シンプラル法律事務所
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ドラッカー(マネジメント(課題・責任・実践))

論点の整理です(随時増やしていく予定です。)

マネジメント(上)
★序論:マネジメント・ブームからマネジメント・パフォーマンスへ  
☆1 マネジメントの出現(p3)
◆    ◆被用者の社会 
  ◆経営者はプロ、その本質は責任
  ◆企業の社会から多元社会へ 
◆    ◆企業のマネジメントを中心にする理由 
     
☆2 「マネジメント・ブーム」と教訓(p16)
  ◆マネジメント・ブームの発生 
  ◆マネジメント・ブームの伝播:開発途上国のマネジメント 
  ◆マネジメント・ブームの終焉
  ◆何を学んだのか
  ◆規範としてのマネジメント 
  ◆テクノクラシーでは不十分 
◆    ◆マネジメントと社会風土 
◆    ◆補記:マネジメントの起源と歴史 
     
☆3 新しい挑戦(p41)
  ◆基礎分野で新知識が必要 
  ◆分権制を越えて 
  ◆人事の管理から人間の指導へ
◆    ◆新しい要求 
◆    ◆企業家的な経営者 
◆    ◆多元的な組織体のマネジメント 
  ◆知識と知識労働者 
  ◆多国籍で多文化なマネジメント
  ◆マネジメントと生活の質
★第T部 課題  
☆4 経営者の課題 
     
※企業が業績をあげるには 
☆5 企業の経営:シアーズ物語
     
☆6 企業とは何か
     
☆7 企業の目的と使命(p117)
     
☆8 目標の威力と狙い:マークス・アンド・スペンサー物語
     
☆9 戦略、目標、優先順位、仕事の割当 
     
☆10 戦略計画の作成:企業家的技能
     
※サービス組織体が業績をあげるには 
☆11 多元的な組織の社会 
     
☆12 サービス組織体が業績をあげていない理由 
     
☆13 例外とその教訓 
     
☆14 サービス組織体を管理運営して業績をあげるには 
     
※生産的な仕事と達成意欲がある労働者 
☆15 新しい現実 
     
☆16 仕事、労働、労働者についてわかっていること
     
☆17 仕事の生産性をあげる:仕事と工程 
     
☆18 仕事の生産性をあげる(続):管理手段と道具 
     
☆19 労働者と労働:理論と現実 
     
☆20 成功物語:日本、ツァイス、IBM
     
☆21 責任がある労働者 
     
☆22 雇用、所得、付加給付 
     
☆23 人間こそ最大の資産 
     
※社会的衝撃と社会的責任
☆24 経営者と生活の質
     
☆25 「社会的衝撃」と「社会問題」 
     
☆26 社会責任の限界 
     
☆27 企業と政府 
     
☆28 故意に危害を加えない:責任の倫理 
     
マネジメント (下)
★第U部 経営管理者:仕事、職務、技能、機構 
☆29 経営管理者の必要性 
     
※経営管理者の仕事と職務 
☆30 経営管理者の本質 
     
☆31 経営管理者とその仕事 
     
☆32 経営管理者の職務の設計と内容 
     
☆33 経営開発と経営管理者開発
     
☆34 目標と自己規制による管理 
     
☆35 ミドル・マネジメントから知識に基礎をおく組織へ 
     
☆36 業績中心の精神 
     
※管理技能 
☆37 効果的な決定
     
☆38 管理のためのコミュニケーション 
     
☆39 管理手段と管理と経営者 
     
☆40 経営者と経営科学 
     
※管理組織 
☆41 新しいニーズと新しいアプローチ 
     
☆42 組織の建築用ブロック
     
☆43 組織の建築用ブロックのまとめ方 
     
☆44 設計の論理と設計仕様 
     
☆45 仕事中心と課題中心の設計:職能別組織とチーム型組織 
     
☆46 成果中心の設計:連邦分権制と疑似分権制 
     
☆47 関係中心の設計:システム型設計 
     
☆48 組織に関する結論
     
第V部 トップ・マネジメント:課題・組織・戦略 
☆49 ゲオルク・ジーメンスとドイツ銀行 
     
※トップ・マネジメントの課題と組織
☆50 トップ・マネジメントの課題 
     
☆51 トップ・マネジメントの構造 
     
☆52 効果的な取締役会が必要(p415)
     
※戦略と組織構造 
☆53 適正規模について 
     
☆54 企業規模とマネジメント 
     
☆55 不適正規模について 
     
☆56 多様性への圧力 
     
☆57 多様性から統一性を生み出すために 
     
☆58 多様性の管理 
     
☆59 多国籍企業
     
☆60 成長の管理 
     
☆61 革新する組織 
結論:経営者の正当性 
     


マネジメント(上)
★序論:マネジメント・ブームからマネジメント・パフォーマンスへ  
☆1 マネジメントの出現
     
☆2 「マネジメント・ブーム」と教訓 
     
☆3 新しい挑戦 
     
★第T部 課題  
☆4 経営者の課題 
     
※企業が業績をあげるには 
☆5 企業の経営:シアーズ物語
     
☆6 企業とは何か
     
☆7 企業の目的と使命(p117)
  ●企業の理論 
ヘンリー・フォードの企業家的な考えが、経済と社会を文字どおり一変させてから、古くさくなってしまうまで、わずか15年にすぎなかったのである。
企業の使命と目的をはっきり定義してこそはじめて、企業の目的を明確にし、また現実的なものにすることができる。
(目的の)優先順位、戦略、計画作成、仕事の割当の基礎になる。
管理者の職務の設計、とりわけ管理機構の設計の出発点になる。
機構は戦略に従う。戦略によって所与の企業での基幹的活動は何々かが決まる。そして戦略を立てるにも、まず「われわれの事業(内容)は何か。また、それはどうあるべきなのか」を知らねばならない。
  ■ウインターネーマーの誤り 
  ●企業の理論が、とくに今日の「知識の組織」に必要な理由 
  ■「われわれの事業は何か」は、自明のことではない 
  ●セオドア・ヴェイルと電話会社 
セオドア・N・ヴェイルがATTのために出したもの
「われわれの事業はサービス」
電話事業は自然独占⇒国有化されやすい
先進工業国では民有の電話事業は例外⇒存続するには地域社会からの支援が必要
地域社会から支援を得るには、宣伝(プロパガンダ)活動をしても、また地域社会からの批判を「非アメリカ」的とか「社会主義」的と反撃してもだめ。
地域社会からの支援は、顧客の満足度を創造すうrことによってしか得られない。
⇒企業の方針を急進的に革新。
全従業員に顧客へのサービスに献身することを教え、サービス中心のPR。
研究と技術の面で主導権をとる。
電話授業があるところなら、それがどこであっても会社は応じねばならないのであり、そのために必要な資本を調達し、その資本の収益をあげるのが経営者の職務であるという前提条件に立った財務方針。
〜1960年末になるまでの3分の2世紀の間、会社に役立った。
「われわれの事業は何か」という問に対する最も長生きした答え。
ヴェイルの答えは、事後的にみると、自明の理。
but
答えを出すのに何年もかかり、それらの答えが最初にだされたときは、どこでも「異端」扱いをされて、会社的に激しく抵抗された。
アメリカの鉄道が、自己の事業についてなんらかの定義が得られるまで十分に検討しなかった。

第二次大戦以降、彼らがもがいてきた永続的な危機の大きな原因。
地域社会からの支援がほとんどまったくなかったという、彼らの最大の弱点の大きな原因。
●トップ・マネジメントの第1の責任 
「われわれの事業は何か」と質問するのは、トップ・マネジメントの第1の責任。 
●企業の目的と使命を定義できないのが、挫折と失敗の大きな原因。
●まれにしか質問されない理由 
そうした質問は、論争、反論、不和の原因になる。
  ■異論が必要 
「われわれの事業は何か」という問いに対する答えは、つねに代替案の中から選び出したものであり、これらの代替案は、企業の「実態」と企業環境の「実態」とについて、どう想定しているかによって違っている。
常に大きなリスクが伴っている決定。
目標、戦略、組織、行動の変更に通じるもの。

代替案の中から意識的に選択した上での決定でなければならない。
「正しい答えは1つだけではない」
答えは、基礎的な仮定とか、「事実」からおのずと論理的に出てくるものではない。
答えには判断力が必要。
また、かなりの勇気が必要。
答えは「だれでも知っている」ことから出てくる場合は非常にまれ。
もっともらしさだけにもとづいて出すべきであhない。
早急に出すべきではない。
骨を折らないで出すべきではない。
  ■「意見」ではなく「方法」を 
「われわれの事業は何か」と定義するための「方法」というものが必要になってくる。
意見が生産的なものになるには、ある特定の、中心的な論点に絞られなければならない。
  ●顧客が事業を定義する 
焦点、出発点は、企業の目的と使命を定義する場合には、1つしかない。
それは顧客である。
顧客によって事業(内容)が定義される。
事業(内容)は、顧客が製品やサービスを買って、どんな要求を満足させるかによって定義される。
顧客を満足させるのが、どの企業にとっても使命であり、目的である。

「われわれの事業は何か」という問に対しては、企業を外部から、つまり顧客と市場との観点から眺めてこそはじめて答えることができる。
いかなるときにおいても、顧客が目にし、考え、信じ、欲するものを、経営陣は客観的な事実として受け止めなければならない。
経営陣は、顧客の心を(書類から)読み取ろうと努めるよりも、顧客自身から応答を受けるように意識的に努力を払わねばならない。
顧客は、その製品ないしサービスが自分にとって明日、どう役立つのかを知りたがっているだけ。
顧客に関心があるのは、自分自身の価値観、欲求、現実だけ。

このりゆうだけからしても、「われわれの事業は何か」という問に慎重に答えるには、まず顧客から、つまり顧客の現実、状況、行動、期待、価値観から出発せねばならない。
  ■だれが「顧客」なのか(第@の問題)
  ●消費者と顧客 
  ●カーペット産業の例 
それまで住宅購入者、とくにはじめて住宅を買う家族が「顧客」であると定義。
butその段階の若夫婦に購入余力なし。
「われわれの顧客はだれなのか。また、だれであるべきなのか」を質問⇒住宅量産業者を顧客にするのに成功せねばならない。
部屋いっぱいに敷物をするのを販売⇒床張りは安くて仕上げも不要⇒建築業にとってより低い原価で、よりよい住宅がつくれる。
住宅の購入者が一時に多額の支払を求められなくともすむようにする必要。
⇒貸出機関、とくに(連邦住宅局といった)住宅他の尾を保証する政府機関が、敷物を住宅投資の一部として、つまり担保価値の一部として認めてくれるようにと猛運動。
◎複数の顧客 
じゅうたくん産業:@建築業者とA受託購入者
消費税の商標品メーカー:@主婦とA食料雑貨店
保険会社の事業は、@保険の販売であると定義することもできるが、A投資者でもある。
〜地域社会の貯蓄を生産的な投資へ導くための経路として定義できる。
商業銀行:@預金者とA借入者
両者がたとえ同一の人ないしは企業であっても、相異なった期待をもち、銀行の事業をまったく違ったように定義
⇒これらの顧客の一方だけを満足させても、他方を満足させなければ成績をあげられなくなる。
ATTのヴェイルの定義
〜定義の中に、@電話の加入者とA各州政府の規制機関という2種類の別々な「顧客」を取り込んでいた。
ATTは両者に対して「サービス」を与えねばならなかった。
両者とも満足させねばならなかった。
両者は、非常に相異なった「価値」観をもち、相異なったものを望み、また必要とし、きわめて相異なった行動の仕方をした。
事業によっては、経済的に見れば顧客は一種類であるが、戦略的に見れば、つまり購入の決定という観点からは2種類以上の顧客がいる。
IBMは、販売するには、相手方の会社にいるまったく相異なった人々に、それぞれコンピュータを買わせねばならないことに、早くから気づいていた。
@コンピュータを使用する人々(主に会計、財務担当者)にコンピュータを買わせねばならない。
Aトップ・マネジメントにも買わせねばならない。
Bコンピュータをj方法の道具として利用すべき人々、つまりライン管理職にも買わせねばならない。

IBMは、当初からこれらのグループの全部に「販売」してきた。
それぞれのグループが何を探し求め、何を知らねばならないとし、何に価値を認めているのか、また、それぞれのグループに近づくにはどうしたらよいのか、について十分に検討してきている。
機器を売る場合、
たとえば勘定を支払うのは、製糸会社であるが、
その工場の工程技師、研究所の製紙化学者、購買担当者がそれぞれ「顧客」。

彼らは、たとえ同一の機器ないしは化学薬品を買っているときでも、それぞれ違ったものを買っているのであって、また何よりもまず、それぞれ違った買い方をし、それぞれ違った経路を通じて(業者から)捕捉されている。
●顧客はどこにいるか(第A)
1920年代にシアーズが成功した「秘密」の1つは、旧来の顧客が以前とは違った場所にいることを発見したから。
農民は自動車をもつようになり、町まで買物に行き始めていた。
旧来の顧客のアメリカ企業が「多国籍」企業になりつつある⇒世界中の多数の地点から顧客に融資する必要⇒国際金融市場から、とりわけヨーロッパと「ユーロダラー市場」から調達
それを認識したアメリカ人が国際金融面で主導的地位を確保
●顧客は何を買うか(第B) 
「キャデラックは、ダイヤモンド、ミンクの毛皮と競っている。キャデラックの顧客は、輸送手段を買うのではなく地位(ステイタス)を買っている」
⇒破産寸前のキャデラックを救い、大不況にもかかわらず大きな「成長企業」にまでした。
  ■顧客にとって「価値」 があるのは何か(第C)
  ●不合理な顧客はいない 
顧客は、例外なく、彼ら自身の現実と状況から見て合理的に行動している。
顧客が買うのは「製品」ではない。
顧客は、欲求の充足感を買う。顧客が買うのは常に「価値」。
  ●経済学者による「価値」の概念 
  ●価格とは何か 
安全器や遮断機といった電気器具について、住宅購入者によって代価が支払われるが、その前に、電気工事人に選択され購入される。
電気工事ににとって「j価格」は、メーカーの「卸値プラス取り付け費用」。
取り付けが迅速かつ比較的不熟練な労務者でもできるように技術設計⇒「高い卸値」のものが結局「低価格」になる。
ゼロックス:
「価格」が危機に対して支払うものではなく、複写紙に対して支払うものと定義。
顧客は、機器に対してというより、複写紙に対して支払っており、顧客が欲しいのは、機器そのものではなく、複写。
アメリカの乗用車産業では、高等数学にしか自動車の本当の「価格」は計算できない。
  顧客にとって「価値」があるのは何かを理解してこそはじめて、製品(とかサービス)に対して「価格」を決めることができる。
ゼロックスのように、顧客の「価値」に対する考えとぴったり合わせた価格体系を設定するのがメーカーないし納入業者の仕事。
but
価格は、価値の一部にすぎない。
価格に表現されていない広範な「質」についても考慮せねばならないことがある。
ex.
耐久力、呼称なし、メーカーの地位、補修サービス等
高価な香水とか、毛皮とか、特別注文のガウンのように、価格が高いこと自体が価値をもっていることもある。 
  若い技師たちは、顧客のために当を得た部品を入手するというわずらわしい手間を省いてくれる。
顧客としては、若い技師たちに、器具の種類、メーカー名、型式番号、取り換えが必要な部品(ex.コンデンサーとかマイクロ・スイッチ)を知らせるだけでよい。
若い技師たちは、顧客が指定したメーカー以外のメーカーによってつくられた、どんな部品を顧客の仕事に使用できるかも知っている。
顧客にとっては、専門知識のスピーディーなサービスこそ「価値」あるもので、それに対してはかなりの割増金を支払う意思を十分にもっている。
「われわれの事業は電子部品(の卸売)ではない。情報なのだ。」 
土木重機械用の潤滑剤の製造で、品質はいい。
butどのメジャー(国際資本)石油会社とも競合⇒わずかなマーケット・シェア。
「顧客にとって価値があるのは何か」を質問
⇒「非常に高価な機械を故障なく運転しつづけること」
土木業者にとって、1時間故障するとまる1年分の潤滑剤支出金額よりもよけい費用がかかることもある。

潤滑剤だけを「売り」ものにすることをやめ、そのかわりに、土木重機械の所有者に対して、潤滑不良のために生じた故障時間の費用を全額支払うことを「売り」に。
条件を1つつけた。
このメーカーの補修サービス代理店(もちろん、これらbの代理店が、このメーカーの潤滑剤を調合している)によって設計された土木機器の保全計画を土木会社が採用して厳守すること。

どの土木会社も潤滑油の値段を問題にしなくなっている。
  顧客の側では受け取ったサービスについてどんな価値を認めているか?
アメリカの主婦が家庭電器を買う場合、知人の体験を根拠に。
故障の際のサービスの迅速性、サービスの質と費用。
会社の顧客の種類の違いに応じて、価値に対する考えがどう違ってくるかは非常に複雑
⇒顧客自身にしか答えられない。
常に顧客のところまで行って答えをシステマティックに探し求めるべき。
  企業を基本的に統一する中核として、共通の市場というよりは共通の技術をもっている企業(ex.化学会社、商業銀行、装置産業、鉄鋼会社、アルミ精錬業者)

その事業がなんであるかを定義するには、一種類以上の市場についての定義づけが必要になる。
無限なまでに多種類の市場に出ていく⇒多種類の顧客に役立ち、実に多種多様な「価値」に対する考え方や「価値」に対する期待を満足させねばならない。 
but
そういう企業でも、
「われわれの事業は何か」を問うには、まず「われわれの”顧客”はだれか」「どこにいるのか」「何に価値を求めるのか」という質問から始めるべき。
およそ事業は、その顧客に貢献するものによって決まる。
その他のものはみな「成果」というより(たんなる)「努力」にすぎない。

顧客によって支払われるものが「収入」で、その他のものはみな「費用(コスト)」となる。

企業の「外部」から、つまり市場からのアプローチは、第1歩にすぎない。だが、市場からのアプローチは、他のアプローチに先立つもの。
市場からのアプローチだけが(経営陣に事業についての)理解力を与えることができ、そうしてこそたんなる「意見」にとってかわって、どの経営陣も直面せねばならない最も基本的な意思決定を下すときの基礎にすることができる。
■    ■「われわれの事業は何か」と問うとき 
「われわれの事業は何か」

ATTのヴェイルのように、目覚ましい成果を生むこともあるし、
カーペット産業の長期下落傾向の逆転のように、逆転不能と思われた衰退までも逆転させることもある。
スローン・ジュニアが1920年に社長になったとき、GMはひどく困っていて、息もたえだえであった。
but
GMの目的と氏名についてのスローンによる定義づけと、この定義づけからスローンが展開した戦略と機構が、3年足らずでGMに主導権と顕著な収益力をもたらした。 
1960年代にアメリカの証券市場でリーダーシップをとるまでになったウォール街の会社であるDLJ。
アイデア以外にほとんど資本はなかったが、会社は、5,6年のうちにウォール街の証券業者の第7位にまでなった。 
DLJこそ、株式を公衆に売り出した⇒「私的クラブ」からサービス組織体へ
「われわれの事業は、財務サービス、財務相談、財務管理を新種の「資本家」、つまり年金基金とか投資信託といった機関投資家に与えることである」

この事業についての定義は、事後的にみると、しごくわかりきったこと。
およそ正しい答えというものは、事後的にみるとしごくわかりきったこと。
●企業が成功したときに問うこと 
「われわれの事業は何か」と、真剣に問うべき最も重要な時機は、その会社が成功を収めたとき。
成功はつねに、その成功をもたらした当の行動を古くさくしてしまう。
成功によって新しい現実が創造される。
成功に特有な、それまで違った問題が創造される。
  ■われわれの事業はどうなるであろう
企業の目的と使命についての定義で、50年はおろか、30年さえも余命を保てるものはごく少ししかない。
おそらく10年間が有効というのが普通に期待できる限度。

経営陣は「われわれの事業は何か」と問うに当たって「また、われわれの事業はどうなるであろう」と問わねばならない。

@われわれの事業の特性、使命、目的に大きな衝撃を与えると”思われる”どのような環境上の変化を認めることができるのか
Aそれらの予想を、われわれの企業の理論、つまり企業の目的、戦略、仕事の割合の中に”今日”どのように組み込んだらよいのか。
  ●人口動向の重要性 
人口の中味がかわった
@部分的には年齢構成の変化のために
A主として教育水準の向上のために
無差別な「大衆読者」はなくなり、「特化した大衆市場」が多数生まれた。
  ●経済、流行、競争の変化 
@経済の変化から
A流行とか趣味の変化から
B競争による動きから
それぞれ生じる市場構造上の変化を予想せねばならない。
この場合、「競争」とはつねに、顧客がどんな製品ないしはサービスを買ったらよいかと考えているのに応じて定義されねばならない。
■    ■顧客の満たされていない欲求 
◎  経営陣は、消費者の欲求のうち、今日、消費者に提供されている製品ないしサービスでは、十分に満たされていないのはどれかと問わねばならない。
ソニーが1950年代半ば「顧客の満たされていない欲求は何か」を自問。
携帯用トランジスター・ラジオ
「われわれの事業はどうなるで”あろう”」かについて、最も大きな仕事をしてきたのは、ユニリーバ社。
主要製品系列ごとに、主要な国別市場ごとにつくったモデルは、国民所得から小売流通の変化、食事の慣習、課税まで、実に数多くの要因を考慮に入れている。
 それらの基礎とし、また出発点としたのは人口統計と人口動向。
これらは「予測」する必要はなく、すでに起こったことにもとづいて作成することができる。
■    ■われわれの事業はどうあるべきなのか 
「われわれの事業はどうなるので”あろう”か」という問い

予想した変化に対して適応すること。
その狙いは、現存の継続事業を修正し、延長し、発展させること。
「われわれの事業はどう”あるべき”なのか」

企業を別の企業に「変身」させて、企業の目的と使命を実現するには、どんな機会が開かれつつあるのか、ないしは創造することができるのか。
IBMは、その事業を「データ・プロセシング」であると定義。
1950年以前には、パンチカードとそれらの分類機。
その後コンピュータが登場。
IBMは「われわれの事業はどう”あるべき”なのか」と自問し、今後は「データ・プロセシング」とは「パンチカード」ではなく「コンピュータ」の意味でなければならないことに気づいた。 
アメリカの生命保険業:
その事業を、ずっと前から、アメリカの家族に対して「事本的な投資対象と財務の安全性」を与えることと定義。
戦後所得拡大と同時に、インフレに対して、伝統的に「保守的」で「安全」な一定金額の投資の価値が失われていくことに敏感。
会社自身の保険者名簿の中には、アメリカで最も多数の財力者がのっている。
but「われわれの事業はどう”あるべき”なのか」と自問したのはごくわずか。

「新しい貯蓄」は、生保に向けられないでますます投資信託と年金基金に向けられている。
  ■計画的な廃止が必要 
     
☆8 目標の威力と狙い:マークス・アンド・スペンサー物語
     
☆9 戦略、目標、優先順位、仕事の割当 
     
☆10 戦略計画の作成:企業家的技能
     
※サービス組織体が業績をあげるには 
☆11 多元的な組織の社会 
     
☆12 サービス組織体が業績をあげていない理由 
     
☆13 例外とその教訓 
     
☆14 サービス組織体を管理運営して業績をあげるには 
     
※生産的な仕事と達成意欲がある労働者 
☆15 新しい現実 
     
☆16 仕事、労働、労働者についてわかっていること
     
☆17 仕事の生産性をあげる:仕事と工程 
     
☆18 仕事の生産性をあげる(続):管理手段と道具 
     
☆19 労働者と労働:理論と現実 
     
☆20 成功物語:日本、ツァイス、IBM
     
☆21 責任がある労働者 
     
☆22 雇用、所得、付加給付 
     
☆23 人間こそ最大の資産 
     
※社会的衝撃と社会的責任
☆24 経営者と生活の質
     
☆25 「社会的衝撃」と「社会問題」 
     
☆26 社会責任の限界 
     
☆27 企業と政府 
     
☆28 故意に危害を加えない:責任の倫理 
     
マネジメント (下)
★第U部 経営管理者:仕事、職務、技能、機構 
☆29 経営管理者の必要性 
     
※経営管理者の仕事と職務 
☆30 経営管理者の本質 
     
☆31 経営管理者とその仕事 
     
☆32 経営管理者の職務の設計と内容 
     
☆33 経営開発と経営管理者開発
     
☆34 目標と自己規制による管理 
     
☆35 ミドル・マネジメントから知識に基礎をおく組織へ 
     
☆36 業績中心の精神 
     
※管理技能 
☆37 効果的な決定
     
☆38 管理のためのコミュニケーション 
     
☆39 管理手段と管理と経営者 
     
☆40 経営者と経営科学 
  ◇経営科学の出現 
    経営科学は、高い貢献の可能性をもっている用具。
  ◆公約と実績 
    @複雑なシステムは、実際には直感を裏切った動きを市
Aもっともらしく思えることは間違っている場合が多い
(ex.地球は平ら、太陽が地球のまわりを回る)
    経営科学は、経営の実践に革命をもたらしていない。
  ◆経営科学が実績をあげられない理由 
    経営科学における1つの基礎的な洞察:
企業とは、きわめて高度の「システム」であるという洞察。
すべての本当のシステムの特徴の1つは、・・・その内部構成が相互依存的であるということ。
システムにおいて重要なのは、システムの全体の業績。
それはシステム全体の成長やダイナミックな均衡、調整、統合の結果得られるもの。
経営科学で、構成要素の一部の能率化に第一に重点を置くのは、システム全体にとって害をなす。
    経営科学が手がけた仕事は、企業内の特定の技術的な機能について既知の用具を洗練することだけ。
企業経営そのもの・・・リスクをつくり出し、リスクを負い、意思決定を下すという職務については、ほとんど仕事をしていない。
経営科学の重点:
原理原則ではなく技法に、意思決定でなく仕組みに、成果ではなく用具に、全体の業績にではなく部分の能率に置かれている。
    経営科学の実際の仕事のほとんどは、既知の方法を多少改善したものにすぎない。
ex.在庫の管理、貨車の配置
  ◇経営科学の誕生の由来 
    いかなる学問も、その対象を大まかなりとも定義⇒その後対象を研究するために必要な概念や用語をつくることに着手。

経営科学:他の学問が自身に特有な目的のために開発した概念や道具を借用することから始まった。

「企業とは何か」「経営とは何か」「企業や、経営に必要なものは何か」といったことを重視していない。
その関心は、家を建てるのはおろか、釘をうつことでさえもなく、ただ道具たるハンマーそのものにおかれていた、。
  ◇経営科学が非科学的になりがちな理由 
    「科学的である」ということは、定量化することではない。
「科学的である」ということは、その科学の対象とする世界、すなわちその科学が現実の、意味あるものとみなす現象について、@理に合った定義をするだけでなく、A適切かつ一貫した包括的な基本的な仮説や公準を立てることを前提条件とする。
but
経営科学は、自らの対象とする「世界」を定義するという仕事を、いまだになおざりにしている。

その対象物に特有な性質について定義づけを行うことが必要。
その定義の中には、
「企業は人間から成り立っている」という洞察が、基本的な定義として含められる。

従業員とくに経営管理者が立てた仮説や、意見や、目標や、さらには間違いまでも、経営科学者にとって第一の「事実」となる。
これらの「事実」について分析し、研究することこそ、経営科学が真に効率的な仕事をするために、まずとりかからなければならないこと。
  ◇基本的な公準 
    何を研究すべきかを認識⇒(経営科学は)自らの基本的な仮説や公準を立てなければならない。
    この公準には、次の重大な事実が含まれる。

どの企業も経済と社会の中に存在している。その最強のものでさえ、「環境」の召使であり、環境によって遠慮なく解散されていまう。しかし、その最弱のものでさえ、経済や社会の一員であり、経済や社会に影響を与える。
たんに「環境」に順応していくだけのものではない。
いいかえると、企業は、非常に複雑な経済環境や社会環境(エコロジー)の中でのみ存在する。
この基本的な公準には、次のような考えが含まれる:

(1) 企業が生み出すものは、物でも観念でもなく、人間が価値ありと認めるもの。いかに見事に設計された機械でも、顧客に役立たなければ金属のスクラップにすぎない。

(2) 企業の測定尺度は、たとえば「金銭」のような、形而上的とまではいかなくとも、きわめて複雑な表象であり、高度に抽象的でると同時に驚くほど具体的な表象である。

(3) 経済活動とは、必然的に、現在の資源を未知で不確実な未来に賭けること。すなわち「事実」に対してではなく、「期待」に対して賭けること。

リスクは欠くことのできないものであり、リスクをつくり出し、それを負うことが、企業の基本的な職能となる。また、リスクは全般管理者だけが負うものではなく、まさに組織全体を通じ、およそ知識を貢献する人たちすべて、すなわちあらゆる管理職と専門職が負うべきもの。
このリスクは、統計学でいう確率の場合のリスクとはまったく異質のもの。
つまり他に2つとないユニークな事象に伴うリスク、すなわち1回勝負の現状からの断絶に伴うリスク

(4) 企業の内外で、後戻りできない変化がたえず起こっている。実際、企業こそ、産業社会における変化の主体として存在している。企業は、新しい条件に適応する意図をもって進化する能力をもたなければならないと同時に、条件を変化させる意図をもって革新する能力ももたなければならない。
    何よりもなず必要なのは、企業の特殊な性格を認識し、その研究に必要な独特な原理について認識すること。
このような観点から経営科学を構築しなければならない。
     
  ◇経営科学にとって第一に必要なこと 
    経営科学にとって第一に必要なことは、自身を独立した真の学問であると十分に自覚すること。
     
  ◆リスクを負う不安 
    企業からリスクをなくそうとしても無駄。
←現在の資源を未来の期待に賭けることにリスクはつきもの。
経営進歩とは、リスクを負う能力の増大であると定義できる。
リスクをなくそうとする試みや、リスクを最小にしようとする試み⇒リスクを理に合わない、耐えられないものにしてしまう⇒リスクのうち最大のリスク、すなわち硬直化というリスクをおかすことになる。
    経営科学の主たる目的:企業が当を得たリスクを負えるようにしてやることでなければならない。
経営科学の主たる目的は、次のようにして企業が「より大きな」リスクを得るようにしてやることでなければならない
@期待の代案とリスクの代案についてもろもろの知識と理解力を与え
A所望の成果を生むために必要な資源や努力を明らかにし
Bエネルギーを動員して貢献させ
C期待と成果を対比することによって、
D間違った決定や不十分な決定を早期に是正する手段を与える
    経営科学における「リスクの最小化」の言葉⇒リスクを負ったり、リスクをつくり出すことに対して、すなわち企業に対して、はっきりした悪意を起こさせる。
企業を技法に従属させたがっている。
経済活動を、責任を伴った自由と決定権を確認した上で行使したものとしてではなく、物理的に決定される領域のものとして見ている。

経営科学が、その主題に対する敬意を欠いていることを意味する。
研究対象を軽んじていては、いかなる科学も、いかなる科学者も、存立しえない。
経営科学にとって第二に必要なことは、その主題をまじめに考えること。
     
  ◆経営者が知らなければならないこと 
    経営科学者の経営者に対する典型的な苦情はナンセンス。
「経営者が経営科学をてんで学ぼうとしないので、依然として無知である」というもの。

およそ道具を使う人に、その道具がどのようにしてつくられたのかを理解せよと要求することは、道具をつくった人が自ら無能であることを認めていることになる。
道具の使用者は、その道具がよくできていれば、道具について何も知る必要はないし、実際知るべきではない。
    経営者は、経営科学者も他の高度の専門家と同じように、自己の進路を決めて効果を発揮するには、経営者の力を必要としている事実を認めようとしなかった。
経営科学を管理せずに放置してきた。

経営科学が、多くの場合、ありもしない問題に対する答を、あれこれと生み出す手品の箱のようなものに堕落してしまったことに大いに責任がある。
経営者は、経営科学がはじめて登場したとき、表面的には歓迎したにもかかわらず、大体において経営科学が何を貢献し、何を貢献できるかについて、十分考えなかった。
    経営者が必要とすること:
@急激に変化している複雑な技術と経済と社会において、企業がリスクをつくり出し、リスクを負うような意思決定を下すための組織立った知識のシステマティックな供給
A期待と成果について測定するための用具
B多数の管理職と専門職の間に共通のビジョンとコミュニケーションをもたらすための効果的な手段
    本当に教えを受けたり学ぶことができるものは、学問としての一般法則や概念だけ
経営科学者が、どこでもしていないことをしたから成果があがったのではない。それは、経営者が当を得た質問をなして、経営科学を管理したので成果があがった。
    大手メーカーの例:
役員たちは、経営科学者のところまできて質問:
「同業者ならばだれでも、卸売業者や小売業者への掛売り期限を延期することが売上げを伸ばす道であることを知っている。そうかといって信用を延ばしすぎると、それに伴うリスクのほうが、売上げの伸びよりも大きくなってしまうこともわかっている。しかし、これは、当社の販売政策や信用政策のよりどころになる正しい考え方といえるだろうか?」

経営科学者:
6か月にわたる検討の後
「それは間違った考え方である。よくあるように、だれでも知っていることは、この場合も、本当ではない。
本当なのは、この業界では最大かつ最良の顧客に信用を供与したときに売上げが伸びるということである。彼らは信用リスクの点でも心配はない。まだ最小かつ最悪のの顧客に信用を供与しても、売上げは伸びる。ただし、彼らは信用リスクの点では、きわめて心配である。しかし、平均的な顧客は、信用リスクの点でも平均的だが、信用を供与しても売り上げは伸びない」

取引がわずかな得意先には、信用供与を打ち切ることにした。⇒売り上げは多少落ちたが、販売と信用の面での業績は大いに向上した。
取引きの大きな最良の得意先には信用を追加。
今日m、同社が信用供与している総額は、非常な信用引締政策をとっていたころよりかえって少なくなっている。
同社では、信用と、売上と、信用リスクの3つの関係について、筋道の立った理解を示すようになっている。
大都市の大きな病院の例:

質問:
「患者の入院状況について、何か傾向を見つけ出せないものか。病院の基本業務について予定を立てたり、業務や施設や要因の活用について計画を立てるために必要なのだ。これは、われわれにとって基本問題なおだが、実のところ、こういう質問が正しいのかどうかさえ、われわれにはわかっていない」

経営科学者:
約2年間にわたって懸命に検討した結果、
長期、短期共に予測可能か傾向が認められることを示し、
レントゲン室や、レントゲン技師や、試験室や、手術室等々の限られた資源の使用状況についてだけでなく、
患者の入院期間や病室とベッドの使用状況についても、高い確度で予測できることを示した。

それだけでなく、彼らはまた
「あなた方はどんな種類のベッドが、どれだけ必要かという質問も出すべきであったと思う。この病院にあるベッドは、みな重症患者用のもので、多額の資本投資を必要とする。しかし、いかなるときでも、患者の3分の1以上が、この種のベッドやそれに附帯した設備を必要とするようにはならない。他の3分の1には、重患要ベッドの半値で購入できる回復者用ベッドで十分であるし、最後の3分の1には、おそらくできるだけ安いホテル用のベッドで十分であり、付帯サービスも最小限でよい」と報告。
     
  ◇仮説の検証 
    いいかえると、経営者が経営科学を貢献しうるものにするためにしなければならないことは、基本的な仮説を(経営科学に)検証してもらう必要のある分野はどこであるかを自ら十分検討すること。
  ◇解答でなく正しい質問を
    経営者は何よりもまず「最終解答」を期待している。
but
経営科学の大きな利点は、その方法が自然科学の方法によるにしていも、経済学の方法や社会科学の方法によるにしても(優れた経営科学者ならば、この2つの領域すべてに精通していなければならない)、問題を提起する能力にある。
その解答は、経営者自身が出すべきもの。

企業の場合、その答えというものは、判断力の問題であり、また相異なった、不確実なリスクの選択の問題であり、知識と経験と希望とが混じり合ったものが常。
    経営科学を貢献しうるものとするには、経営者は経営科学に対し、問うべき正しい問題は何かということを明らかにするよう要求しなければならない。
    ×経営科学が「正解」を出してくれることを期待
経営科学に期待すべきこと:
「ここに4つか5つかのとるべき道がある。どれも、完全ではない。どれもが、特有のリスクや不確実性や限界や費用を伴っている。しかし、どれもが、主要な必要条件のうち少なくともいくつかは満たしている。どれを選ぶかは経営者、あなたの仕事である。あなたがどれかに決めなければならない。」
     
  ◇解決策でなく選択案を
    未来に関しては「解決策」などない。
あるのは、それぞれ不完全でリスクに富み、不確実で相異なった努力を必要とし、相異なった費用を伴っている進路の中から選択することだけ。
経営者は、どんな選択の道が開かれているか、それぞれの道が何を意味するか、認識することより以上に助けになるものはない。
そして、これこそ経営科学者が、各様の正確度において、(経営者に対して)与えることができるもの。
     
  ◇公式でなく理解を 
    経営者は、経営科学者に対し、問題に対する公式ではなく、理解を与えてくれるよう期待すべき。
公式:経営科学の用具であり、経営者にとってほとんど興味がないもの。
しかし、問題に対する理解、すなわち意思決定の対象が本当は何なのかという洞察については、経営科学者に責任ありとすべき。
経営科学が貢献することができ、また貢献すると期待すべきものは、
(経営者をして)ある意思決定がたとえば製造についての決定のように見えていても、その実はマーケティングについての決定であることを理解させること。
つまり「顧客が欲し、支払う意思があり、購入するものは何かについての決定」

経営者が経営科学者に期待すべきものは、
「あなたが出した問題は間違っている。”この”問題こそ、われわれが取り組むべきものです」という進言。
    ある製薬会社に雇われた経営科学者の一団が果たした最大の貢献:
次のように進言したこと
「あなた方の努力も精力も注意力もすべて、新製品に集中されている。
しかし、あなた方の今日の収入も、また予見し得る範囲の将来の収入も、その4分の3は、少なくとも3年前から在庫リストに入っている製品から得られる。それなのに、それらの製品については誰も管理していないし、売ろうともしていない。・・・
われわれにわかっていることは、旧来の製品を市場にとどめておくための方法は、新製品を市場に導入するのに必要なものとは、まったく違っているということだけ。
それなのに、既存の製品系列に属する確立ずみの製品を管理するには、何が必要か、われわれにはわかっていない。しかし、これこそ、われわれが研究していかなければならない問題である」
     
  ◇経営科学が取り組むべきこと 
    経営科学を生産的なものにするかぎは、次の4つのことを要求し期待すること:
@経営科学者が仮説を検証すること
A経営科学者が正しい質問を明らかにすること
B経営科学者が「解決策」ではなく、代替案をつくること
C経営科学者が公式ではなく、理解を与えることに焦点を合わせること

経営科学者は計算方法ではなく、分析用具であるという前提に基づいている。
経営科学の目的は、診断して(相手を)助けることにあるという前提に立っている。

経営科学は(問題に対する)洞察であり、驚異的な新薬はおろか処方箋でもない。
上記4つの要求はすべて、経営者が経営科学に対して責任を負うことを要求。

経営者:
経営科学者たちと緊密に協力して、彼らが取り組むべきものは何かを決めなければならない。

経営科学者:
経営者が理解する必要のある分野に取り組むべき。
それらの分野が経営科学という用具にはとくになじまないような分野、たとえば定量化が難しく、あるいは不可能でさえあるような分野の場合でも、経営者、経営科学者はひるんではならない。

洞察や理解、優先順位づけ、あるいはその分野が複雑であるという「感じ」・・・これらは生活かつ優雅な数学モデルに劣らず重要。
事実、数学モデルよりもはるかに役に立ち、実際、はるかに「科学的」でさえあるのが普通。
←経営者の世界や経営者の課題についての実態を反映している。
     
  ◇可能性から実績へ 
    経営科学の潜在力を引き出し実績をあげさせるのは経営者の責任。
経営者は、経営科学とは何であり、何をなしうるかということを、理解しなければならない。
その起源と歴史のゆえに経営科学につきものになっている特有な「限界」を理解しなければならない。
なににもまして経営者が理解しなければならないこと:
経営科学はあくまでも経営者のための用具であって、経営科学者のための用具ではないということ。
これらの用具を、経営者の課題に集中させ、経営者としての貢献を果たさせるように仕向けていくのは経営者の責任。
     
※管理組織 
☆41 新しいニーズと新しいアプローチ 
     
☆42 組織の建築用ブロック
     
☆43 組織の建築用ブロックのまとめ方 
     
☆44 設計の論理と設計仕様 
     
☆45 仕事中心と課題中心の設計:職能別組織とチーム型組織 
     
☆46 成果中心の設計:連邦分権制と疑似分権制 
     
☆47 関係中心の設計:システム型設計 
     
☆48 組織に関する結論
     
第V部 トップ・マネジメント:課題・組織・戦略 
☆49 ゲオルク・ジーメンスとドイツ銀行 
     
※トップ・マネジメントの課題と組織
☆50 トップ・マネジメントの課題 
     
☆51 トップ・マネジメントの構造 
     
☆52 効果的な取締役会が必要(p415)
◇取締役会:法的虚構と無能な実態 
  あらゆる取締役会に1つだけ共通するもの:
「どの取締役会も、その機能を果たしていない」

取締役会が法律上は会社の統括機関であるにもかかわらず、今世紀におけるもろもろの企業の破局に際してつねに、最後までつんぼ桟敷におかれていた集団。
「不祥事」発生⇒取締役会の失態は、その愚鈍さ、成員の怠慢、経営陣が取締役会にものごとを周知徹底させていなかった等
but
機能不全が判で押したように定期的に発生
⇒業績をあげることができないのは、個々の取締役ではなくむしろ取締役会という制度そのもの。
    なぜ取締役は、その法律上の構造いかんにかかわりなく、業績達成能力を失ってしまったのか?
ゲオルク・ジーメンスの時代には、取締役会は立派に業績をあげていた。
彼は、かなりの数の取締役会で活動する一方、自分の率いるドイツ銀行の取締役会と緊密に協働し、それを彼自身のトップ・マネジメントの不可分の一部として取り扱った。
取締役会の無力化
←多数の大衆株主を擁する大企業の発展。
元来、取締役会は、アメリカ、イギリス、ドイツのいずれの国の取締役会であるを問わず、所有主を代表するものとみなされていた。
株式の所有は概して数人または数グループに集中し、それぞれが全体の株式のうちの相当部分を占めていた。
取締役会の各員が、かなりの程度まで、企業と利益を共にしていた。
各員が、時間と関心を多分に会社に注ぐことができた
各員が、ごく少数の取締役会に名を連ねているにすぎなかった
   
  ◇取締役会を「政治化」する動き
大企業の法的所有権は、何千という「投資家」によって保持

取締役会はもはや所有主を代表していはない。
実際、特定のだれをも代表してはいない

取締役会の人選は、合理的な根拠で行われなくなった
有名人、取引先、取引銀行の人、顧問弁護士、他者の業績赫々たる業務執行者

多忙を極め、自分が取締役として名を連ねている企業とさほど利害関係が深くない
⇒その企業のために多くの時間を割くだけの正当な根拠を見出しえない。

会社と取引関係にあり
⇒その会社の内情に探りを入れたり、相手に都合の悪い質問を発したり、会社に批判的だとみられたりするのを渋りがち。

義理で取締役をつとめるだけになる。
    取締役会が無力化していしまったもう一因:
大半の国で、取締役会が、法律の規定どおりの存在になりえなくなってしまった。
会社の「統括」機関にはなりえなくなってしまった

統括とは常勤の職務であり、それを非常勤(パートタイム)でやろうとすれば、とるにたらないことに目を通すことさえも思うにまかせない。
    取締役会の衰退

取締役会が衰退を重ねてきた最後の要因は、概してトップ・マネジメントが、真に効果的な取締役会を望んでいない。
効果的な取締役会:
トップ・マネジメントに業績をあげるように要求し、十分業績をあげていない最高業務執行者を排除。
相手にとって都合の悪いことでも問いただす。
ものごとが発生する前に、その件について自分たちが通暁している必要があると主張。
トップマネジメントの勧告を無条件に受け入れずに、「なぜ」そうするのか、理由を聞きたがる。
トップマネジメントによる人事の決定に盲判を押さずに、かわりの上級職候補者がいないかどうかを知りたがり、それらの候補者を個人的に深く知りたがる。

効果的な取締役会は、自ら効果的になることを主張する。
⇒大半のトップマネジメントにとっては、束縛、制約、「経営の大権」の侵害に見え、脅威に見える。
  トップ・マネジメントの効果的な取締役会が必要な理由 
    トップマネジメントの多く:
取締役会が衰退したところなんの不都合はないと反論。
(取締役会が完全ば「社内」取締役会になっている場合(=取締役会がトップマネジメントの成員に完全に支配されている場合)、取締役会は法律上の虚構として”すでに”消滅している。)
vs.
著しく先見の明に欠ける。

@トップマネジメントが効果的で強力な取締役会抜きで活動することはいずれ許されなくなる
Aトップマネジメントが、自らのニーズや企業のニーズのために効果的な取締役会を育成しない⇒社会から、不適切な取締役会を押し付けられることになる。
Bそのような押し付けられた取締役会は、トップマネジメントを支配し、その指揮と決定を牛耳ろうとする。「ボス」になろうとし、自らをトップマネジメントに対抗するものと考える。それは、会社のために行動しないだろうし、実際そういった行動をとることはできない。
    取締役会の機能不全が最初に目につくようになったのは、ワイマール共和国時代のドイツ。
大企業の取締役会に「共同決定」という形で、労働者の代表(労働組合の役員)を取締役会に加えるよう法的に義務づけるという形で、外部からの最初の制約が課されたのもドイツ。
⇒ドイツの大企業の取締役会が互いに対抗する派閥の戦場になってしまった。
スウェーデン:
政府が主要銀行の取締役会の成員を任命。
個別企業の取締役会の成員にひとたび政治的な色合いを帯びた人物が任命されると、そのような任命から政治色を払拭することは、長期にわたって容易ではない。

取締役会は、トップマネジメントの審査機関、腹蔵ない相談相手、助言者、先導者として、効果的に働くことができなくなる。
それどころか逆に、規制者、対抗者になる。
米国:
取締役会を、適切なものにせよという圧力。
つまり、取締役会の成員に、あらゆる種類の集団・・・黒人、女性、貧困者その他・・・の代表を任命せよという圧力。
vs.
これらの被任命者は、個人としてどれほど優れていようとも、取締役会の成員として機能を果たすことができない

@彼らの役割は、あれやこれやの外部集団、あれやこれやの特別の利害関係者を代表すること。
A彼らの役割は、トップマネジメントにもろもろの要求をつきつけ、特別のプロジェクト、特別のニーズ、特別の政策を押し通すことでなければならない。
B彼らは、企業に関心を注いだり、責任をもつわけにはいかない。と同時に、取締役会で耳にしたことを胸中に秘めておくことを期待するわけにもいかない。
   
社会がいずれトップマネジメントに、わけても目につきやすい大企業のトップマネジメントに、適切かつ効果的な取締役会抜きで権力を行使することを許さなくなるだろうことを明示。
伝統的な取締役会の衰微は真空を生み出した。が、いずれはその真空も埋められることになる。
     
  ◆取締役会の三機能(p422)
    大企業が機能的な取締役会を必要としているのは、3つの異なる課題が現実に存在しているから。
◇(1) 審査機関としての取締役会 
    企業にとっては審査機関が必要。
企業は、経験深い人たち、誠実で高邁な人たち、折紙つきの業績達成能力と折紙つきの勤労意欲をもっている人たち、トップマネジメントと相談し、助言を与え、協議する人達を必要とする。
トップマネジメントの一部ではないもののトップマネジメントの役に立ち、危機に際して知識と決断力をもって行動できる人たちを必要とする。
大企業は、社会にとって著しく重きをなす存在⇒それ自体の中に「管理(コントロール)」手段をもたなければならない。
@自社の事業はなんであり、またどうあるべきかということを、トップマネジメントがとくと考えるよう、確認。
A目標の設定と戦略の開発が行われているかどうか確認。
B自社の計画作成、資本投下方針、管理固定費予算を批判的に検討。
C人事の決定と組織の問題を監視し「最高裁判所」になる。
D組織の精神を見守らなければならないし、組織が従業員の強みの活用と弱点の無害化に成功するよう、また組織が明日の経営者を育成するよう、さらには、経営管理者に対する報酬や、管理用具や、管理手法が組織を強化し、目標に向かって組織を前進させるよう、確認。
そのような審査機関がない限り、トップマネジメントには事故を規制する術がない。
そして、真の意味での正当性がなくなる。
  ■上訴機関としての取締役会 
    トップマネジメントには同時に、だれか相談相手が必要。
相談相手をもつことは、とくに小企業のトップマネジメントにとって必要なことであり、相談相手がいないと、とかく孤立しがち。
社外の助言者、たとえば経験の深い弁護士やコンサルタントと、容易にしかも継続的に近づきになれない小企業の経営陣は、経験があり自社の事業を理解していながらもなおかつ取引先ではない少数の人たち、そういう人たちを常時利用することができなければならない。

小企業のトップマネジメントには正真正銘の「取締役会」が必要。
     
◇(2) 無能な経営陣を排除する取締役会 
    効果的で、機能的な取締役会は、業績をあげることができないトップマネジメントを排除するために必要。
    無能なトップマネジメントや業績をあげていないトップマネジメントを排除できる取締役会が、本当の意味での権力をもっている。
but
そうした取締役会を怖がるのは弱体なトップマネジメントだけ。
いかなる社会も、大企業のトップマネジメントの無能を大目に見るわけにはいかない。
トップマネジメントが無能ないし弱体な最高執行機関を排除するような取締役会を組織しない⇒政府がかわりにその仕事を引き受けることになろう。
    さもなければ「金融界の乗っ取り屋」による「乗っ取り」が起こる。
見かけ上は全能であり、堅塁を誇り、完全な支配権を握っていたが、これまでにすでに、金融界の「乗っ取り屋」と彼らの「公開買付け」により組織された、株主の反逆の前に倒れている。
彼らは、苦境にあえいでいる会社を狙ったわけではない。彼らが目をつけたのは、主として、潜在能力を生かしきっていない会社、トップマネジメントが十分に業績をあげていない会社だった。
業績をあげていないトップマネジメントを排除するような効果的な機関を、トップマネジメント自体が、自社の組織構造に組み込まないとしたら、つねに「乗っ取り屋」と「公開買付け」の脅威にさらされることになる。
but
腐肉を食う動物(取締役会)がいないよりは、ジャッカル(乗っ取り屋)がいるほうがまだまし。
    最高業務執行者は、その業績に対して報酬が与えられる。彼らの報酬が高いのは、そこに危険保険料(リスク・プレミアム)が含まれているため。
大企業、なかんずく株主が広範に分散していて支配的な権能(大株主)が存在していない大企業では、トップマネジメントの業績を定期的に、しかもつっこんで審査したり、非常に高度の要求に即応していない最高業務執行者を排除したりするのが、取締役会の責務。

取締役会が、@会社の内情に通じていると同時にA強力な取締役会でなければならない。
     
◇(3) 公共・地域社会関係機能 
    企業には「PR」機関が必要。 
企業は、自社の「ひいき筋」や「支持層」と容易に、しかもじかに接触しなければならない。
企業は、その人たちの意見を聞かなくてはならないし、その人たちに話しかけることができなくてはならない。
    重要な事実は、現代の企業の「支持層」が多種多様だということ。
株主がその1支持層。
but
株主は「所有主」ではなく「投資家」になった。
従業員。
大企業が工場を配置している地域社会。
消費者や納入業者や流通業者。
そういった人たちみんなが、大企業の現状や、問題や(経営)方針や、計画を知る必要がある。
逆に、企業は企業で、その人たちに理解してもらう必要がある。
トップマネジメントは、彼らに理解され、尊敬され、受け入れてもらわなければならない。
but
トップマネジメントにとってそれ以上に肝要なのは、そういうった「支持層」が望んだり、理解したり、誤解したり、見たり、疑問に思ったりしていることを理解すること。
    大企業は「公共関係(PR)」活動に、巨額の金を注ぎ込んでいる。
but
大企業が、ひいき筋に理解してもらえずにいること、もっと悪いことに、ひいき筋を理解していないことは、証拠によって明らか。

純粋なPR活動、つまりひいき筋に、会社とそのトップマネジメントに対して「愛情」をもたせることよりもむしろ、ひいき筋を理解することを意図したPR活動が、ますますもって大切。

自分達が尊敬しているが、それでいて独立している「ひいき筋」や「支持層」の出身者・・・しかも自分たちのことも尊敬してくれているし、自分たちがやろうとしていることもわかってくれる人たち・・・とトップマネジメントが近づきになり、協働できるようになることが肝要。
そのことは、「公共・地域社会関係」会議体を企業の組織構造に組み込み、トップマネジメントと不可分の関係にある機関として機能させるようにする。
    ドイツの労働組合やアメリカの消費者運動の旗手たちは、支持層である「自分たち」を取締役会に加えるよう企業に迫っている。
vs.
j彼らが間違っているのは「自分たち」を”唯一の”支持層だと思い込んでいること。
実際には、あまたの支持層の1つにすぎない。
    統括機関としていの「取締役会」:
企業の基本的な長期的な利害関係者だけを代表している会議体でなければならない。
トップマネジメントの業績の審査機関ならびに監督者としての機能を果たすことができなければならない。
but
企業はそのほかに、もう1つの「会議体」、つまり事実上の情報・助言・協議・意思疎通機関を必要としている・・・「公共・地域社会関係」会議体がそれ。
かりに企業とそのトップマネジメントがこの「会議体」を創設しない
⇒不適当かつ有害な形で、いいかえるならば敵対・支配・抑制機関として、その種の会議が押し付けられることになる。

ex.
ドイツの取締役会に労働者が
スウェーデンの取締役会に政府が
アメリカの取締役会に少数民族が
それぞれ代表者を送り込んでいる。

企業とそのトップマネジメントの権限を弱め、本来の姿を損ない、業績をあげる能力を減退させる。
     
  ◆必要ものは何か 
    異種の2機関が必要:
@「業務執行会議体(エグゼクティブ・ボード)」

トップマネジメントの相談相手、審査機関、良心、顧問、助言者
同時にトップマネジメントが「権力を喪失」した場合、内情に通じた準備万端おさおさ怠りない「代行」

A「公的・地域社会関係」会議体 

企業、とりわけ大企業が、さまざまなひいき筋と近づきになる際の窓口となる。
トップマネジメントは、
さまざまな「ひいき筋」が望み、知る必要があり、理解する必要があるものについて、「公共・地域社会関係会議体」と協議。
「業務執行会議体」との間では、トップマネジメント自体が協議する必要があるもの、トップマネジメント自体が熟慮し、決定し、理解する必要があるものについて協議。
    効果的な取締役会が現存していることは確かであるが、
どの取締役会も、以上の3つの機能を十分に果たしてはいない。
ストックホルムのエンスキルダ銀行と系列関係にある「ワーレンベルク系企業」の効果的な取締役会:
第二次大戦後にエンスキルダ銀行を率いていたマーカス・ワーレンベルクは、同行が主導的な役割をl果たしていた系列会社のトップマネジメントの地位と職能を明確に規定することの必要性を力説。
⇒強力な取締役会を築くことを可能にし、それらの取締役会は、各社の内情改善に大いに貢献。
〜トップマネジメントの職務の明確な規定の上に立った効果的な取締役会の所産。
第二次大戦前には無名の小さな薬品店にすぎなかったメルク社が、あめりか製薬業界で主導的地位へ躍進:
〜取締役会の一員であったヴァンネバー・ブッシュによって実現。
非常勤会長としてメルク社に参加⇒同社のトップマネジメントはどうあるべきか、何をなすべきかを、とことこん考え抜くという特別な任務。

結論の1つは、
トップマネジメントを審査し、その先導役となることができる効果的な取締役会。
科学界といった主要「ひいき筋」と近づきになる方策を生み出すことができる効果的な取締役会。
を設けなければならない。

同社に長期的な戦略の確立を可能にさせ、業界の古顔の「プロ」のはるか後方からスタートしながら、10年たらずのうちに、著しく競争的なこの業界の、全世界的な主導権を握るにいたった。
     
◇取締役会の目標と「仕事の計画」
    取締役会を効果的なものにするには、
まずトップマネジメントの職能と、取締役会自体の職能および仕事を、つきつめて考えなければならない。
取締役会には、目標と「仕事の計画」が必要不可欠。
目標のはっきりした、特定の職能を遂行する意図で設けられない限り、取締役会は業績をあげられない。
     
  ◆だれを取締役にするか 
    だれを取締役会の成員にするかを、じっくりと考える必要。
取引銀行や証券引受業者のように、「公共・地域社会関係」会議体に所属すべき人がいる。
金融界は企業の「支持層」。
but
今日、取締役会に名を連ねる金融界以外のほとんどの人が、
「公共・地域社会関係」会議体の成員としても、
「審査ならびに上訴」会議体の成員としても、
不適任だとみなされるべき。

×引退した自社の元役員
経営陣が、引退した自社の長老の知識と英知を活用する正しい道は、日本の慣行に見るように、そのような人物を「相談役」として自社にとどめておくこと。
×自社に何かを売っている人達
ex.納入業者や顧問弁護士やコンサルタント
    だれを取締役会の成員にすべきなのか?
「審査ならびに上訴」会議体の成員についてしか、この問に答えることはできない。
第1:能力:
取締役会の成員は、企業、政府機関その他の組織体のいずれかにおいて、上級業務執行者として自己の能力を実証ずみでなければならない。
理想をいえば、年齢的には50代半ばで、進んで「現業(オペレーティング)」の任を辞し、助言者、先導役、良心になる意思のある人物であることが望ましい。
第2:
取締役会の成員は、職務を果たすだけの時間がなければなrなあい。
あちこち数多くの取締役会に名を連ねていては、満足の職務を果たせるものではない。
せいぜい、4,5社。
ゲオルク・ジーメンス:
すでに1世紀も前に、そのことをわきまえていた。
少数の取締役会に名を連ねるにとどめ、その取締役会に加わった本来の使命を達成したと思ったら、即座に取締役を辞した。
but
百余の取締役会に名を連ねていたドイツ銀行の最高業務執行者さえいる。
     
  ◇「プロ」の取締役
    その意味で、効果的な取締役会の成員は、明らかに「専門的な取締役」でなければならない。
取締役という仕事は、掛け値なしの第一級の人物のための常勤の専門職業として認識されるべき。
そして、取締役には、そういうものとして、手数料によって報酬が与えられるべきで、株式購入選択権(ストックオプション)や利益の分け前によって報酬が与えられるべきではばい。
     
  ◇効果的な取締役会の設計と実現は、トップ・マネジメントの課題 
    取締役会の成員は経営陣から独立していなければならない。
    経営陣がその伝統的な態度・・・つまり「公共・地域社会関係」職能を、取締役会へ導入しかねない動きに対する抵抗・・・を維持することは、もはや不可能。
    選択は、現に見られるような有名無実の取締役会と、効果的な取締役会のいずれをとるか、ということではもはやない。
企業に押しつけられる取締役会、しかも企業に敵対的であり、企業に即応していない取締役会と、企業の効果的な機関であり、企業のニーズにも即応している取締役会のいずれをとるかが、現に迫られている選択。
     
※戦略と組織構造 
☆53 適正規模について 
     
☆54 企業規模とマネジメント 
     
☆55 不適正規模について 
     
☆56 多様性への圧力 
     
☆57 多様性から統一性を生み出すために 
     
☆58 多様性の管理 
     
☆59 多国籍企業
     
☆60 成長の管理 
     
☆61 革新する組織 
●革新とは経済・社会用語 
小人が巨人の手で市場から締め出されているという、「人民党員」の昔ながらの古くさい神話くらい、真実から程遠いものはない。
過去25年間に出現した革新的な成長企業はたいてい、小企業として第一歩を踏み出している。
また、これまで概して小企業は巨大企業よりもはるかに優れた成績をあげてきた。
  ■革新の事例 
フランスのルノー、イタリアのフィアット、イギリスのマークス・アンド・スペンサー、スウェーデンのASEA、日本のソニー、両次世界大戦の合間の時期におけるドイツの出版社ウルシュタイン。
アメリカでは、3M、ATTのベル研究所、アメリカ銀行。
これらの企業がぞうさなく革新をやってのけ、ぞうさなく変化を自らの組織に受け入れさせている。
第二次大戦中に原子爆弾を開発したアメリカのマンハッタン計画と
初代事務局長ビクター・ワイスコフ氏の下にあったジュネーブのCERN

@組織の革新能力が経営陣の関数であって、産業や、組織の規模ないしは年輪の関数ではないこと
A無能な経営管理者が一様に口にするいいわけ・・・一国の「文化と伝統」で説明のつくものではないこと
を示唆。
また、B「研究」で説明のつくものでもない。
ルノーとフィアットは、「研究」の面でとくに抜きんでているわけではない。
両者を革新すする組織にしているのは、新しい設計と新しいモデルを迅速に生産に写し、市場に送り出す能力。

アメリカ銀行は、主に顧客サービスの分野で、また財務構成と信用、在庫、マーケティングの方針という面で、革新を行っている。

革新する組織は革新の精神を制度化し、革新の習慣を生み出している。
「革新する組織」は、不断の生産的な革新を目的とする組織として、いいかえると、そういう人間集団として、革新を管理する。
そういう組織は、変化を規範にすべくく組織されている。
  ●革新の特徴 
@革新する組織は、「革新」の意味を知っている。
A革新する組織は、革新のダイナミックス(力学)を理解している。
B革新的な組織は、革新戦略をもっている。
C革新的な組織は、革新するには(生産性の日常)管理的な目標、標的、測定尺度とは別個の、かつ革新の力学にふさわしい目標。標的、測定尺度が必要なことをわきまえている。
D革新的な組織では、経営陣、とりわけトップ・マネジメントが(管理的な組織における場合とは)別種の役割を果たし、別の態度をとる。
E革新的な組織は、権利的な組織とは別種の構造をもち、別個に設けられる。
  ■革新の意味 
革新は価値
その測定尺度は環境への衝撃
⇒つねに「市場に焦点を合わせた」ものでなければならない。
革新的製薬会社:
「研究」という観点からではなく、「医療」という観点から革新を規定
ベル研究所:
「何が電話”サービス”をかえることになるか」という問いかけから出発。
消費者なり得意先なりの、重要な変化を求める欲求を念頭においてものごとに着手することはしばしば、新しい科学、新しいちしい、新しい技術を規定する、かつまた基本的な発見を目指す意図的かつシステマティックな仕事を組織する、最も直接的な方途となる。
  ■革新の力学 
@革新は、事前にこれと決め込むわけにいかないもの。多くの要因が存在しているので、だれしもそれらの要因を完全に解明することができない。
but
A
革新は確率分布に従うもの。
どういう種類の革新が主要な製品や工程、主要な新事業、主要な市場になりそうか。
革新的な活動が、成功を享受し報酬を得られそうな分野を、システマティックに探し求める方法。
を知っている。
「革新しやすい」ものを発見する1つの目安となるのは、製法なり、技術なり、産業なりの、基本的な、「経済的」漸弱性。
ex.
ある産業が市場の需要の増大に恵まれていながら、需要を収益に転化できないでいる場合に、つねに高い確率でいえるのは、製法なり、製品なり、流通チャネルなり、顧客の期待なりをかえる一大革新が大きな報酬を生み出すだろうということ。
ex.
製紙業
製鋼業
生命保険業
革新の機会は、経済または市場の水準が雑多で、その間に大きな格差が見られるところに存在。
ex.1960年代のラテン・アメリカの主たる「成長」産業は、小売流通業。
おびただしい数の人が、都市に流れ込み、自給経済から貨幣経済へ移った。
個人は極貧、but集団としてみると、新たな大規模購買力。
but
大半のラテン・アメリカ諸国の流通システムは、相かわらず前都市型(過小資本、過少管理、在庫貧弱、資本や商品の回転率も非常に小さな商店)。

企業家が進出してきて最新の流通システムを提供するために、即座に成功を収めることができた。
すでに発生していながら、まだその経済的な影響を及ぼしていない事象。そういう事象の帰結を活用。
人口の変化は、(経済的な影響を及ぼすことが)ほぼ確実な事象。
知識の変化はそれほどあてにならない(←リード・タイムを予測することが困難)。but知識の変化もまた、機会を提供する。
最も重要な、だが最も不確実なものとして、意識の変化、ビジョンの変化、人間の期待の変化がある。
製薬業界が成功を収めたのは、主として、意識の根本的変化の影響を予測したため。
薬剤の購入に関する限り、開発途上国が、完全な開発国だということ。
確率分布のパターンに属さない革新。
予想外の革新や、世間の動きを利用するのではなく、かえてしまう革新。
〜企業家が何事かを発生させようとして着手する革新。

確率分布の範囲外にあるとうてい起こりそうもない革新。
明らかに、最もリスクの多い革新。

その本性として、意図的かつシステマティックに組織された企業内活動の対象にはなりえない。←管理できない。
×技術専門家・・・自分自身の専門分野に夢中で、それ以外の事象の進展に、ほとんど目が届かない。
×経済学者・・・革新が堂々とした偉容を誇るものになってからでないと、その影響に関心を払うことができない。
革新する経営管理者は、革新の意味を理解し、革新の力学、そのパターン、その予測可能性を学ばなければならない。
さらに革新を管理するためには、経営管理者は、革新の力学に、少なくとも通じていなければならな。
  ■革新の戦略 
あらゆる企業戦略と同様、革新戦略は、次の問を発することからはじまる。
「われわれの事業はなんであり、また、どうあるべきか」
but
革新戦略が未来に関して立てている仮定は、現に進行中の事業に関して立てられている仮定とは別種のもの。
後者:既存のものないしは現に確立されつつあるものの最適化。⇒「よりよく、より多く」
前者:既存のものは何によらず、古くさくなりつつあるという仮定。⇒「新しく、違ったものを」
  ●古いものの計画的放棄が必要 
革新戦略の基盤:
古いもの、死滅しつつあるもの、陳腐化したものを、計画的かつシステマティックに廃棄すること。それではじめて資源を、とりわけて最も希少な資源である有能な人間を解放して、新しいものに取り組ませることができる。
  ●狙いを高くすること 
革新努力の目標を高く設定する必要があることを、はっきり認識すること。
  ●革新の安打率 
低い
  ●革新の進行 
予測しにくいし、予測不能
  ■測定基準と予算 
 
デュポン社:
ポリマー研究の責任者だった研究科学者、カロザース博士ともども、当初からどういう種類の発見と成果が、いつごろ期待できるかという道路地図をシステマティックに作成していた。
この道路地図は、2、3年おきに成果の報告が入ってくるたびに修正された。
が、それにとどまらずに、それは常時、次の旅程を考慮して描きなおされた。
っして、カロザースがポリマー繊維を実現し、その結果やがて大々的な開発の仕事が可能になるに及んで、デュポン社はやっと大々的な投資に踏み切った。
それまではカロザースと数人の補助者の扶養費が、本質的に費用のすべて。
  ■失敗のリスク
成功を収める研究所長:初期の成果を生み出さない一連の研究をいつ放棄したらいいかをわきまえている。
それほど成功を収めない研究所長:たえず万が一を願い、プロジェクトの「科学的なチャレンジ」に幻惑されたり、「来年こそ画期的なものを生み出す」という科学者たちのたび重なる空約束にのせられたりする。
成功を収めない研究所長:プロジェクトを放棄することができないし、けっこうなアイデアのように見えたものが、結局は人間と時間と金の浪費の終わってしまった事実を認めることができない。
革新の管理に当たって、とくに重要なのは、自分が何を期待しているかをじっくりと検討し、それを完全に書き表してみること。
次いで革新がいったん製品なり製法なりになったならば、自分の期待を現実を比べてみる。
仮に現実が期待を大幅に下回っているならば、それ以上、人間や金を注ぎ込まない。
それどころか、「われわれは、このことから手を引くべきではないだろうか。もしそうだとしたら、どうやって手をひくべきなのだろうか。」と質問する。
  ■革新的な態度
    「変化への抵抗」に焦点を合わせると、問題を誤って規定することになり、かえって問題が扱いにくくなる。
この問題の正しい既定の仕方・・・問題の解消を可能にするような規定の仕方・・・は、革新的な組織を、つまり変化が例外ではなく規範であり、脅威ではなく機会になるような組織を創造し、築きあげ、維持するために挑戦として、問題を受け止めること。
  ●経営者の違った役割 
伝統的な管理組織:トップマネジメントは最終審判者。最も重要な権限が拒否権。最も重要な役割が、徹底して熟考した上で作成されたものでない限り、ノーと言うこと。
革新的な組織の経営陣の、最も重要な職務:
非現実的で半煮えのとっぴなアイデアを、具体的な現実の革新にかえること。
アイデアに耳を傾け、まじめに受け止めること。
新しいアイデアがつねに「非実際的である」ことをわきまえている。
初期の段階では、ばkげたアイデアと天才のひらめきの区別がつかない。
このアイデアが「実際的、現実的、効果的になるためには、どういうものにならなければならないだろうか」という問を、たえず発する。
革新的な組織のトップマネジメントは、革新の主たる「推進力」
上級業務執行者が若い人たちと同席して、こうたずねる「”君たちは”どういう機会を認めているかね」
3Mは「寛大」というには程遠い企業だった。
トップの2,3の人間によってがっちりと運営され、彼らが決定という決定をことごとく下していた。
but
1番下の技術者でさえ、どんなとっぴなものでもよいから何かアイデアをもtって、トップの人間のところへ顔出しするよう奨励された、というより事実上命令された。
「このアイデアは、私にはまるでちんぷんかんぷんだ。それでも君は、このアイデアに取り組むつもりでいるのかね」⇒当の技術者の答えが「そのとおり」
⇒自分のアイデアを予算請求ともども書面にまとめるよう求められる。そればかりか、しばしば他の責任から解放され、1,2年間、まあまあといえる程度の資金を与えられ、そのアイデアの実現にとりかかるよういいつけられた。

ちっぽけな無名の研磨剤業者から、アメリカ屈しの大企業にのしあがった。
  ●責任を中心に 
3Mの若い技術者たちは、つねに厳格な責任を負わされていた。
アイデアが実を結ばなくとも、そのことの責任は問われなかったが、責任をとり、課題を組織し、課題に取り組み、進行状況を現実的に評価することを怠ることは(ましてやプロジェクトの進行状況をトップ・マネジメントに周知させるのと怠ることは)許されなかった。
  ●継続学習 
  ■革新の構造 
  ■「事業」としての革新 
「革新」が、当初から「職能」としてではなく、「事業」として組織されなければならないことをも認識。
最初に「研究」があって、その後に「開発」「製造」と続き、最後に「マーケティング」がくるという伝統的な時系列の棚上げ。
こうした職能的な技能を、まったく同一の手順、つまり新事業の開発という手順の一部とみなす。
それらをいつ、どのように利用するかは、前もって思い描いている時系列に従ってではなく、あくまでも状況の論理に従って決定される。
伝統的な職能:いまいいる場所から、これから赴こうとしている場所へと、仕事を組織化していく。
革新的な職能:目指す場所からさかのぼって、そこへ到達するためにいまなさなければならないことへと、仕事を組織化していく。
  ●チーム型 
だ企業内で革新単位を組織化する1つの方法は、それらの革新単位を寄せ集めて「革新グループ」をつくることかもしれない。
この「革新グループ」は、トップマネジメントの一員に報告することとし、そのトップ・マネジメントの一員は活動中の革新チープの指導、援助、助言、指揮に当たる以外、いかなる職能ももたない。
デュポンの「開発部」のあり方が事実上このとおり。
革新には現行事業の論理とは異なる革新独自の論理がある。
その技術、市場、製品、サービスがそれぞれどんなに違っていようとも、革新諸痰飲は革新諸単位は革新的であるという点で相通じる。
  ●企業家としての革新単位 
革新を担当する「企業家」たちとの共同経営(パートナーシップ)という形で、革新努力をはじめている。
革新努力が、別「会社」として組織され、その親会社が株式の過半数と、通例、事前に決めた価格で少数株主の持株を買い取る権利とをもっている。
ただし「企業家」たち、lつまり革新の開発に直接責任を負っている人たちも、自己の権利として相当数の株式を保有している。
革新者たちの報酬は、革新過程の経済的な現実にふさわしいものでなければならないという原則は大事。
それはリスクが大きく、リード・タイムが長く、成功した暁には報酬がきわめて大きい過程。
  ●革新的な組織にとっての挑戦 
結論:経営者の正当性