シンプラル法律事務所
〒530-0047 大阪市北区西天満2丁目6番8号 堂島ビルヂング823号室TEL(06)6363-1860
MAIL    MAP


論点整理(損害賠償(潮見説))

論点の整理です(随時増やしていく予定です。)


★★★不法行為法T(第2版)  
★★第1部 不法行為制度  
★第1章 不法行為制度の意義・・・権利保障の体系から(p2)  
◆T 不法行為の意義  
  不法行為:私的生活関係において他人の権利を侵害する行為であって、法秩序がその権利を保護するために、行為者の権利にも配慮しつつ設定した禁止・命令規範に違反すると評価されるもの。  
@法秩序によって保護された個人の権利を侵害する行為であること(被害者が有する権利の侵害)
Aその侵害行為が法秩序の禁止・命令に違反する態様のものであること(禁止・命令規範に対する違反行為)
Bその禁止・命令規範が侵害された権利を保護するという目的を有しているものであること(権利侵害が禁止・命令規範の保護目的内にあること)
このとき、
C権利を侵害された者(被害者)には、権利侵害により生じた不利益についての救済を侵害行為者から受けるための手段が与えられる。
 
◆U 他人の権利に対する侵害・・・被害者の権利保護   
  不法行為法での権利保護を、憲法が採用する基本権保護のもとに位置づける方向性⇒「権利論への回帰」「権利論による再構成」  
◆         ◆V  禁止規範・命令規範に対する違反行為  
    ◇1 過失責任の原則・・・行為者の行動自由の保障   
不法行為責任において過失責任の原則を採用。

合理的(理性的)な行為に対しては行為者の責任を負わない(不合理な行為に対してのみ、行為者の責任を負う)とすることで、個人の行動の自由を保障しようとしたため。
 
    ◇2 過失責任とは異なる原理に基づく責任   
      @危険責任の原理:  
      A報償責任の原理:  
    ◇3 「契約上の義務」と不法行為法上の注意義務(p7)   
契約に基づいて債務者が債務を負担⇒債務者は、契約によりなすべきことを義務付けられている。
〜行動の自由の保障はない。
⇒債務の履行がされなかったときに、債務者が損害賠償責任を負うかどうかを考えるうえで、責任を基礎づける思想として過失責任の原則に依拠することはできない。
 
過失責任の原則:人の行動自由の保障を目的としたもの
but
契約によりなすべきことを義務づけられた債務者には、このような帰責の思想を基礎に据えることは妥当しない。

契約上で義務づけられなかったことをしなかった債務者が損害賠償責任を負わなければならないかを考えるうえでの思想的基礎となるのは、「契約の拘束力」に求めるべき。
 
●契約上の債務を履行しなかった債務者の行為に対しては、債務不履行としての評価が加えられるほか、当該債務者の行為が不法行為と評価されるかどうかも問題となる。  
「契約上の義務」の内容として、当該契約の本旨に従い債務者として合理的な行動をとることが義務づけられていたとき(手段債務、誠意債務、最善努力義務などといわれるもの)には、その義務の違反は、不法行為法上の注意義務、したがって過失判断をも基礎づける。
ここでは、「契約上の義務」が不法行為法上の注意義務へのスライドすることになる。

債務不履行責任と競合する不法行為責任は、契約の内容および趣旨に照らした合理的行動という性質決定を踏まえたうえでの過失責任の原則のもとで捉えられるべきことになる(このとき、過失判断における標準が合理人だということの意味は、当該契約の内容および趣旨と照らせば債務者に合理的に期待できる行為は何かという問いへと転換されることになる)。
 
「契約上の義務」の内容として、特定の結果が実現することが契約によって保証されているとき(結果債務といわれるもの)には、その義務の違反は、直ちには不法行為責任を基礎付けない

この種の義務は契約による結果実現保証(保証責任)に基礎を置くものであり、過失責任の原則に基礎を置く不法行為法上の注意義務、しがって過失判断にはスライドしない
 
      ◆W 侵害された権利に対する救済  
    □1 原則・・・金銭による賠償   
    □2 不法行為を理由とする差止請求の可否   
我が国の学説は、不法行為を理由とする差止めを認めることには消極的。
むしろ、判例・学説により、人格権の侵害を理由とする差止請求が・・・不法行為を理由とする救済とは別次元で・・・物権的請求権のアナロジーとして認められている。
 
      ◆X 本書が基礎とする「権利」の理解・・・概要   
    被害者と加害者双方の権利の保護とその限界(制約)という観点から不法行為を捉えている。 
私法の領域では、権利(私権)をどのように捉えるのかについて諸説がある。
 
  @ 権利は、憲法のもとで国家により個人への帰属が承認され、保護されている地位
個人に権利として何を割り当て、帰属させるかは、国民の選択した憲法がいかなる個人・社会を理念型とするか次第。 
 
  A 個人の権利は、憲法の定める基本権として位置付けられるものであり、その権利性は、憲法により正当化される。  
@基本権に自由権・平等権・社会権(生存権など)があるように、不法行為法上で保護される個人の権利にも自由権・平等権の性質をもつものと社会権の性質をもつものとがある。
Aこのような個人の権利が他者により侵害され、または侵害される危険にさらされている場合には、その権利が自由権・平等権・社会権のいずれに属するものであれ、その権利性が憲法により個人に保障されている以上、その個人(被害者)は、国家に対して保護を求めることができる。
 
B国家は、個人(被害者)の保護を考えるにあたっては、その物の権利を保護することによって制約を受けることによる他者(加害者ほか)の権利にも配慮しなければならない。
←平等原則。
 

不法行為法は、個人間の権利が衝突する私的生活関係の局面において、一権利者の権利が侵害され、または侵害されるおそれがあるときに、国家が個人の権利の保護と権利の制約を実現することを目的として設けた制度のひとつ。
 
    B 憲法のもとで国家により個人に割り当てられた権利、したがって、その権利の主体が有する地位には各種のものがある。
@私的自治・自己決定の保障につながる選択権・決定権を中核とする権利(この中にも、精神的自由に関係する選択権・決定権もあれば、経済的自由に関係する選択権・決定権もある)
A人身の自由の保障・不可侵を中核とする権利や、人格的生存の保障を中核とする権利
B私有財産制・財産権の保障につながる財産的価値の帰属・支配を中核とする権利

これらを一義的にどれかの枠に押し込めるのは適切ではない。
 
  C 「法律上保護される利益」も「権利」としての性質を有するもの。

「権利として生成中のもの」を・・・このような地位を「権利」と称することができないとの理由から・・・「法律上保護される利益」として不法行為法による保護の対象とすることには、現在の実務の現状を前にしたとき、そのような解釈論上の処理のもつ戦略的・政策的価値は認められようが、(保護に値するとの判断に至った過程に重点が置かれるべきことはもとより)保護に値するものとされた結果としてその主体に帰属するものとされた地位を「権利」と称することに躊躇すべきではない。 
 
  D Aで述べたように、
不法行為法は、私的生活関係のなかで個人の権利と個人の権利(被害者の「権利」と、加害者の「権利」(行動の自由ほか)) とが衝突する場面で、
被害者の権利の回復のために、加害者の権利をどこまで制約することが正当化されるか(過失責任の原則のもとでの禁止規範・命令規範の議論は、ここに対応する)、
また被害者の権利や加害者の権利をどこまで保護することが正当化されるか
という問題を扱う法。

権利侵害、過失、責任能力などといった各種の要件が機能する。
 
被害者と加害者の権利相互間の衡量にあたっては、両者の権利がいずれも憲法により保障された権利⇒比例原則にしたがった衡量が行われる(過剰介入の禁止、過少保護の禁止)。  
     
 ★第2章 不法行為制度の目的  
◆第1節 出発点・・・被害者の権利の価値の回復と、行為者の行動自由の保障  
   
不法行為制度の中核をなしているのは、
@被害者の権利の価値を回復させる(金銭により権利の価値をいjつ現する)ことによる保護と
A行為者(加害者)の行動自由の保障
 
◆    ◆第2節 発想の転換・・・社会本位の思想のものでの損害の公平な分配   
□T 損害の公平妥当な分配・・・配分正義の観点   
@個人の自由活動の最小限度の制限たる思想から
A人類社会における損失の衡平妥当なる分配の思想へ
という不法行為制度の指導原理の推移

得に危険性の高い企業につき、個人の自由活動・競争自由を保障する過失責任原則では不十分だとして、
「非難性という責任の根拠はある程度まで無視して」被害者の受けた損害の公平・妥当な分配をはかるべきことが提唱。
 
@「過失責任=非難性に基づく責任=賠償制度」、
A「無過失責任=損害の公平・妥当な分配を目的とした制度=補償制度」
という複線的構想。
 
□U 損害賠償をめぐる思想的基盤の転換   
不法行為制度をこの社会生活に於ける損失の公平妥当なる分配を定める一制度と考えることに、不法行為制度の新しい指導原理が求められつつあるのである。
要するに、個人の自由活動の最小限度の制限たる思想から、人類社会に於ける損失の公平妥当なる分配への思想へ。
ここに不法行為制度の指導原理の推移を見る。
 
  ◆第3節 「過失責任の原則」 から「損失の填補・調整」へ・・・損害補償制度としての体系化  
   
◆     ◆第4節 不法行為制度の組み替えと総合救済システム論   
□T 損失補償システムの構築に向けた萌芽的主張   
□U 不法行為制度の限界   
□V 不法行為制度と他の諸制度の関連付けの試み   
□W 不法行為制度の廃棄・後退と「総合救済システム」の構築の試み   
◆     ◆第5節 不法行為制度の再評価・・・正義の基盤のうえでの再評価   
□T 緒論 ・・・・正義の思考様式  
1990年代〜
「総合救済システム」という損失の填補を捉える見解に対して、
不法行為制度が追求しようとしている目的のなかに、こうした視点では捉えられない正義の視点が存在しているのではないかという点が強調。
 
□U 不法行為制度と共同体的正義   
□  □V 不法行為訴訟における正義の思考様式   
◆     ◆第6節 「個人の権利」の保護を目的とした不法行為制度・・・権利論の再生   
□T 緒論   
個人の権利・自由の保障という意義が、過失責任原則への疑問に巻き込まれた
⇒最近まで不法行為理論の表舞台から姿を消した。
 
正義論の視点からの議論は、不法行為制度が保護しようとする個人の権利の価値的側面に再び光をあてた点で評価すべきところが少なくない。  
@「損害」自体の把握にあたっても、侵害された本来の権利・利益(生命・身体的利益、物質的利益、財産的利益、人格的利益等)の価値を金銭的に評価して追及するという観点・・・損害賠償請求権kの権利追及機能・・・が前面に出てくることとなるし、
A「損害」賠償範囲確定に際しての保護範囲ないし相当因果関係判断にあたっても、矯正的正義の視点が中心に置かれることとなる。
 
最近の民法学では、不法行為制度の基礎に個人の権利・自由の保障が置かれるべきである点が強調されるようになってきている。  
  □U 権利保障の体系・・・「個人の権利」保護   
○1 憲法により保障された個人の権利(基本権)との関連づけ   
不法行為法は、個人の権利を基点とし、その保護を目的とした体系(権利保障の体系)として把握されるべき。
その際、憲法により保障された個人の権利が何かを基点として、民法709条にいう「権利」(ないし「法律上保護される利益」)としての保護の内包と外延を決定していくべき。
 
A:憲法と民法の関係を階層秩序として捉える立場(しかも憲法を基点とする)から正当化を試みるもの

我が国の不法行為制度が権利保障の体系として捉えられるのは日本国憲法が個人の基本権の保護を中核にすえた秩序を採用しているからだと理解。

「秩序論に基づく権利観」を基礎。
現行憲法下での法秩序は個人の権利を基本権として保障するものであるゆえに(現行憲法下での法秩序を支配する理念=個人の権利の保証)、現行憲法での法秩序のもとでは秩序思考と権利論とが対立しないものとみる。
vs.
秩序思考(法の目的を秩序の形成を維持に求め、秩序に反する行為や事態を是正するところに法の目的があるとする考え方)は権利・自由を制約するものであるとして排する。
 
B:基本権保護請求権(国家の基本権保護義務)の観点から正当化を試みるもの

個人の権利を国家が保護する点に他の社会的な目標の実現に優先する価値を見出すべきであるというものであり、この観点から権利の保護とその調整をおこなうものとして不法行為制度を理解すべきであるというもの。

リベラリズムの考え方を徹底(捉え方しだいでは憲法に先立つ存在として尊重されるべき価値として、個人の権利・自由の保障を置く。)。
あくまでも権利・自由を秩序には還元されない独自のものとして尊重するという立場、つまり権利論を採用した上で、そのように尊重されるべき基本権として何を認め、それを誰にどのように割り当てるかが問われている。
 
○    ○2 憲法と民法の関係を階層秩序として捉える立場(憲法の照射的効力論)からの正当化  
○ 
憲法と民法とを関連づける際に、憲法を最上位の規範として捉えたうえでその基本的価値が民法を統御するとみる立場(階層秩序としての把握。憲法の照射的効力)

憲法は国家法の最高法規であり、民法を含む私法規範の意味内容は憲法に即して決まってくる(したがって、憲法の定める基本権保護に関する規範や制度・組織のあり方に関する規範が目的とする価値が私法規範の解釈・適用にあたっても考慮されなければならない)。
 
民法の問題全体にわたり憲法的価値を考慮に入れて解釈の構成をおこなうべきである(民法の解釈と構成は、常に憲法秩序による正当性の検証にさらされる)という点を重視する。
個々の個別的権利とそれらの基礎をなす価値相互の序列・優劣関係は、憲法により秩序づけられ、その保障の範囲と限界を画されることになる。
 
憲法により保障された個人の権利、とりわけ自由権的基本権を私的生活関係のなかで保護するための制度として不法行為制度を捉える立場を基礎。  
自由権の保護とは別に、現行憲法が所有権絶対の原則を採用し、あわせて資本主義市場経済体制を選択⇒
資本主義市場経済秩序の維持ないし健全な展開のための支援を目的とした介入の意味での規範定立および違法性判断可能性が存在することを認める。
 
市場が機能するための競争秩序の存在と対等市民間の自由な決定可能性という状況が確保されていない場面では、権利保護の基盤を確保し、資本主義市場経済秩序の維持ないし健全な展開のための支援をするべく、各種の行為規範(命令規範・禁止規範)の定立へ進むことになる。
ex.投資取引・消費者取引における情報提供義務
 
生存権を保護し、福祉国家としての政策を実現するために必要な後見的介入を行う際の規範定立および「不法」判断の可能性が存在することも認める。
ex.消費者保護を目的とした企業に対する行為義務、生存に必要な最低限度の生活環境を確保すべき義務
 
デュープロセスも同様。  
こうした権利(自由権のみならず、平等権、生存権ほかの社会権も属し、さらに手続的権利も含まれる)のすべてが憲法に基づく保護要請のもとに置かれる(憲法のもので秩序づけられる)。  
共同体的正義の観点や、公共性の観点も、憲法のもとで考慮されている限りで、こうした基本権保護の内包と外延を画するプロセスに組み入れられ、個人の権利をいつどの程度保護するかとうい点を決定する因子として考慮されることが否定されない。  
(現代的な価値であるとされるコミュニティーの探求、共同体的関係における共感・共同体的正義の問題も、これらが不法行為制度として捉えられる場合には、この個人的正義に抱え込まれて判断されるべきこととなるし、その意味で、個人の権利が至上価値とされる点に異を唱えるべきではない。)  
  ○3 基本権保護請求権(国家の基本権保護義務)の観点からの正当化 (山本敬三)  

個人の国家に対する 基本権保護請求権(国家の基本権保護義務)の観点から個人の個人に対する損害賠償請求権を正当化していくもの(山本敬三)。
 
憲法の定める基本権が
@国家に対する侵害禁止・国家からの侵害に対する防御権としての機能に加えて、
A国家への保護要請の機能をも有している点を重視。

国家は、基本権に表現された価値および法益を侵害から保護することへと義務づけられている。
 
山本は、ここで問題となる「権利」の意味に言及して、リベラリズムの観点から、自己決定権を「もっとも基底的な権利」として位置づけ、「決定権的権利観」を展開
そして、このような権利観を憲法13条に基礎づけて、正当化する(「基本権的権利観」)。
 
もともと憲法上の基本権は、自由・・することもしないことも法的に禁止も命令もされないこと・・・を保障するためのものであり、するかしないかを妨げないことを求める権利、つまり防御権を中核とするものとして構想されている。
=主体がするかしないかを決める可能性が保障されているところに、「権利」を認める主張。
 
何よりもまず、すべての人は決定主体としての地位が認められなければならないところ、これは、憲法13条前段で「すべて国民は、個人として尊重される」と定められたことから導かれる。

「一人一人の人間はそれぞれ個性をもった存在として尊重されねばならなず、そのような個人の決定があれば、それを承認することが出発点にすえられなければならない」と考えられる。
 
この「主体が自己のあり方を決める権利」が、「もっとも基底的な権利」として認められる
このような決定権には、身体的な自己の決定権や精神的な自己の決定権のほか、社会的な自己の決定権(社会における自己のあり方を決める権利。名誉・プライバシー、家族ほか他者との関係で自己のあり方を決める権利)も含まれる。
 
上記の意味での「権利」が憲法上の基本権に基礎を置く以上、
@その侵害に対して少なくとも最低限の保障を与えることと、
Aそのような保護によって相手方の「権利」に対して過剰に介入することの禁止が、国家に対して要請される。
この意味で、「個人が実際にどこまでを決定できるかは、このような双方の『権利』の衡量によって決められる。」
 
□    □V 権利間の衡量   
  ●1 権利の濃淡・・・「権利」と「法的保護に値する利益」の二分論の当否   
憲法のもとで権利主体である個人に帰属することが保障された権利にも、濃淡様々なものがある  
@所有権のように、権利主体に帰属するものとして権利に割り当てられた内容と権利の外延が類型的に確立しているもの。  
A各種の人格権や営業権のように、その権利の領域に影響を与えているか、または与えるおそれのある行為(潜在的侵害行為群)および行為者(潜在的侵害行為者群)を想定し、この潜在的行為者がもつ権利(「行動の自由」・「思想・表現・信条の自由」など)、場合によっては公益的・公共的価値との相関的な衡量を経てはじめて、権利に割り当てられた権利の外延・・・権利との要保護性・・・が確定されるもの。  
BAのなかでも、そもそも相関的衡量をおこなう際の因子(基準)すら確立しておらず、個別具体的な事案ごとに被害者の地位の要保護性が確定されるもの(「生成途上の権利」などと称されるもの。)  
「権利」を、個人への排他的帰属が認められ、あるいは割当内容の明確なもののみに限る必要はなく、権利に割り当てられた内容と権利の外延が類型的に確立しているもの(@)であれ、潜在的行為者がもつ権利その他の価値との相関的衡量を経てはじめて要保護性を獲得するもの(AB)であれ、わが国の実定法秩序のもとで国家による法的保護に値する地位として承認されたものであれば、これを「権利」と呼んで差し支えない。  
 ○  もとより、潜在的行為者がもつ権利その他の価値との相関的衡量の結果として、被害者の主張する地位が、そもそも法的保護に値する地位とはいえないとして、民事上の救済が否定されることがある(「事実上の利益」にすぎないとか、「反射的利益」だといわれることもある)。   
権利か否かを考える上で、
@憲法を頂点とする実体法にその基礎を有すること、
A権利者の範囲が明確であること(=権利帰属主体の明確性)
B権利の客体・内容が明確であること(=他者の権利との衡量の結果、国家が個人に保障した権利の内包と外延を表現できる程度のもの)
が分岐点となる。
 
○        ○最高裁で権利・法益性が否定された例   
@考古学上重要な史跡についての「文化財享有権」・・県民や国民が史跡等の文化財の保護・活用から受ける利益  
A静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき権利(自衛官合祀事件)
「自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができない」とされた。
 
B政見放送において身体障害者に対するいわゆる差別用語を使用した発言部分がそのまま放送される利益。

このような利益は、法的保護に値する利益とはいえないとされた。
 
C被害者により任意提出された犯罪の証拠物について被害者が有する利益。
〜そこでは、犯罪被害者が受ける利益は、公益目的でおこなわれる捜査により反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護される利益ではないから、被害者により任意提出された証拠物の廃棄処分が単に適正さを欠くということだけでは国家賠償法の規定に基づく損害賠償を請求することはできない。
 
Dみずからに対する取材で得られた素材が一定の内容、方法で当該番組においてとりあげられることについての期待ないし信頼。

最高裁H20.6.12:
「放送事業者がどのように番組の編集をするかは、放送事業者の自律的判断にゆだねられており、番組の編集段階における検討により最終的な放送の内容が当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組時代放送に至らない可能性があることも当然のことと認識されているものと考えられることからすれば、放送事業者又は制作業者から素材収集のための取材を受けた取材対象者が、取材担当者の言動等によって、当該取材で得られた素材が一定の内容、方法により放送に使用されるものと期待し、あるいは信頼したとしても、その期待や信頼は原則として法的保護の対象とはならないというべきである」

放送事業者および番組製作者の番組編成の自由権(決定権)の保護を第一義的なものとして認めた。
 
同判決は、さらに続けて、
当該取材に応ずることにより必然的に取材対象者に格段の負担が生ずる場合において、取材担当者が、そのことを認識した上で、取材対象者に対し、取材で得た素材について、必ず一定の内容、方法により番組中で取り上げる旨説明し、その説明が客観的に見ても取材対象者に取材に応ずるという意思決定をさせる原因となるようなものであったときは、取材対象者が同人に対する取材で得られた素材が上記一定の内容、方法で当該番組において取り上げられるものと期待し、信頼したことが法律上保護される利益となり得るものというべきである。そして、そのような場合に、結果として放送された番組の内容が取材担当者の説明と異なるものとなった場合には、当該番組の種類、性質やその後のっ事情の変化等の諸般の事情により、当該番組において上記素材が上記説明のとおりに取り上げられなかったこともやむを得ないといえるようなときは別として、取材対象者の上記期待、信頼を不当に損なうものとして、放送事業者や制作業者に不法行為責任が認められる余地があるものというべきである」とした。

契約交渉過程での誤信惹起後の誤解是正義務に通じるもの。
 
  ●2 権利の制約と、権利の拡張   
  個人の権利を基点とし、その保護を目的とした体系として不法行為制度を捉える⇒社会生活をおくるなかで対等の地位に置かれている個人の権利相互の衝突が生じる場合が出てくる⇒その場合には権利の序列・優劣関係を明らかにする必要がある。
権利と権利が衝突する場面で、
@他者との関係で権利の制約(他者の権利による介入)がどこまで認められるのか
A他者との関係での権利の拡張(他者の権利への介入)がどこまで認められるのか
という点を明らかにしなければならない。
〜権利平等原則のもとでの権利間の衡量が重要となる。
 
権利関係の衡量につき妥当する準則:
(1)権利(基本権)に対する保護は、憲法上要請される最小限の保護に劣るものであってはならない(過小保護の禁止)。
(2)被害者の権利(基本権)に対する保護は、必要性と比例性の要求するところを超えて、相手方たる行為者の基本権へと介入してはならない(過剰介入の禁止)

@加害者の基本権に対する制約が大きければ大きいほど、被害者の基本権を保護することの重要性が大きくなければならない(均衡性の原則)
Aその行為義務を加害者に課すことが、被害者の基本権の保護に役立たなければならない(適合性の原則)
Bその行為義務を加害者に課すことが、被害者の基本権の保護にとって必要不可欠でなければならない(必要性の原則)
に具体化。
 
○「個人の権利」の保護と公共性・公益性   
憲法が個人主義を基軸としている⇒
ここで考慮される公共性・公益性も、
個人を離れた国家・社会秩序の維持のために個人の権利が制約されることが許されるという意味で捉えられるべきではなく、
共同体社会のなかで生活をいとなむ他の構成員らの共通の権利・自由を保障するために個人の権利自体にはおのずから制約がある・・・しかし、あくまでも前述した過小保護の禁止・過剰介入の禁止の視点のもとにおいてである・・・という意味で捉えられるべき(共同体的正義の観点からの制約)。
 
1条1項のいう「公共の福祉」は、地域住民に一定の生活利益を供する環境あるいは公正な競争の存在によって関係事業者ないし一般消費者に競争利益を供する環境からの各個の(かつ)共同の利益享受のなかに見いだされるものにほかならず、その意味において「利益」に対する「公益」の優先あるいは「各個を超越した全体」(国家とか「民族協同体」とか)の利益を説いた団体主義・全体主義とはまったく無縁のものである(広中)。  
公共性・公益性を理由として権利が制約されるのは、当該権利主張の正当性が共同体社会を構成している構成員集団の共通の利益との関係で否定される場面、具体的にいえば、当該権利行使の差止めが問題となる場面に限られるべき。
具体的被害者が具体的加害者(またはこの者に代わって責任を負う者)に対して損害賠償請求をする場面では、具体的被害者個人の権利・利益と具体的加害者個人の権利・利益との調整が問題⇒上記意味での公共性・公益性は考慮されるべきではない。
 
◆        ◆第7節 「個人の権利」の保護の限界  
  □T 秩序違反の視点のもとでの不法行為法体系の再構築   
○1 権利の古典的理解と「権利論の限界」   
○2 市民社会の諸秩序の体系的整序と不法行為制度の役割・・・秩序違反に対する法的サンクション   
□    □U 「個人の権利」(私権)と公共的権利・利益・・・「権利(・利益)」の多様性   
○1 緒論   
○2 公共性をもつ共同体的権利   
○3 被侵害利益の「公共化」・・・「外郭秩序」論との接合  
○4 「集合的権利」・「集合的損害賠償請求権」の考え方   
  □V 「個人の権利」保護から社会的効用(厚生)へ・・・私法の原理的基盤の変容の模索   
    ◆第8節 不法行為の制度目的としての「加害行為の抑制・制裁」   
  □T 損害填補から加害行為の抑制へ   
  □U 損害填補から制裁へ   
○1 懲罰目的での損害賠償をめぐる議論   
○2 「利益吐き出し型損害賠償」をめぐる議論   

 ★★第2部 不法行為に基づく損害賠償・・・損害賠償責任の成立要件(p58)  
★第1章 総論  
   □ □T 一般的な理解   
@被害者の権利又は法律上保護される利益(法益)が侵害されたこと
A加害者に故意又は過失があったこと
B侵害された被害者の権利・法益と加害者の故意・過失行為との間に因果関係があること
C被害者のもとで損害が発生したこと
D被害者の権利・法益侵害と損害との間に因果関係があること
 
  □U 本書の立場   
@被害者の権利(または法律上保護される利益(法益))が侵害されたこと
A加害者に故意または過失があったこと
B侵害された被害者の権利・法益と加害者の故意・過失行為との間に因果関係があること
C侵害された被害者の権利・法益の保護が故意規範または過失規範(命令規範・禁止規範)の目的とされていたこと
D被害者のもとで損害が発生したこと
 
★第2章 権利・法益侵害・・・総論     
  ◆第1節 緒論  
    民法 第709条(不法行為による損害賠償) 
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
 
  ◆第2節 明治民法・・・「権利」侵害要件の創設  
  ◆第3節 権利侵害から違法性へ(p61)  
    □T 権利概念の厳格な理解  
    □U 判例の転回・・・「法律上保護される利益」への拡大(大学湯事件)  
●1 事件の概要   
「大学湯」という名の銭湯を開業していたYが、Xに銭湯の建物を賃貸するとともに、「大学湯」という「老舗」を売却。
やがて、同建物の賃貸借契約が合意解除された後に、Yは、同建物をDに賃貸し、Dに「大学湯」の名で営業させた。
⇒XがY・Dに対して損害賠償を請求。
 
●2 「権利」内容の実質的緩和・・・「法律上保護される利益」   
大審院:所有権・地上権・債権・無滞在債権・名誉権等の「具体的権利」だけではなく、これと同一程度の厳密な意味においてはいまだ「権利」といえないものであっても、「法律上保護セラルル一ノ利益」であればいい。

社会情勢の変化に伴い、不法行為的保護を与えられるべき社会的利益が増加するにつれ、それらの利益を権利として構成する方向へと変化。
 
●3 709条の意味の読み替え・・・「法規違反の行為」   
大審院は、大学湯事件判決のなかで、当時の709条は、
「故意又は過失によりて法規違反の行為にでてもって他人を侵害したるものは之によりて生じたる損害を賠償する責に任ず」という広範な意味を有するにほかならないと指摘。
〜違法性論への展開の兆し。
 
●4 709条の規律命題との関係  
  大審院は、民法709条が厳密な意味での「権利」が侵害された場合を規律対象としていることを前提としたうえで、「権利」とされない「法律上保護される利益」に対する侵害も不法行為による保護を与えるべきであると述べた。

@「権利」概念そのものについては厳格な理解を維持しつつ、
A不法行為を「法規違反の行為」と捉えたときには民法709条の「権利侵害」行為に関する規律だけでは規律の欠缺が存在⇒これを「法律上保護された利益」に対する侵害行為に関する規律を立てることで補充。
 
  ●5 侵害行為の態様に着目した一群の裁判例・・・権利濫用構成  
大審院の中には、行為者の行為がその者の有している権利の行使にあたる場合に、侵害行為の態様を重視して、権利の行使であるにもかかわらず、他人においてそれを忍容することが社会観念上相当であると認められる程度を逸脱したときは、不法行為が成立することを認めた。  

学説では、それまでは、権利侵害を理由とする損害賠償請求に対して当該行為が権利の行使であったことが違法性を阻却する(=権利の行使であれば、不法行為とならない)というように捉える傾向から
権利の行使が被害者の忍容の限度を超え、濫用と評価されるときはその行為は公序良俗に違反し、不法行為となるとの見解が有力化。

「権利侵害から違法性へ」の流れのなか、違法性の相関的考慮事由の一方である侵害行為の態様をめぐる議論へと組み込まれ、違法論の中核を構成。
 
    □V 学説の転回・・・権利侵害から違法性へ (p60)  
    ●1 緒論  
    ●2 不法行為=法律秩序への違反行為(違法性徴表説)   
末川:実定的な法律全体によって与えられている「法律秩序」に対する違反、すなわち「違法行為」により被った損害の賠償にこそ不法行為責任の本質があるとみる
⇒不法行為の客観的要件に加害行為の「違法性」をすえ、「権利侵害」は「違法性」の1つの徴表にすぎない。
 
許容的法規:他人の容態を許容し、権利を与える⇒「権利」
命令的法規:作為・不作為を命じる形
公序良俗違反:顕現的法規(法律秩序が顕現した法規)が欠けている場合
 
    ●3 違法性の衡量枠組み・・・相関関係説と、「権利侵害」要件の放棄   
 「違法性」の構成因子を分析して、違法性の衡量過程と判断基準を明らかにしたのが、相関関係説(我妻)  
(1)被侵害利益:@物権その他の「支配的財産権」、A人格権その他人格的利益、B債権など
(2)侵害行為の態様:@刑罰法規違反、A禁止法規または取締法規違反、B公序良俗違反、C権利濫用など
 
    ●4 受忍限度論   
相関関係説の登場後、「違法性」の要件を維持しつつも、衡量事由・判断基準の面から修正を加える方向が提示。   
通説が「違法性」要件のもとで被侵害利益の種類と侵害行為の態様という2因子の相関的衡量をおこなっている点を批判し、むしろ、
@被侵害利益の性質および程度
A地域制
B被害者があらかじめ有した知識
C土地利用の先後関係
D最善の実際的方法または相当な防止措置
Eその他の社会的価値および必要性
F被害者側の特殊事情
G官庁の許認可
H法令で定められた基準の遵守
といったさまざまな事由が「違法性」判断にあたって考慮されるべき
 
    ◆第4節 「違法性」理論に対する批判・・・違法性要件不要論   
      □T 権利侵害概念の拡大(権利拡大説)  
相関関係論を基調とする「違法性」理論は、1970年代後半あたりから批判に。  
権利拡大説:
「権利侵害」を「法律上保護される利益の侵害」へと拡張するだけのことであれば、「法律上保護される利益」が709条にいう「権利」であるといえばよいのであって、わざわざ「違法性」という民法にない要件を立てる必要はない。

必要なのは「社会類型的に保護されるべきほどに達した利益」を保護することであるとの理解。
⇒709条の「権利侵害」を「不法な利益侵害」の意味で捉え、この概念のもとで「権利侵害の類型化」をはかり、これにもとづく「権利侵害」の枠内での「諸種の利益衡量」を行うべき。
 

@「権利」概念、「権利侵害」概念に積極的意義を見出した
A「権利侵害」要件のなかでの衡量という面に着目
 
      □U 故意・過失要件による一元的処理(過失一元論)  
「権利侵害」要件の希薄化
⇒相関関係論が問題としている被侵害利益面と侵害行為の態様面との衡量や不法行為に対する無価値判断は「故意または過失」という帰責事由の要件で行うのが相当。
 
      □V 新受忍限度論  
「違法性」の要件を不要とする立場=「権利侵害」要件と「故意・過失」要件で十分であるとする立場

受忍限度を判断する際の上記諸事情を「過失」要件のもとでの行為義務違反判断の衡量事由として捉える立場へと発展。
(新受忍限度論)
 
    ◆第5節 「違法性」理論の補強・修正  
    □T 緒論  
    □U 違法性二元論   
    ◆第6節 権利侵害要件の再評価・・・権利論の再生  
「権利」概念の拡張⇒「権利侵害」の要件には不法行為責任が成立する場合を限定する機能が認められないとの認識(権利侵害要件の希薄化)。  
but
「権利」「権利侵害」要件を再評価する動き
@「権利」には還元されない「法的利益」に対して不法行為による保護を積極的に与えていくという観点から「権利」・「権利侵害」要件を再評価。
A「権利」と「法的利益」を二分すうのではなく、不法行為法で保護される「権利」を憲法上で保障された権利に結びつけて捉えたうえで、そのような「権利」に対する不法行為法上の保護の可能性と限界を、被害者・加害者それぞれの「権利」の制約と拡張の権利間の衡量という枠組みで処理する立場からの議論。
 
    ◆第7節 2004年(平成16年)改正による文言変更・・「権利」または「法律上保護される利益」の侵害  
       
★第3章 権利・法益侵害・・・各論    
       
       
       
  ◆第3節 営業権(ないし営業利益)に対する侵害   
     
◇    ◇第3項 競業者間での営業権侵害   
  ■T 営業権の保護と競争秩序  
    被害者の営業の自由(営業権)と加害者の営業の自由(営業権)・職業選択の自由その他の権利が衝突

被害者とされる者のもつ営業上のさまざまな利益の権利・法益としての要保護性は、加害者とされる競業者の営業の自由(営業権)・職業選択の自由その他の権利との衡量を経て、はじめて確定される。

被害者の営業の自由(営業権)の侵害(権利・法益侵害要件)の有無が確定されると同時に、加害者側の営業活動が「許される自由競争の範囲を逸脱した」違法な行為か否か(故意・過失要件)が確定される。
 
    職業選択の自由との衡量が問題:労働者・従業員の引抜きによる競業・雇用契約終了後の競業が問題となる局面。  
不法行為として考えられる場合:
@旧使用者の保有する営業秘密が不正競争防止法で規定している不正取得行為、不正開示行為等に該当する場合や、
退任・退職した者が、旧使用者に雇用されていた地位を利用して、その保有していた顧客、業務ノウハウ等を違法または不当な方法で奪取したものと評価すべきような場合。
これに対して、退職した従業員らが多年の経験に基づいて蓄積してきたものであって、従業員らの属人的要素が強いものに関しては、企業秘密に属するものではない。
A
B
労働契約係属中に獲得した取引の相手方に関する知識を利用して、取引係属中の者に働きかけをして競業を行うことは許されない。
■    ■U 取引先行者の権利保護と取引後行者の権利保護   
       
       
       
  ◆第5節 契約締結の際の自己決定権その他の権利・利益の侵害  
  ◇第1項 総論  
  契約の交渉過程で、交渉相手方の言動を信頼し、契約が締結されるものとの考えのもとで行動したところ、交渉相手方が契約交渉を打ち切った場合や、契約は締結されたものの、相手方が交渉過程で詐欺・強迫をはたらき、または不実の説明・情報提供等をしたという場合。

@合意の瑕疵(瑕疵ある意思表示)または公序良俗違反による契約の無効の問題。
A相手方の行為を不法行為ととらえ、損害賠償の問題としてとりあげる余地。
 
    ◇第2項 契約交渉破棄と「先行行為に対する信頼」・「契約成立への正当な期待」の保護 (p117)  
    □T 緒論   
    □U 問題処理のための枠組み・・・伝統的立場   
  契約交渉の破棄を理由とする交渉当事者の責任については、伝統的に、次のような枠組みで扱われていた。
@交渉当事者は、契約交渉を自由にとりやめることができる。
A契約交渉が中途で破棄されたとき、交渉中に当事者の一方がおこなった費用投下その他の交渉費用は、投下者の自己負担が原則。
B交渉の破棄についての過失のある当事者は、相手方が交渉の破棄により被った損害を賠償しなければならない(契約締結上の過失)。
過失の前提としての交渉当事者の注意義務は、信義則に基づいて発生。
Cこの場合の損害賠償は、信頼利益(消極的契約利益)、すなわち、相手方が契約の成立を信頼したことにより被った損害の賠償。
D賠償される信頼利益(消極的契約利益)の額は、履行利益(積極的契約利益)の額を超えてはならない。
←さもなければ、契約が成立をしていないにもかかわらず、契約が成立したのと同様の価値的状態を相手に実現することになる。
E交渉相手が悪意の場合や、過失のある場合にも信頼利益の賠償が認められるか?
 
    □V 伝統的立場の問題点   
  @契約交渉の不当破棄を理由とする責任の性質は何か(契約責任が不法行為責任か)?
A責任の内容としては、信頼利益の賠償と捉えてよいか(信頼利益概念の有用性の問題と、履行利益賠償の可能性の問題)
B交渉当事者の注意義務は、いかなる観点から基礎づけられるべきか?
 
         
  □[ 義務違反の法的性質 (p133)  
    ●1 不法行為責任   
  契約準備交渉過程での契約責任へ向けた相互の交渉過程に注目し、交渉過程のなかでの個別の具体的行為に各当事者が付与した意味を探りながら、当該行為の交渉過程における意義を画定し、個々の状況下で遵守されrべき行為規範が他律的に形成される。
⇒契約責任と性質決定するのは困難。
 
  不法行為と性質決定するのが相当であり、「不法行為責任」とは異質な「第3の責任範疇」として「契約締結上の過失」類型を立てる意味はない。  
    ●2 契約責任への仮託の要否   
   
         
         
    □\ 損害賠償の内容   
    ●1 信頼利益概念の当否   
  破棄当事者の義務違反を理由とする損害賠償の内容を表現する場合に、「信頼利益」(消極的契約利益)という言葉を用いないのが賢明。
むしろ、「審議誠実に反する態度」(故意・過失行為)により交渉を破棄し、これによって「先行行為に対する信頼」・「相手方の契約成立への期待」を挫折させたとき(権利・法益侵害)、破棄当事者は相手方がこの権利・法益侵害によって被った損害を賠償しなければならないという一般的なルールにとどめておくべき。
 
  賠償されるべき損害の内容を語るにあたって重要なのは、むしろ、交渉相手方のどのような地位が法的保護に値したのかという「権利・法益」論であって、「損害」論ではない。  
    ●2 信頼利益を超えた利益の賠償  
       
◇      ◇第3項 契約締結における説明義務・情報提供義務違反と自己決定権侵害(p139)  
  □    □T緒論   
  投資取引や消費者契約において、一方当事者(事業者)の他方当事者(事業者・消費者)に対する交渉過程での説明義務・情報提供義務が問題とされてきた。
その違反に対する効果としては、主として、他方当事者に対する損害賠償責任が観念されてきた。
 
  ●3種類の説明義務・情報提供義務  
  @   @相手方の知識、経験、取引目的、資産状況(資力)に照らし不適合な商品・役務等を勧誘しない義務(不適合であることを説明・情報提供し、取引に勧誘しない義務)   
  いわゆる適合性の原則を民事ルールのなかに取り入れたもの。   
  ここでの説明義務・情報提供義務は、当該取引についての耐性を欠く者を当該取引への誘引することを禁止する(当該取引から排除する)との目的にでたもの(禁止規範)。  
  A A相手方にとって重要な事項を説明・情報提供する義務   
  固有の意味での説明義務・情報提供義務  
  私的自治・自己決定原則が妥当するための基盤(自己決定基盤)の確保を目的とし、情報格差を是正するために、一方が他方に対し当該取引につき自己決定に必要となる重要な事実を提供することを内容としたもの(狭義の説明義務・情報提供義務)。  
  B B将来における不確実な事項について断定的判断を提供しない義務  
  断定的判断の提供禁止のルール  
  事実の提供ではなく、断定的な評価・意見を相手方に提供することにより相手方の意思形成・判断・意思決定の過程を統御することを禁止するとの目的にでたもの(禁止規定)  
    □U 説明義務・情報提供義務をめぐる初期の学説   
    □V 福祉国家の観点に出た説明義務・情報提供義務の正当化   
    □W 自己決定権と説明義務・情報提供義務  
  ●1 緒論  
  今日では、説明義務・情報提供義務が当事者の自己決定権の保護を目的としたものであることが、多数の認識するところ。  
  ●2 市場原理との接合  
  ●3 自由権的基本権としての自己決定権(意思決定の自由)からの説明 (p148)  
  〇   〇3-1 民法709条の「権利」としての自己決定権と憲法13条   
  憲法の定める自由権的基本権(幸福追求権ほか)、もしくは民法709条の意味での「権利」として当事者の自己決定権を捉え、これを保護するために他方当事者に課された行動規範(禁止規範・命令規範)として説明義務・情報提供義務その他の行為規範を捉える見方。  
  憲法13条の幸福追求権を「人格的自律の存在として自己を主張し、そのような存在であり続ける上で必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的な主観的権利」として捉える立場を基礎とし、ここに私的生活関係における自己決定権を根拠づけることで(憲法民法との関係につきこれと異なり従前の間接適用説に立つときには、憲法13条の思想をもとに民法709条の「権利」を解釈することで自己決定権を私法上の権利として承認することで)、社会生活のなかで個人が自律的人格の主体として私的な事項に関しみずから決定することのできる地位を「権利」として承認する立場において貫徹されている。  
  この意味での自己決定権を保護するために、国家が介入し、他の共同体構成メンバーに他者の自己決定権を支援する措置を講じるように命じる(あるいは、他者の自己決定を害する行為をしないように禁止する)とともに、これに違反した行為に対しサンクションを課している。
その結果が、説明義務・情報提供義務その他の行為義務の違反を理由とする損害賠償。
 
  あわせて、自己決定の結果であるとは評価できないような瑕疵ある決定については、法的効果の発生を認めないとすることで、決定主体が決定結果につき自己責任を負うことを回避できるようにしている。「合意の瑕疵」の問題は、これに関するもの。  
  〇3-2 説明義務・情報提供義務の契機・・・「自己決定に基づく自己責任」とその機能不全   
  近代民法は、自由で対等な市民がみずからの意思と理性により合理的に選択・決定できることを所与とし、かつ、こうした市民がみずからの選択・決定にとって必要な情報を収集でき、相手方と対等に交渉できることをも所与として成り立っている。
このような状況のもとで市民みずからが下した決定について、市民はその結果を引き受けなければならない。
これが、「自己決定に基づく自己責任」の考え方。

契約の領域では契約自由の原則として機能する。
 
  自己決定能力を欠いた者による契約、意思による裏づけのない契約は、近代民法のもとでも、例外的に国家により契約としての効力を否定され、表意者は結果についての自己責任を負担しないでいることができる。  
  ところが、現代の取引社会におては、近代民法が所与としていた状況の崩壊する場面が生じている。
みずからの選択・決定にとって必要な情報を収集できない市民、相手方と対等に交渉することのできない市民の関与する取引が日常化してきている。

近代民法が契約自由の原則の基礎としていた「契約の対等性」が認められない取引が定型的に存在するとうい事態が出現。
 
  〇3-3 機能不全への対応(その1)・・・国家によるパターナリスティックな介入   
  〇3-4 機能不全への対応(その2)・・・自己決定基盤を確保するリスクの自己負担原則の修正   
  自己決定プロセスの実効性を確保するために、情報収集・認識・判断・決定・行動といった各々の段階において、当事者の自己決定権を保護するための措置を講じるべきことを内容とした行為規範を相手方に課すべきことが提唱。  
  @まず、近代民法が前提としていた自己決定基盤を確保するリスクの自己負担原則を修正し、自己決定基盤を整備するための措置を相手方に課すべきこと(自己決定基盤の整備)が指摘。

自己決定に必要な情報の収集についてのリスクを交渉相手方に課すことを内容とした情報提供義務。
 
  A契約交渉プロセス(合意形成過程)での一方当事者の行動の行動に対して誤った観念に基づく行動を指摘し、是正する措置を相手方に課すとともに、誤誘導を禁止すべきこと(意思形成過程の支配・操縦の禁止)も指摘。  
  〇3-5 関連問題・・・契約の拘束力を否定する方向での処理   
  当事者のおこなった選択・決定が他者による決定であって自己決定とは評価されない点を捉えて、(その限りにおいて)契約を無効または取消可能と評価することも可能。

自己決定とは評価されない表意者の決定に対して、国家がその法的拘束力を否定することで、自己責任を問わない。
 
  およそ契約交渉プロセス(合意形成過程)で自己決定できる地位が保障されていない状況下で締結された契約は、自己決定の結果であるとは評価できず(合意瑕疵事例の一種)、それゆえに、この者を拘束しない
国家としては、決定結果としてあらわれている事態に対し、(他の法理・・・たとえば、表意に対する信頼保護の法理・・・による保護が正当化される場合を除き)契約としての拘束力を与えることを拒絶しなければならない。
 
  古典的な合意の瑕疵類型(錯誤・詐欺・強迫ならびに意思能力の欠缺(さらに、政策的に認められた行為能力の欠如・不完全)の場合)におけると同様に、契約交渉プロセス(合意形成過程)において自己決定できる地位が保障されていない状況下で締結された契約について、それを自己決定の結果であると評価できず、無効または取消しの対象とするのが相当  
  〇3-6 相手方(行為者)の権利・自由に対する制約の正当化の必要性   
  契約交渉プロセス(合意形成過程)において自己決定できる地位が保障されていない状況下で締結された契約について、@契約の拘束力の否定によるにせよ、A原状回復的損害賠償の肯定によるにせよ、表意者の交渉相手が有している権利・利益(営業権ほか行動の自由、ならびに、締結された契約が拘束力をもつことに対する期待)にも一定の配慮が必要ではないかという疑問。  
  不法行為を理由とする損害賠償において、権利侵害と過失との関連づけを@被害者の権利・利益とA加害者の行動自由という権利の間での衡量を経て、賠償責任の成否を捉えようとする立場を基礎としたときには、このような分析が不可欠。  
  単に当事者間に情報格差・交渉力格差があるという事実だけでは、交渉相手方の自由を制約することとなる行為規範を優位当事者の不利に設定すること(情報・交渉力に関するリスクの全部または一部の転嫁)を正当化できない。
説明義務・交渉力格差の存在それ自体が決定的なのではなく、劣位当事者の自己決定権が侵害されている(または、その具体的危険がある)ことが決定的。
 
  自己決定権の保護を目的とした説明義務・情報提供義務が課される根拠について、自己決定への不当な干渉による自己決定権侵害について、@情報自体のもつ危険性とA優位当事者の専門性とに求めたうえで、自己決定権の保護の範囲と相手方の権利の制約される範囲との均衡を憲法の比例原則に依拠して確定すべき旨を説く考え。

劣位当事者側の権利についての過少保護の禁止と、優位当事者側の権利に対する過剰介入の禁止との均衡のもとでの自己決定権保護の枠組みの構築を探る立場。
 
  自己決定権侵害のうち、消極的行為(不作為)による場合について、情報の重要度、情報の所在(情報提供の可能性)、当事者の社会的地位の相関的考慮から、説明義務・情報提供義務の成否および内容・程度を導こうとするものもある。  
  住宅・マンションの値下げ販売にかかる一連の損害賠償請求訴訟で、多くの事案で売主側の説明義務・情報提供義務が否定されているなか「A住宅公団は、Xらが、本件優先購入条項により、本件各譲渡契約締結の時点において、Xらに対するあっせん後未分譲住宅の一般公募が直ちに行われると認識していたことを少なくとも容易に知ることができたにもかかわらず、Xらに対し、上記一般公募を直ちにする意思がないことを全く説明せず、これによりXらがAの設置に係る分譲住宅の価格の適否について十分に検討した上で本件各譲渡契約を締結するか否かを決定する機会を奪ったものというべきであって、住宅公団が当該説明をしなかったことは信義誠実の原則に著しく違反するものであるといわざるを得ない」とした最高裁H16.11.18は、こうした観点からの検討を経て正当化される。  
    □X 自己決定保護の目的を超えた行為義務(顧客の利益顧慮を目的とした助言義務) (p155)  
  ●1 信認関係に基づく説明義務・助言義務   
  @市場原理に基づき、または、自己決定権を保護するため、情報格差を是正し相手方の自己決定基盤を確保する目的で交渉当事者の一方に課される情報提供義務とA信認関係に基づく説明・助言義務とは、理念型として質的に区別される。  
  情報の提供を超えて、助言する義務まで認められる場合があるか否かは争われるところ、「契約を、程度の差はあれ相手方を出し抜いて利益を得る戦略的な取引であると捉えれば、助言義務など考えれないかもしれないが」、「契約は共同の利益を追求する協働行為である」という側面を強調すれば(そのような側面があることは否定できない)、助言義務を認めることも理解できるとされる。  
  一方当事者が専門的知識をもち、他方当事者がそれを信頼して行動するタイプの契約においては、助言義務を認めるべきであるとされる(ある種の金融取引、医療契約、弁護士との委任契約等)。  
  ●2 専門家責任の観点からの説明義務・助言義務   
    □Y 説明義務・情報提供義務違反を理由とする損害賠償請求権の法的性質   
    ●1 緒論   
         
    ●2 実務における状況・・・不法行為責任としての性質決定   
    ●3 説明義務・情報提供義務違反を理由とする損害賠償に関する立法意思・法律意思・・・不法行為責任としての性質決定   
  金融商品販売法:金融商品販売業者等に重要事項の説明義務を課し、これの違反を理由とする損害賠償につき元本欠損額による損害額の推定規定を置いている(3条、5条、6条)。  
    ●4 学説の状況・・・不法行為責任としての性質決定   
    ●5 契約責任構成への仮託の要否  
    ●6 小括  
  契約交渉段階での説明義務・情報提供義務違反を理由とする損害賠償責任は、契約が締結されていない段階での行為義務違反を理由とする損害賠償責任
⇒不法行為責任として性質を有する。
 
  契約責任構成への仮託が必要があるとすれば、せいぜい、交渉補助者が独立事業者である場合に履行補助者責任の法理を妥当させるために契約責任に仮託させる・・・補助者責任についてのみ契約責任法理を転用する・・・だけ。  
  消滅時効は短くていい。  
    ◇第4項 適合性の原則に対する違反と損害賠償責任  
    □T 適合性の原則の意義  
  一般投資家への市場開放(市場の民主化・大衆化)のなかで、自己責任原則の妥当する自由競争市場での取引耐性のない顧客を市場から排除することによって保護することを目的としたルール  
  証券会社等が投資を勧誘するにあたり、顧客の知識、経験、投資目的および財産の状況に照らして不適当と認められている勧誘をおこなってはならない」という内容のルール  
    □U 適合性原則と民事責任論・・・最高裁平成17年判決(p162)   
  裁判実務:
適合性を欠く者との取引にあたり相手方事業者に信義則上の説明義務を課し、その違反があるときにこの者の損害賠償責任を認めるという形で問題を処理。
(その前提として、顧客からの情報収集義務(顧客を知る義務)を事業者に課すべきかどうかも問題となりうる。)
 
  投資取引事例での「信義則上の行為義務」:
@投資家に対して、当該取引の危険性について説明すべき義務および不実の説明をしない義務(自己決定支援のための情報提供義務)
A投資家に対して、断定的な判断を提供しない義務
B投資家の投資目的、財産状態、投資経験等に照らして過大な危険を伴う投資を回避させるべき義務
C特別の合意や当事者間に形成された信認関係に基づき、当該投資家にとってよりよい投資の成果があがるように助言すべき義務
適合性の原則は、BとCに関係。
 
  最高裁H17.7.14:
証券取引において、「適合性の原則から著しく逸脱した証券取引の勧誘」が不法行為法上も違法なものとなる。
証券会社の担当者が、顧客の意向と実情に反して、明らかに過大な危険を伴う取引を積極的に勧誘するなど、適合性の原則から著しく逸脱した証券取引の勧誘をしてこれを行わせたときは、当該行為は不法行為法上も違法となると解するのが相当である」
「証券会社の担当者によるオプションの売り取引の勧誘が適合性の原則から著しく逸脱していることを理由とする不法行為の成否に関し、顧客の適合性を判断するに当たっては、単にオプションの売り取引という取引類型における一般的抽象的なリスクのみを考慮するのではなく、当該オプションの基礎商品が何か、当該オプションは上場商品とされているかどうかなどの具体的な商品特性を踏まえて、これとの相関関係において、顧客の投資経験、証券取引の知識、投資意向、財産状態等の諸要素を総合的に考慮する必要があるというべきである」
 
 
適合性の原則を証券取引法制上の一般原則と位置づけたゆえで、「適合性の原則から著しく逸脱した証券取引の勧誘」が不法行為法上も違法なものとなるとする。

@一方で、証券取引法秩序と私法秩序との峻別論を所与とし、適合性の原則を前者の秩序に属する業法ルール(業者ルール)と捉え、直ちには私法上のルール(民事ルール)とみていない。
A民事不法を基礎づけるためには、単に適合性の原則に違反したという事実のみを摘示しただけでは足りない(適合性の原則に違反したからといって、当該投資勧誘行為が直ちに民事上も違法となるわけではない)。
 
  他方で、証券取引法秩序に属する適合性の原則を支配する思想・原理が投資勧誘者の行為義務違反(過失)の評価に際して私法秩序における民事不法の判断に影響していくことをも示している。  
  2つの観点から、適合性の原則に違反した投資勧誘者の行為義務違反(過失)の評価を行うべきことを示している。
@適合性の原則から「著しく逸脱した」場合をもって、不法行為法上も違法としている点。「顧客の意向と実情に反して、明らかに過大な危険を伴う取引を積極的に勧誘する」場合がその例として挙げられている。
A「不法行為の成否に関し、顧客の適合性を判断する」にあたって、「具体的な商品特性」と、「顧客の投資経験、投資経験、証券取引の知識、投資意向、財産状況等の諸要素」を相関的かつ総合的に考慮するという観点を明確に掲げ、このもとで当該事案に対する不法判断を行った。
 
  才口千晴裁判官の補足意見:
「経験を積んだ投資家であっても、オプションの売り取引のリスクを的確にコントロールすることは困難であるから、これを勧誘して取引し、手数料を取得することを業とする証券会社は、顧客の取引内容が極端にオプションの売り取引に偏り、リスクをコントロールすることができなくなるおそれが認められる場合には、これを改善、是正させるため積極的な指導、助言を行うなどの信義則上の義務を負うものと解するのが相当である」
「本件の異常ともいうべきほどオプションの売り取引に偏った取引状況」が、こうした補足意見に向かわせた。
この種の指導助言義務は、禁止規範に結びついた適合性原則とは別個に観念できるもの。
 
    □V 適合性の原則をめぐるその後の展開(p165)   
    ●1 金融審議会金融分科会第1部会報告「投資サービス法(仮称)に向けて」   
  ○2005年(平成17年)12月22日付け金融審議会金融分科会第1部会報告「投資サービス法(仮称)に向けて」  
  適合性の原則は、本来、事前説明義務と並んで、利用者保護のための販売・勧誘に関するルールの柱となるべき原則であり、
投資サービス法においては、投資商品について、体制整備にとどまらず、原稿の証券取引法などと同様の規範として位置づけることが適当と考えられるとの方向性。
 
  適合性の原則における考慮要素として、判例や英米の例を参考に、
@現行の証券取引法の「知識、経験、財産」に加え、「投資の目的」または「投資の意向」も考慮要素として追加するこについて検討することが適当と考えられるとされたが、
A他方で、「顧客の理解力」も考慮要素に追加すべきかどうかについては、これを肯定する意見と、業者が顧客の理解力を正確に把握することは困難であり、実務上支障が生じるおそれがあるとの否定的意見が併記。
 
    ●2 金融商品取引法の成立と金融商品販売法の改正  
    金融商品販売法3条2項として、次の条項が新設
「前項の説明は、顧客の知識、経験、財産の状況及び当該金融商品の販売に係る契約を締結する目的に照らして、当該顧客に理解されるために必要な方法及び程度によるものでなければならない。」

金融商品販売業者等が金融商品の販売等に際して顧客に対し尽くすべき重要事項の説明義務を定めた同条1項を受けたもの。
 
   
ドイツの有価証券取引法と同様、適合性の原則は市場耐性を欠く者を市場から排除するという禁止規範の形態で立てられているのではなく、顧客が市場に参加するための自己決定基盤の整備を目的として金融商品販売業者等が尽くすべき説明の方法・程度の基準として立てられている(=適合性の原則は、説明義務・情報提供義務という命令規範の枠組みのもとに位置づけられている。)。
市場耐性を欠く者の後見的保護を目的とした適合性の原則を、市場参加を前提とした自己決定・自己責任原則およびこれを支える情報提供モデルのなかに組み込むという方式が採用されている。
but
「顧客の知識、経験、財産の状況及び当該金融商品の販売に係る契約を締結する目的」に照らし客観的に不合理な金融商品を販売したときには、「当該顧客に理解されるために必要な方法及び程度」での説明を尽くしたとはいえないとみることで、禁止規範の意味を含めた民事ルールが立てられていると読むのが適合性の原則のめざす顧客保護の方向にかなう。
 
    金融商品取引法40条1号も金融商品取引業者について「適合性の原則」を定め
「金融商品取引行為について、顧客の知識、経験、財産の状況及び金融商品取引契約を締結する目的に照らして不適当と認められる勧誘を行つて投資者の保護に欠けることとなつており、又は欠けることとなるおそれがあること」をもって、適合性の原則に対する違反行為としている。
 
    ●3 適合性の原則の細分化・・・禁止規範を支える適合性の原則と命令規範を支える適合性の原則   
    ○3−1 狭義の適合性の原則と広義の適合性の原則・・・禁止規範と命令規範   
  学説上、適合性の原則と民事上のサンクションとの関連を扱うものは少なく、広義の適合性の原則位について、英米証券取引法・保険法の紹介等を通じて、その理論的整序をはかろうとするものが散見  
  @広義の適合性の原則:
「業者が利用者の知識・経験、財産力、投資目的に適合した形で勧誘(あるいは販売)を行わなければならないというルール」
A狭義の適合性の原則:
「ある特定の利用者に対してはどんなに説明を尽くしても一定の商品の販売・勧誘を行ってはならない」というルール
適合性の原則のコロラリー(当然の結果)として、
「業者は、利用者の知識・経験、財産力、投資目的等を把握できるような情報を収集しなければならない」との顧客情報収集義務の考え方も承認
 
  狭義の適合性原則
←パターナリズム、すなわち福祉国家的視点に出た国家による生存権保障もしくは財産権保障。
 
  (民法上の効果とは切断された形においてであるが)狭義の適合性の原則と並ぶルールとして、商品の勧誘・販売に際しては顧客の目的や資産状況に適合した商品を推奨しなければならないという推奨のルールが、広義の適合性の原則の下位ルールとしておかれる。

商品の勧誘・販売にあたっての命令規範の一態様としての助言義務(アドバイス義務)に当たるもので、才口千晴裁判官が平成17年判決で補足意見として述べた「指導助言義務」と共通の基盤に立つもの。

商品の適合性についての判断リスクが顧客から事業者へと転嫁。

広義の適合性の原則を語ることで、当事者間に指導・助言を内容とする明示の合意がなかったとしても、同様の義務が、顧客と対峙する取引当事者が投資商品・金融商品の販売・勧誘業者であることをよりどころとして帰結されている。
しかも、その際、顧客の目的や資産状況に適合した商品を推奨しなければならないということのなかには、当該商品を推奨するに至った経緯・根拠・理由を、当該取引について考えられる不利益ともども、顧客に対して開示すべき義務も含まれるものとして捉えられている。
 
  顧客の目的や資産状況に適合した商品を推奨しなければならないというルールを適合性の原則から導くときには、次の2点において、留意と見当が必要。  
    ○3−2 適合性の原則の二義性と民事上の効果への影響   
  あるい投資商品について適合性を欠く者への当該商品の販売・勧誘の禁止を内容とする狭義の適合性の原則に対する違反の場合
その違反に(直接にせよ、間接にせよ)結びつけられる民事上の効果は、当該商品の取引にかかる私的自治・自己決定の否定
当該取引の無効処理(公序良俗違反を理由とする無効(民法90条)または錯誤無効(民法95条))ないしは原状回復的損害賠償
 
  適合性原則の他の面、つまり、事業者は顧客の目的や資産状況に適合した商品を推奨しなければならないというルールから導かられる助言義務に事業者が違反した場合:
そこに(直接にせよ、間接にせよ)民事上の効果としての損害賠償が結びつけられるとき、その内容は、原状回復的損害賠償に尽きるのではなく、推奨どおりの商品適性を有したものであったならば顧客が得たであろう積極的利益の賠償(履行利益の賠償)にも向かい得る。
 
    ○3−3 助言義務と適合性の原則・・・信頼供与責任   
  この意味での@適合性原則から導かれることになる助言義務と、A事業者として顧客に対して負担すべき自己決定権支援のための情報提供義務の関係?  
  顧客の目的や資産状況に適合した商品を推奨しなければならないというルール⇒推奨に至った経緯・根拠・理由の開示が前提⇒@情報収集リスクも含めたA判断リスクの事業者負担という枠組みが採用。

事業者が顧客と対峙する場面で、助言・推奨を内容とする特段の合意があるわけでないときに、どのような場面には情報提供義務の負担(情報収集リスクの負担)にとどまり、どのような場合には情報格差の是正を目的とした義務を超えた義務の負担(判断リスクの負担)にまで進むのかを探求する必要。
(=投資判断に関して本来は顧客が負担すべきリスクを事業者が引き受けるべきなのはなぜかという問題)
 
 
当事者間の「信認関係」に着目することで、投資助言の場における「信頼供与責任」の観点・・・「一方の当事者が相手方への信頼に基づいて自己の法益を相手方の影響可能性下に置いたときには、相手方としては、自らの供与した信頼のゆえに、この法益の保護への義務づけられる」との考え方・・・から正当化されるべきもの。
 
  事業者が投資商品にかかる専門家であり、その知見を有することから顧客に対する関係で信頼の基盤が形成され、これに基づいて顧客がみずからの資産を当該商品に投下するか否かについての決定を行う
事業者としては、当該状況下において顧客の利益が最大化する内容で決定をすることができるように、情報面のみならず、評価および判断面で顧客に協力し、積極的に支援をしなければならない。
 
  投資者:
先行する取引的接触により当事者間に醸成された信認関係に基づき、投資商品に関する開発・提供に携わる投資法品販売者が有する投資リスクとリターン面の専門的知識と経験を信頼し、その助言が自己の資産形成にプラスに作用するものとの判断のもとに、みずからの投資決定。

投資商品を提供する者:
信認関係に基づき、単に相手方に投資商品に関するリスク情報を提供して相手方の自己決定基盤を確保すれば足りる・・・そして、あとは相手方の自己決定に委ねる・・・というだけではなく、相手方たる投資者の利益に忠実に事務を遂行しなければならない。
とりわけ、投資商品販売業者には、投資判断に必要な情報を提供するのみならず投資者のリスクをできるだけ抑え、投資目的と投資者の財産状態により適合した商品を積極的に提示してく・・・場合によっては、投資を思いとどまらせたり、より適切な別の投資商品を推奨する・・・ことが求められる
ここで観念されているのは、投資者に対して適切な助言を行うことで投資計画への積極的支援を義務付けることへと向けられた行為規範
 
         
       
  ◆第7節 名誉毀損(p172)  
       
       
       
  ◇第6項 不登提訴・懲戒請求等による名誉毀損(・人格権侵害)   
    □T 不当提訴   
       
    □U 弁護士会への不当な懲戒請求の申立て   
      @懲戒請求を受けた弁護士は、根拠のない請求により名誉、信用等を不当に侵害されるおそれがあり、また、その弁明を余儀なくされる負担を負うことになる
A同項(弁護士法58条1項)が、請求者に対し恣意的な請求を許容したり、広く免責を与えたりする趣旨の規定でないことは明らか

同項に基づく請求をする者は、懲戒請求を受ける対象者の利益が不当に侵害されることのないように、対象者に懲戒事由があることを事実上及び法律上裏付ける相当な根拠について調査、検討をすべき義務を負う。
 
@同項に基づく懲戒請求が事実上又は法律上の根拠を欠く場合において、
A請求者が、そのことを知りながら又は通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのに、あえて懲戒を請求するなど、懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるときには、違法な懲戒請求としての不法行為を構成する。
       
  ◆第8節 人格権・プライバシーの諸相(p194)  
       
  ◇第2項 人格権・プライバシーの諸相  
      □T 平穏生活権としての人格権・プライバシー  
      ●1 平穏生活権  
  私生活をみだりに干渉されない権利・・・「1人にしてもらう権利」・「覗き見されない権利」
裁判例:「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」
自己の私事・住居・肖像・思想等について不当な公表や侵入に服さない自由。

個人の私的生活空間(領域)や秘密とする事柄について、他者による干渉からの保護を求めることができる権利。
私事をみだりに公開されないという保障は、個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえで、必要不可欠なもの。

私生活の精神的平穏。
 
      ●2 平穏生活権侵害の判断基準  
  一般人の感受性を基準に判断したとき、当該個人の立場に立ったならば公開を欲しないであろうことがらであって、一般の人にいまで知られてていないものであったかどうかが決め手となる。
そのうえで、そのことがらの公開によって、当該具体的個人が実際に不快・不安の念を覚えたことが必要。
 
      ●3 「権利」としての平穏生活圏の輪郭  
  他者の「知る権利」や言論・出版その他の表現の自由との衝突を考慮してはじめて確定することができる。  
      ●4 私事の範囲の拡張可能性  
  伊藤正巳裁判官の補足意見
人は「他者から事故の欲しない刺戟によって心の静穏を乱されない利益を有しており」(広い意味でのプライバシー)、「法律の規定をまつまでもなく、日常生活において見たくないものを見ず、聞きたくないものを聞かない自由を本来有している」から、「聞きたくない音を聞かされることは、このような心の静穏を侵害することになる」。
もっとも「本来、プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。個人の居宅における音による侵害に対しては、プライバシーの保護の程度が高いとしても、人が公共の場所にいる限りは、プライバシーの利益は、全く失われるわけではないがきわめて制約されるものになる。したがって、一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生ずるものとは考えられない」
 
      □U 情報コントロール権としての人格権・プライバシー  
      ●1 情報コントロール権  
  プライバシーを、自己の関する情報をコントロールする権利(情報コントロール権)をも含むものとして捉える・・あるいは、これをプライバシー権の中核にすえる・・見解が有力に主張。  
  憲法上保護された基本権として、個人情報については、情報主体である個人が排他的に支配し、管理できる権利が認められていると考え、私人間関係レベルにおいても、個人情報を排他的に支配・管理できる権利が憲法上保護された基本権として情報主体である個人に与えられている⇒情報コントロール権としてのプライバシー権が不法行為法の保護対象となることが正当化される。
その侵害に対しては、損害賠償のみならず、場合によっては、情報開示請求権、訂正・削除請求権まで認められる。
 
      ●2 プライバシーの対象となる情報  
  「秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない」個人情報(非センシティブ情報)も、平穏生活権としてのプライバシーには該当しなくても、情報コントロール権としての人格権・プライバシーの対象となりうる。  
  最高裁:
学生の学籍番号・氏名・住所・電話番号といったような「秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない」個人情報(非センシティブ情報)であっても、「本人が、自己が欲しない他者にはみだらにこれを開示されたくないと考えることは当然のことであり、そのことへの期待は保護されるべきものである」とし、このような個人情報をぷらいばいしーにかかる情報として法的保護の対象になる。
 
      ●3 プライバシーとしての情報保護の枠組み  
  A:第三者がプライバシーとなる個人情報を一方的に開示した場合
B:被害者自身がみずからの意思で相手方に対して個人情報を開示していたところ、その個人情報が本人の同意なしに、本人の欲しない第三者に開示された場合
 
  Aの場合:比較衡量論(総合衡量論)(判例)
少年犯罪の推知報道が問題となった週刊文集事件の最高裁判決:
「プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とことを公表する理由を比較衡量し、前者が後者に融雪する場合に不法行為が成立するのであるから、・・・本件記事が週刊誌に掲載された当時のXの年齢や社会的地位、当該犯罪行為の内容、これらが公表されることによってXのプライバシーに属する情報が伝達される範囲とXが被る具体的被害の程度、本件記事の目的や意義、公表時の社会的状況、本件記事において当該情報を公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し、これらを比較衡量して判断することが必要である」
 
  Bの場合:
早稲田大学江沢民講演会名簿提出事件の最高裁判決:
「本人が、自己が欲しない他社にはみだりに」
 
      ●4 情報コントロール権の具体化  
       
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
    □V 自己決定権としての人格権・プライバシー(p206)   
    ●1 緒論   
  人格権・プライバシーを、人間の尊厳と結びつけ、自己決定権(人格的自律権)の意味で、私的事項につき個人が下した決定について他者から干渉されない権利として捉える見解。  
  情報コントロール権が重視する個人情報の支配・管理という、(人格の尊厳に結びつけられるものの)財貨帰属・財産管理権的な人格権・プライバシー理解を超えて、人間の尊厳を基本原理とし、生活世界におけるさまざまな関係を主体的に形成するのに不可欠な個人人格の自由な展開を保障するために、個人の地位を「権利」として保護したもの、それが人格権・プライバシーであると捉える。  
  自己決定権としての人格権・プライバシーは、私的生活の平穏という個人人格の静的安全の保護のほか、個人人格の動的安全の保護を担うものである。  
    ●2 自己決定権としての人格権・プライバシーの内容と限界・・・他者の権利・自由との衡量   
  自己決定権としての人格権・プライバシー、とりわけ人格の自由な展開に関する権利としてのそれは、その含意する内容が包括的・一般的であるばかりか、人格の展開としての自己決定が社会における他者(この者もまた、対等のレベルでの自己決定権その他の権利・自由を有している)の行動に対するコントロールにまで及びうるものであるために、他者の権利・自由との衡量(さらには、公共の利益も含めた衡量)のもとで自己決定権の内容と限界を確定することなく権利性を承認することは適切でない。  
  その意味で、人格権・プライバシーを自律権・自己決定権として捉えるときでも、「自己のライフスタイルの自己決定権」などという包括的・一般的権利をア・プリオリに承認すべきではない。  
  ●3 宗教上の信念に基づく自己決定権   
  「エホバの証人輸血拒否事件」の最高裁判決:
最高裁は、宗教上の信念から絶対的無輸血の意思を有する患者に対し医師が手術をするにあたって十分な説明をせずに輸血をしたときに、患者の人格権侵害を理由とする不法行為責任(慰謝料請求権)が成立することを認めた。
 
  「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」とされた。  
  患者が宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有しており、輸血を伴わない手術を受けることができると期待して入院したことを医師らが知っていたのであれば、手術の際に輸血以外では救命手段がない事態が生じる可能性を否定し難いと判断した場合には、「そのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っている」ことを患者に説明し、入院を継続したうえで手術を受けるか否かを患者自身の意思決定に委ねるべきであったとされた。  
 
「宗教上の信念に基づく人格権」に特化した判断枠組みを提示したものとみるのが適切。
 
    最高裁H11.7.16:
職場において男性上司が部下の女性に対してその地位を利用して女性の意に反する性的言動に出た場合に、その行為の態様、行為者である男性の職務上の地位、年齢、被害女性の年齢、婚姻歴の有無、両者のそれまでの関係、当該言動のおこなわれた場所、その言動の反復・継続性、被害女性の対応等を総合的にみて、それが社会的見地から不相当とされる程度のものである場合には、性的自由ないし性的自己決定権等の人格権を侵害するものとして違法となる旨の判断をした原判決を是認した最高裁判決。
 
    ★第4章 故意・過失(p253)  
    ◆第1節 過失責任の原則・・・帰責事由としての故意・過失  
    □T 帰責事由の意義   
    □U 帰責事由の各種   
危険責任:危険源を社会生活にもちこみ(危険源の創設)、支配し、管理している
報償責任:問題活動から利益を得ている
保証責任(=保証約束が責任の根拠)
 
過失責任  
    □V 過失責任の原則の意義・・・行動の事由の保障   
過失責任の原則:みずからの行動について過失のない者は、みずからの行動により生じた結果について責任を負わなくてよいとの原則
⇒私的生活関係のなかで個人の行動の自由を保障
 
    □W 客観的帰責(客観的帰属)と主観的帰責(主観的帰属)   
過失が客観化され、故意もまた行為に対する評価と結び付けられて捉えられるようになった
⇒行為への帰責とは別に行為者への帰責として独自に問題とする余地があるのは、責任阻却自由としての責任能力のみ。
 
不法行為責任において主観的帰責が独自性を失った理由:
@意思と行為との連関を説くことで、行為者への帰責の問題が行為への帰責(客観的帰責)の問題に組み込まれた。
行為に対する無価値評価(不法評価)には行為者の行為意思に対する無価値評価(不法評価)が結びつけられ、これにより心理状態と外的行為に対する評価が一体化した。
A民事不法行為責任では、刑事責任と異なり、主観的過失が問題とならない。
 
    □X 第1次侵害の帰責事由と後続侵害の帰責事由   
こうした権利・法益侵害からさらに展開ないし派生した権利・法益侵害(後続侵害。たとえば、交通事故で右脚大腿部を負傷し、大量出血した被害者が搬送先の病院の医療ミスによって死亡したような場合)  
    □Y 過失責任の原則と失火責任法の特別規定   
   
         
◆        ◆第2節 故意  
□     □T 故意の意義  
●1 伝統的理解   
@故意とは、権利・法益侵害の結果を認識し、かつそれを意欲ないし認容しつつ、その結果を実現するために行動することをいう。  
A故意があるというためには、権利・法益侵害という結果の認識および意欲・認容が必要である。単に権利・法益侵害を認識していたというだけでは足りない。  
B故意があるというためには、権利・法益侵害という結果の認識および意欲・認容というだけでは、問題の行為を故意の不法行為として評価するには十分ではない。その権利侵害が法的に許されないものであるという点についての認識、つまり違法性の認識が加わってはじめて、故意の不法行為としての評価が下される
この意味での違法性の認識を欠く場合には、もはや故意の不法行為として評価することはできず、過失による不法行為としての評価を待つしかない。
 
●2 伝統的理解の問題点  
@について:
故意を理由とする帰責が問題とされるそれぞれの場面で、いかなる対象についての認識・認容が認められているのかを詰めて考える必要。
Bについて:
過失不法行為責任も認められている民事不法行為おいて命令・禁止規範を立てるに際して、故意を理由とする責任を特にとりあげ、そこに過失と異なる加重的な効果を結び付ける(ないしは結び付けやすくする)ためには、単に権利・法益侵害の結果についての認識・認容のみならず、その行為から法的な責任が発生することの認識(違法性の認識)をも必要としているということならば、違法性の認識を取り込む形で故意を捉えるのが適切。
  □U 意思責任としての故意責任   
「故意責任は、意思責任である」ということが強調。
but
故意不法行為の場合における帰責の根拠に意思を置くとしても、行為の際に単に結果発生の認識・認容があったということだけで行為者の損害賠償責任が導かれるわけではない。
 
故意責任とはいえ、最終的に責任を基礎づけるには、行為に対する無価値評価が必要。
  □V 故意と過失の違い   
過失を客観的行為義務違反と捉える場合、体系的には、
@権利侵害の認容・意欲という意思に帰責の根拠を置く故意と、
A法秩序による命令規範・禁止規範に対する違反に帰責の根拠を置く過失とは、
別個に取り扱われるべきと考えるのが分かりやすい。
 
こうした体系的な相違のみならず、故意不法行為の要件・効果面の特徴は、次のような点に見い出される。
@故意のみは帰責事由とされる場合がある。
一定の場合の債権侵害:故意のみ
営業秘密の開示・使用:悪意・重過失の行為者についてのみ
 
A取引的不法行為について、故意ないしは行為者の主観的悪性が認められる場合、契約・法律行為法で当該取引の効力につき特別の処理を予定していることがある。
ex.
詐欺、強迫、公序良俗違反の行為、無権代理・表見代理、代理権の濫用、民法177条に関連していわゆる配信的悪意者問題、民法424条の詐害行為
 
B損害賠償の範囲について、故意不法行為の独自性が認められるとういのが、最近の支配的見解。
故意については、過失による不法行為の場合とは異なり、権利侵害により発生したすべての損害が賠償範囲に入ってくる。
結果発生を意欲・認容した者はその結果を被害者に転嫁することを許さないという価値判断のあらわれ。
慰謝料が高額になる点も指摘されるが、故意か過失かという質的違いとの論理必然的関係はない(慰謝料の多寡は、故意の内部、過失の内部での軽重にも左右される問題)。
 
C過失相殺について、故意不法行為のすべてまたは一部の場合については被害者に過失があっても斟酌はするべきではないということが、強調。  
D倒産処理法上の特別の扱い。  
  □W 故意の種別   
    ●1 確定的故意と未必の故意   
    ●2 概括的故意   
    ●3 故意不法行為の多様性・・・・不法行為に基づく損害賠償債権と破産法における免責許可決定・非免責債権   
    ◆第3節 過失・・・総論   
    ◇第1項 問題の所在  
    4つの観点からの議論が錯綜:
@過失とは意思緊張を欠いたという不注意な心理状態なのか、それとも適切な行動パターンからの逸脱なのか
A過失を単なる事実の問題として捉えるのか、それとも規範的評価に関する問題として捉えるのか
B過失の対象を結果の予見に求めるのか、それとも結果の回避に求めるのか。
C過失を行為者の個人的特性・能力を考慮に入れた行為への帰責という面で捉えるのか、それとも個人的特性特性・能力を捨象し、抽象的にとらえられる人(合理人・理性人)の行為(ないし意思的活動)に着目した行為への帰責という面で捉えるのか。
 
    ◇第2項 過失論の変遷   
    □T 起草段階の議論から通説の形成まで  
    □U 過失の規範化・客観化への道  
    □V 大阪アルカリ事件判決  
    ●1 大阪アルカリ事件   
Yは、民法709条の権利侵害行為であるには「不法性」を要件とするところ、たとえ他人の権利の客体に対し不利益な結果を生じたとしても、その行為が「不法性」を有しない「適法行為」であるときは、不法行為を構成しないと主張。  
大審院:
化学工業に従事する会社その他の者がその目的たる事情によりて生ずることあるべき損害を予防するがため右事業の性質に従い相当なる設備を施したる以上はたまたま他人に損害を被らしめたるもこれをもって不法行為者として損害賠償の責に任セしむることを得ざるものとす。
 
    ●2 大阪アルカリ事件大審院判決と過失論   
本判決は
@過失の中核をなすのが予見可能性ではなく回避可能性であること、
A過失の本質が意思緊張の欠如という心理状態にではなく、適切な行動パターンからの逸脱にあることを示した最上級審判決。
 
適切な行動パターンからの逸脱をもって過失と捉える「過失の客観化」に結び付けて本判決の位置づけがされるのは、Wで述べる過失の客観化に向けた議論が活性した時期を待つ必要があった。  
    ●3 大阪アルカリ事件と「相当の設備」論   
「相当の設備」を基準に行為義務(結果回避義務)違反の有無を判断するという定式は、その後の裁判例においては機能していない。
差戻し後の控訴審は、形式的には「相当の設備」論に依拠しながら、本件当時における知識をもってしても、流出したガスを高く大気中に放散させるに適した高さを有する煙突を設置すれば、米麦に対し有害な作用を及ぼすことを防止することができたし、このような設備を設けることは、経済的にもさほど困難なことではないとし、工場側の責任を再び認めている。
 
  □W 行為義務違反(結果回避義務違反)としての過失理解へ・・・客観的過失論の定着   
今日、過失の単なる規範化を超えて、過失の本質を行為者の意思や心理状態に還元せず(内的注意に結びつけられた主観的過失概念からの解放)、もっぱら行為者の行為が法秩序に対し違反したとを捉えて過失とする立場(外的注意に結び付けられた客観的過失概念を採用する立場)が、多数の支持を得ている。
「「過失」とは、結果回避ないし防止義務に違反した行為であり、かつその前提として行為者に結果発生の予見可能性の存在ないし予見義務が予定されている行為として、規定される」
 

過失は、意志に対する非難としての過失という単純なものではなく、当該不法行為について法的保護を与えるかどうかという観点から種々の対立する利益を調節するための高度の価値判断そのものであり、そうした価値判断の結果として「損害の発生を回避すべき行為義務に反する行為」に対して過失ありとの評価がもたらされることになると説明される場合がある。
 
法秩序は社会生活に存在する社会的価値のなかから保護に値するものを抽出し、法益侵害惹起の危険性を最小限度に抑えるため、各社会構成員に注意義務として命令を発することで社会生活上必要な注意(作為、不作為)を分配しているところ、この注意義務に違反した行為が「過失ある不法行為」として評価されて損害賠償が認められる  

過失を行為義務違反として把握する以上、具体的行為者の意思や心理状態は問題とならないことになる⇒行為に対する無価値評価(不法評価)と過失における評価が一体のものとなる
 
      □X 予見可能性不要の過失論の登場・・・新受忍限度論  
      □Y 過失の行為義務化に対して抑制的な立場の登場   
    ◇第3項 心理的責任論と規範的責任論  
    ◇第4項 主観的過失と客観的過失・・・不注意な心理状態と、適切な行動パターンからの逸脱   
  □T 客観的過失論の骨子・・・「外的注意」としての過失  
  過失による責任を規範的責任の観点から捉えた場合でも、なお過失ありとの非難がされるときに、@行為者の内心の注意・不注意という心理状態に注目して過失の有無を判断していくのか、それとも、A外部にあらわれた行動の適否という点に着目して過失の有無を判断していくのかという問題がある。  
  過失から心理的事実を離脱させ、意思的要素を取り除くことにより、過失の客観化を指示する立場(客観的過失論)からの批判:
@過失が、意思に対する非難(意思責任)という単純なものにとどまりえない。
A結果の予見だけでは過失非難にとって意味がなく、行為者に対する命令・禁止規範は行為者の行為に向けられているのであって、過失の対象は結果回避義務(行為)に求められるべき。
B民事過失は一般標準人としての行為基準により判断すべきであって行為者の具体的個性・能力を基準とすべきでない。
C外部にあらわれた行為は行為者の一定の心理状態を前提とし、意思があってはじめて成立するもの⇒こうした意思の発現として行為を捉えて不法評価・過失非難をすれば足りる。
 
  □U 客観的過失論の問題点・・・「外的注意」への限定   
    対@:既に心理的責任論から規範的責任論への移行の際に受容されていたことであり、過失から心理的事実・意思的要素を取り除くことを否定する理由にはならない
対A:客観的過失論の論者の多くも、結果回避義務(行為義務)の前提として結果発生の予見可能性を置くわけであるから、「結果予見だけでは過失非難に十分ではない」とういことの論拠としては適切であっても、過失から心理的事実・意思決定要素を放逐することの論拠としては十分ではない
対B:客観的過失か主観的過失かという区別と、抽象的過失か具体的過失かという区別を、混線したもの。
 
上記Cの指摘のように、行為者の意思(さらに表象)と、意思の発現形態としての外部的行動とは分離不可能であるところ、客観的過失論は、このこと・・・意思と行為との連関・・・を所与としつつ、そのうえで、過失非難は、命令・禁止規範の対象としての外部にあらわれた行為についてされれば足り、行為者がどういう意思をもって行動したのかや、どういう認識のもとで行動したのかという点は行為に対する法的評価において無用のものと考えている点に、大きな特徴がある。

客観的過失論では、「内的注意・不注意」の問題を「外的注意・不注意」の問題にとりこんで、後者のレベルで過失を判断するという枠組みが、うかびあがる。
 
  □V 本書の立場・・・「内的注意」と「外的注意」の総合体としての行為(p278)  
客観的過失論の枠組み自体は出発点において支持されるべき。

(刑事過失はともかく)民事過失で問われているのは、権利・法益侵害を惹起した行為を行為者に帰属させることが正当化されるかどうかという観点からの行為に対する非難・無価値評価であって、行為者の人格に対する非難・無価値評価ではない。
 
行為者による「行為」を「目標設定→外界への認識→意思形成→意思決定→外部的行動」の総体・・・「内的注意」と「外的注意」の総合体・・・として把握し、これに法秩序の側からする命令・禁止の規範適用性を結びつけ、行為者による意思形成から意思決定を経て外部的行動を無価値評価・過失評価の対象とするのが一貫する。

内的不注意(意思緊張の欠如)の場合であろうが、外的不注意(適切な行動パターンからの逸脱)の場合であろうが、あるいは両者あいまってという場合であろうが、いずれも、上述した総体としての「行為」に対する評価の問題として・・・客観的過失論の枠組みを維持しつつ・・・捉えることになる。

「過失とは、経過回避ないし防止義務に違反した行為」であるといった客観的過失論の定式は、「行為」の意味を読み替えたうえで維持できる。
 
    ◇第5項 過失判断の基準時・・・行為時   
行為時における科学技術に関する知見および経済的・社会的状態ないし社会通念に照らして行為者に期待可能な行為しか、法秩序は行為者に要求しない。  
    ◇第6項 過失判断の標準となる人・・・合理人 (p280)  
  □T 緒論・・・抽象的過失と具体的過失   
      抽象的過失の採用の理由  
A:共同体社会における共同体構成員の他者に対する信頼の保護⇒抽象的過失。
過失による責任=信頼責任。
B:民法が理性を備えた合理人という抽象的人格を基礎として権利・利益を保障としている点(抽象的に把握される人格主体)と、
対等な人格主体相互での権利・利益の対立を調整するために権利・利益の拡張と制約をしている

個々の具体的な人格主体の個人的な能力・特性を考慮することなく、合理人ならばどこまでの権利・利益を許容され、その先の権利・利益を制限されるかという観点から合理人として尽くすべき注意を問題にしている。
  □U 合理人の類型化(p282)  
      合理人を類型化し、合理人の中意図は当該行為者が社会生活において属するグループの平均人が尽くすであろう注意。  
      どのような観点から合理人の類型化をはかるか?
ここでの社会生活グループが知識、職業、地位、地域性、経験等により決せられる。
同じ職業であっても、医師の注意義務にみられるように、当該職業につき一律の絶対的な基準が妥当すべきでないと考えられる場面では、同じ職業に属する人のなかでも、さらなる類型化がなされる場合がある。
 
年齢による類型化?
A:否定
←責任能力によって処理
vs.
過失の前提として要求される能力は、
(i)結果を予見する能力と
(ii)結果を回避するための措置を講じる能力
であって、責任能力とは異質の能力を対象としている。

年齢が責任能力において判断されるからとの理由で、過失判断のための合理人を考える際に年齢を考慮すべきでないということにはならない。
個々の局面において作為義務・不作為義務を設定する際に法秩序が義務の設定および内容確定にとって決定的な意味をもっている場合には、「行為」と連動して、人格主体(行為主体)たる合理人についても、年齢を考慮に入れた類型化をはかるのが適切。
〇B:肯定
  □V 合理人の能力・特性を超えた行為者の場合   
  行為者は自己の能力・特性に応じた注意を尽くして結果回避のために可能な最善のことをしなければならないか?
vs.
客観的に同一の意思決定・行為操縦であっても、具体的行為者の能力により過失の成否が決せられるということになると、行為者の決定自由・行為自由の保護という観点からみて、同一の社会生活グループ(行為者類型)に属し、同種の意思決定・行為操縦をする行為者との均衡を欠く。
 
民事過失にあっては、過失の上限についても、合理人の能力・特性を、まず標準とすべき。
これ以上の能力・特性を要求することで、発生した結果を当該行為者に帰責するためには、契約や先行行為等により、行為者の主体的判断による責任加重を引き受け(平均を超える能力・特性の引受け)がされていなければならない
 
     ◇第7項 過失判断に際しての事前的判断と事後的判断  
    過失を客観的に捉えるという場合に
A:行為者に要求すべき行為準則を、既に発生した具体的な結果からさかのぼって事後的・回顧的に確定していくか・・・「この特定の具体的結果を避けるためには、あの時点で行為者として何をなすべきであったか」という式の論法

〇B:行為時に身を置いて、ある特定の行為からどのような事象(潜在的な結果)が生じるかを考えて、事前的に確定していくか・・・「この行為からは、将来これこれの類型的結果が生じるおしれがあるから、行動を起こそうとする今の時点で行為者としてはこのようにすべきである」という式の論法

@法秩序が命令・禁止規範の形で作為義務・不作為義務を課すのは、これから行為をしようとする者に対し自由な行動を制約し、合理的な行動を義務付けようとするねらいがある(事前の行為規制とする点に、「行為義務」を立てる価値がある)
Aそれぞれの行為の進行段階において関連づけられる潜在的被害者側の潜在的利益が多様であるところ、行為者が行為をするにあたり必ずしも侵害された特定の権利・利益への保護をどうするかという観点から意思形成・意思決定をおこない、外部的行動をするものではない
 
    ◇第8項 過失(行為義務違反)の判断基準(p286)  
  □T 緒論   
    過失とは、人が社会生活をおくるにあたり、他人の権利を侵害したり、危険に陥れないために尽くすべきものとして法秩序により要求されている注意を尽くさずに行動すること、つまり、法秩序の命令・禁止に対する違反(客観的行為義務違反)を意味する。  
過失は、他人の行為を評価対象として客観的過失であり、かつ法秩序により立てられた命令規範・禁止規範に対する違反として把握される規範的概念。
その根底には、社会生活における権利侵害の危険をどのように行為者と潜在的被害者群との間で振り分けるかという危険の割当てに関する価値判断が存在。
 
  □U ハンドの公式   
    過失における行為義務違反(結果回避義務違反)の有無に関する判断に際しては、ハンドの公式を用いる考え方が有力。  
@加害行為者の行為から生じる損害発生の危険の程度ないし蓋然性の大きさ(P)
A被侵害利益の大きさ(L)
B損害回避義務を負わせることによって犠牲をにされる利益(B)
「回避コスト(B)<損害発生の蓋然性(P)×被侵害利益の大きさ(L)」の場合に過失ありとするもの。

ここでPとLの考慮を経て、結果回避が必要かどうかが判断されたうえで、これに肯定的な解答がえられるときでも、なお「犠牲にされる利益」(B)と比較することによって、結果回避義務が否定される場合がある。
 
  □V ハンドの公式に対する批判  
    ●1 加害者の減免責要素を考慮することへの批判   
被害者救済の観点からの考慮を基点に置く立場からの批判
vs.
危険が予想されあるいは予見が可能な場合であっても、特定の有用な行為によって生ずる危険を回避する措置が存在せず、またその行為に代わることのできる有用な代替行為も存在しないようなとき(例えば、副作用のある医薬品だが、ある重大な疾病に対して特効があり、他方でその疾病に対する他の有効な医薬品がないとき)に、なお危険から生ずる損害を賠償すべきだとすれば、それはもはや過失責任に基づくものではなく、無過失責任ととらえるべき。
    ●2 「社会的有用性」を考慮することへの批判・・・社会全体の効用(厚生)の最大化を目的とすることに対する批判   
    ●3 ハンドの公式による帰責の正当化への疑念   
  □W ハンドの公式の修正・転換   
  ●1 ハンドの公式自体の補正および妥当領域の限定  
  ●2 権利スキーマへの転換(潮見説)  
    権利論レベルで、加害者が有する基本権被害者が有する基本権相互間の衡量をすることに優位性を認め、ハンドの公式で試みられた衡量を基本権相互の衡量因子へと置き換え、発展的に解消させていくもの。  
過失責任の原則を採用⇒行為者の行動の自由を保障するという立場を表明。
他方、社会のなかでは、自由で対等な個人と個人が接触することにより、個人の権利と他者の権利との間で衝突・抵触がが生じることが避けられない。

国家は、自由で対等な個人相互間の権利を調整する必要がでてくる(権利間の衡量)。この限りで、個人の行動の自由(権利)も、他者の権利との関係で制約を受けることになる。
このような行動の自由に対する制約を個人に課すことを内容とする行為規範(命令規範・禁止規範)に対する違反行為が、不合理な行為とされ、過失と評価される。
 
個人の権利間の衡量を経て行為義務を設定するにあたっては、
@一方で、これから行われようとする行為者の行為が他者(潜在的被害者)のどのような権利と衝突・抵触する可能性があるか、また、この衝突・抵触が想定されうる権利(潜在的権利)の要保護性はどの程度かを考慮しつつ、
A他方で、これから行われようとする行為者の行為がどのような内容のものか、行為者の当該行動の要保護性はどの程度かを考慮したうえで、
B行為者の行為と潜在的被害者の潜在的権利とが衝突・抵触する頻度(確率)および程度を計算に入れつつ、行為者の行動の自由がどこまで制約されるべきか・・・裏返せば、当該行為による潜在的権利者の潜在的権利への侵害がどこまで許容されるべきか・・・を判断することになる。
(ここでは、過剰介入の禁止・過少保護の禁止という憲法上の要請はたらく)
@ABの判断結果が「行為義務」として表現されることとなり、「行為義務違反」の有無、すなわち過失の存否に関する判断にとっての基礎・規準となる。
 
    ◇第9項 結果発生の予見可能性   
  □T 予見可能性の要否   
  ●1 客観的過失論と予見可能性・・・回避行為の期待可能性としての予見可能性   
    多数説:客観的過失論を採用しつつ、結果回避義務(行為義務)を課すには、行為者が結果発生の具体的危険を予見すべき。

結果発生を予見できない場合には、行為者に対してもそもそも結果の防止行為・回避行為をすることが期待できない。

行為者に対し結果回避のための行為(作為・不作為)を求める命令規範・禁止規範があって、これら規範に適合した行為が行為者に義務づけられているとはいえ、そのような規範に適合した行為をしなかったとして権利・法益侵害の結果を行為者に帰責するためには、当該行為をすることが期待可能な状況が存在しなければならないと考え、このようないわば適法行為の期待可能性の要件として予見可能性が必要

適法行為の期待可能性という要件・・・主観的過失論では「有責性」に位置づけられていたもの・・・が、予見可能性という形で、客観化された過失の前提としてとりこまれ、合理人の予見可能性を基準として判断される。
 
  ●2 予見可能性不要論   
      不要説A:
客観的な行為義務違反を判定するにあたって結果の予見だけをとりだして論じることに意味はない⇒結果回避義務違反(行為義務違反)とは別に予見可能性を問う必要がない。

結果の予見が結果の回避の論理的前提となっている以上、結果回避のための行為を行為者に求める命令規範・禁止規範を立てるときに既に合理人の予見可能性は考慮済みなのであり、そうであれば、行為者が規範に適合した行為をしなかったと評価できれば、これにより行為者には過失があったとすればよく、これに重ねて合理人を規準とした予見可能性の有無を判断する必要はない。
 
      不要説B:
予見可能性を要求する場合の予見の対象が結果発生の具体的危険であることを踏まえたうえで、この意味での予見可能性が要求されるとなると、予見不可能な損害については被害者が負担することになる。
⇒企業責任が問題となる場面では、危険な活動を営むことによって利益を得ている企業が損害を負担しなくてよいことを意味し、損害の衡平な分配とは言えなくなる。

具体的危険の予見可能性がなくても、結果回避義務違反(行為義務違反)が認められ、行為者の過失が認められるべき。
 
    予見可能性を要求することが適切か否かという点にあるのではなく、むしろ、結果発生の具体的危険が存在得るところでなければ、結果回避義務(行為義務)を設定できないのかという点にある。
潮見:不要説に首肯し得るところが大きい。
 
       
  □U 予見の対象・回避の対象としての「結果」  
      予見の対象としての「結果」が何であるのか、(ついでにいえば)回避の対象としての「結果」が何であるのか?
A:権利・法益侵害
B:損害
尚、損害を差額説で考えるのか、損害=事実説で考えるのか。
損害=事実説で考えるときは、どのような事実を損害として捉えるのか。
 
    過失の要件のもとでおこなわれているのは、
@行動の自由という加害者の権利と、A予想される潜在的被害者の権利の衡量であり、この意味で、互いに衝突しあう当事者の権利の限界を確定する作業。
⇒ここで問題とされる「結果」は、損害ではなく、権利と考えるのが適切。
 
         
  □V 予見可能性の前提・・・行為者の事理弁識能力   
    事理弁識能力を欠く場合には、その者が当該行為をしたということはできない
⇒この者の過失を問うことはできない。
 
    事理弁識能力:自分がこれから何をしようとしているのかということについて認識できる能力。  
    一応の目安としては、取引における意思能力(6歳程度)より低い4〜5歳程度の知的成熟度で足りる。  
         
  □W 予見可能性の規範化  
      A:心理的責任論⇒予見可能性は事実的な予見可能性として捉えられる。
B:規範的責任論⇒予見可能性は規範的な予見可能性として捉える。

行為者は何を予見すべきであったのかという点に対する評価を経て、予見可能性の有無が決定される。
 

結果発生の具体的危険が存在していない状況下においても、結果発生についての抽象的な危険が存在しているときには、行為者に対し、結果発生の具体的危険についての情報を収集するなど必要な措置を講じるべきであるとの義務(予見義務)が課される状況が出てくる。

予見義務(情報収集ほか事前の思慮の義務)を尽くせば予見することのできた結果については、行為者には結果発生の具体的危険につき予見可能性があったものとされる。
そのうえで、結果回避義務の有無が吟味され、最終的な過失判断に至る。
         
  □X 予見義務の「行為義務」(結果回避義務)化・・・「事前の思慮」への拡張  
      企業災害、公害、薬害・食品公害など、特に科学技術の最先端において起こる事故のように、やってみなければ何が起こるかわからないが、何事も起こらず安全であるという保障はないという種類の危険の源泉となる活動。

その危険行為が一応安心感をもって社会に受け入れられるために必要な行為規範として、予見段階で既に、危険を探知するための情報収集義務を認めるべきことが、刑事過失論の一部で説かれていた。
 

民事過失論の領域に投影すれば、こうした情報収集義務は、未知の危険に対し危険の徴表となる事実を探知するために事前の思慮すべき義務のひとつとして受け止められ、認識・予見レベルでの行為義務(結果回避義務)そのものとして捉えることができる。

@結果発生の具体的危険が予見できる場面での行為義務と並んで、
A結果発生の抽象的危険が存在してる段階で、既に、具体的危険を探求するための行為義務として、予見義務(情報収集ほか事前の思慮の義務)が課されている。

重ねてさらなる結果回避義務違反の有無を問題とすることなく、行為者の過失を導くことができる。
    どのような場面に、こうした行為義務としての予見義務(情報収集ほか事前の思慮の義務)が課されるか?  
裁判例:
@具体的危険が現実化している可能性がある場合⇒その具体的危険を認識するために、行為義務としての予見義務が行為者に課されることがある。
A危険が将来において現実化することは予見できるが、具体的にどのような危険となって発現するかが不明確⇒発現するであろう具体的危険を認識するために、行為義務としての予見義務が行為者に課されることがある。
ex.医療における問診義務・検査義務
B完全には制圧することのできない危険源を社会生活にもちこむことが許容されている場合⇒たとえ将来において危険が現実化することが予見できなくても、その危険源に関係する行為をするに際して、行為義務としての予見義務が課されることがある。
ex.公害事例で問題となる企業の調査研究義務
近時環境法の領域で注目を集めている「予防原則」の考え方:
ある物質または活動が環境に脅威を与える⇒その物質や活動と環境への損害とを結びつける科学的証明が不確実であっても、環境に悪影響を及ぼさないようにすべきであるとする考え方。

環境に対して発生しうる損害が重大で回復不可能なおそれがある場合に、「科学的に不確実なリスク」に対する予防的措置を要請することへと向かうもの。
人体に脅威を与える物質と人体への侵害とを結びつける科学的証明が困難であっても、いったん発生すると回復不可能な重大な損害が発生⇒損害発生前のリスクを回避し、または提言するために事前の思慮をおこなうべきであるとの観点。
      行為義務としての予見義務(情報収集ほか事前の思慮の義務)が問われる場面では、抽象的な危殆化にとどまる段階で行動の自由を制約する形で行為者に作為・不作為の義務を課すことが問題となる。
この義務違反があれば、権利・法益侵害の結果が行為者に帰責される

問題の危険が現実化したら想定される権利・法益侵害の重大性と衡量のうえ、過剰な制約をもたらさないように予見義務の存否と内容を確定。
 
         
    ◇第10項 保護法規違反と過失   
    □T 保護法規   
    □U 保護法規違反と過失   
      ある法律規定が保護法規の性質をもつ⇒当該規定によって定型的に記載された違反類型に該当する行為は、それ自体が当該行為の過失を導くものと考えてよい。  
      定型的行為義務自体が権利・利益の保護を目的としたもの⇒その違反行為があれば、直ちに、行為者の行為に対して権利・法益侵害の結果を帰責させてよい。  
         
    ◇第11項 重過失   
    □T 緒論   
    □U 初期の議論   
    □V 議論の展開   
    □W 近時の理論状況   
    □X 小括・・・重過失概念の多様性  
    重過失の捉え方:
@故意に近似する過失という捉え方
A故意と軽過失の中間形態という捉え方
 
    ●重過失を故意に近似する形態として捉える立場:  
    過失を故意と同様に心理状態として捉える考え方(主観的過失論)を基礎としたもの

「わずかな注意を尽くしさえすれば結果を予見できた」という点に重過失判断の核心を置く。
(ここでは、過失が客観化された状況下でもなお「重過失」は、故意と同様、内心の意思に着目して主観的に捉えられるべき)
 
この枠組みは、失火責任法における「重過失」概念について判例が採用。
    ●重過失を故意と軽過失の中間形態として捉える立場:
重過失を「著しい注意義務違反」と理解。

故意への近似性は必要とされないうえに、客観的過失論と整合性を有する。
 
第1:
重過失評価の対象とされる内的注意・外的注意の違いから
@認識・予見レベルでの「著しい注意義務違反」(重大な内的不注意)と
A外部的行動レベルでの「著しい注意義務違反」(重大な外的不注意)
を観念することができる。
第2:
重大性に関する観点の違いから、
@「適切な行動パターンからの逸脱の程度が著しいもの」をもって重過失と考える場合と
A「行為義務(注意義務)それ自体の水準が高められる場合における、その違反」をもって重過失を考える場合
@⇒標準的・合理的行為態様を所与としたうえで、そこからの逸脱として通常みられるであろう以上に逸脱の幅が大きいという場合に、重過失を肯定。
A⇒類型化された合理人への行為要請が、標準とされた合理的行為者の能力・特性を考慮して一般人より高められる場合において、行為者がその高められた行為をすることが・・・これまた行為者の能力・特性に照らし容易に行うことができるにもかかわらず・・・なされなかったときに、重過失を肯定するもの。
 
         
    ◇第12項 過失の主体をめぐる問題   
    □T 法人の直接侵害行為と見民法709条に基づく損害賠償責任   
    ●1 「法人の行為」と民法709条  
    ●2 小括   
    □U 組織過失(システム構築義務違反および監視義務・監督義務違反)   
  ●1 組織過失の意義   
    ●2 組織過失が問題となる局面   
    ●3 組織過失の主体   
         
         
    ◇第13項 過失の主張・立証責任   
    □T 規範的要件としての過失   
「過失」とは評価そのものであって、事実ではない

過失があったこと自体が主張・立証責任の対象となるのではなく、
過失があったとの評価を根拠づける具体的事実(過失の評価根拠事実)、およびその評価にとっての障害となる具体的事実(過失の評価障害事実)が、ともに主要事実として主張・立証責任の対象となる。
 
    □U 主張・立証責任の負担者としての被害者  
  民法709条の「過失」については、被害者が主張・立証責任を負う。  
○多数説:  
結果の予見・回避の全般にわたり
過失があったとの評価を根拠づける具体的事実(過失の評価根拠事実)について被害者が主張・立証責任を負担し、他方、
結果の予見・回避の全般にわたり
過失があったとの評価を妨げる具体的事実(過失の評価障害事実)について加害者が主張・立証責任を負担する。

「被害者が過失の主張・立証責任を負担する」というのは、過失の評価根拠事実面に照準を合わせた説明ということになる。

客観的過失も予見可能性を前提としているところ、「予見可能性を前提とする」というのは「予見可能性が過失の中核を構成する」という意味であり、予見可能性も客観的過失として捉えられる過失の本質を成していると理解

「結果発生の具体的危険に関する予見可能性があった」との評価を基礎づける具体的事実も、「結果回避義務違反があった」との評価を基礎づける具体的事実とともに、過失の評価根拠事実となり、
これに対する抗弁としての過失の評価障害事実についても、「結果発生の具体的危険に関する予見可能性があった」との評価を妨げる具体的事実が、「結果回避義務違反があった」との評価を妨げる具体的事実とともに、評価根拠事実を構成する。
 
 
    □V 過失責任の原則の動揺と、過失の主張・立証責任への影響   
    ●1 緒論  
過失責任の原則は、近代資本主義経済社会において、個人の経済的取引の自由・企業活動の自由を保障するもの。
but
@社会の高度化・技術革新の流れ
Aそれに伴う産業資本の巨大化・独占化
Bその反面としての労働者・消費者層の分化に象徴される社会問題の搭乗
⇒過失責任の原則に対する疑問。

過失責任の原則が企業の経済活動の自由と企業の利益に傾斜している半面、
企業活動の結果として被害を受けた者が有する権利に対する保護をあまりにも無視している点が批判された。
特に、
@過失責任が前提とするところの理性的に行動する人間像に対する疑義と
A主体の自由と平等に対する疑義・・・とりわけ、大企業の経済活動から生ずる法益侵害の危険に対して自己防衛の手段をもたない被害者という図式が妥当する場合
が、過失責任の原則を強調することに対する批判となってあらわれた。

私的自治・自己決定権および資本主義競争の観点に支えられた過失責任の原則の見直しをせまる。
 
    ●2 過失についての主張・立証責任の転換・・・無過失の抗弁   
 「規範的要件としての過失」という枠組み:
加害者が合理人の注意を尽くしたとの評価を根拠づける具体的事実」についての主張・立証責任を・・・被害者側からの損害賠償請求に対する抗弁(無過失の抗弁)として・・・加害者側が負い、
これに対して「加害者が合理人の注意を尽くしたとの評価を妨げる具体的事実」についての主張・立証責任を・・・無過失の抗弁に対する再抗弁として・・・被害者側が負う。
 
一定の場合に、被害者の権利行使を容易にするという配慮から、過失についての主張・立証責任が加害者に転換されている場合:  
@運行供用者責任に関する自動車損害賠償保障法3条ただし書:
免責要件:「自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」
 
A特許法103条(意匠法40条、商標法39条)に、過失の推定規定。  
B責任能力者の監督義務者の損害賠償責任を定める民法714条1項ただし書前段:
通説は、監督義務者の責任を自己責任(みずからの監督上の過失を理由とする監督義務者自身の損害賠償瀬金)と捉えたうえで、監督上の過失についての主張・立証責任が監督義務者に転換。
 
C金融商品取引法:有価証券届出書や発行登録書等に不実記載がある場合に、一定の要件のんもとで、当該有価証券届出者(発行者)の役員等に対し、発行市場における有価証券取得者に対する損害賠償責任を課して売る。
この責任では、不実記載についての過失の主張・立証責任が役員側に転換。
 
●3 過失についての事実上の推定   
  過失についての主張・立証の転換にまで至らなくても、間接事実の積み重ねから明らかなとなる当該事件の経過をもとに、経験則に照らせば、当該事件において過失の評価を根拠づける事実があると推認することで、被害者の証明困難を救済(事実上の推定)。

上記意味での間接事実の存在・・ここでも、因果関係の場合と同様に、経験則の適用を正当化できるだけの典型性を有している必要があろう・・が被害者により立証⇒加害者に過失ありと事実上推定。
⇒加害者の側で、経験則の適用を排除する特段の事情(加害者の過失とは違う事由により権利侵害が生じたことを示す事情)を立証(反証)することで、過失の存否についての裁判官の心証を動揺させるよう、せまられる(間接反証)。
 
  〜加害者としては、合理人の注意を尽くしたとの評価を根拠づける具体的事実の立証に成功しなければならないのではなく、典型的事象経過に関連づけられた経験則の適用を裁判官が思いとどまるべき状態、つまり真偽不明の状態にまでもちこめばいい。  
○インフルエンザ予防接種事件:
担当医師が適切な問診をつくなあ無かったために禁忌者の識別ができなかったときは、担当医師は「結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかったものと推定するのが相当である」とした判決。
but
ここで問題となった問診義務違反の事実は、もはや事実上の推定というレベルのものではなく、端的に過失があったとの評価を根拠づけるもの
 
「医師が医薬品を使用するにあたって右文章(医薬品の添付文書(能書))に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される」(最高裁H8.1.23)   
医師は具体的な患者を前にして治療行為の一環として医薬品を投与するわけで、その患者の生体反応j次第で必ずしも添付文書に絶対に従わなければならないわけではない⇒「医師が医薬品の添付文書に記載された標準的投与方法と違った投与をした」との事実自体は、「医師に過失があったことを根拠づける事実」とはいいきれない。
but
「医師が医薬品の添付文書に記載された標準的投与方法と違った投与をした」との事実から、裁判官が、経験則に照らして「その医師には診療にあたり過失があった」との心証を抱き、その結果として「加害者に過失がある」との事実を真実と認めることにより加害者に対する損害賠償請求が認められるということになれば、まさに、これが事実上の推定にあたる場合。
 
過失の「一応の推定」が論じられる場合
@間接事実からの推認(経験則による心証形成)レベルの、過失についての事実上の推定がされる場合が含まれているほか
A過失判断における主要事実である評価根拠事実レベルで主張・立証責任のルールを実質的に変更し、「ある前提事実が存在する場合に、特段の事情が認められないかぎり(特段の事情の存在についての立証責任は相手方にある)、規範的評価としての過失があることを価値判断の問題として擬制した場合も含まれている。」
 
    ●4 行為義務(結果回避義務)の高度化   
    ●5 過失責任の原則の妥当範囲の縮減・・・無過失責任立法   
       
◆         ◆第4節 過失・・各論(人身侵害について)  
    ◇第2項 交通事故   
    □T 前注・・・運行供用者責任と民法709条の損害賠償責任   
  □    □U 交通事故における過失責任  
   
  交通事故が発生した場合に加害者が道路交通法規を遵守していたとい場合(保護法規違反がない場合):
⇒具体的危険の存在およびそれへの予見可能性と結果可能性、さらに講じられるべきであった結果回避措置が吟味。
 
  「加害者の行為義務違反+予見可能性」という判断枠組が基調。
予見可能性は、加害者を免責するための事情として、いわば免責事由化している。
 
  予見可能性の有無は、内心的状態という意思緊張面からではなく、異常事態を前提としていかなる措置が行為者に期待可能かという観点から吟味されている場合が少なくない。  
  ●信頼の原則   
  信頼の原則:刑法で展開をみた理論で、「行為者がある行為をなすにあたって、被害者あるいは第三者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、それに対しては責任を負わない」とする原則。
道路交通事犯では、「あらゆる交通関与者は、他の交通関与者が交通秩序にしたがって適切な行動に出ることを信頼するのが相当な場合には、たとい他の交通関与者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、これに対しては責任を負わない」とする原則。
 
  but
「信頼の原則」などという特定の思想(不法行為観)に基礎を置く立場からでなくとも、行動の自由を原則として保障されている行為者(加害者)の自由を制約する禁止規範・命令規範を立てるにあたり、被害者として潜在的に想定される者たちの権利・法益が置かれうるいかなる状態を想定すればよいかという観点のもと、行為者からみての権利・法益侵害に対する具体的危険とその予見可能性の問題として処理すれば足りる。
 
       
    ◇第3項 公害・薬害   
    □T 「相当の設備」論とその意義   
         
    □U 予見可能性判断の緩和・・・予見義務(調査研究義務・情報収集義務)を介した予見可能性判断   
      伝統的過失理論:過失判断に際して「具体的危険の予見可能性」の存在を前提。  
      公害・薬害裁判例:
人身への重篤な被害が生じるという危惧感が存在する事態に面して、
抽象的な危険が存在する段階で既に調査研究義務・情報収集義務といった「予見義務」を企業側に課し、この意味での「予見義務」を尽くせば認識できた具体的危険については「予見可能性」があるとの判断。
 
この「予見義務」については、予見の対象となる危険の範囲を被害者側に有利に緩和し、かつ、予見をするために調査すべき資料の範囲を拡張
⇒企業側が予見可能性の不存在を理由に免責される場面を著しく縮小するという結果。
      学説:
さらに進んで、この領域では予見可能性はもはや実質的な判断枠組みとしては機能していないし、機能すべきでもない
⇒「予見可能性」という標識に代えて、受忍限度を超えているかどうかを規準に過失を判断すべきとする見解も有力。
 
         
    □V 過失の対象となる行為の拡張・・・・研究的損害回避義務としての結果回避義務   
         
     ★第5章 責任設定の因果関係(故意・過失行為と権利・法益侵害との間の因果関係)  
    ◆第1節 責任設定の因果関係と損害範囲の因果関係・・1個説と2個説  
    □T 緒論   
    □U 因果関係1個説  
加害行為と損害との因果関係を問題とすれば足りる。
@管理・法益侵害要件に重きを置かない立場を基礎とし、
Aどのような損害が発生したのかを損害賠償請求権の出発点にすえて
事後的=回顧的に立論していくという手法。
 
    □V 因果関係2個説   
@加害行為(故意・過失のある行為)と権利・法益侵害との間の因果関係

権利・法益侵害の結果を加害行為に帰することができるかという意味で責任を設定するという目的のためにその前提として要求されるもの。
 
A権利・法益侵害と損害との間の因果関係

権利侵害から派生する不利益のうちどこまでを賠償範囲に組み入れるかという意味で、賠償範囲を画定するという目的のためにその前提として要求
 
    □W 因果関係要件の規律内容   
行為と結果(権利・法益侵害。1個説の場合には、損害)との間の因果関係という要件を、どのように構想していくか。  
@因果関係の起点となる「行為」ど、どのようなものとして捉えるかという問題。 
⇒第2節。
 
A因果関係を法的・規範的評価を経たものとして捉えるのか、それとも、法的・規範的評価とは切断され、評価の前提として位置づけられるものとして捉えるのかという問題。
⇒第3節。
 
    ◆第2節 因果関係の起点としての「行為」  
    ◇第1項 伝統的立場   
    □T 因果関係=自然科学的意味または社会的意味において一定の原因から権利・法益侵害に至る因果系列   
    □U 不作為不法行為における因果関係   
    ●1 不作為の「行為」性の承認   
「行為」とは社会的意味における身体の動静であり、身体の積極的動作が作為であり、消極的動作が不作為である(社会的行為論)。  
    ●2 因果関係判断における不作為不法行為の特徴  
条件関係ないし事実的因果関係に関する判断において作為不法行為に妥当する思考様式(=「あれなければ、これなし」の公式)をそのままでは使えない。  
まず法的な作為義務を先行させ、「作為義務を尽くした行為がされたならば、問題の結果が生じなかったであろう」場合に因果関係を肯定。
そこでの作為義務は、先行行為、契約、事務管理などから生じる。
 
    ◇第2項 伝統的立場に対する批判  
    □T 不行為の「行為」性の否定・・・目的的行為論   
    □U 不作為不法行為における因果関係理解への疑問・・・作為不法行為と不作為不法行為の異質性   
    □V 因果関係=自然科学的意味または社会的意味における因果系列とみることへの疑問・・・作為不法行為と不作為不法行為の同質性   
  不法行為における因果関係を、自然科学的意味または社会的意味における因果系列のレベルで捉えず、因果関係の起点となる行為(作為・不作為)を禁止規範・命令規範に対する違反があったかどうかという評価を経た後のものとして捉え、
この意味での規範的評価を経た作為・不作為と権利・法益侵害の結果との間の関連づけを行うための要件として位置づける考え。(潮見)
 
不法行為を理由とする損害賠償責任のその他の成立要件との関係をも含めた概要:
過失行為を例にとり、不法行為者をY
侵害結果(権利・法益が侵害されたとの事実)をE
と表記。
 
@帰責の対象とされたYの行為に対して、このYの行為を「過失」ありと評価するかどうかが問われる。

Yの行為に対する規範的評価の問題。
禁止規範に対する違法⇒作為
命令規範に対する違反⇒不作為
 
A過失ありと評価された「行為」と、Eという「結果」との間の関連づけ。
Eという結果をYの「行為」が支配していたといえるためには、Yの「行為」がEという結果発生の危険を増大させたといえることが必要。
(潮見の立場からは、合法則的条件に公式に依拠した判断)
法則性判断のなかに、規範的な評価が入り込む余地があり、「因果関係」要件は、この判断過程を担うもの。
 
B「因果関係」あり。
⇒Yの行為を「過失」ある行為と評価する根拠となった規範(禁止規範・命令規範)がEという「結果」を保護の目的としていたかどうかが判断される。

規範の保護目的への該当性の評価。
 

「因果関係」要件は、侵害結果(権利・法益が侵害されたとの事実)を当該行為者の行為に帰属させるための最小限の要件として必要とされるものの、
結果帰責にとっての十分条件ではない。
(規範の保護目的への該当性という観点からの評価がされてはじめて十分となる)。
 
    ◇第3項 小括   
    □T 因果関係の起点・・・規範違反の行為:法的無価値(反価値)評価を経た「不作為」・「作為」  
不作為による不法行為であれ、作為による不法行為であれ、まず、遵守されるべき規範として命令規範または禁止規範を観念し(法秩序が一定の作為を命じているか、禁止しているかということ)、
次に、命令規範・禁止規範の内容に即してみたときに実際に行為者のしたことが「命令」規範に違反する「不作為」と評価されるか、「禁止」規範に違反する「作為」と評価されるかという点に関する判断。
責任設定の因果関係の起点となる行為としては、命令規範・禁止規範に違反した行為、すなわち、法的無価値(反価値)評価を経た「不作為」・「作為」を置く。
 
    □U 不作為不法行為における作為義務・・・過失における行為義務(結果回避義務)との同質性  
過失(行為義務とその違反)に関する判断がまずおこなわれ、その判断の際に権利・法益を危殆化しないために一定の作為が命じられるとき、すなわち、規範的要請が「命令」規範という形で記述されるとき、その規範に対する違反をもって、加害者の態様が「不作為」と評価される。  
    □V 因果関係判断における作為不法行為と不作為不法行為の同質性・・・因果関係判断に対する過失判断の先行   
Uの判断枠組みは、作為不法行為の場面でも妥当。  
作為不法行為であろうが、不作為不法行為であろうが、
まず過失要件のもとで、禁止規範・命令規範の内容(不作為義務・作為義務の内容)が確定され、
その規範の内容に照らして加害者の態様が不作為義務に違反した「作為」か、作為義務に違反した「不作為」かが判断され、
規範内容に違反した「作為」・「不作為」と評価された場合に、その作為・不作為と権利・法益侵害という結果との関連づけがされれば、損害賠償責任の成立がj認められる。

その関連づけをおこなうのが、因果関係(責任設定の因果関係)
 
    ◆第3節 「行為」の結果との因果関係(その1):伝統的立場・・・相当因果関係  
 ◇     ◇第1項 総論  
  判例・通説:
不法行為での因果関係を、法的・規範的意味における因果関係であり、かつ、それは相当因果関係を意味するものとして理解。

刑法における因果関係と同様、
まず、因果関係判断の前提として行為と結果との間に条件関係があるかどうかを判断したうえで、
次に、条件関係ありとされたもののうち、行為の「相当な」結果と評価できるもののみについて因果関係を認める
という枠組が採用。
 
    ◇第2項 条件関係(p348)  
    □T 不可欠条件公式  
    ●1 不可欠条件公式の意義  
学説は、条件関係の判断にあたり、「あれ(原因関係)なければ、これ(結果)なし」という関係が認められれば「この原因行為から、この結果が発生した」という因果関係の存在が認められるという理解を基礎にすえる(=不可欠条件公式)

A社の工場の排煙からXのぜん息の症状が生じたという条件関係があるかどうかは、「A社の工場の排煙がなかったとしたならば、Xのぜん息の症状が発生しなかったであろう」という関係が肯定されるか否かにより判断。
 
    ●2 付け加え禁止   
「Aの自動車がXをひかなかったとしても、後続のBが運転する自動車によりXがひかれたであろう」
仮定的原因(Bの自動車運転行為)を付け加えることで条件関係を否定することはできない
 
    ●3 因果関係の断絶を理由とする因果関係の否定   
ex.Aの運転する自動車にひかれて右足を骨折して入院していたXが、Bにより銃撃して死亡⇒Aの自動車運転行為とXの死亡という結果との間には条件関係がない

因果関係の断絶は、第三者の行為が行為が介在した場合であって、この第三者の行為が加害者の行為に対する関係で独立性が強く、また第三者の自律的な判断・決定によるところが大きい時に認められる。
 
ex.Aが致死量の毒薬を飲ませた後、Xが死亡する前に、Bにより銃撃されて死亡。

第1の行為により実現されるべきものと考えられる結果と、第2の行為により実現された結果とが等価である場合についても、同様の因果関係の断絶が認められるべき

反対説(平井84頁)
←不可欠条件公式を機械的に適用して因果関係の存在を否定するのはAぼ行為とBの行為が同時に競合した場合と均衡を失し適当でない。
 
    □U 不可欠条件公式に対する批判と合法則的条件公式 (p349)  
条件関係を不可欠条件公式のもとで判断
vs.
@「Pという原因からQという結果が発生した」ということが問題となるときに、ここで問われているのは、Qという結果の発生にとってPが十分条件か否か
but
不可欠条件公式は、「PなければQなし」という公式のもと、Qという結果にとってPが必要条件であるかどうかを判断する公式で異なる。

A実際の民事裁判例においても、不可欠条件公式から因果関係を肯定するという単純な事実認定がされているものではない。

むしろ、条件関係の判断としては、当該具体的事件において、どのような事態の経過をたどって最終的な権利侵害の結果に至ったのかを、個別的な介在事情をも位置づけながら積極的に確定する点に、因果関係を論じる意義がある(合法則的条件公式)。
発生した具体的な結果からさかのぼっていって、帰責対象たる行為に到達することができる場合に、因果関係が肯定されるという点こそが重要
 
合法則的条件公式は、ドイツ刑法学では通説で、我が国の刑法学でも有力にとなえられている。  
不可欠条件公式を説く論者らも、「Pがなければ、Qがなかったか」とうい点に関する判断を行う際に、「Pがあれば、Qがある」との法則の存在を前提としたうえで、現実の事態がこの法則に適合するか否かの判断の結果を「Pがなければ、Qがなかったか」という言明の形で表現しているものとみることもできる。
不可欠条件公式:「Pがなければ、Qがなかった」
合法則的条件公式:「Pが原因となって、Qが生じた」(潮見)
 
    □V 条件関係における法則性・・・「自然的因果関係」との異同  
不可欠条件公式によるものであり、合法則条件公式によるものであれ、具体的事件における条件関係の存否判断の際に規準となる「法則」とは、純粋に自然科学的なものではなく、また人間の非合理的な行動可能性を捨象したものでもなく、われわれの歴史的・経験的な知見をも考慮に入れて確認される原因と結果の間の論理的結合をあらわしたもの  
    ◇第3項 因果関係の「相当性」(p351)  
    □T 法的因果関係としての相当因果関係  
条件関係が存在すれば足りる⇒帰責の範囲が著しく広がってしまう⇒責任成立範囲を因果関係のレベルで限定するために登場したのが、相当因果関係の理論。  
相当因果関係の理論とは、その行為が権利侵害(結果)にとって法的に相当とみられる条件である場合に、権利侵害と不法行為との間の「法的因果関係」を肯定し、損害賠償責任を導いていく考え(相当因果関係説)。  
    □U 法的相当性の内実・・結果の「異常性」か、法的価値判断か?  
ドイツでの2つの立場
A:即物的に捉えて当該結果が当該行為にとって「異常な」ものといえるかどうか。
○B:被害者・加害者間での衡平や当該行為を禁止・命令する損害賠償規範の目的・機能を考慮に入れて「法的」相当性を判断する立場。
 
我が国の支配的民法法学説は、法的評価の視点を入れて相当因果関係を判断する後者の立場を支持するものが圧倒的。

結果に対する行為の影響力・寄与度(結果の回避可能性)に関する法的・規範的判断を行うのが法的相当性の場
この点を捉え、相当因果関係説に対し批判を投げかけたのが、第4節Vに述べる客観的帰属論。
 
    □V 責任限定のための「相当性」判断   
    ●1 責任限定のための「相当性」判断   
伝統的理解:
相当因果関係の理論は、条件関係(事実的因果関係)の成立が認められる局面において、帰責の問題を考えるうえですべての原因が結果の発生にとって等価値のものではないとの理解を基礎にして、結果発生にとって法的に重要な原因を法的に重要でない原因から分離する試みの一環として展開。

相当因果関係の理論は、責任の成立する場面を限定するという機能をになうもの。
 
    ●2 「相当性」が問題となる場面   
    ○2−1 行為当時における特殊事情の存在   
責任設定の因果関係における「相当性」が問題となる第1の場面:
行為当時に特殊な事情が存在したために、権利・法益侵害の結果が発生した場合

ex.医療過誤、公害、自然災害の関与する不法行為その他原因競合事例で問題。
第三者の行為、自然現象、被害者の特異体質等。
 
    ○2−2 行為後における特殊事情の介入・・・第1次侵害から波及した後続侵害   
責任設定の因果関係における「相当性」が問題となる第2の場面:
行為の結果として第1次的な権利・法益が生じた後に、他の事情が介入し、第1次的権利・法益侵害が別の権利・法益への侵害(後続侵害)へと波及した場合。
 
介在してきた特殊事情の予見可能性(異常性)と、この特殊事情の結果発生に対する影響力・・・別の観点からみれば、先行する不法行為の危険性が結果を実現したかどうか・・・を基準に、因果関係の相当性を問う。  
ex.交通事故によって軽微な障害を負った被害者が、事故の後に精神的疲労等が重なり、自殺するに至った場合、交通事故と自殺との間に相当因果関係があるとしたうえで、被害者の心因的要因(素因)が自殺に寄与している点を考慮した賠償額を減額するという手法を用いた原審の判断を是認した最高裁判決(H5.9.9)。

交通事故による後遺症が重篤なものではなかったものの、事故の精神的衝撃とその長期にわたる持続、補償交渉の滞りなどから被害者が災害神経症状態におちいり、その状態から抜け出せないまま自殺に至ったという事件につき、
「自らに責任のない事故で傷害を受けた場合には災害神経症状態を経てうつ病に発展しやすく、うつ病にり患した者の自殺率は全人口の自殺率と比較してはるかに高い」
ことをも考慮して、
事故と被害者の自殺との間に「相当因果関係」があるとしたうえ、自殺に被害者の心因的要因も寄与しているとして相応の減額をした原審の判断を是認したもの。

経験則に照らし因果経過の通常性を広く捉えたもの。
最高裁H12.3.24で、うつ病のり患と自殺との間に因果関係があることが経験則して確認されている点も考慮。
 
交通事故による負傷の後に被害者を治療した医師の過失により人身被害が拡大した場合にも、交通事故につき責任を負う加害者等が医師の過失(医療過誤)により拡大した結果についても責任を負うのかという問題を巡り、相当因果関係の概念を用いて処理する裁判例が多い。  
    □W 責任拡張のための「相当性」判断   
    □X 相当性判断の規準  
相当性の判断規準としていかなる時点のいかなる事情を考慮するか?
A:主観説
B:客観説
C:折衷説:行為当時に一般人が認識・予見することのできた事情および行為者が特に認識・予見していた事情に基づいて相当性を判断すべき。
 
    ◆第4節 「行為」と結果との因果関係(その2):相当因果関係批判・・・事実的因果関係説   
    □T 事実的因果関係の理論・・・過去に生じた事実の復元としての因果関係判断  
相当因果関係のもとで行われているのは、因果関係の存在を前提としつつ責任原因を考慮して賠償範囲を制限するという政策的価値判断であり、「損害賠償の範囲は因果関係によって定まる」という命題は、わが国では法技術的=理論的意義を有しない。
因果関係の要件は、賠償の責任主体者が現実に損害を惹起したことを要するという事実の問題を扱うものであり、そこでは、損害賠償請求の不可欠の前提として、「生じた損害が誰の行為を『原因』として生じたか」が問われることになる。
 
    □U 賠償範囲の確定問題の位置づけ・・・因果関係と帰責判断の分離  
事実的因果関係は、損害賠償請求の不可欠の一前提であるが、
損害賠償請求の可否は、・・・これに続けて、発生した結果を原因行為に帰して、行為者にその結果発生についての責任と問うことができるかどうか(帰責の正当性)の判断を経て、はじめて、賠償請求の可否が定まる。
 
    □V 客観的帰属理論との共通性   
民法における客観的帰属論:
@事実的=論理的関係としての因果関係
A行為に対する結果の帰属(帰責)に関する判断
 
@は事実的因果関係の確定に尽きる
Aは、行為との間で事実的因果関係があるとされた結果を当該行為に帰属(帰責)させることの可否およびその範囲を判断し、決定するため、行為規範に対する違反についての評価が行われる・・結果の帰属(帰責)は規範の意味と射程によって決まる。
 
    ◆第5節 事実的因果関係説批判・・・因果関係のなかの評価的要素   
    □T 緒論   
    □U アメリカと日本の裁判制度・訴訟手続の創意からみた事実的因果関係説批判   
    □V 事実的因果関係を先行判断することに対する批判   
    □W 「事実」と「規範的評価」(「政策」)との区分に対する批判・・・因果関係概念の規範的・評価的性質   
    第6節 本書の立場 (p362)  
    □T 承前・・事実的因果関係と相当因果関係における「因果関係」概念の異同  
@まず行為と結果との間に条件関係があるかどうかを判断したうえで、
A条件関係ありとされたもののうち、行為と結果との間の法的・規範的連関を認めることができるもののみについて行為者の責任を問うというプロセス。
A:相当因果関係説は、上記の2段階の審査を通ったものについて「因果関係」要件を肯定。
B:事実的因果関係説は、
条件関係の審査のみを「因果関係」要件で行い、
行為と結果との間の法的・規範的連関を認めることができるかどうかの審査を「因果関係」とは別の要件、すなわち「保護範囲」とか「規範の保護目的」内の結果か否かという要件に委ねる。
 
    □U 因果関係判断における評価的要素・・・「危険の現実化」に対する評価と、「帰責」を内容とする法的評価の異質性   
因果関係判断の評価要素の介在について、問題は、評価的要素が何であるか、いかなる観点からの評価なのかという点にある。  
相当因果関係ないし法的因果関係として因果関係をとらえる立場⇒
ここでの評価的要素を、もっぱら結果に対する行為の法的・規範的関連づけを正当化する要素として捉えている。
 
but
因果関係での評価として問題とされてきたものには、
@原因行為から生じた危険が権利・法益侵害という結果として実現したかどうかの判断(危険の現実化に関する評価)
Aこの判断を経たうえで、当該行為を原因として生じた権利・法益侵害の結果についてこれを行為者に帰責することが正当化されるかどうかという観点からおこなわれる法的・規範的価値判断(帰責を内容とする法的評価)
@は事実認定の問題、Aは法的評価の問題。

A:相当因果関係の理論が「条件関係」と「相当性」という枠組みの基礎に置いているのは「@+A」の判断構造。
B:「事実的因果関係+保護範囲(規範の保護目的)」という枠組みで問題を捉える立場からは、@は「因果関係」の要件でAは「保護範囲」(規範の保護目的)の要件で、扱われている。
vs.
@とAで異質な観点からの評価⇒@とAは分けて考えるべき。
 
行為者の行為を権利・法益侵害に関連付ける際の評価には、次の2つのものがある:
@この権利・法益侵害とは、加害者の行為の危険性が現実化したものと評価することができるか(=危険実現面での結果と行為の連結のみを想定した評価)
Aその権利・法的侵害は、加害者の命令規範・禁止規範に違反する行為に帰するものと評価することができるか(=客観的帰属(規範の保護目的)の問題)

@は「因果関係」要件の担当する問題であり、行為の危険が結果として実現したかという観点から行われる過去に生じた事実の復元という事実認定を扱う。
Aは、「因果関係」とは別の要件、すなわち、命令規範・禁止規範が当該結果にまで及ぶかどうかという点に関する法的評価を扱う要件(「規範の保護目的」の要件)のもとで扱う。
 
    □V 合法則的条件公式による因果関係判断   
因果関係に関する判断は、不可欠条件公式による評価ではなく、合法則的条件公式による評価を行うのが、論理的にも、実務的処理を反映させる点でも、適切。  
    ◆第7節 因果関係の判断規準時および判断対象   
    □T 事実審口頭弁論終結時説・・・事実的・回顧的観点での特定の行為と特定の結果との連結  
    因果関係判断:
特定の具体的な行為と具体的な結果(権利・法益侵害)とを対象として、評価時の科学技術・学問の水準を規準としてされる。

@因果関係判断が特定の被害者と特定の加害者との間で生じた具体的事実の復元を目的としている。
A具体的な事態の推移をできるだけ正確に確定するためには、利用しうる範囲でもっとも進んだ水準をもってすることに躊躇する理由はない。
 
その結果として、過失はあるけれども、因果関係がないという場合:
ex.
行為時には問題の病状に対し診療現場で投与することが必要とされていた薬剤を医師が投与しなかった(=過失あり)
but
後の技術の進歩により、その薬剤がなんら治療効果のないことが判明(=因果関係なし)
     
    □U 行為時説・・・事前的観点での類型的行為と類型的結果との連結   
    ◆第8節 原因競合と因果関係   
    □T 緒論   
複数の原因が競合して権利・法益侵害を発生させたときに、権利・法益侵害と行為者の行為との間の因果関係を肯定することができるか。  
    □U 必要的競合   
Aの加害行為によりXの権利・法益侵害が生じた場合に、他原因Bが介在し、かつ、Bの介在なしにはXの権利・法益への侵害は生じなかったであろう場合(必要的競合)。  
〜不可欠条件公式でも、合法的条件公式でも、因果関係の断絶の問題が生じる。  
    □V 重畳的競合   
      不可欠条件⇒加害原因となる行為が複数重複する場合に、説明に窮する。  
       Y1とY2の2人がともに致死量の青酸カリをグラスの中のワインに入れて、それを飲んだXが死亡:
〜いずれかの行為者の行為がなくても被害者の死亡という結果が生じる
不可欠条件公式⇒因果関係なし
but
「それぞれの事由と結果との間の因果関係を否定すべきではない、という結論自体については、異論がない」とする。

森島昭夫:
複数の事実のうち、それのみによって当該損害を発生せしめる事実があるときは、他の事実と損害との間の因果関係いかんにかかわらず、当該事実と損害との間に因果関係がある。
但し、ある事実によって損害が生ずる前に、他の事実によって当該損害が生じたときは、前の事実と損害との間には因果関係がない。

「合法則的条件公式」のもとでは、問題とされるひとつの行為が権利侵害の結果を法則的に決定づけることができれば、これによって因果関係を肯定することができる。
 
but
一見すると重畳的競合のようにみえるが、ある原因行為と権利・法益侵害の結果との因果関係がその後に生じた原因により断絶する場合・・・・因果関係の「断絶」・・・は、重畳的競合ではない。
この場合には、先行行為者の故意・過失行為と当該権利・法益侵害との間の因果関係が否定される。

but
Y1が致死量の毒薬を入れた飲料をXが飲んだために健康被害が生じた後に、Y2がXを射殺したような場合に、断絶するのはY1の行為とXの生命侵害との間の因果関係
⇒Y1の行為とXの健康への侵害との間の因果関係は肯定される。
    □W 択一的競合   
      複数人の加害行為により権利・法益侵害が生じたところ、
@これらの加害者のうちのいずれかの者の行為により権利侵害が生じたことは明らかであるが、
Aそれが具体的に誰の行為によるかということが不明な場合。
 
      民法 第719条(共同不法行為者の責任)
数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも、同様とする。
 

個別的因果関係を推定
⇒権利・法益侵害の結果と自分の行為tの間に個別的因果関係が存在しないことを主張する側が、この不存在を根拠づける事実についての主張・立証責任を負担する。
 
    □X 関連問題・・・自然力の関与と因果関係   
      加害者の行為と並んで自然力が権利・法益侵害に寄与した場合:  
    ●(1) 加害者の行為と権利・法益侵害との間の因果関係を認めることができるか
〜責任設定の因果関係のレベルの問題。
 
人間の営み・存在が周囲の環境とまったく切り離して捉えられることができないもの⇒自然力が権利・法益侵害に寄与したからといって、当然にそれが因果関係(条件関係)を切断して損害賠償責任の成否に影響を及ぼすということにはならない。  
責任設定レベルで自然力が問題となるとすれば、それは、因果関係の存否判断を経た次の段階での規範的評価、すなわち、問題の権利・法益侵害が加害者の不法行為を抑止しようとする行為規範の射程外(義務射程外ないしは保護範囲外)に置かれるべきものであるとの評価を下すにあたって。

発生した具体的な権利・法益侵害が不法行為規範により回避が予定された典型的危険の実現であるかどうかという点から、規範の保護目的が斟酌される。
but
この点は、規範の保護目的論(義務射程論)一般に関する問題⇒ここで自然力を特別扱いする必要はない。
 
    ●(2) 権利・法益侵害に自然力を寄与しているということが、損害賠償の範囲を確定するに際しても、影響を及ぼすか。
賠償範囲の因果関係レベルでの問題。 
 
営造物責任(国賠法2条)の事案であるが、
土砂崩れのために立ち往生した観光バスが土石流の直撃を受けて飛騨川に転落し104名が死亡した事件に関する飛騨川バス転落事故第1審判決:
賠償の範囲は、事故発生の諸原因のうち、不可抗力と目すべき原因が寄与している部分を除いたものに制限されると解するのが相当⇒6割についてのみ国の損害賠償責任が認められた。
ここでは、寄与度に基づく減責の理論が採用。
(事件そのものは、高裁判決が損害全額の賠償を認容し、これが確定)
 
無過失責任を採用する特別法のもとで、大気汚染防止法25条の3:
「第25条第1項に規定する損害の発生に関して、天災その他の不可抗力が競合したときは、裁判所は、損害賠償の責任及び額を定めるについて、これをしんしゃくすることができる」とし、水質汚濁防止法20条にも同種の規定。
 
ここでも、問題となっているのは、因果関係の確定と言う事実認定レベルでの自然力の寄与度に関する判断・・・自然科学的知見に基づく判断・・・ではなく、法的評価レベルでの減免責に関する規範的価値判断。
⇒因果関係のレベルでは扱いがたい問題。
 
加害者に故意・過失があり、かつ、責任設定を認めたのでは、自然力による損害リスクを加害者ではなく、被害者に課すことになる⇒適切ではない。  
    ◆第9節 因果関係の立証責任   
    ◇第1項 高度の蓋然性   
  因果関係は、民法709条による損害賠償請求権の成立を基礎付ける要件事実のひとつ⇒それを基礎づける具体的事実については、被害者が主張・立証責任を負う。  
  ここでの因果関係の証明は、
一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、
経験則に照らして全証拠を総合検討し、
特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、
その判定は、
通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りる。
 
  高度の蓋然性とは、心証度にしておよそ80%程度と考えられている。  
      ◆第2項 因果関係の立証責任の緩和・軽減  
    □T 緒論  
    □U 蓋然性説   
    □V 確率的心証の理論   
      東京地裁昭和45.6.29の捉え方として2様のものが考えられた。
確率的心証の理論とは、
@心証として形成された問題の事実の存在する確率(心証形成面での確率)に即した因果関係ないし損害の割合的認定を認める理論なのか、
A複数原因が競合し、または競合する可能性が存在する場合に、ある原因が事故発生に寄与した割合(寄与確率)に即した損害の割合的認定を認める理論で(も)あるのか。
 
    □W 因果関係の立証責任の転換   
      民法719条1項後段の択一的競合不法行為
自どすは損害賠償保障法3条の運行供用者責任等
刑事責任に関するものであるが、人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律5条には因果関係の推定規定が設けられている。
 
    □X 因果関係についての事実上の推定(間接反証説)   
因果関係については、具体的な事件で、事実上の推定がされることがある。

間接事実の積み重ねにより復元される当該事件の客観的な経過をもとに、「経験則に照らせば、当該事件において因果関係の要件事実に該当する主張事実がある」と推認する・・被害者は因果関係の立証に成功したとする・・ことで、被害者による証明困難を救済するもの。

上記意味での間接事実の存在が被害者によって立証されれば、加害者に因果関係ありと事実上推定され、
加害者の側で、経験則の適用を排除する特段の事情(別の原因事実により権利侵害が生じたことを示す事情)を立証(反証)することで、因果関係の存否についての裁判官の心証を動揺させるようにせまられる
 
新潟水俣病判決が採用した門前到達説:
被害疾患の特性とその原因物質、および原因物質が被害者に到達する経路の立証がされて、「汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合」には、
加害企業における原因物質の排出(生成・排出に至るまでのメカニズム)については、「企業側において、自己の工場が汚染源になり得ない所以を証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果すべての法的因果関係が立証されたものと解すべき」
 
一連の大気汚染公害訴訟における、各調査データに基づく大気汚染拡散のシミュレーション等
C型肝炎訴訟の東京地裁判決(H19.3.23):
原因が重畳的に複合しているというケースで、HCVにおいては重複感染の可能性を肯定し得ることを考慮

被害者が各製剤の使用と感染を立証した場合には、
被告らにおいて、
被害者が各製剤の使用と同程度の感染危険性を有する感染源に暴露したことと、
被害者に発生した感染がその発症時期等からみて製剤の投与による感染として不自然であることなどの特段の事情を立証しない限り、
各製剤の使用と感染との間の因果関係を認めることができる。

新潟水俣病判決の門前到達説の応用版。
化学物質被害に関する杉並区不燃ゴミ中継施設健康被害原因裁定申請事件を扱った平成14年6月26日の公害等調整委員会裁定:
東京都の管理にかかる杉並中継所の操業開始以来、同中継所周辺に居住または勤務していた申請人らが、のどの痛み、頭痛、めまい、吐き気、動悸等さまざまな健康被害を受けているとして、この健康被害の原因が同中継所から排出される有害物質によるものである旨の裁定を求めた事案。

公害等調整委員会裁定委員会:
周辺住民らの健康不調の発生が本件中継所の周辺に集中し、しかも、その時期が本件中継所の試運転を含む操業の時j機と一致している
⇒他に特段の事情の認められない限り、申請人の被害について、本件中継所が原因施設であり、その操業に伴って排出された化学物質がその原因であったと推認するほかない。
この推定を覆すに足りる証拠がない場合、この因果関係は肯定されるものと解すべき。

「本件は、特定できない化学物質が健康被害の原因であると主張されたケースである。ところで、この化学物質の数は2千数百万にもたっし、その圧倒的多数の物質については、毒性をはじめとする特性は未知の状態にあるといわれている。このような状況のもとにおいて、健康被害が特定の化学物質によるとの主張、立証を厳格に求めるとすれば、それは不可能を強いることになると言わざるを得ない。本裁定は、原因物質の特定ができないケースにおいても因果関係を肯定することができる場合があるとしたものである」。
イトーヨーカ堂ストーブ発火事件東京高裁判決(H18.8.31):
ストーブから発生した化学物質と、化学物質に対する過敏症との間の因果関係を肯定。

第1:
被告側:化学物質評価機構や環境管理センターの試験結果が本件における原告の住む部屋の中の室内における条件とは違う
判断:いずれかの実験において捕集された物質は、いずれも条件次第で本件ストーブから発生し得るものと認めるのが相当。

第2:
被告側:本件ストーブから化学物質が発生していたとしても、それが許容限度を超えるものであることが立証されていない
判断:被害者側が化学物質に暴露された量を直接認めることのできる証拠はないとしても、実験結果等から、人体にとってその性質上有害性のある多種類かつ相当多量の化学物質の暴露を受けたことは優に推認することができる。

第3:
被告側:化学物質を発生させるものとしては、原告の自宅家屋、その他電化製品など、さまざまな原因が考えられる
判断:たしかに化学物質を発生させる原因はさまざまだが、被告らはこれを具体的に特定して主張・立証していない。

証拠上、他の原因が存在することをうかがわせる事実がないという形で被告側の主張を斥けている。

第4:
被告側:他の購入者からの発症の申告はない
判断:異臭に対する問い合わせ、苦情とか返品例はある⇒本件症状に至らないまでも、何らかの身体的な影響を受けた者が存在している可能性がある。

●  因果関係の事実上の推定が機能するためには、間接事実の積み重ねにより復元される当該事実の経過が、裁判官による経験則の適用を正当化するだけの典型性を有している必要がある。

因果関係の立証責任が転換されているわけではない⇒加害者としては、因果関係の不存在を基礎づけるj具体的事実の証明に成功しなければならないのではなく、あくまでも、典型的事実経過に関連づけられた経験則の適用を裁判官が思いとどまる状態、つまり真偽不明の状態にまでもちこめばよい。
 
    □Y 疫学的因果関係   
    ●1 意義  
間接反証説になじむものとして位置づけられているのが、人身侵害の局面で集団病理現象としての疾病が問題となる場合において採用されることがある疫学的因果関係の考え方。

疾患の原因を人間集団のレベルで観察・解明し(集団的因果関係)、ついで、これを基礎として特定の個人とし問題の疾患との間の個別的因果関係を解明するというもの。
 
臨床医学・病理学から原因または発症のメカニズムがまだ明らかにされていない場合に活用されてきた。
疫学4要件として:
@問題の因子(要因、作用物質)が発病の一定期間前に作用するものであること、
Aその因子の作用する程度が著しいほど、その疾病のり患率が高まること、
Bその因子の分布消長から、ありのままに観察・記録・考察された自然界における流行の特性が矛盾なく説明可能なこと
Cその因子が原因として作用するメカニズムが生物学的に矛盾なく説明可能なこと
 
裁判例では、まず、レントゲン線照射と皮膚がんの発生との間の「統計上の因果関係」を考慮に入れて事実的因果関係の存否を判断した医療過誤事件から発展して、一連の公害訴訟の判決で採用。

「およそ、公害訴訟における因果関係の存否を判断するに当たっては、企業活動に伴って発生する大気汚染、水質汚濁等による被害は空間的にも広く、時間的にも長く隔たった不特定多数の広範囲に及ぶことが多いことにかんがみ、
臨床医学や病理学の側面からの検討のみによっては因果関係の解明が十分達せられない場合においても、疫学を活用していわyるう疫学的因果関係が証明された場合にも原因物質が証明されたものとして、法的因果関係も存在するものと解するのが相当である」というようにまとめられる。
    ●2 疫学的因果関係の考え方に対する批判   
    ●3 疫学的因果関係の限界  
    ●4 疫学的因果関係の変容・・・割合的因果関係論との接続   
    ◇第3項 医療における延命的利益と因果関係・・・権利・利益の拡張と因果関係の証明殿軽減   
    □T 議論の出発点・・・権利・法益侵害と因果関係   
    ●1 問題の所在   
患者に既往症があったときや、末期症状の患者であった場合は、仮に医師に診療上の過失があると評価されても、生命・身体・健康侵害と過失行為との因果関係がないとされる場合がある。  
    ●2 適切な診療を受けることへの期待権(期待利益)   
⇒別の権利・利益をとりあげて、請求を立てていく方法。
「適切な診療を受けることへの期待権(期待利益)」
 
    □U 判例の展開・・・独自の法益としての「延命利益」   
    ●1 最高裁平成11年判決・・・因果関係の立証面での軽減処理  
医師の診療過誤と、死期がせまった患者の生命侵害との因果関係の立証について、患者側の負担の軽減。  
医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。患者が右時点の後いかほどの期間生存し得たかは、主に得べかりし利益その他の損害の額の算定にあたって考慮されるべき事由であり、前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない。」

A:「生命侵害」の概念を、「生命機関の喪失」という量的観念として把握していた従前の理解を維持したうえで、「死亡の時点において生存していた可能性」という、「生命」とは異なる新たな法益(法的保護に値する利益)を作り出したのか、
B:「生命侵害」の意味を「死亡の時点において生存していた可能性」の意味で捉えなおしたうえで、「高度の蓋然性」の立証が事実上不可能である点を考慮し、証明度の軽減をはかることにより、医療過誤と生命侵害との間の因果関係の立証面での軽減を導いたものか
見解が分かれた。
 
    ●2 最高裁平成12年判決・・・延命利益(生存可能性)の喪失   
端的に患者の延命利益(生存可能性)、すなわち、「患者がその死亡の時点において生存していた相当程度の可能性」を709条の権利・法益として捉えることを承認。  
709条の権利・法益として延命利益(生存可能性)が問題となるのは、最高裁H11年判決の意味での診療上の過失と「生命」侵害(死亡)との間の、緩和された、因果関係すら認められないときに、なお「生命」とは別法益である延命利益(生存可能性)を権利・法益として逸失利益賠償・慰謝料賠償を導くという考慮が働く場合だけ。  
    ●3 最高裁平成15年判決・・・重大後遺症事例への拡張  
「重大な後遺症」が患者に残ったケースでも、「重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性」を709条の権利・利益と捉えることで、逸失利益を含めた賠償可能性が肯定。  
★第6章 規範の保護目的・・・権利・法益侵害と故意・過失行為との関連づけ(上p386)       
    ◆第1節 規範の保護目的説・・・基本的考え方   
    □T 基本的な考え方   
規範の保護目的説:
「およそ、あらゆる義務と規範は一定の利益領域を保護対象として内包しているのであって、行為者は、この保護された範囲内の利益侵害についてのみ責任を負えば足りる」との立場
⇒違反された行為規範によって保護された範囲内に具体的侵害結果が帰属する場合にのみ、損害賠償義務の成立が正当化される。
 
    □U 規範の保護目的の対象   
    ●1 「損害」とみる立場   
被害者に生じた損害を起点として、この損害と行為者の行為との間の事実的因果関係(条件関係)を画定したうえで、次に、事実的因果関係ありとされた損害について、この損害を回避することが禁止・命令規範の保護範囲内に入っているかどうかを判断。  
@被害者に生じた損害を起点として、
Aこの損害と行為者の行為との間の事実的因果関係(条件関係)を確定したうえで、
B事実的因果関係ありとされた損害について、この損害を回避することが禁止・命令規範の保護範囲内に入っているかどうかを判断

侵害された権利・法益は、保護範囲内か否か(保護目的内か否か)を判断する際に、独自の意味をもたない。
vs.
不法行為制度を権利救済法として捉える本書の立場からは、
ここでの不法行為規範は被害者・行為者それぞれの権利・法益に対する保護の可否と保護の程度を考慮に入れた規範として捉えられるべきであり、
権利・法益面が表面にあらわれない保護目的・保護範囲の枠組みを採用することに躊躇をおぼえる。
    ●2 「権利・法益」とみる立場(潮見説)  
規範の保護目的の対象となっているかどうかが判断されるのは被害者の権利・法益であるとする立場。  

@被害者の権利・法益が不法行為規範の保護目的に入っていたかどうか
A次に、問題の権利・法益が不法行為規範の直接の(第1次的な)保護目的とされていなくても、直接の(第1次的な)保護目的とされた権利・法益に対する侵害(「第1次侵害」)から生じた特別の危険の実現としての権利・法益侵害(「後続侵害」)であれば、当該不法行為規範の保護目的内のものとして不法行為法による保護の対象としてよい。
 
〜因果関係2個説を基礎としたもの。
@
被害者のもとでの権利・法益侵害の有無、
責任設定規範の内容とその違反、さらに
権利・法益侵害と規範違反行為との間の因果関係(責任設定の因果関係)の判断を経たうえで、
A侵害対象となった問題の権利・法益が規範の保護目的内にあるかどうかが判断。
Bそれらの要件を充たしたとき、賠償されるべき損害およびその内容を判断するにあたっては、侵害された権利・法益の金銭的価値が評価。
この評価(B)は、規範の保護目的・保護範囲の判断(A)とは、論理的には無関係。
 
「規範の保護目的・保護範囲」内か否かの用語〜後続侵害を含めて用いる。
契約上の地位の侵害(医療過誤の場合にように、債務者による侵害もあれば、従業員・管理者の引抜きの場合のように、第三者による侵害の場合もある)の場合には、侵害された「契約上の地位」(慣用的な表現にしたがえば、給付を受けることのできる地位)の価値が金銭的に評価される際に、当該契約においてどのような契約上の地位が債権者に保障されていのかの吟味を経て、当該「契約上の地位」の価値が判断されることがある。
ここでは、契約規範の内容が賠償範囲の確定にとって重要な意味をもってくる。
but
このことは、契約上の権利・法益の価値を捉える際の特殊性に起因するものであって、本文で述べた責任の判断構造を否定するものではない。
    □V 規範の保護目的論と相当因果関係論   
規範の保護目的論:
「侵害された権利・法益が、規範の保護目的に入るか否か」という法的・規範的価値判断に焦点があてられる。

従来の相当因果関係論で「相当性」として論じられていたことの多くは、この法的・規範的価値判断の基準を定立する作業。
これまでに相当因果関係論が析出してきた「相当性」の判断基準も、その多くは、こうした規範の保護目的該当性を判断するための因子への置き換えを通じて、新たな意味を盛られることになる。

実際に生じた権利・法益侵害の結果が、法規範により防止されようとした危険が実現したものであると評価できる⇒当該権利・法益侵害は、規範の保護目的にの範囲内にあるものとして、行為者に帰せられることになる。
 

規範の保護目的の範囲内かどうかを判断するにあたっては、従来、「相当性」の判断で行われてきた考慮と同様、
@規制事由に関連づけられた行為者の行為への規範的要請を立てることにより、どのような権利・法益を保護しようとしていたのか(ただし、故意・過失にかかかる判断である)を画定したうえで、
A実際に侵害された権利・法益が@で示された権利・法益に該当するのかを検討することが重要となる。
 
    ◆第2節 権利・法益侵害と規範の保護目的(上p390)   
    □T 第1次侵害の対象となった権利・法益と規範の保護目的・・・故意・過失からの義務射程  
      ある者の行為により他人の権利が侵害され(=第1次侵害)、さらにこの権利侵害を契機として別の権利が侵害される(=第2次侵害)という権利侵害の連鎖という状況が生じることが少なくない。  
第1次侵害については、故意・過失が帰責事由として要求される。  
@故意について:
加害者は、権利侵害を意欲ないしは認容して行為この行為がもたらした第1次侵害については、「異常な事態の介入」の結果として生じたものを除き、加害者が引き受けるべき
 
国際海上物品運送法13条の2
「運送人は、運送品に関する損害が、自己の故意により、又は損害の発生のおそれがあることを認識しながらした自己の無謀な行為により生じたものであるときは、・・・一切の損害を賠償する責めを負う」
A過失について:
第1次侵害の帰責について、過失における行為義務の遵守がいかなる潜在的結果を想定して法秩序により要請されているのかどうかが決定的。

法秩序の命令・禁止が具体化した行為義務の射程範囲に入る第1次侵害⇒過失で行為した者の負担。
そうでない⇒因果関係が認められたとしても、直ちに行為者の負担となるものではない。

後続侵害を行為者に帰責するかどうかについては、過失における行為義務違反の射程範囲からは直接には導かれない。
 
B故意・過失を要件としない不法行為(無過失責任が採用されている不法行為):
第1次侵害にとって、無過失責任を定めた個々の法規定が危険責任・報償責任を課すことによっていかなる権利・法益の保護をはかろうとしたのかに関する評価が決定的

後続侵害の行為者に帰責するかどうかについては、無過失責任を定めた規定の保護目的からは直接には導かれない。
 
ある種の第一次侵害については、規範の保護目的という要件を立てる必要のない場合もある。  
@各種の人格権や営業権のように、その権利の領域に影響を与えているか、または与えるおそれのある行為(潜在的侵害行為群)および行為者(潜在的侵害行為者群)を想定し、この潜在的行為者がもつ権利(「行動の自由」・「思想・表現・信条の自由」など)、場合によっては公益的・公共的価値との相関的な衡量を経てはじめて、権利に割り当てられた内容と権利の外延(=権利としての要保護性)が確定されるものがある。
Aこのなかでも、そもそも相関的衡量をおこなう際の因子(規準)すら確立しておらず、個別具体的な事案ごとに被害者の地位の要保護性が確定されるものもある。(「生成途上の権利」などと称されるものは、このタイプにあたる。)

これらの権利・法益にあっては、権利・法益侵害があったかどうかを判断する際に、同時に、行為者の行為に対する無価値判断(故意・過失の有無に関する評価)もされている
⇒権利・法益侵害要件と別途に故意・過失要件を審査する必要はなく、規範の保護目的という要件を別に立てる必要もない。
 
    □U 後続侵害の対象となった権利・法益と規範の保護目的・・・・危険性関連   
    後続侵害(第2次侵害)については、第1次侵害が行為者に帰責されることが確定されれば、これを行為者に帰責するにつき、改めて後続侵害自体に関する故意・過失を問題とする必要はない

第1次侵害の結果について行為者が責任を負うべきであるという評価のなかには、行為者へのさらなる独立の規範的要素(命令・禁止)を待つまでもなく、第1次侵害によって作り出された特別に危険が通常の経過をたどって展開して権利侵害の範囲を連鎖的に拡大していった結果についても第1次侵害の行為者が引き受けるべきであるとの、帰責に向けての評価(価値判断)が組み込まれている。

ある後続侵害が第1次侵害により生じた特別の危険の実現であれば、この後続侵害について行為者に帰責することができる。

「特別の危険」であることを要求。

日常生活のなかで一般的に生じる危険(日常生活危険・一般生活上の危険)については、それが違法と評価される行為(ないし事態)により惹起されたものでない限り、被害者が負担すべきであるとの考慮。
 
    ○例  
交通事故の被害者の近親者が外国に滞在している際に、この者が被害者の看護のために往復するのに要した旅費相当額について、被害者が自己の被った損害として賠償請求した事件。
〜それが社会通念上相当であり、かつ被害者がこの近親者に償還すべきものである場合には、通常生ずべき損害にあたる(判例)。

民法416条の類推適用問題として処理されているが、交通事故による負傷の結果として、間接被害者に生じた独立の経済的損失(法益侵害)が直接被害者に生じたい第1次侵害と危険性関連に立つ侵害と評価できるかが問われたもの。
 
不動産の仮差押えの申立ておよびその執行が債務者に対する不法行為となる場合において、債務者が仮差押解放金を供託してその執行の取消しを求めるため、金融機関から資金を借り入れ、あるいは自己の資金をもってこれに充てることを余儀なくされたとき、仮差押解放金の供託期間中に債務者が支払った借入金に対する通常予想しうる範囲の利息および自己資金に対する法定利率の割合に相当する金員を、不法行為により債務者に通常生じる損害に当たるとしたもの。

民法416条の類推適用問題として処理されているが、経済的損失(借入利息相当額ほかのエコノミック・ロス)を、不当な仮差押申立ておよび執行を第1次侵害とする後続侵害としてとらえ、第1次侵害により生じた危険の特別の実現であるかどうかを問うべき。
 
売買契約の目的物に対する仮差押えの申立てが不法行為になる場合において、売主がこの仮差押えにより売買契約を履行することができず、買主に違約金を支払ったため1000万円相当の損害を被ったとき、この損害を債権者が予見することができたとしたもの。

経済的損失が後続損害として捉えられるべき事件。
 
交通事故で負傷した者が、運び込まれた病院・診療所での医師の過失により死亡したり、障害が拡大したりした場合に、後続侵害につき、第1次侵害である傷害との間の相当因果関係を認めて、交通事故加害者に(病院側と連帯して) 死亡や障害の拡大による損害の賠償責任を負わせたもの。

第1次侵害との危険性関連の視点で捉え得るもの。
 
人身事故による負傷後に被害者が自殺した場合。  
         

★★第3部 不法行為による損害賠償・・責任障害要件(および関連する制度)  
★第1章 責任能力(p396)  
         
★第2章 被害者による権利の処分(Tp435)       
    ◆第1節 危険の自己招致(自己の危険に基づく行為)   
    □T 危険の自己招致(自己の危険に基づく行為)の意義   
         
    ◆第2説 被害者の承諾   
◇      ◇第1項 責任阻却事由としての被害者の承諾  
    ◇第2項 自己決定権の行使としての同意・・・「自己決定権」侵害という観点からみた被害者の同意・承諾   
    □T 問題の所在・・・責任阻却事由(違法性阻却事由)としての承諾から、自己決定権行使としての承諾へ   
      従来:被害者の承諾は、責任阻却事由(ないし違法性阻却事由)として捉えられてきた
but
被害者の承諾の問題は、むしろ、
@権利・法益侵害に対する承諾という観点とは別に
A被害者の自己決定権の行使という観点から捉えられ、
被害者の同意を取り付けずに行為をしたことが自己決定権侵害の不法行為として評価される。
 
    □U 医療における患者の自己決定権と医師の説明義得   
    ●1 患者の自己決定権   
    ●2 医師の説明義務   
    ●3 説明義務の内容  
    ●4 説明義務の人的基準   
    ●5 患者の承諾能力   
    ●6 患者に承諾能力がない場合・・・説明の相手方  
    〇6−1 監護権行使構成   
    〇  〇6−2 本人の意思・利益と監護すべき者の決定が乖離する場合の処理   
    〇6−3 患者に監護権者がいない場合   
  ●  ●7 患者に承諾能力がある場合・・・家族に対する説明と家族の承諾  
  ●8 説明義務違反による自己決定権侵害の効果  
  ●9 関連問題   
  〇9−1 療養指導義務としての説明義務  
    〇  〇9−2 顛末報告義務としての説明義務   
★第4章 法令または正当業務に基づく行為と責任阻却(p456)  
    □法令  
    □正当業務   
当該行為を業務として遂行することが許容されているということから、直ちに当該行為により生じた権利侵害を正当化するということは帰結できない。  
最近の学説や判例:
医療行為⇒患者の承諾をも責任阻却のための付加的条件としてあげ
スポーツ競技中の事故⇒原告として違法性がないとの構成よりもむしろ、危険を回避するための行為義務違反の有無を正面から問題にする傾向。

正当業務行為という範疇が責任阻却の一般的枠組みとして維持できない。
 
正当業務行為として論じられてきた問題は、故意の存否判断または過失における行為義務(結果回避義務)の確定という一般問題にたちもどり、
危険への接近ないし危険の引受けの有無と範囲、被害者側からの行為期待、当該行為をした者の属するグループの平均的な技術水準を測定する際の判断規準のなかに解消すべき。
 
一般的に容認された遊戯中に生じた児童の事故につき、特段の事情がない限り違法性が阻却されるとした判決(最高裁昭和37.2.27、「鬼ごっこ事件」)についても、ここから、「遊戯中の事故については、社会通念を逸脱しない限り、違法性が否定される」というような内容や、被害者の同意があればよいという内容をもつ責任阻却の一般命題へとしあげていくのはいきすぎ。  
         
         

★★第5部 複数行為者の不法行為(U p126)  
★第1章 共同不法行為  
  ◆第1節 問題の所在   
    民法 第719条(共同不法行為者の責任)
数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも、同様とする。
2 行為者を教唆した者及び幇助した者は、共同行為者とみなして、前項の規定を適用する。
 
       
  ◆第2節 共同不法行為制度の存在意義   
  ◇第1項 伝統的立場・・・「個別的因果関係+関連共同性」構成   
    □T 概要   
    共同不法行為の成立要件として
@共同行為者各自の行為(個別行為)が不法行為の要件(権利侵害ないし違法性、故意・過失、因果関係。なお責任阻却事由としての責任無能力)を備えていることを要求しつつ
A複数の行為の間の関連共同、つまり各人の違法行為が「関連共同」して損害の原因となったこと
を要求。
 
複数の行為の間の関連共同⇒相当性の意味を緩和して、発生した結果全部につき共同行為者に連帯責任を負わせる点にある。  
    □U 民法719条1項前段の共同不法行為の要件   
    伝統的な考え方:
個々の行為者の故意・過失、因果関係(個別的因果関係)がXの主張・立証すべき請求原因事実⇒共同不法行為の場合と民法709条の不法行為責任が競合する場合とで、違いはない。
関連共同性の要件が加わることで、因果関係の相当性判断が被害者に有利に緩和されるというだけ。
 
  ◇第2項 批判理論・・・「『共同の行為』からの因果関係」構成   
    □T 批判の出発点   
    @各人の行為について不法行為の成立要件が充足⇒関連共同性を要求するまでもなく、民法709条により各人は損害賠償責任を負い、
その責任が競合する結果、連帯して賠償責任(不真正連帯債務)を負うこととなる(競合的不法行為)。
⇒709条とは別に民法719条1項前段の共同不法行為を論じる意味がない。
 
    A伝統的立場での、因果関係の「想到性」の操作次第では、「行為者間の関連共同」に関する規範的判断も、709条の単独不法行為の枠内で、そこにとりこんで評価できる⇒独立の要件事実としての関連共同性の意味がなくなる。

「狭義の不法行為においては、数人の行為がいずれも当該違法行為の原因となっている場合⇒その違法行為を原因として客観的に相当因果関係に立つ損害はその行為者において賠償すべきは当然⇒他人の行為が競合して損害を生じさせた場合であっても、その競合によって生ずる結果が相当因果関係に立つ以上その結果の全部について責任を負うべきはむしろ当然」
 
    □U 新たな枠組みのもとでの共同不法行為理論・・・「共同の行為」と結果との因果関係   
    批判的理論:
民法719条1項前段にあっては「共同の行為」が問題とされる反面、
民法709条の不法行為におけるような「各人の行為と損害との間の個別的因果関係」は要求されていない。
 
むしろ、
@「共同の行為」であることを基礎づけるための要件としての「各人の行為の関連共同性」と
A「共同行為と発生した結果との間の因果関係」を問えば足り、
B個別的因果関係を問題とするまでもない。
=個別的因果関係の不存在を理由とする減免責の主張を許さない
点に、共同不法行為の特色を見出す。
    □V 民法719条1項前段の共同不法行為の要件   
    □W 「共同の行為」からの因果関係と個別的因果関係   
    「共同の行為」を理由に全部連帯賠償責任を課すことにより、被害者の救済を図るという民法719条1項前段の趣旨を踏まえて批判的理論を貫徹

複数行為者の行為間に関連共同性があり、その結果として「共同の行為」としての評価がされるのであれば、もはや個別的因果関係などというものは規範命題から脱落する。
(潮見)
 
       
  ◆第3節 「共同の行為」と連帯責任の意味 (p134)  
  ◇第1項 「広義の共同不法行為」のパラダイムからの転換   
    □T 「広義の共同不法行為」・・・「損害の不可分性」+「複数の行為」⇒共同不法行為  
    □U 共同不法行為と競合的不法行為   
  ◇第2項 「共同不法行為=全部連帯責任」のパラダイムの揺らぎ・・・共同不法行為制度の柔軟化の動き  
    ■第1目 「共同不法行為=全部連帯責任」のパラダイム   
    ■第2目 共同不法行為の効果の柔軟化・・・その背景   
    □T 緒論   
    □U 行為者側の関与を考慮に入れた柔軟化の方向・・・共同不法行為者の負担軽減の観点からの効果面での柔軟化   
    □V 被害者救済を考慮に入れた柔軟化の方向・・・共同不法行為の成立範囲の拡張に伴う効果面での柔軟化  
    ■第3目 減責のための理論構成   
    □T 一部連帯の理論(p138)  
  ●1 概要   
  ●2 理論的基礎   
  ●3 四日市ぜんそく訴訟第1審判決・・・「弱い関連共同性」と分割責任の抗弁   
       
    @「共同不法行為における各行為者の行為の間の関連共同性については、客観的関連共同性をもってたりる」ところ、「右客観的関連共同の内容は、結果の発生に対して社会通念上全体として1個の行為と認められる程度の一体性があることが必要であり、かつ、これをもってたりる」(「弱い関連共同性」)  
A「被告らの工場の間に右に述べたような関連共同性をこえ、より密接な一体性が認められるときは、たとえ、当該工場のばい煙が少量で、それ自体としては結果の発生との間に因果関係が存在しないと認められるような場合においても、結果に対して責任を免れないことがある」とした(「強い関連共同性」)。
そして、「強い関連共同性」が認められる場合には、被告による分割責任の抗弁が封じられる。
       
  ●4 「わずかな寄与」(寄与度の微小性)を理由とする分割責任の抗弁   
    この判例の法理:
ABCDの行為により100の損害が発生していて、各自の行為の間に関連共同性が認められるとき、
@ABCDは民法719条1項前段に基づき、各自が100の賠償責任を連帯して負担するということをデフォルト・ルールとして採用したうえで、
ADの結果発生に対する寄与が(たとえば)10しかないというような場合に、Dについて「強い共同関連性」が認められないときにはDの対外的責任を10に限定する(分割責任の抗弁)というもの。
 
    □U 確率的心証の理論   
    □V 割合的因果関係の理論   
    □W 寄与度減額の理論   
    交通事故・公害等の下級審裁判実務で比較的多様されているのが、寄与度減責の理論。  
複数原因が共同する場合において、各行為者の賠償額を決定するにあたり、個々の原因の寄与度を考慮せよという点では、割合的因果関係の理論と共通。
but
割合的因果関係の理論と異なり、因果関係という事実認定レベルではなく、規範的価値判断レベルでの賠償額限度基準としても「寄与度」を捉えるもの。
(正確にいえば、前者のレベルに対応する「事実的寄与度」と、後者のレベルに対応する「評価的寄与度」を区別する)、理論的・体系的には、より洗練されたものとなっている。
寄与度を理由とする減責の理論は、共同不法行為責任の成立を認めたうえで、寄与度という別の評価軸で、賠償額の限度を試みる理論
       
  ◆第4節 共同不法行為の類型化(p144)  
  □T 「強い関連共同性」のある共同不法行為と「弱い関連性」しかない共同不法行為   
    「共同不法行為」とされるもののなかに、
@複数行為者の行為の間に「強い関連共同性」のある共同不法行為と、
A「弱い関連共同性」しかない共同不法行為とがあることを認め、
@については「寄与度」減責の抗弁を複数行為者に許さないのに対し、
Aについては、「寄与度」減責の抗弁を許す
という立場。
 
    □U 各類型についての批判理論   
    「共同不法行為」と評価される場合は、全部連帯責任を維持し、寄与度などを理由とする加害者側の減免責を許すべきではない⇒「弱い関連共同性」類型は「共同不法行為」の一類型ではない(「競合的不法行為」の一類型である。)  
     
    □V 寄与度を論じる視点の多様性・・・ここまでの確認を兼ねて  
  ●1 事実的寄与度と評価的寄与度(p146)  
    共同的不法行為(ないしは競合的不法行為)において、被害者側からの全部連帯責任の主張に対し、
@行為者側が個別的因果関係に関係する事実を持ち出して減責を説く場面で「寄与度」が語られる場面と、
A行為者側が規範の保護目的や違法性の程度といった規範的評価・価値判断に関係する要素を持ち出して減責を説く場面で「寄与度」が語られる場面がある。
前者@:事実的寄与度
後者A:評価的寄与度
 
       
  ●2 「弱い関連共同性」:寄与度を持ちだす意義 
・・・分割責任の抗弁と寄与度減責の抗弁
 
    共同不法行為を理由とする全部連帯賠償責任を前提としたうえで、共同不法行為者のなかに結果発生に対し「わずかな寄与」しかしていない者がいるとき(「寄与度」の微小性)、この者の責任を寄与度に対応した部分に限るという意味で「分割責任」を認める際に、「寄与度」が解かれることがある(分割責任の抗弁)。  
ABCDの行為により100の損害が発生していて、共同不法行為の要件を充たしたことを理由に各自が100の損害について連帯責任を負う場万で、Dの「寄与度」が10にすぎない⇒ABCについては各自100の責任を維持し、Dについては10の責任を負う(一部連帯)。
「弱い関連性」しか認められないものの、全部連帯賠償責任が複数行為者に課される場面で、被告とされた複数行為者の側から、結果発生に対するみずからの行為の「寄与度」を主張・立証することにより、この者の行為を「寄与度」に対応した部分に限るという意味での「分割責任」を認める際に、「寄与度」が解かれることがある(寄与度減責の抗弁)。 
□    □W 小括  
     
    「寄与度」を理由とする減責の抗弁が認められるとされる複数加害者事例:
ある立場:競合的不法行為が問題となる場合であって「共同不法行為」の事例ではない
そのうえで、複数加害者の責任がどれも民法709条に基づくときには、損害の可分性または事実的因果関係の不存在の理由とする減免責の主張が認められる。
 
他方、この種の事例は「共同不法行為」の事例であって、共同行為者間に「弱い関連共同性」しか存在しない場合であるとされることがある。

民法719条1甲前段であれ後段であれ、「寄与度」を理由とする減責の主張が認められる。
       
  □V 判例理論  
  ●1 「強い関連共同性」類型について・・・「共同不法行為=全部連帯責任」の維持   
    最高裁:「共同不法行為」と性質決定される場合にその効果として認められる全部連滝責任という枠組みを崩していない。  
    最高裁H13.3.13:
共同不法行為によって被害者の被った損害は、各不法行為の行為のいずれとの関係でも相当因果関係に立つものとして、各不法行為者はその全部を負担すべきものであり、各不法行為者が賠償すべき損害額を案分、限定することは連帯関係を免除することとなり、共同不法行為者のいずれからも全額の損害賠償を受けられるとしている民法719条の明文に反し、これにより被害者保護を図る同条の趣旨を没却することとなり、損害の負担について公平の理念に反することになるからである。
 
       
  ◆第5節 共同不法行為に対する本書の基本的立場 (p149)  
  □T 概要   
    共同不法行為と評価されるのは、民法719条1項前段の条文に即して、
@分割責任を排除するという目的に適合し、かつ、
A共同行為者による減免責の主張を認めない(全部連帯責任)場面
に限定すべき。
 
共同不法行為は、個別行為を理由とする反論を許さないほどに強力な連帯責任の効果を共同行為者間に作り出すという制度

各人の行為が一体をなすとみとめられるべき程度にまで関連づけられていて(関連共同性)、かつ、その一体的行為(「共同の行為」)と権利・法益侵害ないし損害との間の因果関係が認められれば、個別的因果関係や個別的高位の寄与度・割合等を持ち出して、これをもとに減免責を認めることは、民法719条1項の趣旨に反する。
寄与度減責が認められるとされる「弱い関連共同性しかない共同不法行為」は、単に民法709条の不法行為責任が競合しているにすぎない

もはや「共同不法行為」の性質をもつものではなく(それゆえに、民法719条は適用されず)、それぞれの個別の不法行為責任が損害(額)の面で競合している限りで連帯しあっている「競合的不法行為」の一場面。
そのうえで、寄与度についての立証責任の転換がどのような場面で正当化されるのかを論じるべき。
    □U 共同不法行為  
    民法719条1項前段は、数人が「共同の不法行為」によって他人に損害を加えたとき、共同行為者は、各自連帯して、被害者に生じた損害を賠償する責任を負うと定める。

被害者との対外的関係では共同行為者の全部連帯責任とし、かつ、
損害の最終的分配とリスク負担(複数行為者のなかに無資力者がいる場合のリスク負担)を共同行為者間における内部的な求償問題によらせることにより、
被害者にとって損害填補を容易にするとともに、損害填補の確実性を強めるとの効果をねらったもの。


@分割責任を排除するという考え方と、
A共同行為者による減免責の主張認めない
という考え方があらわれている。
 
    □V 競合的不法行為   
  ●1 競合的不法行為の基本的枠組み・・・不法行為責任の単純競合   
    複数行為者の対外的連帯責任という効果

複数行為者のそれぞれにつき民法709条その他の責任根拠規定の要件を充足する不法行為責任が成立し、
これによる損害賠償責任が競合する場合
(=不法行為責任の競合)
にももたらされる。
 
競合的不法行為:
各人の独立の行為につき、それぞれ、不法行為の成立要件である権利・法益侵害、故意・過失、因果関係が充足され、被害者の権利・法益が規範の保護目的内にあるということ・・・寄与度減責の理論にいうところの寄与度(評価的寄与度)の問題に対応する・・・が立証された場合に、各行為者の全額賠償責任が発生し、しかも、その全額賠償責任が目的を同じくする範囲において競合するという状況が生じる。
  ●2 寄与度を理由とした減免責の余地のある競合的不法行為類型  
    寄与度減責の主張が認められる共同不法行為とされる場面(「弱い関連共同性」しかない共同不法行為の場面)は、競合的不法行為の場面の1つ。   
ここでは、寄与度に対応するのは、個別的因果関係および規範の保護目的(因果関係の相当性)に対する評価
       
    □W 以下での叙述対象の限定・・・「強い関連共同性」類型  
     
  ◆第6節 関連共同性・・・「共同の行為」を導く要件(p152)   
◇    ◇第1項 総論   
    「共同の行為」とすることの意義を個別的因果関係の立証不要
⇒「共同の行為」と権利・法益侵害ないし損害との因果関係を問うもの
⇒権利・法益侵害行為としての共同性を捉える・・犯罪共同説的な理解をする・・のが適切である。
 
  ◇第2項 主観的共同と客観的共同   
    □T 緒論   
    □U 起草当時の考え方   
    旧民法:
@複数行為者の行為による損害賠償義務を全部義務とするのを原則としたうえで、
A「共謀」の場合については、連帯債務であることが示された。
 
    民法 第719条(共同不法行為者の責任)
数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも、同様とする。
2 行為者を教唆した者及び幇助した者は、共同行為者とみなして、前項の規定を適用する。
 
    現行民法719条:
すべてが連帯責任とされたうえで、
数人が共同の不法行為によって1つの損害を加えた⇒同条1項全体の連帯責任が発生。

侵害行為の一体性が必要とされており、その上で、侵害行為の一体性を判断するうえで「共謀」までは不要であるとされている。
 
◇    ◇第3項 関連共同性の客観的判断(客観的共同説)   
    □T 概要   
    通説:「共同の行為」とされるために必要な関連共同性については、意思の共同(「共謀」)という主観的連絡は・・・十分条件ではあっても・・・必要条件ではなく、「客観的に1個の不法行為があると見られる」関係、つまり客観的関連共同があれば足りる。  
    判例(大審院):客観的共同説。  
山王川事件の最高裁判例:
上流にある国営アルコール工場からの多量の窒素を含む廃水により水田の稲に被害が生じた⇒国を相手取って損害賠償請求。
事件自体は共同不法行為の事件ではなく、単独不法行為の事件。
最高裁:
流水には他の都市下水等による窒素が多量に含まれていたからアルコール工場の排水の有無にかかわらず損害は発生していたとの被告(国)側の反論を退けるにあたり、
「共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を加えた場合において、各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を加えた場合において、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が右違法な加害行為と相当因果関係にある損害についてその賠償の責に任ずべきであ」るとの一般論。

共同不法行為につき客観的共同説をとることを示唆したもの。
    □U 客観的共同説の論拠   
    旧民法378条から現行民法719条に至る過程で「共謀」要件が取り払われたほか
@他人との接触の増大や損害発生の危険の広汎化の結果、1つの行為が複雑な因果系列をたどって損害を惹起する蓋然性が大となった現在社会において、損害のどの部分について事実的因果関係が存在するかを立証するという困難な作業を被害者に課したままにしておくことは、もはや維持し得ない(因果関係の「からまり」とそれにともなう立証困難からの被害者の保護)。
A「事故発生に至る一体的結合性」がある場合、複数行為者各人の寄与度を決定するのに必要な事実を明らかにすることは、被害者にとって困難である(寄与度についての立証困難からの被害者の保護)。
B「事故発生に至る一体的結合性」がある場合、被害者に、1回だけの訴訟で、できるだけ迅速に、そして確実に賠償を受けさせる必要がある(紛争の1回的解決についての被害者の利益の保護)。
C複数の行為者が共同で行為することにより利益を受けている場合、たとえば、汚染物質を排出している企業が地域的に近接して立地することにより社会資本や産業基盤の共同利用を含め有形無形の利益を受けている場合、このことは、全部責任の有力な根拠となる。(「集積の利益」(集合の利益)。利益共同体的発想)
D複数行為者間に危険の共同支配・管理を要請できるだけの客観的状況が備わっている場合には、他者の行為を自己の行為と一体的に評価しうる基礎がある(「集積の危険」(集合の危険)。危険共同体的発想)。
 
    □V 「客観的共同」の二義性   
    〇A説:関連共同の意味を・・・客観的に捉えるにせよ・・・厳格に解するもの。

本来であれば、各自の行為と個別的因果関係にある損害についての責任を負えば足りるところ(分割責任の原則)、これを排して各自の行為と個別的因果関係の及ばない損害についても全部連帯責任を負わせる(その結果、個別的因果関係を犠牲したことになる)点に共同不法行為制度の本質がある。⇒関連共同性については、個別的因果関係を犠牲するにふさわしいものであるべき。
 
B説:関連共同の意味を緩やかに解するもの。

本来であれば、各自の行為と個別的因果関係にある損害についての責任を負えば足りるにもかかわらず(分割責任の原則)、共同不法行為制度では各自の行為と個別的因果関係の及ばない損害についても全部連帯責任を負わせることにしたのは、主として被害者の救済をねらったから。
被害者の救済に資するのであれば、ここでの関連共同性の要件を穏やかに解してよい。
vs.
「際限のない拡大を招く恐れがないとはいえない」との懸念。

一部連帯、寄与度減責の理論等。
競合的不法行為(ないし「弱い関連共同性」類型の創出)をみた今日にあっては、民法719条1項前段の「共同不法行為」(=「強い関連共同性」類型)についてB説の考え方の主張内容を維持することは困難。
       
◇    ◇第4項 関連共同性の主観的把握(主観的共同説)(p159)  
    □T 概要   
    「関連共同性」は主観的共同でなければならないとする立場 

@客観的共同性は内容・定義ともに不明確であるうえに、主観的共同を必要としないという消極的機能しかなく、なんらの積極的意義を有しない
A「共同関係にある他人の行為」という自己の行為の結果でない損害についても責任を負わなければならないのはなぜか」という観点から考えれば、「法的効果帰属の基本原理としての意思」をもってこの問いに答えるべき。
 
   内容:
@帰責の根拠を「意思」に求める⇒共同不法行為法においても、連宅責任を負わせる根拠として、なんらかの形で「意思」がはたらく必要。
「(各自が)他人の行為を利用し、他方、自己の行為が他人に利用されるのを認容する意思をもつ」とき、行為の結果が行為者に帰責される。
A各自が当該権利侵害をめざして他人の行為を利用し、他方、自己の行為が利用されるのを認容される意思のある場合が、故意の共同不法行為。
B各自が当該権利侵害以外の目的をめざしてそのために他人の行為を利用し、他方、自己の行為が他人に利用されるのを認容される場合もある。
〜過失ある共同不法行為の問題となる場面。
各自について、その権利侵害を発生しないように注意する行為義務があり、それに違反すれば過失ありとされるほか、各自は、共同する他人に対して、その他人が権利侵害しないように注意する行為義務もあり、これに違反すれば、過失ありとされる。
C一方は当該権利侵害をめざし、他方は当該権利侵害とは別の目的をめざして各自他人の行為を利用し、他方、自己の行為が他人に利用されるのを認容する意思のある場合もある。
〜片面的共犯の事例に該当。
故意行為者が過失ある行為者の行為を一方的に利用している関係にあるが、後者(過失ある行為者)についても行為義務を観念することは可能。
〜民法719条1項前段の共同不法行為者とされ、行為者は全損害について連帯責任を負う。
    □U 主観的共同がない場合の処理  
    1項後段で救済⇒「寄与度」(事実的寄与度・評価的寄与度)を理由とする減免責の主張・立証を許す。  
    □V 主観的共同説に対する批判   
vs.
他人との接触の増大や損害発生の危険の広汎化の結果、1つの行為が複雑な因果系列をただって損害を惹起する蓋然性が大となった現在の社会において、「損害のどの部分について事実的因果関係が存在するかを立証するという困難な作業を原告に課したままにする」ことがもはや維持し得ない。
       
  ◇第5項 本書の立場・・・「主観的共同」類型と「客観的共同」類型の併存   
    ■第1目 背景  
    今日の学説:
共同不法行為とされるものに
@「主観的共同」としての類型的特徴をもつものと
A「客観的共同」としての類型的特徴をもつもの
があることを認める方向で収束。
    ■第2目 権利・法益侵害(ないし損害惹起)への意思関与が存在する場合:共同不法行為・・・主観的共同類型   
権利・法益侵害ないし損害を惹起することについて意思的関連が存在する場合については、「共同の行為」であること、したがって関連共同性を認める点に、ほぼ争いがない。
(客観的関連共同性で足りると主張する学説も、客観的関連共同性を十分条件としており、必要条件としているのではない。)
 
〇意思的関与が存在する場合   
@権利・法益侵害ないし損害の発生をめざして共謀した場合(共謀型)

加害行為をなすことにつき共通の意思がある場合には、共謀という非難されるべき意思の関与が存在⇒各人の行為と権利・法益侵害ないし損害との間の個別的因果関係を問題とすることなく、共謀者は発生した損害について賠償責任を負うべき。
 
Aある者の行為が他の者の行為とあいまって権利・法益侵害ないし損害が発生すること、または発生する危険性があることを認識しつつ、あえてその行為をする場合(認識・認容型)

共謀にまで至らない場合でも、他人と共同して行為をしていることを認識・認容して行為した者は、共同行為であることを認識しつつそれをあえておこなった者はそこから生ずべき結果を認容したものと解されるがゆえに、共謀の場合と同様に責任を負うべき。
 
B教唆・幇助をした場合(教唆・幇助型)

719条2項に該当する行為も、同条1項前段の共同不法う行為の一種。
(かつては、不法行為と客観的に関連しないが、責任を加重させるために特別に共同行為者とみなしたものと理解されていた。)
 
    ■第3目 権利・法益侵害(ないし損害惹起)への意思的関与が存在しない場合・・・客観的共同類型   
    □T 基本的考え方   
    端的に「帰責における一体性」規準と捉え、かつ、共同不法行為とされた場合の効果にとってふさわしい程度の関連共同とは何かを論じていけば足りる。  
その際、共同不法行為とされた場合の効果について、
@「寄与度」を理由とする減責の抗弁を許さない全部連帯責任の類型
Aこの種の抗弁を許す全部連帯責任の類型
を考えるときには、それぞれのタイプごとに要求される関連共同性の強度が異なる。

本書では、
@のみを共同不法行為と捉え、
Aは競合的不法行為の一種として捉えるべきである
との立場。
    □U 寄与度を理由とする減免責の抗弁を許さない全部連帯責任の類型・・・「強い関連共同性」 (p165)  
●1 緒論  
  「寄与度」を理由とする減責の主張を許さない全部連帯責任が複数行為者に課される場合(民法719条1項前段が適用される場合)

このような強固な責任を基礎づけるため、「共同の行為」・関連共同性の要件については、その充足性に関して厳格な判断がされるべき。
 
     
●2 共同行為への共同加功の意思がある場合(p165)  
  権利・法益侵害ないし損害発生への意思的関与はないが(この意思があれば、主観的共同が認められる)、
客観的にみて権利・法益侵害をもたらすこととなった行為をすることについて行為者が共同加功をする意思を有している場合
〜比ゆ的に言えば、犯罪共同の意思はないが、行為共同の意思ばある場合。

民法719条1項前段の意味での「共同の行為」として評価してよい
 
     
●3 最低限の要請・・・場所的・時間的近接性(一体性)   
  そうでない場合、少なくとも、場所的・時間的近接性(一体性)が必要とされるべき。   
  当該被害者の権利・法益に対する個々の行為者による侵害行為(権利・法益侵害ないし損害惹起)のされた場所が客観的にみて一体とは評価できない場合や、
個々の行為者による加害行為(権利・法益侵害ないし損害惹起)のされた時期が客観的にみて別の時期と評価される場合

場所的・時間的近接性(一体性)を欠くゆえに、複数の行為を民法719条1項前段の意味での「共同の行為」とすることはできない。

例えば、
損害が可分であり、それぞれの損害について対応する行為を個別に観念できるときには、それぞれの損害を惹起した複数の行為を一体のものとして捉えることができないし、薬剤の「製造」・「輸入の許可」・「販売」を一体の行為と捉えることに無理がある。
 
  「共同の行為」であることの評価の前提となる場所的・時間的近接性(一体性)の判断の手順:
@被害者の権利・法益に生じた被害の状況から考えられる権利・法益の侵害場所と侵害時期を特定⇒Aその特定された時期・場所において当該被害者の権利・法益を侵害する行為に関与された者について、場所的・時間的近接性(一体性)を観念できる。
 
     
●4 行為連鎖型の場合における場所的・時間的近接性(一体性)   
  場所的・時間的(一体性)を評価するうえで、共同の行為とされる各行為者の行為が同時期にされる必要はない(複数の行為の同時性は必要条件ではない。)。
各行為者の行為が時間的に連鎖する場合・・・「それぞれが独立して成立する複数の不法行為が順次競合した共同不法行為」・・・でも、行為が同時でないことのみを理由として「場所的・時間的近接性(一体性)」が否定されることはない。
but
行為連鎖のケースでは、時間的に早期の時点でされた行為者の行為(「遠因」ともいえる行為)について、各自の行為が具体的被害者の権利・法益侵害行為と評価できるものか否かを踏まえて、「場所的・時間的近接性(一体性)」の有無が問われなければならない。
 
  最高裁判決:
「本件交通事故における運転行為と本件医療事故における医療行為とは民法719条所定の共同不法行為に当たるから、各不法行為者は被害者の被った損害の全額について連帯して責任を負うべきものである」としたものがある。
but
この事件は、
@最初の交通事故で被害者が放置すれば死亡するに至る障害を負っていたことと、
A搬送された医療機関で適切な治療がおこなわれていれば高度の蓋然性をもって救命できたことから、
当該運行行為と当該医療過誤のいずれもが被害者死亡という「不可分の1個の結果」(1個の権利・法益侵害)を招来したといえる。
 
  むしろ、交通事故と医療過誤は行為類型が異なるうえに、結果に対する起因力と目的・性質にも大きな違いがある・・・とりわけ、行為の一体性・時間邸接着性・同質性が認められない・・・ことを考慮に入れれば、通常の場合は独立の不法行為の場合(損害が重なり合う限度での責任の競合)といえば足りるし(その結果、競合的不法行為の問題として、民法709条の枠内で処理すべき)、民法709条の枠内で各行為者の不法行為についての因果関係、保護目的(義務射程)の判断、金銭的評価を個別的に判断していく姿勢を貫くべき  
     
●5 連帯責任の正当化根拠・・・競合する行為者相互の「拡大された注意義務」   
  場所的・時間的近接性(一体性) があったとしても、それだけでは「共同の行為」としての評価に十分であるとはいえない。

共同不法行為責任が被害者保護のために複数行為者に全部連帯責任を課したものであるからといって、複数行為者側に「寄与度」を理由とする減免責の余地すら与えないというのであれば、行為者側の行動の自由に対する制約は非常に大きなものであり、各行為者に課された禁止規範・命令規範の射程(これは、権利・法益侵害との個別的因果関係を前提とする)を超えた権利・法益侵害の結果を・・・「共同の行為」と結果との因果関係判断のもとで・・・各行為者に帰することになる可能性がある。
 
  このような状況下でなお、免責の余地を認めない強固な全部連帯責任を正当化できるためには、権利・法益侵害の危険から被害者を保護するべく行為者の行動の自由を制約するという不法行為制度の枠組みのもとでは、「共同の行為」のもとでの権利・法益侵害の危険に対して、行為者の回避行動を義務づけるのが合理的であるという状況が必要。

@「場所的および時間的」近接性(一体性)に加え、
A競合行為者に対して危険の共同支配・管理を要請できるだけの客観的状況が備わっていなければならない。
共同不法行為責任が危険共同体ないし利益共同体的な観点から説かれることが多いのも、この点にかかわること。
 
  危険共同体・利益共同体の存在を基礎として、減責の主張を許さないほどの関連性があるとの規範的評価をもたらすにふさわしい「拡大された注意義務」(共同行為者として、相互に他人の権利・法益を侵害しないように協力して行為する義務)を当該行為者に認めることができるかどうかが決定的。  
     
    □V 「強い関連共同性」のある共同不法行為と、「著しく小さな寄与」(寄与度の微小性)を理由とする分割責任の抗弁   
    共同不法行為の場合に「著しく小さな寄与」しかない者について、この者の責任を、他の者の全部連帯責任を維持しつつ、「寄与度」に対応した額についてのみの責任に限定することを説くもの。
vs.
「分割責任の抗弁」(およびこれによる一部連帯)は、「強い関連共同性」が認められる場面では、全部連帯とした民法719条1項前段の趣旨に照らし、否定されるべき。(潮見)
 
       
    □W 関連問題(再論)・・・・寄与度を理由とする減免責の抗弁を許す全部連帯責任の類型:「弱い関連共同性」類型   
    被害者の損害について全部連帯責任が複数行為者に課されるものの、「寄与度」を理由とする減責の主張を許す場合については、多くの論者は、この類型もまた、共同不法行為の範疇に含めている。
この類型は、一連の下級審裁判例の蓄積を経て、今日では、「弱い関連共同性」が存在する場合であると表現されることが多い。
 
潮見:
これを競合的不法行為(したがって、民法709条の責任が競合する場合)の一種と捉え、本来であれば被害者側が主張・立証すべき「寄与度」(事実的寄与度・評価的寄与度)について、その主張・立証責任が行為者側に転換されている場合
       
  ◆第7節 教唆者・幇助者と共同不法行為(p172)   
    □T 教唆者・幇助者の意義   
民法 第719条(共同不法行為者の責任)
数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも、同様とする。
2 行為者を教唆した者及び幇助した者は、共同行為者とみなして、前項の規定を適用する。
 
教唆者:他人に不法行為の決意を生じさせた者のこと
教唆者に被害者の権利・法益侵害についての故意があった場合のみならず、過失があった場合も含む。
 
幇助者:他人が不法行為をするのを容易にする行為をした者のこと。
幇助者に被害者の権利・法益侵害についての故意があった場合のみならず、過失があった場合も含む。
 
「教唆」・「幇助」のいずれも、規範的・評価的な概念。  
    □U 民法719条の2項の意味   
  ●1 起草時の理解・・・創設的規定としての民法719条2項   
教唆者・幇助者については、侵害結果と教唆・幇助行為との間に相当因果関係は認められないけれども、このような者をも連帯責任に取り込むため、(相当因果関係での)擬制をしたのが同条2項。  
  ●2 現在の理解・・・・確認的規定としての民法719条2項  
民法719条2項前段の「共同の行為」につき主観的共同のみならず客観的共同をも含めるならば、教唆者や幇助者の行為については。同条1項前段の「共同の行為」に含まれる。
⇒同条は確認的規定にすぎない。
 
    □V 他者の行為に関与した者の民法709条に基づく不法行為責任・・・「間接侵害」・「間接的行為者」をめぐいる問題   
教唆者・幇助者、広くは他者の行為に関与した者の行為を民法719条の問題とせず、この者の単独不法行為と捉え、民法709条のもとで、損害賠償を負わせることも可能。  
最高裁昭和62.1.22:
中学生グループの1人が線路のレールに置き石をして列車が脱線転覆⇒実行行為者と事前にその動機となった話合いをし、これに引き続いてされた実行行為の現場に居合わせた・・・しかし、当該具体的実行行為については認識も共謀もなかったし、「見張り」をしていたわけでもない・・・者につき、「実行行為と関連する先行行為に基づく事故回避措置義務の違反」を理由に民法709条による損害賠償をみとめられたものがある。
〜この者の行為を、具体的実行行為をした者との「共同不法行為」とか「幇助行為」として処理していない。
 
民法709条に基づく単独不法行為という枠組みのもとでは、損害帰責にあたり、「他者の、ある行為を幇助した」から損害賠償責任を負うという枠組みで法律構成がされていない点が重要。  
他者の行為が適法行為であっても、その者の行為に関与した者の行為が故意・過失ある不法行為と評価され、損害が帰責されることもありうるが、その一方で、単独不法行為と評価される者の行為それ自体について、権利・法益侵害についての故意・過失、この者の行為と被害者の権利・法益侵害との間の因果関係(個別的因果関係)、被害者の権利・法益侵害がこの者の禁止・命令規範の保護目的の範囲内に該当することといった709条の要件を充足することが要求される。  
       
  ◆第8節 共同不法行為の効果   
    民法 第719条(共同不法行為者の責任)
数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも、同様とする。
2 行為者を教唆した者及び幇助した者は、共同行為者とみなして、前項の規定を適用する。
 
  ◇第1項 不真正連帯債務   
    共同不法行為者は、被害者に対し、連帯して損害賠償義務を負う。  
判例・通説:共同不法行為を理由として共同行為者が各自連帯して負担する損害債務は、不真正連帯債務の性質を有するもの。
vs.
主観的共同ないし客観的共同の関係にある共同行為者間には、真正の連帯債務(共同連帯)を特徴づける「主観的な共同関係」が認められる。

民法719条1項前段の連帯は、真正の連帯として捉えるのが適切。
       
  ◇第2項 共同不法行為における損害賠償債務と絶対的効力事由(p176)  
    民法 第434条(連帯債務者の一人に対する履行の請求)
連帯債務者の一人に対する履行の請求は、他の連帯債務者に対しても、その効力を生ずる。
 
民法 第437条(連帯債務者の一人に対する免除)
連帯債務者の一人に対してした債務の免除は、その連帯債務者の負担部分についてのみ、他の連帯債務者の利益のためにも、その効力を生ずる。
  ●判例   
  共同不法行為者の1人に対する請求につき、ここでの連帯責任が不真正連帯債務であって連帯債務でないことを理由に、請求の絶対的効力を定める民法434条の規定は適用されない。  
同様に、免除の絶対的効力を認める民法437条の規定は不真正連帯債務である共同不法行為者の損害賠償債務には適用されない。
but
共同不法行為者の1人に対して免除の意思表示がされた場合について、その被害者が他の債務者の債務をも免除する意思を有しているときは、他の債務者に対しても「免除の効力」が及ぶ。
       
◇    ◇第3項 共同不法行為者間の求償権(p179)  
    □T 求償権の肯定   
    A:かつての支配的見解
@およそ不真正連帯債務にあっては、負担部分を観念することができない⇒連帯債務であることを理由とする求償は認められない
A共同不法行為において連帯債務者が負担すべき損害賠償債務は不真正連帯債務である。
vs.
共同不法行為における責任関係にあっては、責任を発生させるに至った「共同の行為」((強い)関連共同性)にかんがみ、共同行為者が損害賠償債務の履行を相互に確認しあうことを通じて債権の効力を強化するため、共同行為者の負う損害賠償債務の間に連帯関係を認めたもの。

複数債務間に担保的機能が認められ、しかも、この担保的機能は、共同行為者が相互に債務の履行を担保し合う関係(相互保証の関係)としてあらわれる。

複数加害者各自が被害者に対して負う損害賠償債務のなかに、自己固有の負担部分(本来的負担部分)と、他の加害者の損害賠償義務を被害者に対して担保している部分(保証部分)がある。
被害者に対し損害賠償義務(全部義務)を負担した行為者は、みずからの負担部分を超える部分につちえは、他の共同行為者の負担部分に相当する額を被害者に対して弁済したことになる。

共同不法行為の場合も、たとえ民法719条1項前段にいう連帯の意味を不真正連帯と解しても、自己固有の負担部分(本来的負担部分)を超えて賠償した加害者が他の加害者に対して保証部分の履行を理由として求償できるという点が正当化される。
 
       
    □U 求償割合   
  ●1 「過失」割合に基づく求償   
    複数行為者の行為が競合した交通事故を扱った事件において、最高裁は、共同不法行為において行為者相互間での求償権を肯定したうえで、ここでの求償の意味につき、「過失の割合にしたがって定められるべきYの負担部分について」の求償であるとした。  
       
  ●2 各自の負担部分・・・割合か、額か?   
    判例:
共同不法行為において被害者に賠償した者が他の共同行為者に求償できるためには、自己の負担すべき額を超えて弁償したことが必要。
 
       
    □V 求償関係における共同不法行為と使用者責任の交錯・・・「求償連帯」の理論  
  ●1 問題の所在   
    使用者が被害者に賠償したときや、第三者が被害者に賠償した場合の、以降の求償関係。  
    A社勤務のBが操作するクレーンと、C社勤務のDが運転するトラックが十分に連絡を取り合っていなかった⇒トラックの積荷の荷崩れ⇒通行人Xが負傷。
Xの損害額:100
B・D間の過失割合:
B:80
D:20
 
BがXに対して100の賠償。
    ×α:Xの損害を最終的に内部負担することとなるA・B・C・Dの負担割合を同一平面で捉え、100の損害をA:B:C:Dの比率で半分したらいくらになるのかの数値を出し、Bは、この率に応じて各自に割り付けられる額を他の者(A・C・D)に求償できる。
vs.
使用者責任が被用者の不法行為に対する代位責任であり、使用者の民法715条1項本文に基づく損害賠償債務は、被用者の損害賠償債務を担保するものであること、
内部関係とはいえ、共同不法行為者の1人についてこの者の使用者がこの者の債務を担保しているという意味で使用者と被用者を一体的に捉えるべき点を考慮していない。
 
  ●2 被用者が賠償した場合の求償関係   
       
  ●3 使用者が賠償した場合の求償関係   
  ●4 関連問題・・・共同不法行為者の1人に複数の使用者(または運行供用者)がいる場合   
       
◇    ◇第4項 共同不法行為と過失相殺   
       
       
       
       
       
★第2章 競合的不法行為(p196)  
  ◆第1節 競合的不法行為の意義と特徴   
    □T 競合的不法行為の意義   
    同一の損害を生じさせた複数の不法行為が競合する場合であって、共同不法行為として処理されないもの。  
    @行為者ごとに責任要件充足の有無を判断することにより、誰にいかなる損害賠償請求権が成立するかをみたうえで(個別行為への帰属)
A成立が認められる複数の損害賠償請求権間に競合関係があるかどうかを判断し(異主体間の請求権競合)
B競合関係が肯定⇒
各行為者に対する損害賠償請求権の関係をどのように捉えるべきか
さらには、
C不法行為の個別の成立要件について主張・立証責任の転換が認められるべきか
について判断。
 

競合的不法行為の場合には、
@権利・法益侵害に対する各行為者の単独の行為(個別行為)からの個別的因果関係と、
A権利・法益侵害の結果の個別行為への帰責が、
議論の出発点を形成。
    □U 競合的不法行為の特徴  
  ●1 同一の権利・法益に向けられた侵害の存在  
    それぞれの行為が同一の権利・法益に向けられた侵害であることが、出発点。
そうでなければ、そもそも責任の競合という問題は起こり得ない。
 
  ●2 個別行為についての不法行為責任の成立要件の充足   
    複数行為者の単独の不法行為が競合する場合が想定されている

共同不法行為によるような要件面での修正がされず、競合するそれぞれの不法行為ごとに、それぞれの責任設定規範の予定する責任成立要件がすべて充足されている必要。
民法719条1項前段の共同不法行為と異なり、「共同の行為」であることとか、そのために必要とされる関連共同性は、当然には問題とならない。
 
  ●3 寄与度に応じた責任(分割責任(割合的責任))  
    同一の権利・法益侵害へと向けられた複数行為者の行為から同一の損害が発生した場合において、それぞれの行為の間に民法719条1項前段の定められた全部連帯責任(寄与度を理由とする減免責の余地なし)をもたらすほどの「関連共同性」(「強い関連共同性」)がない場合:
被害者が、行為者各自に不法行為を理由として損害賠償請求をすることができるためには、行為者ごとに不法行為の成立要件が充足されるのでなければならない。

被害者が加害者に対し不法行為を理由として損害賠償を請求するための要件については、行為者別にそれぞれの責任設定規範に従い、判断される。
これが、競合的不法行為の場合の問題処理の基本。
 
    たとえば、A・B・Cの行為により、Xの権利が侵害され、損害が発生したとき、XがA・B・Cを共同被告として民法709条に基づいて不法行為を理由とする損害賠償請求をするに、A・B・Cのそれぞれについて、709条の要件(権利侵害、故意・過失、故意・過失行為との因果関係、(本件の立場だと)規範の保護目的、損害(権利侵害と損害との因果関係を含む)に該当する事実を主張し、立証しなければならない。)  
    ここで「寄与度」(事実的寄与度および評価的寄与度)といわれるものが、前述したように、個別的因果関係、規範の保護目的該当性に関する評価ないし損害に対する規範的評価に関するもの⇒上記の例では、A・B・Cは、各自、みずからの「行為の「寄与度」が認められる損害についてのみ、被害者に対して賠償責任を負う。
寄与度ごとの分割責任(割合的責任)といわれるのも、この当然のことを「寄与度」という言葉を用いて表現したにすぎない。
 
       
    □V 「基本型不法行為」についての修正理論とその問題性   
    競合的不法行為のうち、民法709条の意味での不法行為(基本的不法行為)が競合する場合に限ってであるが、
他の競合的不法行為と異なり、「訴訟法上、損害(の一部)につき事実的因果関係の及ぶことが立証されればそれだけで十分であって、原告は立証責任を果たしたことになり賠償義務が成立するから、損害の可分性および事実的因果関係の及ぶ部分を明らかにして免責または減責を得るために立証することは被告に負わされるべき負担となる」
この減免責の主張は「一般原則」により認められる。
(平井)
vs.
「一般原則」に従うのであれば、問題となっているのが「独立の不法行為」の競合である以上、賠償を求める損害全部についての因果関係(事実的因果関係)が存在することについての主張・立証責任は、法律上で特別の転換措置が講じられていない限り、被害者側にあるはず。
すなわち、可分の損害につき一部にしか因果関係が及ばない場合、その余の損害部分については、これらの賠償も求める被害者側に、加害行為との間に因果関係が存在することの主張・立証責任がある。
 
       
    □W 問題を捉える際の基本的視点   
    競合的不法行為とされるもののなかにも、
(1)独立の不法行為が単純に競合する場合(したがって、不法行為を理由とする行為者各自に対する損害賠償請求をするには、被害者は、行為者ごとに不法行為の成立に必要な要件を主張・立証すべきである場合)と
(2)これに一定の規範的価値判断を加えて特殊類型として創造される場合(「寄与度」について、その主張・立証責任が被害者側から加害者側へと転換されている場合)があるのではないか?
 
    (2)に当たるもの:
@ 数人が明らかに(個別具体の)被害者の同一の権利・法益を侵害したことによって全損害を惹起した場合において、民法719条1項前段の共同不法行為に該当しない・・・したがって、「寄与度」を理由とする減免責の余地のない全部連帯責任は負わない・・・ものの、複数の個別行為の一体性を考慮し、被害者側の立証困難を回避するため、「寄与度」についての主張・立証責任を被害者側から加害者側に転換することにより、全部連帯としたうえで「寄与度」を理由とする減責の抗弁を許す場合。
A@の場合の一種として、数人が明らかに(個別具体の)被害者の同一の権利・法益を侵害したことによって全損害を惹起したが、(個別具体の)被害者に対する権利・法益侵害をした複数行為者の内部で、さらに、いくつかの複数グループに細分化して捉えるのが適当な場合。
 
       
  ◆第2節 寄与度についての主張・立証責任の転換類型・・・全部連帯+「寄与度減責の抗弁」   
  ◇第1項 寄与度についての主張・立証責任  
    □T 原則・・・寄与度に応じた割合的責任(分割責任)   
    競合的不法行為の場合には、個々の行為者が自己の行為の「寄与度」に応じた責任(分割責任(割合的責任))を負う  
    そして、個々の行為の損害に対する「寄与度」についての主張・立証責任は被害者側にある  
    □U 例外・・・「全部連帯+寄与度減責」類型(p202)   
    「寄与度」に関する主張・立証責任が転換されているということは、
民法709条の不法行為責任の競合の場面についていうと、
同条の要件を用いて表現するならば、
@権利・法益侵害、A故意・過失、B故意・過失と権利侵害との因果関係、C規範の保護目的、D損害、(E権利侵害と訴なぎとの因果関係)のうち、
BCとDEのうち事実認定および規範的評価にかかわる一部分についての主張・立証責任が被害者側から加害者側へと転換されているということを意味する。
 
       
  ◇第2項 寄与度についての立証責任転換の根拠・・・寄与度の立証困難からの被害者の救済(政策的理由)   
    本来であれば責任成立要件にあたる事実については被害者側が主張・立証すべきところ、ここでの立証責任転換の根拠が寄与度についての立証困難を理由とする被害者救済をもくてきとしたもの

単に
@損害が1個不可分のものであるとの事実と
A数人の行為んぼいずれもが純粋に事実的・物理的過程において損害を発生させるために作動した事実だけから
「全部連帯+寄与度減責の抗弁」という枠組みの処理を認めるなどということはできない、。
 
  ◇第3項 「全部連帯+寄与度減責」類型・・・請求原因レベル(p204)  
    □T 権利・法益侵害行為および行為者の特定   
    当該被害者の権利・法益を侵害した複数行為者の行為が特定されること・・・権利・法益侵害に「寄与」した行為と行為者の特定・・・が必要。  
       
    □U 行為者の人的範囲の特定 (p205)●●  
    「寄与度」についての主張・立証責任転換の趣旨が民法719条1項後段の加害者不明の不法行為の場合におけるのと同様。

ここでも同条1項後段の適用事例におけるのと同様、
@行為者を特定したうえで、かつ、
Aその特定された者以外の者によって当該被害者の権利・法益侵害ないし損害がもたらされたのではないということを被害者が主張・立証しなければならない。
 
    719条1項後段を適用する場合の上記限定

@こう解することによって「共同行為者」の範囲が無限定に広がるのを防ぐ
A因果関係の立証不十分のままに賠償責任を負わせるには、被告にも自己防衛のための手がかりを与える必要がある

「寄与度」についての主張・立証責任の転換が問題となる場面でも、
@のみならず、Aについても、被告とされた個々の行為者が、同じく行為者として特定された他の者との関係で寄与度を立証することにより減責されうる点に利益を有する。
 
       
    □V 複数行為者の行為の一体性・・・「弱い関連共同性」(p205)   
    寄与度の立証が被害者にとって困難であることを理由に、被害者救済のために寄与度についての主張・立証責任を行為者側に転嫁するというのが、ここでの不法行為類型の特徴。

こうした処理が妥当といえるためには、(民法719条1項前段の免責の余地なき全部連帯責任を基礎づけるような)「強い関連共同性」までいらないものの、寄与度についての立証を被害者に要求するのが酷といえるほどに、複数行為者間の行為の間に一体性(=「弱い関連性」)が認められる必要
 
       
    どの程度の一体性があれば「寄与度」についての主張・立証責任を行為者側に課すのにとって適切か。
結局は「社会観念」にゆだねざるをえない部分が少なくないが、
@「時間的・場所的近接性」は最低限必要
←そうでない場合には、区分された複数の時間的・場所的空間の間で、権利・法益侵害ないし損害への寄与の割合を個々の空間ごとに個別に観念することができる
A時間的・場所的に近接した空間内で、個々の行為の「寄与度」を証明困難とする事情が被害者側に存在している必要。
 
    個々の行為者の「寄与度」が分明な状況
⇒不法行為責任の単純競合の問題として処理すればいい。
一般準則どおりに責任成立要件の主張・立証責任を被害者に課し、立証困難からの被害者の保護については、過失・因果関係等についての主張・立証責任に関する証明度の軽減その他の手法によって対応すれば足りる。
 
 
       
    □W 一体的行為と権利・法益侵害ないし損害との因果関係  
    一体として把握される行為と権利・法益侵害ないし損害との間の因果関係が、被害者により主張・立証されるべき。  
       
◇    ◇第4項 行為者側の抗弁・・・自己の行為の「寄与度」(p211) ●●  
    被告とされた行為者各自は、権利・法益侵害ないし損害に対する自己の行為の「寄与度」(事実的寄与度・評価的寄与度)を主張・立証することにより、みずからが賠償すべき額の割合的減額(分割責任)を導くことができる  
    「寄与度」についての主張・立証責任を行為者側に転換することの最大の意味は、
因果関係の一部に関する評価、
当該権利・法益侵害が行為者に課された禁止・命令規範の保護目的内にあるかどうかの評価と、
賠償すべき損害の範囲に関する評価(伝統的立場によれば、相当性判断
の一部について、主張・立証責任を被害者側から行為者側へと転換することにある。

「寄与度」には、
@ここで個別的因果関係についての主張・立証責任も転換されている⇒いわゆる「事実的寄与度」が含まれる(その結果、原因惹起力のようなものが考慮される)ほか、
A規範の保護目的該当性および損害の規範的評価に関する事実についての主張・立証責任も転換⇒法的評価の観点を経た「寄与度」、すなわち「評価的寄与度」も含まれる。
そして、Aにあっては、加害者の非難可能性(違法性)の強弱も考慮の対象となる。
 
    A・Bの行為が一体と評価される例で、Aの行為もBの行為もそれぞれ単独で結果(R)を発生させるのに十分である場合(原因の重畳的競合)、
Bとしては、、それぞれの「Aの行為によりRが発生した(Aの行為に100%の原因惹起力がある)」ということを主張・立証しても、免責されない。
←「Aの行為+Bの行為」のなかでの「Bの行為」の割合(寄与度)が問われている。
 
同様に、A・B・Cの行為が一体と評価される令で、Aの行為は単独で結果(R)を発生させるに十分であるが、Bの行為とCの行為は単独では結果(E)を発生させるに足りないという場合も、B(またはC)としては、「Aの行為によりRが発生した(Aの行為に100%の原因惹起力がある)」ということを主張・立証しても、免責されない。
「Aの行為+Bの行為+Cの行為」のなかでの「Bの行為」(またはCの行為)の割合(寄与度)が問われている。●●
       
  ◇第5項 被害者側の再抗弁・・・「関連共同性」(強い関連共同性)  
       
  ◇第6項 寄与度不明の場合における分割責任説   
       
  ◇第7項 特定競合行為者の責任・・・「集団的寄与度」   
       
  ◆第3節 補充責任   
       
       
  ◆第4節 択一的競合(加害者不明の不法行為)   
       
       
       
       

家族関係上の地位の侵害(潮見Tp224〜)
  ◆夫婦間の不法行為
□人身侵害・人格侵害 
□配偶者としての地位の侵害 
□離婚による家族関係上の地位の侵害 
◆    ◆不法行為と第三者の不法行為責任
□他方配偶者に対する責任 
●保護法益
最高裁昭和54.3.30:
貞操請求権を含む配偶者としての人格的利益、この意味での配偶者としての地位
最高裁H8.3.26:
他方配偶者の有する「婚姻共同生活の平和の維持という権利又は法益保護に値する利益」の侵害が問題。
既に破綻している夫婦においては、他方配偶者にこのような権利・利益がない。
●判例法理
「夫婦の一方の配偶者と肉体関係をもった第三者は、故意又は過失がある限り、右配偶者を誘惑するなどして肉体関係を持つに至らせたかどうか、両名の関係が自然の愛情によって生じたかどうかにかかわらず、他方の配偶者の夫又は妻としての権利を侵害し、その行為は違法性を帯び、右他方の配偶者の被った精神上の苦痛を慰謝すべき義務がある」
●潮見説(否定説)
夫婦それぞれは独立対等の人格的主体であって、相互に身分的・人格的支配を有しない
⇒夫婦の一方がみずからの意思に基づき不貞行為にかかわった以上、加担をした第三者に夫婦関係(婚姻共同生活)の侵害や「配偶者としての地位」の侵害を理由として賠償責任を導く・・・権利・法益侵害に対する故意・過失を肯定する・・・のは適切でない。
夫婦関係(婚姻共同生活)が侵害されたという点や、「配偶者としての地位」が侵害されたという点については、婚姻法・離婚法の枠組みを用いて夫婦間不法行為の問題および婚姻破綻を規律する諸規定の適用問題として処理すべき。
第三者との関係は、せいぜい、これとは別の、純粋の、すなわち、「配偶者としての」という形容詞を付さない一般的な人格権侵害・名誉毀損の枠組みで処理するのが相当。
●慰謝料請求権の消滅時効
夫婦の一方がその同棲関係を知った時から、それまでの間の慰謝料請求権について進行(最高裁H6.1.20)。