最後に、トップマネジメント活動である。

結果を生み出す活動の中で、直接収益を生み出す(サービス機関の場合、直接「患者のケア」や「学習」を生み出す)ものがある。ここに、イノベーション活動、販売、並びに体系的・組織的販売活動に必要な全ての仕事が属する。また、事業に資金を供給し管理する財務機能もまたここに属する。

鍵となる活動はそうでない活動に従属させるべきではない。収益を生み出す活動を収益を生み出さない活動に従属させるべきではない。サポート活動は収益を生み出し結果に貢献する活動と混合すべきではない。

結果を生み出す活動を良く見えるようにしておく。サポート活動は結果を生み出す活動に従属させる。従業員の福祉活動は従業員チームにまかせることを考える。

ソース:The Daily Drucker 25 November.
1126 ◆「コミュニケーションの基礎」

コミュニケーションを改善するには、発言者ではなく受け手に取り組む。

伝達(コミュニケート)するのは受け手である。聞く人がいなければ、伝達(コミュニケーション)はない。ノイズがあるだけである。人は知覚できるものだけを知覚できる。受け手の言語や用語でのみ伝達できる。そして用語は経験に基づくものでなくてはならない。我々は、原則として、知覚すると期待するものを知覚する。我々は、たいてい、見ることを期待するものを見、聞くことを期待するものを聞く。期待されていないものは、通常、全く受け取られない。コミュニケーションは、常に要求する。常に、受け手が何者かになり、何かを行い、何かを信じることを求める。それは、常に、モチベーションに訴える。それが、受け手の志望や価値やモチベーションに逆らうなら、それは受け取られず、良くて、抵抗される。

コミュニケーションは知覚であり、情報は論理である。そのようなものとして、情報は純粋に形式的であり、意味を持たない。情報は常に符号化される。用いられるためにはもちろん、受け取られるために、符号は受け手に知られ、理解されなくてはならない。これは事前合意、つまり、何らかのコミュニケーションを要求する。

受け手に情報交換を促すことで、伝達(コミュニケーション)を改善する。「次の四半期にあなたの責任分野でどのような目標が適当だと思うか」といった質問を考える。

ソース:The Daily Drucker 26 November.
1127 ◆「スタッフ業務のルール」

スタッフ業務は知識の向上のためになされるものではない。その唯一の正当性は仕事をする人々と組織全体のパフォーマンスの向上である。

スタッフは長年続く主たる重要な仕事に集中すべきである。永遠には続かない主たる重要な仕事、例えば、会社のマネジメントの改革は、1度の課題としてよりよく処理される。スタッフ業務は高い優先順位の少数の仕事に限定されるべきである。スタッフサービスの増殖は、その有効性を奪い取る。悪ければ、結果を生み出す人々である作業者(operating people)の有効性を破壊する。スタッフ業務の数をきちんとコントロールしなければ、スタッフは、作業者の最も希少なリソースである時間を使い尽くす。

有効なスタッフ業務は特定のゴールと目的、明確なターゲットと期限を要請する。「我々は、3年以内に常習的な欠勤を半分にする」や「2年で、我々は市場のセグメンテーションを十分に理解し製品ラインの少なくとも3分の1を減らす」といった目的は生産的なスタッフ業務に役立つ。「従業員の態度を扱う」や「顧客のモチベーションの研究」のようなあいまいなゴールは役に立たない。3年ごとに、全てのスタッフユニットと顔を合わせ「過去3年に会社に真の違いをもたらすどのような貢献をしたか」と尋ねることは重要である。

サポートスタッフを小さく少数にする。スタッフ業務に明確なゴールと期限を設ける。そのゴールは、組織のゴールと直接結びつくようにする。

ソース:The Daily Drucker 27 November.
1128 ◆「スタッフ職員のルール」

スタッフ職員のルールはスタッフ業務のルールと同じく重要である。複数のオペレーション業務(複数の機能的分野であることが望ましい)を成功的に経験しない限り、スタッフ業務につかせるべきではない。スタッフ人員にオペレーションの経験がなければ、彼らはオペレーション(それは常に「立案者」には単純に見える)について尊大になる。しかし今日、事業における以上に政府において、ビジネススクールやロースクールを卒業したての若者を、分析者、立案者あるいはスタッフカウンセルとして、かなり上位のスタッフ業務につかせる。彼らの尊大さとオペレーティング組織による(彼らの)拒否は、彼らを完全に非生産的なものとする。

稀な例外を除いて、スタッフ業務は人の「キャリア」とされるべきではなく、キャリアの一部であるべきである。5年から7年スタッフ業務についた後に、オペレーティング業務に戻るべきであり、約5年はスタッフの仕事に戻るべきではない。さもないと、彼らは、舞台裏での操り人形師、黒幕、キングメーカー、(うわさ話などで)人の仲を裂く者となる。

ソース:The Daily Drucker 28 November.
1129 ◆「広報の役割」

大衆にとって「広報(Public Relations)」は宣伝(製品の広告から製造者の広告まで、本質的に広告の延長)を意味する。しかし、会社の価値や達成の宣伝より、企業の問題を大衆に知らせることに重みを置くべきである。これは、問題を大衆に伝えるには、企業はまず大衆の問題を理解しなくてはならないという理解に導く。

大企業の全ての主要な決定は、労働者、消費者、市民としての大衆に影響する。大衆は、会社が行う全ての動きに(意識的にせよ無意識にせよ)反応する。この反応に、会社の決定の有効性は依拠する(これは、会社が社会に生きることの言換えである)。エグゼクティブの決定の有効性は、事業の問題の理解だけでなく、その問題に対する大衆の態度の理解に基づく。このように、広報のプログラムは本部と部門のエグゼクティブに大衆の態度と信念の知識と、(それらの)背後にある動機の理解を与えるためのものである。

ソース:The Daily Drucker 29 November.
1130 ◆「ミドルマネジメントをコントロールする」

今がミドルマネジメントのウエイトコントロールをする時である。
第1の方法は自然減である。退職、死亡、辞職によって空位になれば、それを自動的に埋めない。6から8か月空いたままにして、様子を見る。後任が必要だという抗しがたい声がでなければ、それをなくす。これを試みた会社は、6か月後に、約半数の「空位」がなくなったと報告する。
第2の方法は、昇進の代わりに職務拡大をすることである。若いマネジャーとエグゼクティブ(そして、その下に働く若い人々)に満足と達成を与える唯一の方法は、優れたパフォーマンスへ報いとして、昇進ではなく、異なる割当への水平的移動を用いながら、仕事を、より大きく、より挑戦的で要求の厳しいもの、より自治的にすることである。

40年前、我々は管理職のパフォーマンスレビューに「昇進への準備があるか?」という質問を入れた。今、その質問を「より大きな、より要求の厳しい挑戦と(既存の仕事への)新たな責任の追加への準備があるか?」という質問に代える必要がある。

ソース:The Daily Drucker 30 November.
12月  
1201 ◆「社会生態学者の仕事」

社会生態学者の仕事は、第1に以下の質問をすることで社会や共同体を見ることである。①「誰もが知るもの」と整合しない、いかなる変化が生じたか。②「パラダイム変化」は何か?③これが変化であって一次的な流行でないことの証拠はあるか?④この変化が関係し意味があるなら、それはいかなる機会を提供するか?

簡単な例は鍵となるリソースとしての知識の出現である。何かが起こっていることを私が知った出来事は第二次大戦後の米国の復員兵援護法の可決であった。この法律は、全ての退役軍人に国の費用負担で大学に通う権利を与えた。それは、全く先例のない進展であった。
これらの考察は、私を「これは、予想、価値、社会構造、雇用等にどのような影響を与えるか?」という質問に導いた。この質問が訊ねられると(1940年代の終わりに初めて訊ねた)、人類の歴史で初めて、知識が生産的なリソースとして社会で地位を得たことが明らかになった。我々は、大きな変化の入口にいた。10年後、1950年代の半ばまでには、人は自信をもって、経済の新たな中心として「知識社会」や「知識作業」について話し、新たな支配的な労働力として「知識労働者」を話すことができた。

ソース:The Daily Drucker 1 December.
1202 ◆「激動の時期」

激動の時期、マネジメントの第1の仕事は、組織の生き残る能力を確かなものにし、組織の強さ、暴風を生き残る能力、突然の変化への適応を確かなものにし、新たな機会を利用することである。激動は、定義において、不規則で、非線形で、常軌を逸したものである。しかし、その下に横たわる原因は分析でき、予想でき、管理できる。

マネジメントが管理すべきこと(できること)は、激動の基礎にある単一の最も重要な新たな現実である、人口構造と人口動態における著しい変化と、特に西洋先進国と日本における人口構造と人口動態のシフトである。これらのシフトは既に、世界中で、経済統合の様式を変えている。①生産分担と市場コントロールに基づく、新たな「国境を超えた連合」に導き、多くの分野で、財務コントロールに基づく古い「多国籍企業」にとってかわる。②新たな消費者市場を創造し、既存の古い消費者市場を再編する。③抜本的に労働力を変化させ、異なる期待と特徴をもった「労働力」があるだけである。④「一定の退職年齢」の概念を捨てることを強いる。そして、マネジメントに対し、(新たな機会とともに)余剰人員のために組織的計画を立てる新たな要請を生み出す。

ソース:The Daily Drucker 2 December.
1203 ◆「新たな企業家」

我々は再び企業家精神を強調すべき時代に入った。しかしながら、それは、事業を作り上げる能力のある1人が、自らそれを経営し、コントロールし、取り組むことができた1世紀前の企業家精神ではない。それは、新たなもののために、組織を造り指導する能力である。我々は、過去80年の経営的基礎の上に新たな企業家構造を作ることができる人を必要とする。しばしば観察されてきたが、歴史は、らせん状に進む。人は、以前のポジションや問題にもどるが、それはより高いレベルであり、らせんの道による。このようにして、我々は単一の企業家という低いレベルからマネジャーへの道を通り、今再び、高いレベルでの、企業家精神に戻った。事業者は多くの新たな能力(その全ては性質において企業家的である)を得なくてはならないが、それらの全て経営的組織において、それを通じて行使される。

ソース:The Daily Drucker 3 December.
1204 ◆「コストと価値の情報」

基本的な組織の情報は顧客のために創造される価値とそのために使用されるリソースに焦点を置く。会計の概念と道具は今、最も基本的変化の苦しみにある。新たな会計の道具は、単に取引の記録の異なる視点にとどまらず、事業は何か、結果は何かについて、異なる概念を表す。そして、開発研究室のリサーチマネジャーのように、会計の仕事から離れたエグゼクティブも、会計におけるこれらの変化に表される基本的理論と概念を理解する必要がある。これらの新たな概念と道具は、活動ベース原価計算、価格主導原価決定、経済チェーン原価計算、経済的付加価値及びベンチマーキングを含む。

活動ベース原価計算は顧客が実際に製品を購入するまでの、製品やサービスの全てのコストを報告し、コストと価値を1つの分析に統合する基礎を提供する。

ソース:The Daily Drucker 4 December.
1205 ◆「価格主導原価決定」

伝統的に、西洋の会社はコストからスタートし、望ましい利ざやを乗せ、価格を決めてきた。これは、原価主導価格決定である。価格主導原価決定では、顧客が喜んで支払う価格が、デザイン原価からサービス原価に至るまで、許容できる原価を決める。マーケティングが、製品とサービスが提供する価値に顧客が喜んで支払う価格の情報を提供する。

職域をまたぐチームがこの価格を前提として原価の分析を始める。チームは会社の資本投資とリスクを補うのに必要な利益を控除し、製品やサービスのために許容できる原価をだす。そして、製品によって提供される効用と許容できる原価とのトレードオフを行う。価格主導原価決定の下では、全体的な経済的枠組みは、投資への必要なリターンを稼ぎながら、顧客のための価値の創造と原価目標の達成に焦点を置く。

ソース:The Daily Drucker 5 December.
1206 ◆「活動原価計算」

伝統的な原価計算技術は、今日、急速に、活動ベースの原価会計にとってかわられている。伝統的な原価計算は、原価を、人件費、原材料及び間接費と、ボトムアップで積み上げる。それは主に、製造関係原価、いわゆる在庫可能原価に集中する。活動ベースの原価計算は終わりからスタートし「いかなる活動と関係コストが、コスト目標に関係する活動の完全な価値連鎖(value chain)の実行に用いられるか?」と尋ねる。活動ベースの原価計算は品質とサービスの原価を含む。

設計段階で、品質を製品/サービスに組み込むことで、設計コストは増加するかもしれないが、保証/サービスコストの減少が見込め、連鎖(chain)の着手段階でのコスト増を克服する。そして、伝統的な原価計算と異なり、それは製品/サービスを作り出す全てのコストを含む。

ソース:The Daily Drucker 6 December.
1207 ◆「経済連鎖原価計算(Economic-Chain Costing)への障害」

実際のコストはプロセス全体のコストであり、そこでは大企業も1つのリンクである。会社は、従って、原価計算を、自身の組織内に生じるもののみから、経済プロセス全体(=経済連鎖)の原価計算にシフトし始めている。経済連鎖原価計算の導入には障害がある。多くの事業にとって、経済連鎖原価計算への切換えは痛みを伴う。それは、連鎖全体の全ての事業について、統一的な、少なくとも矛盾のない会計システムを必要とする。しかし、それぞれの事業が、独自の方法で会計を行い、そのシステムが唯一の可能なものだと思っている。さらに、経済連鎖原価計算は会社を超えての情報共有を必要とする。しかし、同じ会社の中でさえ、人々は情報共有に抵抗しがちである。いかなる障害があろうと、経済連鎖原価計算が行われるべきである。さもないと、最も有効な会社でも、ますますコストでの不利を被る。

ソース:The Daily Drucker 7 December.
1208 ◆「生産性指標としてのEVA」

全ファクターの生産性の評価は知識労働の時代のエグゼクティブが直面する大きな挑戦である。肉体労働にとっては、量の評価で通常十分である。知識労働では、量と質の双方を管理しなくてはならないが、どうすればいいかを知らない。我々は、収益と費用の共通の単位を使って、全ファクターの生産性の評価を試みなくてはならない。資本コストを含む、全てのコストに加えられた価値を測定することにより、EVA(econonic value added analysis)(経済的付加価値分析)は、全ての生産ファクター(あるいは使用された全てのリソースにより生み出された真の経済的コスト)の生産性を測定する。

事業は、利益が資本コストを超えるまで、その完全なコストをカバーしない。事業は、資本コストを上回る利益を得るまで、損を出す。そしてこれが、EVAが広まっている理由である。それ自身は、製品やサービスが価値を生み出さない理由やそれについてどうすべきかを示さないが、どの製品、サービス、オペレーションあるいは活動が、高い生産性を持ち高い価値を付加するかを示す。そして、我々は「これらの成功から何を学ぶことができるか」を自問すべきである。

ソース:The Daily Drucker 8 December.
1209 ◆「競争力のためのベンチマーキング」

EVA(economic value added analysis)(経済的付加価値分析)はグローバル市場での企業の競争力を評価するのにいいスタートであるが、それにベンチマーキングを加えなくてはならない。ベンチマーキングは、企業が、グローバルに競争的かどうかを示す道具である。ベンチマーキングは、ある会社が行うことを、他の会社も同様にできると、正しく想定する。「ベストパフォーマー」は、しばしば、組織内、競争相手内、または、産業外の組織内の同一のサービスや機能に見られる。EVAとベンチマーキングは、合わせて、全ファクターの生産性を測定し管理するために必要とされる、診断的道具を提供する。それらは、エグゼクティブが企業内で進行するものを測定し管理するために理解すべき新たな道具の例である。併用することで、これまでに利用できる最高の基準である。

ソース:The Daily Drucker 9 December.
1210 ◆「リソースの割当て」

資本と実行者の割当てはマネジメントが事業について知る活動となり、組織が上手くいくかどうかを決める。組織は、資本の割当てと同じように、人的資源を、よく考えて割当てるべきである。資本投資を理解するために、会社は4つの基準を見なくてはならない。①投資に対する収益、②(投資額の)回収期間、③キャッシュフロー、④割引現在価値である。それぞれは、エグゼクティブに将来の資本投資について異なるものを伝える。それぞれは異なるレンズを通して、投資を見る。意思決定者は、資本投資を単独ではなく、プロジェクトのクラスタの一部として評価すべきである。そこで、機会とリスクの最高の比率を示すクラスタを選ぶべきである。資本支出の結果は、事後監査手続で、期待に対して評価されるべきである。その手続で集められた情報は、将来投資についての意思決定のために用いられ得る。

雇用、解雇、昇進の決定はエグゼクティブの最も重要な決定である。それらは資本割当決定より難しい。組織は人についての意思決定のための体系的プロセスを持つ必要があり、それは資本についての判断と同じく厳格であるべきである。エグゼクティブは期待に対して人々を評価する必要がある。

ソース:The Daily Drucker 10 December.
1211 ◆「成功する買収の6つのルール」

買収は成功すべきであるが、実際はほとんど成功しない。不成功の理由は常に同じであり、周知の、よくテストされた、成功する買収のルールの無視である。

成功する買収の6つのルールは:
1.成功する買収は、財務戦略ではなく、事業戦略に基づかなくてはならない。
2.成功する買収は買収者の買収への貢献に基づかなくてはならない。
3.2つの会社は、市場とマーケティング、技術あるいはコアコンピテンスのような、統一の核を共有しなくてはならない。
4.買収者は、被買収会社の価値と同様、その事業、製品及び顧客を尊重しなくてはならない。
5.買収者は、短期間の間(長くても1年以内)に、被買収事業にトップマネジメントを提供する準備をしなくてはならない。
6.成功する買収は、すみやかに、買収事業の人々と被買収事業の人々の双方の昇進のために、目に見える機会を創造しなくてはならない。

ソース:The Daily Drucker 11 December.
1212 ◆「事業は財務戦略ではない」

成功する買収は、財務分析ではなく事業計画に基づく。買収対象は取得会社の事業戦略に適合しなくてはならず、さもないと、買収は失敗する。20世紀の最後の数十年で最悪の買収の記録は W.R.Grace の長期のCEOであった Peter Grace によるものであった。彼は、才気のある男であった。彼は1950年代に財務ベースの買収を通じて世界レベルの多国籍企業を作ることを計画した。彼は、最優秀の財務分析のグループを作り、世界中から価格/収益レイシオが低い産業と会社を探させた。彼はこれらの会社を特価で買った。Grace の購入の財務分析は非の打ちどころがないものであった。しかし、事業戦略は全くなかった。

対照的に、買収による会社成長で最も成功した例は、Jack Welch がCEOであった1981年から2001年にかけてのGEのすばらしいパフォーマンスを際立たせたものであった。売上と収益における会社の成長と会社の市場価値の上昇の最大の理由は、買収による GE Capital の拡大であった。もちろん、それらの全てがうまくいったわけではない。実際、証券会社の買収という、大きな失敗があった。しかし、GE Capital の買収は素晴らしくうまくいった。それらの基礎にあったのは、健全な事業戦略であった。

ソース:The Daily Drucker 12 December.
1213 ◆「買収者が貢献するもの」

買収は、期待される「シナジー(相乗効果)」が、いかに魅力的に見えようとも、買収会社が、対象会社が買収者に貢献できるものではなく、それ(買収会社)が購入する事業に貢献できるものをよく考える場合にのみ、成功する。買収会社が貢献するものは異なり得る。それは、マネジメント、技術、あるいは流通での強みかもしれない。貢献は金以外の何かである必要がある。金はそれ自体では、十分ではない。

Travelers による Citibank の買収は、買収会社である Travelers が、Citibank に(差別化につながる)貢献できるものをよく考え、計画したために、成功した。Citibank は世界中の国に拠点を置き、同時に国境を超えたマネジメントを築いた。しかし、製品とサービスにおいて、Citibank は伝統的な銀行であり、その分配的・マネジメント能力は商業銀行が生み出し提供できる製品とサービスをはるかに超えた。そして、Travelers には、多くの製品とサービスがあった。自社がが貢献することができるものは、Citibank の世界的な分配システムとマネジメントが販売できる商売の量を、(ほとんど)追加コストなしで、大幅に増やすことであった。

ソース:The Daily Drucker 13 December.
1214 ◆「統一の共通の核」

買収による成功的多角化は、全ての成功的多角化と同様、統一の共通の核を必要とする。類似の生産プロセスは、共通の言葉とともに、経験と専門知識の統一を提供し、会社を1つにすることがあるが、2つの事業は、市場か技術のいずれかで共通でなくてはならない。このような統一の核がなければ、(特に買収による)多角化はうまくいかない。財務的な結びつきだけでは不十分である。

1例は(シャンパン、高級ファッションデザイナー、高級腕時計、香水、手作りの靴といった)あらゆる種類のぜいたく品の製造者を買収することで作られた、フランスの会社である。それは最悪のコングロマリットのように見えた。製品に共通なものはないように見えた。しかし、それらの全ては同じ理由(もちろん、実用性や価格ではない)によって顧客に購入された。人々は「ステータス」故にそれらを購入する。この成功的買収者の全ての買収が共通に持つものはその顧客の価値である。シャンパンはハイファッションとは異なって売られるが、同じ理由で購入される。

ソース:The Daily Drucker 14 December.
1215 ◆「事業と価値の尊重」

買収は、買収企業の人々が、対象会社の製品、市場及び顧客を尊重しない限り、うまくいかない。多くの巨大製薬会社が化粧品会社を買収したが、どれも大きく成功しなかった。薬理学者と生化学者は健康と病気に関与する「真剣な」人々である。彼らにとって、リップスティックとその顧客は取るに足らないものである。同じように、巨大テレビジョンネットワークその他のエンターテイメント会社で買収した出版会社を成功させた例はほとんどない。本は「メディア」でなく、出版社の2つの顧客である本の購入者も著者も、ニールセンの視聴率が「視聴者」と呼ぶものと似ていない。遅かれ早かれ(通常早くであるが)事業は意思決定を必要とする。その事業、製品、顧客を尊重せず、快く思わない人々は、必ず、意思決定を誤る。

ソース:The Daily Drucker 15 December.
1216 ◆「新たなトップマネジメントの提供」

1年かそこらの間に、買収会社は、対象会社に、トップマネジメントを提供できなくてはならない。対象会社は、現職のトップを失う用意をしなくてはならない。トップの人々はボスであったわけで、彼らは「部門マネジャー」であることを望まない。彼らがオーナーか共同オーナーであれば、買収は彼らを裕福にし、楽しくなければ留まる必要はない。持分を持たないプロのマネジャーであれば、通常、新たな仕事が簡単に見つかる。そして、新たなトップマネジメントの採用はギャンブルで、ほとんどうまくいかない。

これは、特に、対象会社の創業者CEOに妥当する。多くの場合、このCEOが買収を始める。 彼(彼女)は、概して、買収者が、彼(彼女)が躊躇してきた変化を起こすこと(例えば、親しい友人であり、会社の成長を支えてきたが、会社がその役割に対し大きくなりすぎた、古い従業員に辞めてもらう)を期待する。しかし、彼らが売却する事業は彼らの「子供」である。それが他人のものになる時、彼らは保護的になり、今それを所有する無情な「よそ者」から「子供」を守ろうとする。

ソース:The Daily Drucker 16 December.
1217 ◆「境界を越える」

全てのルールが誠実に遵守されたとしても、多くの買収は失敗に終わり、少なくとも期待に応えられない。法律的には、対象会社は買収会社の一部となる。しかし、政治的には、対象会社の人々は、買収会社の人々である「彼ら」に対してその事業を守ろうとする「我々」となる。買収会社の人々も、同じく、「彼ら」に対する「我々」として考え、行動する。しばしば、これらの目に見えないが突破できない壁が壊れるのに、1世代かかる。よって、買収後の最初の数か月内に、双方の側の多くの人々が境界をまたぐよりよい仕事に昇進することが肝要である。こうすれば、双方の側は買収を個人的な機会とみる。

目的は、双方の会社のマネジャーに、買収が彼らに個人的な機会を提供することを確信させることである。この原則は、トップやそれに近いエグゼクティブだけでなく、若いエグゼクティブや専門家といったその献身と努力に事業が主として依拠する人々に妥当する。買収の結果妨げられると思えば、彼らは「そこを離れ」、通常、解職されたトップエグゼクティブよりも容易に、新たな仕事を見つけることができる。

ソース:The Daily Drucker 17 December.
1218 ◆「前進のための提携 」

世界の異なる地域における事業の成長と拡大は、ますますM&Aや新たな100%子会社(にすら)よらなくなっている。それらは、ますます、他の政治的地域にある組織との提携、パートナーシップ、合弁及びあらゆる種類の関係に基づかなくてはならない。それらはますます、経済的単位であり、非法律的(それ故非政治的)単位である構造に基づかなくてはならない。

今後成長が直接的な所有や命令/支配ではなく、あらゆる種類のパートナーシップに基づく多くの理由がある。やむにやまれない理由は、グローバルな世界経済と分裂した世界の政治組織の双方で運営する必要である。パートナーシップは決してこの問題に対する完璧な解決ではない。しかし、経済的ユニットが法律的ユニットでなく、(政治的・法的形態が経済的実体から分離され得る関係である)パートナーシップ、提携、合弁であれば、少なくとも経済的実態と法律的実態の衝突は大いに小さくなる。

ソース:The Daily Drucker 18 December.
19 ◆「成功する提携のためのルール」

初期の段階での失敗率は新たなベンチャーよりも高くないが、提携は、成功する時、しばしば致命的で、深刻な問題に直面する。提携が上手くいくとき、パートナーの目標が両立しないことが明らかになる。

問題は予測でき次の5つのルールによって防ぐことができる。
1.提携が完結する前に、当事者はその目的と「子ども(=合弁会社)」の目的を考えなくてはならない。
2.同様に重要であるのは、いかに合弁会社が経営されるべきかについて事前の合意することである。
3.次に、誰が提携をマネジメントするかについて慎重に考えなくてはならない。
4.各パートナーは自身の組織において、合弁会社や他のパートナーとの関係のために準備する必要がある。特に大組織において、最善の方法は、それらの「危険な連携」を、1人のシニアエグゼクティブに委ねることである。
5.最後に、意見の相違をいかに解決するかについて事前に合意する必要である。最善の方法は、紛争の前に、全ての側が知り、尊敬し、その判断が受け入れられる、仲裁人について合意することである。

ソース:The Daily Drucker 19 December.
20 ◆「良いことをする誘惑」

イノベーションへの最も重大な障害は、公的サービス機関が「良いことをする」ために存在することである。これは、彼らがそのミッションを経済的で費用/便益計算に服するものとしてよりも道徳的に絶対的なものと見がちであることを意味する。経済はより高い産出のために同じリソースの異なる割当てを求める。公的サービス機関では、より高い産出のようなものはない。「良いことをする」のであれば「より良い」ものはない。「良い」もの求めるにあたり目的に到達しなければ、努力を倍にする必要があることを意味するだけである。

Crusade Against Hunger(飢餓撲滅運動) のトップは「1人でも子どもが飢えて寝る限り、我々のミッションは終わらない」と言った。「我々のミッションは既存の配分ルートを通じて届けることができる最大の子ども達が成長を妨げられないだけ食べられれば終わる」であれば、彼は職を解かれただろう。しかし、目的が最大化であればそれは達成され得ない。人は目的に近づけば、より努力が求められる。最適化に達すれば、追加的成果は指数関数的に落ちるが、追加的コストは指数関数的に上昇する。従って、公的サービス機関が目的に近づくほど、達成は阻まれ、既に行っていることをより骨を折って取り組むことになる。

ソース:The Daily Drucker 20 December.
21 ◆「告発者」

今日の組織倫理は「告発者」となる義務と上司・組織からの報復や抑圧に対する保護について大いに議論する。これは、高潔に聞こえる。確かに、部下は、上司や組織の法律違反はもちろん、上司の悪行を公にし矯正的行動を起こす(義務でないとしても)権利がある。しかし、相互依存の倫理の文脈において、告発は倫理的に曖昧である。

確かに、部下(や友人や子どもや妻ですら)が黙っていることができない、適正や法律を踏みにじる上司や組織の悪行がある。これは「felony(重罪)」という言葉が意味するもので、報告せず、私和にすれば重罪の仲間となり、刑事的に責任を負う。しかしそうでなければ?告発の奨励は、主に上司を部下に結びつける信頼の絆を弱めるものではない。告発の奨励は、部下に、上司の人々を守る意欲と能力に対する信頼を失わせる。

ソース:The Daily Drucker 21 December.
22 ◆「社会的責任の限界」

事業が経済的パフォーマンスの制約を無視し、経済的にサポートできない社会的責任を引き受けるときはいつでもトラブルとなる。

Union Carbide は、工場をウエストヴァージニアのヴィエナに移し、そこでの失業を緩和した時はには、社会的に責任はなく、実際、責任を問われなかった。工場は最初から収益的にぎりぎりであった。製法は旧式で、良くて、工場はかろうじて生き延びることができていた。これは、必然的に、工場が自身の影響についてすら社会的責任を負うことができないことを意味した。工場は最初から不経済であり、Union Carbide はそれをきれいにしろという要求に抵抗してきた。この要求は仕事への関心が環境への関心よりはるかに重要であった1940年代には予想できなかった。しかし、いくつかの要求は常に予測できる。社会的責任から経済的に不合理で守れないことをすることは、決して責任ある態度ではない。それは、感傷的であり、常により大きな損害を生み出す。

ソース:The Daily Drucker 22 December.
23 ◆「精神的価値」

社会は、精神的価値(それは物質的なものを相殺するのでははく、それを十分に生産的なものにする)に戻る必要がある。大衆にとってその実現がいかに遠くても、今日物質的な富かさ、少なくとも物質的十分さの裏付けがある。人は思いやりを必要とするため、精神的価値に戻る必要がある。全ての高度な宗教に共通する、あなたと私は1つであるという深い経験を必要とする。我々の時代のような、テロ、迫害、そして大量殺人の時代、倫理的無感覚の堅い殻は生き抜くために必要かもしれない。それなしでは、圧倒的な絶望に屈するであろう。しかし、倫理的麻痺もまた心と魂の恐ろしい病気であり、恐ろしい危険である。それは、残虐と迫害を許さないとしても、扇動する。我々は、19世紀の倫理的人道主義が人が野獣になることを阻止できないことを学んだ。

個人は、人は生物学上・生理学上の存在にすぎないものではなく、精神的存在でもあり、被造物であり、創造主の目的のため、それ(創造主)に服して存在することを再確認することによってのみ、現在の状況で生きることができるため、精神的な価値に戻る必要がある。このようにしてのみ、個人は、種の切迫した肉体的崩壊の脅威が、自身の存在、意味そしてその責任を無効にしないことを知る。

ソース:The Daily Drucker 23 December.
24 ◆「緊張状態での人の存在」

キルケゴールにとって、人の存在は、緊張の中(①精神における個人としての存在と②社会における市民としての存在の間での緊張の中)でのみ可能である。

社会の理性的な性格と個人と社会の理にかなった関係の崩壊は我々の時代の最も革命的な特性である。

社会は、人が社会でのみ生活し得ることを望むなら、人が絶望なしに死ぬことを可能にしなければならない。そして、それは、個人の生活を無意味にするという方法でのみなし得る。あなたが、人類の木の葉、社会の細胞に過ぎなければ、あなたの死は実際には死ではない。それは集合的再生プロセスと呼んだ方がいい。しかし、それでは、もちろん、あなたの命は本当の命ではない。それは、全体の命の中の機能的プロセスにすぎず、全体の文脈以外でいかなる意味もない。かくして、社会での人の存在を宣言する楽観論は絶望へと直行する。この絶望は全体主義へとのみ導く。人の存在は絶望にない存在、悲劇にない存在であり得る。信仰における存在であり得る。信仰は神において不可能は可能であり、時と永遠(来世)は1つであり、生も死も意味があるという信念である。

ソース:The Daily Drucker 24 December.
25 ◆「流行と関係ないキルケゴール」

私の仕事は完全に社会にあった。しかし、私は、同時に、1928年に遡れば、私の人生は完全に社会ではなく、社会を超越する存在的次元を持たなくてはならないことを知った。私の仕事は、まだ、完全に社会にあるが、このキルケゴールについてのエッセイは例外である。

キルケゴールの信仰は、恐ろしい孤独、人の存在の孤立と不調和を克服することはできないが、それを意味あるものとすることで、耐えうるものにできる。全体主義者の信条の哲学は人を死ぬことができるようにする。その哲学を過小評価することは危険である。悲しみと苦しみ、破滅と恐怖の時に死ぬことができることは偉大である。しかしそれは十分ではない。キルケゴールの信仰もまた、人が死ぬことができるようにする。しかし、それは、人が生きることができるようにもする。信仰は神において不可能は可能であり、時と永遠(来世)は1つであり、生と死は意味があるという信念である。信仰は、人は被造物であり、自律的でなく、主人でなく、目的でなく、中心でもないが、責任と自由があるという認識である。それは、「死に向かう時」ですら、神がともにいるという確信により克服される、人の本質的な孤独の受け入れである。

ソース:The Daily Drucker 25 December.
26 ◆「悪魔の復帰」

大衆は、それが世界の合理性の復興を約束するのであれば、自由を捨てる用意がある。自由が平等と両立しなければ、彼らは自由をあきらめる。安全と両立しなければ、安全をとる。自由は悪魔を追い払うことに役立たないため、自由かどうかは二次的な問題となる。「自由な」社会は悪魔に脅かされる社会であるため、自由を非難し自由の放棄による絶望からの回復を期待することは、よりもっともらしく見える。

(注)この一節は戦争と抑圧の悪魔を避けるためにナチを受け入れたヨーロッパに関係する。

ソース:The Daily Drucker 26 December.
27 ◆「経済と社会の統合」

人は生物的存在において呼吸する空気を持たなくてはならないように、社会的、政治的存在において、機能する社会を持たなくてはならない。しかし、人が社会を持たなくてはならないことは、それを持っていることを意味しない。誰も、難破船での、組織されない、狼狽してどっと駆けだす人の集団を「社会」とは呼ばない。人の群れはいても、社会はない。実際、パニックは直接的に社会の崩壊によるもので、それを克服する唯一の方法は、社会的価値、社会的訓練、社会的力そして社会的関係によって社会を再興することである。

社会生活は社会なしに機能できない。しかし、それが全く機能しないことは想像できる。過去25年の西洋の文明化によれば、社会生活がうまく機能し、機能する社会が一応存在すると言うことはできない。

注:上の一節は、第二次大戦中に書かれた。産業的進歩の世紀の後に社会の他の機関おける同様の進歩はなかった。

ソース:The Daily Drucker 27 December.
28 ◆「家族経営の事業」

米国その他の先進国を含むどこであろうと、事業の大多数は、家族が支配し経営するものである。家族経営は、決して、中小規模の会社に限られない。家族はいくつかの世界最大の企業を運営する。デュポンは、(1802年の創業以来、職業的マネジメントに引き継がれる1970年代半ばまでの)170年間、家族のメンバーにより支配・経営され、世界最大の化学会社へと成長した。そして、無名のコイン業者がヨーロッパ資本の銀行を設立させるために息子を送り出した2世紀後、ロスチャイルドの名前を冠し、ロスチャイルドによって運営される金融会社はなお、世界の第一等の民間銀行である。

しかし、経営書と経営コースはほとんどが公に所有され専門的に経営される会社を扱い、家族経営事業をほとんど扱わない。もちろん、全ての機能的業務(リサーチ、マーケティング又は会計)については、専門的に経営される事業と家族で経営される事業に変わりはない。しかし、マネジメントについて、家族事業は独自の異なるルールを必要とする。これらのルールは、厳格に守られなくてはならない。さもないと、家族経営は、繁栄はもちろん、生き残らないであろう。

ソース:The Daily Drucker 28 December.
29 ◆「家族経営事業のルール」

3つのルール

第1:家族のメンバーは、少なくとも家族でない従業員と同等に有能で、熱心に働かない限り、事業の仕事をしない。

第2:どれだけ多くの家族メンバーが会社のマネジメントにいて有能であっても、1つのトップの仕事は常に家族のメンバーでない外部者をつける。それは、典型的には、専門的資格が最も重要な、財務エグゼクティブかリサーチのトップである。

第3:家族経営事業は、非常に小さいものを除き、ますます、重要なポジションに家族外の専門家をあてる必要がある。製造であれ、マーケティングであれ、財務であれ、リサーチであれ、人事であれ、必要とされる知識と専門的知見ははるかに大きなものとなり、最も適任の家族のメンバーでも満たされない。

前記の3つのルールを誠実に遵守する家族経営事業でも、経営承継においてトラブルが生じ、しばしば解体する。事業が必要とするものと、家族が求めるものは衝突しがちである。唯一の解決は、承継判断を家族の一員でなければ事業の一員でもない、外部の人間に委ねることである。

ソース:The Daily Drucker 29 December.
30 ◆「最大限の機会のためのイノベーション」

イノベーターの特性は、他人にとって関連性のないばらばらの要素を、システムとして描く能力である。既存の要素を変える最小の欠落部分を見つけ供給することは成功する試みである。イノベーションが最大の機会を創造する分野を見つけるため「①既に可能であるものを有効にするには何がが欠けているか?②どのような1つの小さなステップが我々の経済的結果を変容させるか?③どのような小さな変化がリソースの全体容量を変えるか?」と尋ねる。

必要を描くことは十分ではないが、それは好ましい結果のスペックを提供する。それらが得られそうかどうかは判断できる。イノベーションは事業のポテンシャルの発見と未来の創造に適用できる。

ソース:The Daily Drucker 30 December.
31 ◆「データから情報リテラシー(能力)へ」

情報は組織を結合させ、個々の知識労働者を有効にする。企業と個人はいかなる情報を必要とし、いかにそれを得るかを学ばなくてはならない。いかに情報を鍵となるリソースとして統合するかを学ばなくてはならない。

データリテラシーから情報リテラシーへの移行において、2つの主要な質問に答える必要がある。「①私の企業はいかなる情報を必要とするか?」と「②私はいかなる情報を必要とするか?」である。これらの質問に答えるために、次を再考しなくてはならない:
・あなたの仕事は何で、それは何であるべきか
・あなたの貢献は何で、それは何であるべきか
・あなたの組織の基礎は何か

あなたは、それぞれが独自のコンセプトをもつ、異なる3種類の情報を必要とする。①外部情報、②内部情報、③組織をまたぐ情報である。あなたと(あなたの)組織の成功は、これらに正しく答えることに依拠する。

ソース:The Daily Drucker 31 December.
■