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海外判例

共同親権
ドイツ連邦憲法裁判所の離婚後単独親権違憲判決
  概要  ドイツでは、かつては日本と同じく離婚後単独親権を民法で定めていた。しかし、1982 年に連邦憲法裁判所は、離婚後の例外なき単独親権を定めた民法1671 条4 項1文の規定が、親の権利を定めた基本法6 条2 項1 文の権利を侵害すると判示した。
⇒ドイツでは離婚後の例外なき単独親権は違憲となり、個別事例での対応が続いていたが、1998 年に親子法改正法(1997 年制定)が施行され、離婚後共同親権(共同配慮権)が法制化された。
  経緯 1.1946 年2月20 日の婚姻法74 条4項(管理委員会法16 号- KRABl. 1945/48 S.77)によると、離婚における一方配偶者の単独または圧倒的な有責は、当該配偶者に配慮〔権〕が委ねられることはない、ということを原則として帰結した。

これに対して、1957 年7月18 日の市民法の領域における男女の同権に関する法律(BGBl. I S.
609)-〔第一次男女〕同権法-の版における民法1671 条3項は、一方の配偶者が単独で有責の場合にのみ規則的に、親権の移譲を拒否する事由を見出した。
それ以外の場合、裁判所は共同関係を考慮しつつ子の福祉に対応した取り決めを定めなければならなかったのであり、その際には、親の共同の提案に優先権が与えられることになっていた。
民法1671 条4項は、補足して次のように定めていた。
 
親権(elterliche Gewalt)は、通常、一方の親に単独で移譲されるべきである。子供の福祉に必要なら、一方の親に身上の配慮〔権〕を、他方の親に子の財産の配慮〔権〕を移譲することができる。

1976 年6月14 日の婚姻法および家族法改正のための第一法律3(BGBl. I S. 1421)によって、離婚法における有責主義から破綻主義への移行に対応する形で、親権の移譲に際して離婚において有責でない一方の親が従来有した優位性が無くなった。
民法1671 条4 項の文言は改正されずに残った。
1979 年7月18 日の親の配慮権の新規定に関する法律(BGBl. I S. 1061)によって民法1671 条は次のような表現を含んでいた。

民法1671 条
 ⑴ 親の婚姻が解消されると、家庭裁判所は、共同の子に対する親の配慮〔権〕が、いずれの親に帰属するべきかを決定する。
 ⑵ 裁判所は、子供の福祉に最善の形で適合する取り決めを定める。この際、特に子の両親および兄弟姉妹との愛着が配慮されるべきである。
 ⑶ 裁判所が両親の一致した提案から逸脱すべきであるのは、この逸脱が子の福祉のために必要なときのみである。年齢満14 歳に達した子が、別の提案をしたとき、裁判所は2 項に拠って決定する。
 ⑷ 親の配慮〔権〕は、一方の親に単独で移譲されるべきである。子の財産的利益に必要であれば、財産の配慮〔権〕は全部又は部分的に他方の親へと移譲される。
 ⑸ 裁判所は、子の福祉にとっての危険を回避するため必要であれば、身上の配慮〔権〕と財産の配慮権を後見人又は保佐人に移譲できる。裁判所は、子の福祉のために必要があるとき、養育料支払い請求権の行使のために、子に保佐人を選任するものとする。
2. a)離婚した両親に共同配慮権までもが認められうるのか、という疑問は、同権法の版における民法1671 条4項の施行以来、争いがあった。今のところ支配的な見解によれば、そのような可能性は、それをよしとする夫婦の共同提案がなされた場合ですら、問題外であった(vgl. Dölle, Familienrecht, 1965, § 97 III 5. mit RechtsprechungsundLiteraturnachweisen)。

理由として、本質的には、民法1671 条4項の文言が同2文及び1文の脈絡との関連で、このこと〔離婚後共同配慮権〕を許容していないことが、指摘された。さらに、共同配慮権は、両親の紛争に関与してはならない、かつ実験の対象であってはならない子の福祉と相容れない、との反論が持ち出された。
  規定  ドイツ基本法6 条2 項に基づく用語だと思われる。同条文には次のようにある。「子供の育成及び教育は,親の自然的権利であり,かつ,何よりもまず親に課せられた義務である。この義務の実行については,国家共同体がこれを監視する。」
  争点  共同の弁論と決定のために併合された訴訟の対象は、次の疑問である。つまり、
離婚した夫婦から生まれた子のための親の配慮〔権〕は、一方の親のみに委ねられねばならないということが基本法と適合するのか否か、という疑問である。
  判断 離婚した夫婦から生まれた子に対する配慮権を強制的に片方の親へ移譲することを定めており、かつ、子のための配慮権が離婚後の父と母に引き続き共同で与えられることを例外事例においてさえ許容しない民法1671 条4項1文の規定は、基本法6条2項1文の親の権利と一致しない
  ●Ⅰ
  1.親の権利の憲法による保障は、第一に子の保護に向けられている。

これが依拠するのは、子の福祉は通例、別の或る人物や研究所にとってよりも両親にとってこそ大切な存在であるという、基本的な考えである。
親の権利は国家との関係では自由権であって、ゆえに国家が両親の教育権に対して介入することが許されるのは、原則として基本法6条2項2文によって国家に与えられる監視権がこれを命じるときにのみである。

子との関係において、その子の福祉は親による育成と教育の最高の指針でなければならない。基本法6条2項1文は そして、このことは明確に規定の文言に表れている 基本権と基本義務を同時に定めている。それゆえ親の権利は、受託者的権利、奉仕する基本権、本当の意味で委ねられた受託者的自由であると呼ばれたのである(vgl. BVerfGE 59, 360 [376 f.])。

それによると、憲法によって保障された親の権利は、両親が自分たちの教育権を子の福祉のために行使する用意があり、能力があることを前提とする。つまり、このような前提のもとでのみ、親の権利と結びついた責任が対応させられるということを出発点とすることができる(BVerfGE 56, 363[382])。
  2.基本法6条2項1文は、子が婚姻によって結びつけられた両親と一つの家族共同体の中でともに生活し、父と母がその子を共同で育成し教育しているという、通常の事例から出発している(BVerfGE 31, 194 [205])。

未成年の子が調和のとれた共同体の内部で父と母によって教育され世話されることにより最善の形で保障されるのは、その子が自己責任による人格へと成長し、一つの共同体の中で生活することができるということ、これである(vgl. BVerfGE 24, 119 [144])。

有識者ペヒシュタイン教授が詳述したように、今日、家族的社会関係の持続が成長過程の人間の安定的で健康な社会心理的発達のための決定的な基礎と看做されているということは、子どもに関する全ての学問領域における認識と合致する。
   3.子の母と父への情緒的愛着は両親の別離や離婚と無関係に存続しうる。たとえ両親が従来のやり方で親の責任を共同行使することがもはや不可能であるとしても、それでも両親は、通常、両親の別離に伴う子の発達にとっての害悪を可能な限り減少させ、子の育成と教育並びに両親と子のさらなる人間関係にとって理性的な、子の利益に合致する解決を発見する義務を有している(vgl. BVerfGE 31, 194 [205])。それゆえ、このように理解され存続する親の権利の行使に際して別居又は離婚した両親は、子どもに両親の紛争を背負いこませないように努力しなければならない。これには、一方の親が子と他方の親との関係を害しうるようなあらゆることを止めることも含まれる(参照、民法1634 条1項2文)。こうして離婚した両親は、子の発達にとって有益な家族への愛着が残余の中で維持され続ける、ということを達成しうるのである。
 
しかしながら離婚によって、権利と義務とを付与された夫婦の生活共同体だけでなく、子の両親との家庭的共同生活も終局的に廃止される。離婚後、両方の親と緊密な接触を保持している子でさえ、もはや両親と常に一緒に生活するのではないし、面会交流権が寛容に形成された場合ですら子のそのときどきの滞在場所に対応して母または父のところで生活することになるのである。離婚は、その後、離婚した両親が自分たちの存続する親の責任を履行する事例においてさえ、親子関係に影響を及ぼす 

離婚と結びついたこのような諸結果に鑑み、立法者は憲法上異議を唱えられない方法で次のように命じることができたのである。すなわち、共通の子どものための配慮権に関する家庭裁判所の決定が離婚と併合して例外なくなされなければならず(民法1671 条1項、民事訴訟法621 条1項1号、同623 条1項1文、同3項2文)、決して紛争事例に限定されるべきではない、と。その際、諸々の裁判所が子の福祉にとって必要な場合にのみ民法1671 条3項1文によって両親の一致した提案から逸脱すべきであるという限りで、この規定は基本法6条2項1文を考慮していることになる。というのも、婚姻の挫折と離婚の後で配慮権者につき両親が合意によって決定するということは、通常、存続する親の責任の行使に賛成することになるのだから。
  ●Ⅱ
   離婚した両親が、自分たちのうち誰が共通の子に対する親の配慮権を行使するべきかについて一致できないとき、既に法秩序及び法的平穏を守る国家の一般的任務から、国家が両親の相反する利益の調整のために決定する権限を持つということが推論される(BVerfGE 31, 194 [205])。紛争事例において国家が活動的になることによって志向されているのは、離婚した両親が有する両者固有の、かつ、親の権利によって保障された両者の法的地位の間の均衡を、教育の担い手としての彼らの優位を侵害することなく、企てることであるのだから、国家は親の教育権への介入のために存在しなければならない厳格な諸前提に縛られてはいない(BVerfGE a.a.O. [208])。 
しかしながら、両親が子のための共同責任を離婚後に引き続き担う気がある諸事件においては、国家によって両親の相反する利益を調停する必要はない。両方の親がさらに十分に教育能力があり、他の点で子の福祉のために片方の親に配慮権を移譲することが好ましいと思わせる理由が存しないなら、国家でさえもその監視権の行使において片方の親を子の育成と教育から締め出し、その親を面会交流権に制限する権限はない。同様に国家が離婚後における共同の親の責任の存続を例外なく締め出すなら、このことは基本法6条2項1文によって保障される親の法的地位への介入であり、この介入は特別な正当化事由を必要とする。
 この点では、婚姻に拠らない生活共同体の中で成長する子を持った両親の場合とは異なる諸前提が存在する。この場合、国家が婚姻によらない父に配慮権への法的な参画を拒否し、未成年の非嫡出子を単独で母による親の配慮に属させるとすれば、国家は両親が共に結婚することを自覚的に拒否しているがゆえに、両親を義務付ける形成の余地の限界内に留まっている(BverfGE 56, 363 [385 f.])。いずれにせよ立法者は、婚姻に拠らない両親のために共同配慮権の可能性を開く規定を創設することを憲法によっては義務づけられない。これに反して、結婚した両親は子の誕生とともに民法1626 条1項1文により子のための共同の身上配慮〔権〕を獲得するのであるが、この配慮権を両親は離別まで通常は共同責任において行使するのであって、〔違憲〕審査に付された〔民法〕規定により離婚によって片方の親から剥奪される。
  ●Ⅲ 
 この規定の例外の無さを正当化する事由は認識しえない。
1.このことは、まず第一に子の発達と教育における継続性の観点のもとで妥当する。教育には 少年精神医学および少年心理学において承認されているように 著しい意義が与えられている(vgl. Arntzen, Elterliche Sorge undpersönlicher Umgang mit Kindern aus gerichtspsychologischer Sicht, München1980, S. 18; Ell, Trennung - Scheidung - und die Kinder?, Stuttgart 1979, S. 62ff.; Goldstein/Freud/Solint, Jenseits des Kindesewohls, Frankfurt 1974, S.33 f.;Lempp, NJW 1963, S. 1659 [1662])。
立法者も離婚した両親の共同配慮権に反対する決定の際に継続性の観点を顧慮しようとした。その際、立法者は、共同責任の行使についての両親の合意は長続きしないであろうし、その結果、配慮権の一方の親への移譲が延期されることになるだけだ、ということから出発した。しかし、そのような延期によっては教育の継続性にとって何ら得るものがないという。教育の継続性は、明確な諸関係を創設することによってのみ、つまり離婚時点において子を一方の親に帰属させることによって保障される、という(BTDrucks. 8/2788, S. 61)。しかし、立法者のこのような考量は、その規定が例外を許さないことを根拠づけることができない。
  a)共同の身上配慮〔権〕の行使につき離婚した両親がなした合意の安定性に関する疑問は立法手続きにおける有識者の聴聞において解決されなかった。口頭弁論においてペヒシュタイン教授は、その疑問に対して、離婚した両親は たとえ数に限りがあるにしても 長期的に親の配慮〔権〕をよく行使しうる、という趣旨の解答をした。
 
確かに、夫婦の関係は離婚後、子の教育や育成における責任ある協働をもはや不可能にするように展開しうるのであり、その結果、子を一方の親へ帰属させる裁判所の決定が必須となる、ということは排除されえない。しかしながら、そのような場合においても、両親がなお親の責任を共同で引き続き担うことができた子の人生の時期こそが子の発達にとって決定的だと判明し、その限りで子にまつわる両親の共同の努力がポジティブに作用した、ということがありうる。それゆえ、親の配慮〔権〕の共同行使によって保障された親による時限的な教育の継続も子の福祉のためになりうるのである。

その他、子の配慮権が片方の親に始めから単独で移譲される諸事件においてさえ、新たな諸決定が必要となることは珍しくない。その原因は、成長しつつある子にとって重要な生活関係の発展に関する診断の困難さや規律の期間の長さにある(vgl.Fehmel, FamRZ 1980, S. 758 [760])。立法者は規律の期間の長さを考慮に入れ、民法1696 条の中で、親の配慮〔権〕が存続している間、後見裁判所7および家庭裁判所が子の利益にとって好ましいと看做すときにはいつでも命令を変更しうる可能性を開いた8。
  b)しかしながら、継続性の原則によれば、将来に向けて子が両親の離婚後に可能な限り統一的で一貫した教育を受けられるよう保障する配慮権上の解決のみが配慮されるべきではない。むしろ、配慮権決定の時点で存在する、子の両親や兄弟姉妹への感情的な愛着も考慮されるべきである(vgl. BVerfGE 55, 171 [184])。立法者もそのことを前提とし、民法1671 条2項後半において子の愛着への配慮を明文で命じたのである。なぜなら、片親のみと不完全な家族へ移行することが子に及ぼす有害さは子の諸々の愛着ができるだけ毀損されないときに最少となるからだ(BTDrucks.8/2788, S. 61)。
 
もっとも、子は父と母に同様に強い感情的関係を持っており、子の利益は幼少期のあいだ解消しえない親子関係を志向しているのに、子はそれでも一方の親に有利に決断すべきであるとすれば、そのような〔愛着の〕毀損は不可避である。その点では、 フテナキス教授が詳しく述べたように 離婚した両親の共同配慮〔権〕は子にとって最大限の継続性を許すのである。
   2. a)離婚後は双方に子に対する共同配慮〔権〕を委ねて欲しいという夫婦の望みに潜んでいる事実にそぐわぬ動機の危険によっても、親の配慮権を片方の親へと例外なく移譲することは十分に正当化されない。

立法手続きにおいて、次のような憂慮が表明された。すなわち、離婚しようとする両親にとって共同配慮権の可能性は、離婚併合手続9をすり抜けて離婚手続きを早めるために、この問題で合意があることを裁判所に信じ込ませようとする大きな誘因となるかもしれない、と(BTDrucks. 8/2788, S. 63)。さらには、連邦法務大臣は態度表明において次のように指摘した。すなわち、両親が争いを恐れ、遂には紛争をも避けようとし、その限りで彼らの決定が子の福祉のほうを向いていない、このゆえに両親は裁判所に共同配慮権を委ねるよう提案することがありえるだろう、と。文献では、両親の表向きの合意が結果として経済的・精神的または情緒的に負けている一方の親の抑圧に拠っているとき、共同配慮権についての両親の合意は子どもの重荷となりうる、という点にさらなる危険が見出されている(Klußmann, FamRZ 1982, S. 118[122])。

子の福祉のためには、配慮権に関する〔作為的に〕操作された決定は避けなければならない。しかし、この種の考量は離婚した両親の共同配慮権を予めかつ例外なく拒否するに至ってはならない。両親の利益と子の福祉との間に起こりうる葛藤に際しては、たしかに子のほうに優位が与えられねばならない(vgl. BverfGE 37, 217 [252])。しかしながら、その種の紛争は個別事例において解決されねばならない。このことは、起こりうる基本権侵害を甘受することでのみ濫用を予防しうる法律上の規定によって妨げられてはならない(vgl. BVerfGE 29, 104 [118])。
   b)裁判所は民法1671 条2 項前半によって、子の福祉に最善の形で適合する取り決めを定めなければならない。この基準を考慮しつつ離婚併合手続(民事訴訟法621条、623 条)において離婚後に未成年の子に配慮する権利及び義務を誰が有すべきかを明らかにする裁判官の困難な任務は、一方の親だけが又は両方の親が配慮権の担い手として考慮されるかということと関わりなく存在する。手続の簡素化という理由から、裁判官は共同配慮権についての親の提案に対し、子の福祉を顧慮して審査するという義務を果たすことなく対応することで良しとしうる、という抗議(Klußmann,a.a.O. [121])には憲法上の意義が認められない。その他、民法1671 条2 項という重要な規定に対して同様に異議が唱えられるだろう。というのも、ここにおいても裁判官は両親の一致した提案に満足してはならないのだからである。
   3.離婚した両親の共同配慮権に反対して主張される残る憂慮も、異議を唱えられた〔民法〕規定を正当化しえない。
   a)共同配慮権に反する決定は、両親が実際に自分たちの望む結果を私的な形成を通じて簡単に達成しうるということによって特に根拠づけられる(BTDrucks.8/2788, S. 63)。

親の配慮権を行使する一方の親は他方の親をこの行使にのみ参加させる必要があるという。その場合、他方の親は共同親権者(Miterziehungsbrechtiger)であろうし、すべての子に関する事柄において協働することができよう。なるほど、一連の事例では配慮権を有する一方の親の委任を必要とすることになろう。しかし、それの発行とそれの呈示は要求しえない負担ではない。 

子の両親が離婚したとき日常生活の諸々の必要事が共同の配慮〔権〕を要求しないということ(vgl. Dieckmann, NJW 1981, S. 668)は、民法1671 条4項1文の憲法適合性の問題にとってともかく意味がない。これに拠って、両親が自分たちの親の権利への介入の効果を適切な措置によって中立化しうること、つまり法律の予定したことと異なって行動しうることを共同配慮権の一般的排除の理由とするのであれば、このようなことは憲法より優先して存在うる正当化事由ではない。
   b)連邦法務大臣によって危惧された、離婚した両親の共同配慮権の許可に伴う「吸引効果」は、対応する法的規定に拠って夫婦が離婚手続きの中で子のための共同配慮権の申請を益々行うようになるだろうという点にのみ存在しうるだろう。しかし、このような申請の著しい増大に際しても、共同の親の責任の存続が子の利益になる場合にのみ、それらに対応すべきであろう。法務大臣とともに、以下のことが予見しうる。すなわち、その際、事情によっては、子が一方の親へ帰属することが重要とされる場合よりも配慮権決定を長く延期できる裁判官によって個別事例を詳細に審査することが必要だということが予見しうるのである。このことは、いずれにせよ夫婦のうち誰が離婚後に配慮権を引き受けるべきかにつき合意がある場合と比べると妥当である。争いも珍しくない配慮権手続において子のために求められる配慮権に係る諸関係の素早い解決は同様に達成されえないのだが、これと関わりなく、長い訴訟手続きの継続は異議を唱えられた〔民法〕規定を正当化するのに相応しくない。同じことは、夫婦の離婚における典型的な状況にとって通常は適切な解決である目下存在する規定が両親の離婚後の共同配慮権が法律上可能となることで空洞化されることになるかもしれない、との抗弁にも当てはまる。そのような空洞化に現存する諸規定の解釈によってさえ対処できない場合、適切な規定によって共同配慮権の移譲が例外に留まるよう努力することは、立法者の裁量に任されている。
  c)離婚した夫婦に共同親権を委ねる可能性を開くにあたって予想される「空洞化効果」と確実に対立するのは、連邦司法大臣の次のような考量である。〔彼は、〕人生経験によれば離婚後の共同配慮権を実践するための諸前提が存在する事例の数は非常にわずかにすぎないだろうし、これらの事例は憲法上の推論を引き出すには相応しくないのであり、それゆえに、立法者はそれらを典型的な規定において無視してもよい、と言うのだ。

ペヒシュタイン教授が口頭弁論において詳述したように、一方の親への配慮権の移譲は長引く離婚手続の多くおいて適切な解決である。それに適合するのは、子の福祉のために夫婦の申請による型どおりの配慮権決定が回避されうるということである。
共同配慮権の移譲は、むしろ、夫婦が子の育成と教育を引き続き、たとえ離婚に拠って変化された形であっても、子の福祉のために共同で行使することができるという裁判官の確信を前提とする。このような前提のもとでは、たとえ共同配慮権を法律によって可能にしたとしても、離婚後の両親に子のために共同の責任が認められるような決定は例外であり続けるだろうという想定が当然かもしれない。しかしながら、このことは民法1671 条4項1文の例外なき規定を正当化しない。類型化する規定は、それと結びついた基本権侵害がさほど強烈でないときにのみ許される(vgl. BVerfGE 45,376 [390])。ここでは、そこから出発することはできない。その際、親の権利への介入は離婚によって通常引き起こされる子の害悪をできるだけ低く保つべきだとする離婚した夫婦の義務との密接な関連において見出される(vgl. BVerfGE 31, 194 [205])。

親が離婚を主として自分たちの事柄として扱うことができ、その結果、両親と子の諸関係ができるだけ濁りなく維持され続ける限り、彼らはこの義務を履行している。それゆえ、このような諸事例において離婚した親の共同配慮権を拒否することにより、不利益を受けることになる10 のは第一に子なのである。たとえ合法化されて存続する共同の親の責任が離婚した夫婦から生まれた子の発達に有利な影響を及ぼすということを控えめに評価するにしても、こうした事情で、問題状況の必須な類型化を持ち出すことは正しくないのである。そうした類型化は、他の点でも、親の離婚によってそれでなくとも傷つけられた子が持つ、子の福祉に準拠した取り決め(vgl.BVerfGE 55, 171 [179])を求める基本権上の請求権に十分な考慮を払っていない。
  d)結局のところ、離婚した両親が子に対して持つ共同配慮権の前提が事後的に欠けたとき、配慮権決定が時宜を得て改定されることは保障されえないとの懸念も、異議を唱えられた〔民法〕規定を正当化できない。たとえ子を一方の親に帰属させたとしても、子のために緊急に配慮権決定を訂正する必要があると思わせる関係の変化は排除されえない。しかし、配慮権なき一方の親が 理由のいかんを問わず 自らの子の運命に関心を持たず、他の点では配慮権の剥奪のための諸条件がない場合、同様に元来の決定に留まることになる。それゆえ、離婚した両親の共同配慮のもとにある子の福祉が、元来の配慮権決定の必要な改定が個別事例において行われないからといってヨリ高い程度で危険にさらされるなどということは、明らかなことではないのである。
       
       


判例時報
       
       
       
       
  2362(第5回)
  アメリカ連邦最高裁
2017/6/19   
  特許庁が「ザ・スランツ」というバンド名はアジア人を侮辱することになるとして商標登録を認めなかった⇒根拠となる法律の規定が表現の自由に反する
  事案  バンド名を商標登録しようとして、特許庁に出願
but
ランハム法2条(a):
特許庁による商標登録の拒絶事由の1つとして、
「生存している又は死亡した人物、機関、信条、又は国家的象徴を侮辱したり又はそれのつながりを誤って想起させたり、又は侮辱、若しくは中傷したりする内容」を挙げており、その名称がアジア人を侮辱することになるとして、登録を認めなかった。
⇒特許庁商標審査委員会に不服申立but審査官の判断を認容。
⇒連邦高裁に提訴。
本条が表現の自由を制限しているとして厳格審査を適用して違憲
⇒被告(マタル特許庁長官)が連邦最高裁に上告
  判断   全員(8名)一致部分:
本件にいて審査官は、「ザ・スランツ」が辞書的意味では軽蔑的な言葉であるとして「つり目」を意味するとし、当該バンドも攻撃的なバンドとして知られる⇒侮辱条項に該当する。 
トーマス裁判官以外の7名が一致した部分:
原告は侮辱条項が人種や民族などの「集団」に対しては適用されないと主張
but
本条の規定は「persons」と複数形になっていることに加え、機関も対象
⇒「集団」も含まれる。
全員一致部分:
侮辱条項は人種的集団等を侮辱する商標に適用
⇒それが修正一条の保障する表現の自由を侵害するかどうかを判断しなければならない。
まず、商標は、
①政府言論の問題かどうか
②政府助成の問題かどうか
③政府プログラムの問題かどうか
を検討する必要。
  ◎①について 
商標が政府言論⇒修正一条の問題は生じない。
but
政府が政府言論を用いて気に入らない見解を抑圧するおそれ
⇒政府言論に該当するかどうかについては慎重に判断しなければならない。
商標は政府が創り出すわけではなく、登録された商標に改変を加えるわけでもない。審査官も商標が表す見解に基づいて拒否するわけではなく、一定の要件を満たせば登録を認めなければならない。
⇒商標は政府言論とはいえない。
  ロバーツ、トーマス、ブライヤーの各裁判官がアリート裁判官の意見に賛同した部分: 
②について、
政府助成の問題ではない。
←商標登録は出願者に対して助成を行うものではない。
③について
該当せず。
    営利表現の規制に対しては、セントラルハドソンテストが適用される。
規制が
①実質的な利益を有し、
②手段が厳格に設けられているかどうか
換言すれば、規制手段が当該利益を促進する場合のみ認められる。
本条には、
①少数派が貶められるのを防ぐ利益と、
②秩序だった営利活動を維持するという
2つの利益があるとされる。
but
本条はこの利益を促進するための手段が厳密に設けられているとは言えない。

①本条は、いずれかの人物等を表面上侮辱することになれば侮辱的でない内容の表現にも適用される⇒先述した利益を超えている。
②本上は、あらゆる人物や機関に適用される点においてもこいわめて広範すぎる。

本条は意見である。
  ケネディ裁判官(ギンズバーグ、ソトマイヨール、ケイガンの各裁判官が同調)の結果同意見: 
見解差別に当たるかどうかは政府が一定の好ましくない表現を抽出しているかどうかによって判断されるのであり、本条は政府が侮辱という攻撃的メッセージを認めない制度になっている
⇒見解差異に当たる。
⇒厳格審査に服すべき。
  解説 連邦最高裁裁判官の間には、
①見解差別が表現の自由の核を脅かすものであるという共通了解が厳然と存在し、
②個人のみならず集団に対する侮辱を規制することは表現の自由に対する過度な規制であると考えていた。 
       
2343   
  アメリカ連邦最高裁
2017.3.29  
  クレジットカードによる支払いに対して課金することを禁止する州法⇒表現の自由を制約
  事案 ニューヨーク州:
1984年、発行者が利用者に手数料分の追加料金を課すこと(課金)を禁止するニューヨーク州一般商業法518条を制定。

販売者側は現金払いに対して通常の値段から割引することは可能であったものの、
カード払いについては自らその手数料を負担するか、最初からその金額を含めた値段設定を行わざるを得なくなった。

ニューヨーク州の5つの事業者(原告ら)は、同法が値段設定に絡む表現の自由を侵害している主張して訴訟提起。 
  判断 518条は、販売店が客から現金またはカードで支払う金額を規制しているわけではない。

販売店は、現金払いに対して10ドルとしたr、または支払方法を明記せずに金額を9.7ドル、10ドル、10.3ドルとしたり、あるいはカード払いにたいしてそのたの金額を設定することができる。
but
518条は販売店が値段の内訳について客に伝えることを規制している。
販売店が現金払いに10ドル、カード払いに10.3ドルと設定したい場合でも、その値段の意味を伝えることができない。
「10ドル、クレジットカード払いの課金として3%」
「10ドル、クレジットカード払いの場合はプラス0.3ドル」
などのように伝えることができない。 

518条は、店頭表示価格とカード払いの課金の関係を規制、すなわち値段自体ではなく値段の交渉を規制しており、表現の自由を制約するもの。
     
  アメリカ連邦最高裁
2017.6.19   
  未成年者も参加している商業的SNSに性犯罪登録者がアクセスすることを禁止した州法⇒表現の自由を侵害 
  事案 ノースキャロライナ州:
性犯罪登録者(性犯罪者のうち出所後に居所等の登録を義務づけられた者)が商業的なSNSにアクセスすることを禁止
パッキンガム氏のフェイスブックを発見し、を同法違反で逮捕。 
州地裁:有罪判決
州高裁:同法は表現の自由を侵害して違憲
州最高裁:原審を覆し合憲

パッキンガムが連邦最高裁に上告
  判断 修正1条の基本原理はあらゆる者が話したり聞いたりし、その後の応答を経て、再び話したり聞いたりすることができる場所にアクセスることを保障することである。
・・・・
以前は意見交換における最も重要な場所(特別な意味で)を特定することが難しかったが、今となってはその答えは明らかである。それはサイバースペースである。それは一般にインターネットという広大な民主的フォーラムを指し、特にソーシャルメディアがこれに当たる。
  本法は、仮に内容中立規制であるとしても、重要な政府利益を実現するために厳密に仕立てられていなければならないとする中間審査基準をパスできない。 
新しい技術は人々を進歩させてきたが、同時に深刻な犯罪を発生させてきた。
もちろん政府はこうした害悪を規制することができるが、それは憲法上の保護を犠牲にしてできるわけではない。
本法は規制対象が広く、SNSだけでなく他の様々なウェブサイトにも規制が及ぶ可能性がある。
犯罪自体は表現の自由として保護されない⇒性犯罪を抑止するのであれば性犯罪の前兆になるものに限定して規制すべき。
but
本法はこれまでに前例がないほど広く表現の自由を制限するものであり、性犯罪登録者の表現の自由を広範に制限している。
違法な表現を規制するために合法な表現を規制していいことにはならない。
⇒本法は無効とされなければならない。
       
2294(H28/7/11)
  憲法p12
米国連邦最高裁判所
2015.6.26  
  州が同性婚を認めないのは合衆国憲法修正14条に基づく婚姻の権利を侵害し平等に反する⇒違憲判断
  事案 オハイオ州、ケンタッキー州、テネシー州、ミシガン州の同性カップルがそれぞれの洲に対して同性婚の承認を求めて提訴した事件を連邦最高裁が併合審理したもの。 
  原審 連邦高裁は、州は同性婚を認める憲法上の義務を負っていないとした。 
  判断  修正14条は、州に対して、法の適正な手続きによらずに生命、自由、財産を奪ってはならないとしてる。
本条項によって保護された基本的自由は個人の尊厳や自律に関わる選択やアイデンティティに関わる選択をも含むものとして理解されてきた。
先例は婚姻の権利も同条項の保護の対象に含まれるとした。
婚姻は個人の幸福追求に欠かせない権利であるとされた。 
婚姻の権利が保護されてきたのは、
①個人の自律に関わること
②二人の結束を補強すること
③子どもや家族を守ること
④歴史的に社会秩序の礎となってきたこと
という理由がある。
こうした理由は同性カップルにも当てはまる。
婚姻の権利を同性カップルだけ排除することはスティグマ(不名誉)を押し付けるもの。
  同性カップルの婚姻の問題は修正14条が要求する平等保護にも関連する。
同性カップルは異性カップルであれば享受しうる婚姻上の利益を否定されており、同性カップルにだけそうした制約を課すことはかれらを蔑むものであり、平等保護を侵害するもの。 
   
同性カップルから婚姻の権利を奪うことは修正14条の基本的権利および平等保護を侵害する。
同性カップルも婚姻の権利を行使できるのであり、原告らの婚姻を認めない州法は無効。
  憲法p14
米国連邦最高裁判所
2015.6.8  
 
  判断   ●大統領の権限
  大統領の権限については、1952年のヤングスタウン判決におけるジャクソン裁判官の同意違憲の3基準が参考になる
①法律の授権に基づいて大統領が権限を行使する場合には大統領の権限行使の権威が最大化する
②法律が授権も否定もしてない場合に大統領が権限を行使できるのは憲法上の専権事項のみである
③連邦議会の意思と矛盾した行為を大統領が行った場合にはその権威はほとんど澪t目られない⇒大統領は憲法上の専権事項でなければその権限を行使できない。 
本件のように、大統領が法律を執行しないという問題は3基準の③に当たり、その主張は憲法が大統領に排他的に授権している場合にのみ認められる。
国家承認とは、特定の存在が国家の資格を有していることや特定の体制が実効的な国家の政府であることを正式に認めること。
①憲法はこの権限について直接の定めを置いていないが、憲法が大使を接受する権限を大統領に認めている(2条3節)⇒その権限が推定される。
②大統領の国家承認権は、それ以外にも、条約締結権や大使任命権によって補強される(2条2節)。
③大統領は、大使を受け容れるだけでなく、条約を締結することで正式な外交相手とみなし、また大統領のみが大使を任命できる憲法構造になっている。

憲法は大統領に国家承認に関する排他的権限を付与している。
●国家承認権が大統領に排他的なものか 
 
     
       
       
2304(H28/10/21)   
  憲法p19
米国連邦
最高裁2016.6.23   
   
     
     
       
       
       
       
       
       
       
2322(H29/4/21)
  憲法p23
米国連邦
最高裁2015.1.20 
  刑務所において被収容者が信仰に基づき一定の長さの髭をはやすことを認めない矯正省の決定⇒違法 
  事案 服役中のホルト(原告)はイスラム教徒⇒その教えに基づき髭を蓄える必要があるとし、2分の1インチの髭をはやすことを澪t目るよう求めた⇒矯正省は認めず⇒ホルトは、矯正省長官ホッブスに対して、2分の1インチの髭を認めないことが憲法上の権利を侵害し宗教的土地利用および被収容者に関する法律(RLUIPA)に違反するとして、市民権法1983条に基づき暫定的差止めおよび一時的現状維持命令を求めて訴訟提起。
  原審 刑務所の安全維持はやむにやまれぬ利益であり、それを実現するために2分の1インチの髭の要求を拒否するのは必要最小限の規制⇒原告の請求を棄却。 
  判断 宗教の自由の保護をめぐる立法府と司法府の対立の妥協の結果できたのがRLUIPAであり、宗教的土地利用と被収容者の宗教的行為を保護。
同法によれば、個人の宗教的行為に実質的負担を課す場合、政府は、
①やむにやまれぬ利益があることと
②それを達成するために必要最小限の手段であること
を証明しなければならない。
RLUIPA違反を主張する場合、原告はその宗教的行為が真摯な信仰に根差し、政府行為によって実質的に負担が課されていることを証明しなければならない。
本件では、被告が真摯な進行性について争っていない⇒それは問題とならない。
①被告の身だしなみ規制(髭をそる要求)は原告の真摯な信仰(髭をたくわえること)に反する行為を要求。
②それに従わない場合は懲戒事由にあたる。
⇒原告の宗教的行為に実質的負担を課している。
連邦地裁:
原告が他の宗教的行事に従事できる⇒実質的負担に当たらない。
vs.
実質的負担は代替的活動の有無で判断するのではなく、宗教的行為に実質的負担がかかっているかどうか。
髭の規制についての2つの理由:
①被収容者が営利物や薬物など禁止されている物を隠し持つことを防ぐ
vs.
政府にそうした利益があることは認められるが、2分の1インチの髭を認めても達成できないとはいえない⇒必要最小限の規制になっていない。
②髭によって外見の印象が変わってしまい本人確認に支障が生じることを防ぐ。
vs.
本件に適用する限りでRLUIPAに違反する。

被収容者はすでに髭がない状態で入所時に写真を撮影されているので、さらに2分の1インチの髭をはやしている写真を撮影すれば解決する。
  憲法p25
米国連邦
最高裁
2016.8.3  
  トランスジェンダーの生徒が性自認に応じたトイレの使用を求めた⇒性自認に応じたトイレの使用を認めた原判決の命令が暫定的に停止
  事案 原告のGGは、身体的には女性として生まれたが、男性と性自認。
2014年には性同一性障害との診断。
ホルモン療法を受け、名前も男性的な名前に法的に変更。
but
未成年⇒性別適合手術は受けていない。 
GGは、男子トイレの使用を認めるよう高校に要請し、それが認められた。
but
グロスター郡教育委員会は、6対1の票差で男子トイレの使用を禁止する決議。
but
連邦の教育省:
教育改正法第9編は連邦助成を受けた学校施設に対して性差別を禁止。
教育省は2014年の見解文書等で、第9編の性にはトランスジェンダーも含まれる⇒性自認に応じたトイレ等の使用を認める方針。
GGは、男子トイレの使用を認めないことが合衆国憲法の平等条項や教育改正法第9編の性差別の禁止に反する⇒教育委員会に対してトイレ使用の作為的差止請求訴訟を提起。
  下級審 連邦地裁は、第9編の性差別の禁止は生来的性に基づくもので、規則は生来的性に応じた区別を認めている⇒性自認に応じたトイレ使用の拒否は第9編に違反することになはらないそてい、請求棄却。

連邦高裁は、性別の意味は身体だけで決まるわけではなく、性別にトランスジェンダーも含まれるとして教育省の解釈に明白な誤りや矛盾はない⇒判断の再考を求めて一審に差戻し。

差戻一審はグリムの男子トイレの使用を認めるべきとの判断。

教育委員会が上告。 
  判断 控訴審の命令の撤回および暫定的停止を認め、差戻一審のトイレ使用許可命令については裁量上訴を認めるか否かの判断がでるまで暫定的停止にすると判断。
  民法p27
江西省
高級人民法院
2015.12.22   
  営業秘密の侵害と競業避止義務に違反したと認定
   
  判断 不正競争防止法10条3項は、秘密性(非公知性)、実用性(価値性)、秘密管理性(保密性)という営業秘密の3要件を規定し、X社の競業避止及び秘密保持契約において、営業秘密について明確にしている。 
①X社は、技術関連図案に「秘密」の印鑑を押しており、関連人員によって保管され、当該領域の関係者に広く・容易に知られるわけではない⇒
     
  刑法p29
ドイツ連邦
通常裁判所
2015.11.10  
  性嗜好障害(小児性愛)と責任能力 
     
     
  刑法p31
ドイツ連邦
通常裁判所
2015.12.22  
  単に犯罪行為を黙認するだけでは作為による幇助は認められないとされた事例 
     
     
  刑訴法p33
米国連邦
最高裁2016.6.20  
  希釈法理に基づき毒樹の果実論の適用を否定した事例